2020年12月25日

ようこそコロナフリー・ワールドへ

 

 画面の中で笑う女性の頭上に、いくつもの扇風機がぶら下がっている。

「あ、これ? 今ね、休校中の幼稚園で暮らしてるんだ」

「帰省先から戻って、隔離措置のまっ最中ってわけ。市政府にあてがわれたのがこの教室で、朝から晩までここで一人きり」

 その人は、オンライン英会話のフィリピン人講師、エンジェル先生。

PCR検査で陰性証明を取れば隔離は免除されるんだけどね、検査に5000ペソ(約1万円)かかるから。お金を節約しなくちゃね」

「けっこう快適だよ、ご飯はタダで配ってくれるし。でも退屈。オンラインで英会話教えて、あとはネットフリックス見てゴロゴロしてる」

「今日が隔離の最終日で、帰宅したらすぐクリスマス休暇だよ。楽しみ~」

 日本同様、毎日20003000人のコロナ感染者が出ているフィリピンでは、いまだ厳しい移動制限が敷かれている。

「日本では政府が『Go To トラベル』『Go To イート』というキャンペーンをやって、補助金出して外出を奨励してますよ」

そう私が話すと、エンジェル先生苦笑い。

「私たちフィリピノは、確かに不自由な思いをしている。でもこの状況では、移動制限が妥当だと思う」

 コロナに対する姿勢が対照的な、日本とフィリピン。

さて、正解はどちら?

 

エンジェル先生のレッスンを受けたのは、「蓼科東急ホテル」のツインルーム。家からクルマで20分の、小さな小さな旅をした。

日が暮れても、駐車場にはポツンと自分のクルマだけ。フロント・スタッフに聞くと、笑いながら

「今日も明日も、予約はお客様だけです。ごゆっくりお寛ぎ下さい」

ひとりリゾートホテルに泊まって、さぞ浮きまくるかと思ったら…

 まさかの丸2泊、全館貸し切り状態。一生に一度、あるかないかの贅沢な時間だった。

 本当に誰もいないので、ウイルスに感染する可能性もゼロ。束の間の、コロナフリー・ワールド。

 

 隔離生活中のエンジェル先生に、外の雪景色を見せた。

「わー、まるで映画みたい!」

 大ウケだった。



2020年12月19日

人生の諸問題②

 我ながら完璧な人生設計をしたつもりが、ここにきて、いささかの瑕疵が。

 松本の街って、けっこう寒い…

 朝の気温がマイナス5度だったり、一日中氷点下だったり。

 雪もよく降る。

 標高600メートルあるから、東京だったら高尾山のてっぺんで暮らしているようなものだろうか。

その上盆地気候で、冷え込みがキツイのかも知れない。

早朝ジョギングしていると、耳が千切れそうになる。

 

 ある時、出張で行ったシドニーの公園で、風を切って快調に走っていた(つもり)。

 すると、双子の赤ちゃんをタンデムのベビーカーに乗せた女性が後ろから近づいてきて、いとも簡単に抜き去っていった。

 それが深い心の傷になって以来、わざと散歩に毛が生えたぐらいのペースで走っていた。でもここでは本気で走らないと、寒さをしのげない。

 でも耳が痛い。

 路面が凍って、ツルツルになっていたりもする。

 すっかりこの地に定住する気でいたけれど…

来年の今ごろは、別の街で暮らしているかも。

 そのうち慣れるのかなぁ。

2020年12月12日

風景の力

 

 新聞社で一緒だった元同僚が、若くして会社を離れ、福島の田舎に住んでいる。

 長野から会いに行くと、新潟から福島へ抜ける峠が、雪に閉ざされていた。ぐるっと日本海側を回って、往復700キロのドライブになった。

阿賀野川に沿って谷間を進むと、突然視界が開けた。見渡す限り広がる田んぼの先に、雪の磐梯山がのんびりと横たわっている。古くからこの地に暮らす人々が、長い時間をかけて丁寧に形作った、まさに日本の原風景。

 

元同僚が移住したのは、ここ会津盆地の田んぼに点在する集落のひとつ。築100年の古民家を手に入れ、ほぼ自力で修復しながら暮らしている。

彼ら夫婦は、2人とも元写真記者。妻は修行を重ねてパン職人になり、歯ごたえのある重厚なパンを焼いて、縁側で売っている。最初は大変だったそうだが、いまや行列ができるパン屋さんだ。

夫はフリーの写真家として、震災で世界的ニュースになった「フクシマ」のその後を追い続け、国際的な写真賞を受賞した。

 夫妻にはヨーコさん()、カエデさん()という2人の子がいる。家ではほとんどテレビをつけず、パンを売るお母さんを手伝ったり、庭の大木の下で遊んだりして過ごしている。

 

たとえば、雪山で何日も嵐に閉じ込められ、飢えと寒さで死を覚悟した時。

垂直の岩に辛うじてしがみつき、このままでは力尽きて墜落するという時。

窮地に立った登山者の運命を左右するのは、生への執着がどれだけ強いかだ。そして、それまでにどれだけ人の愛情を受けたか、どれだけ美しい風景、絵画、音楽に触れたかが、生還への大きなカギを握っている。

ヨーコさんとカエデさんが将来、人生の大ピンチに直面した時。この雄大な風景の中で育てられた記憶は、間違いなく、彼女たちの命を救うことになると思った。

 

東京での安定したキャリアを捨てて、思い切ったことするなぁ。

ずっと不思議に思っていたが、まさに百聞は一見に如かず。

古い家が醸し出す独特の雰囲気を知り、冬の青空の下に広がる風景を眺めていたら、2人がここで暮らすと決めた訳が、あっさり腑に落ちた。

盆地気候で夏は暑かったり、冬が寒かったり。住んでいれば、いろいろ大変なこともありそうだ。

でも冬枯れの季節でこれだから、春から秋は、どれだけ綺麗なんだろう。

何度も訪れたくなる、とても魅力的な土地でした。

Copyright by Satoko Iwanami





2020年12月4日

熱帯のストア哲学

 

 ・・・楽しかったなぁ。

 この世にコロナが現れるまでは。

 Mystery shopperってわかる? 私、ファーウェイや石油企業と契約して、覆面調査員やってたんだ。よく遠くの町にも調査に行ったよ。医師の夫が週3日勤務だから、家族と一緒に泊まりがけで。

 ホテル代は会社持ちだし、評価レポート書いて送っちゃえば、あとは自由。7歳と5歳の子どもを連れて、ビーチで遊んだりしたよ。

 でもコロナで依頼が全滅して、今は専業主婦。名門フィリピン大学で生物学と環境資源管理、2つも学位を取ったこの私が。

 午前中は、こうしてオンライン英会話講師のアルバイト。自宅でできる安全な仕事だけど、給料は安いよ、とっても。

いまキッチンで、同居のお母さんがご飯作ってくれてる。このレッスンが終わったら、や~~っと朝ご飯だよ。あぁお腹空いた!

(ミンダナオ島在住・36歳・女性)

 

フライト・アテンダントやってたぼくの友だちが、コロナで飛べなくなってすぐ、家でケーキを焼いてFacebookで売り始めたんだ。観光産業で働いてた友人は軒並み解雇されたけど、みな新しい商売を始めてるよ。

ぼくはフルタイムのオンライン英会話講師で、つくづくラッキーだったよ。1日16コマのレッスンを20コマに増やしたけど、すぐ予約で埋まるんだ。日本人もコロナで外出を控えて、前より時間があるんだろうね。

ステイホームでできる新しい趣味をと考えて、最近始めたのがガーデニング。裏庭でハーブを植えたり、キュウリを育てたりしてるよ。

でも外出できないストレスで、自分がToxic person 家族にとって迷惑な存在になってる気がして、いまストア哲学の本“Daily Stoic”を読んでるところ。コロナ禍の世界は変えられなくても、自分は変えられるんじゃないかと思ってね。

え? 常夏の国に居ながらストイックになれるのかって?

ハハ、難しいかもね!

(ボホール島在住・36歳・男性)

 

フィリピン各地で暮らすオンライン英会話の先生は、コロナでも全くへこたれない。少し話すだけで、自分の硬いアタマがどんどん柔らかくなる。

ひとり暮らしでも、数千キロ離れた人と毎日話せる、すばらしいこの世界。

「初月1円キャンペーン」に釣られて再入会したら、最低6か月の継続が付帯条件だった。

 がんばらないと。

Odawara Japan, October 2020




2020年11月28日

初雪

 

 小田原市から松本市へ、人生28度めの引っ越し。

 200キロほどの移動だが、引っ越し業者の都合で、荷物搬出から搬入まで中1日空く。23日の旅になった。

Go To トラベル」を利用し、1泊目に熱海の温泉宿、2泊目は松本のホテルに泊まる。今まで住んでいた部屋のカギを手放してから、新しい部屋のカギを受け取るまでの「家なき子」状態は、何度経験しても気持ちいい。

 松本市役所に転入の届出をしに行くと、「博物館パスポート」を手渡された。国宝・松本城や旧開智学校など、市内21の美術館・博物館が、1年間入場無料だという。松本に来たことを歓迎してもらったような、いい気分。

 ちなみに松本市の姉妹都市は、ネパール・カトマンズ。何やら縁を感じる。

ある日、一通のハガキを受け取った。日本年金機構からで、このハガキを持って事務所に来てくれと書いてある。年金をもらうには、10年早いはず。

自転車で年金事務所を訪ねると、端末を叩いた職員が、「この夏に奥様を亡くされましたね。あなたには60歳から5年間、遺族年金が支給されます」。

 “働き手の夫を亡くした寡婦”が受け取るもの、と思っていた遺族年金が、少額ながら自分にも支給される。申請していないのに、わざわざ呼び出してお金をくれるこの国は素晴らしい。妻からの、思わぬプレゼント。

 段ボール箱との格闘に疲れて、森の家に逃げ込んだ翌朝。

雪が舞った。



2020年11月21日

外食の風景

東海道の城下町から、信州の城下町へ。

部屋探しと引っ越し本番で、それぞれ23日の旅をした。

 最初に泊まったホテルでは、朝食が「30品目ビュッフェ」から、お仕着せセットメニューに変わっている。新型コロナ感染拡大防止のため、という。

 次のホテルはビュッフェ形式だったが、入り口で体温を測られ、「料理を取るときに使って下さい」と、各自ビニール手袋を手渡された。

 料理や飲み物を取りに行くたび、マスクをして手袋をはめる。

昼時、不動産屋に勧められたラーメン屋へ行くと、歩道に2メートルずつ等間隔に、人が並んで立っている。誰に言われるともなく、若い男女が「ソーシャルディスタンス行列」を作っていた。

 夜、駅ビルのレストラン街は、軒並み店じまいして閑散としている。まだ午後7時半。コロナで営業時間が短縮されていた。

 下戸の私が飲み屋街に繰り出し、イタリア風居酒屋でペスカトーレを注文。見渡すと、コロナ時代の新マナー「食事の時は会話を控えめに」など、皆どこ吹く風。顔を寄せ合い、大きな声で話に花が咲いている。

これが居酒屋の、本来あるべき姿だ。でも「夜の街」「感染拡大」など、最近新聞の見出しで見かける言葉が、ふと頭をよぎった。「Go To イート」の影響か、どの店もよく繁盛していた。

 そして新居も定まり、暮らしは非日常から日常へ。「野菜のみそ汁と雑穀米、豆か魚料理一品」という超ワンパターン100年前の日本人的自炊生活に戻って、ほっと一息・・・




2020年11月13日

引っ越しはインド風に

 友人が、800キロ離れた地方都市に引っ越していったとき。

 会社から転勤の内示が出たのが、赴任2週間前だった。

 理由は「社員の不正を防ぐため」。彼が勤める金融業では普通らしい。

 欧米の大企業や国際機関では、転勤は希望者のみだ。人気のない任地、危険な任地に社員を送るときは、それに見合ったインセンティブが提示される。

紙切れ一枚でいきなり社員を動かすのは、日本の会社だけだ。

 

「紙切れ一枚」で、4転勤した。

引っ越しで持ち物を「断捨離」するチャンスが、8回あったことになる。

たしかに海外赴任の時は、「航空便100キロ、船便10立方メートル、国内倉庫に20立方メートルまで」という会社規定があったから、かなり断捨離した。

でも国内異動には制限がない。引っ越すたび、逆に荷物が増えていった。

段ボール箱が100個を数えたのは、いつの頃だったか。最後の転勤では、トラック2台に荷物を満載して、1000キロ離れた任地に向かった。

晴れて着任したその朝、会社の経理担当に呼び出された。

「キミ、引っ越しにいくら使うつもりなの? なんぼなんでも高すぎるよ!」

 

 フリーランスになった今、自分で自分に辞令が出せる。その代わり、引っ越し代も自腹。以前は「妻が風邪で」と言って、ちゃっかり梱包まで会社経費でやってもらったりしたが・・・

 今回はきちんと断捨離した上で、引っ越し業者に見積もりを頼んだ。

 やってくる営業担当者は、ほとんど男性。電話で「ほんの30分」といっておきながら、契約を勝ち取るまで帰らないゾ、という気概に満ちている。1時間以上も粘る。

 どの社も最初は、「20万円以上かかります」という。「A社は8万円だったよ(←半分ハッタリ)」「B社は粗大ごみの処分もやってくれるよ」といって各社を競わせると、見る間に言い値が下がり、半額以下になっていく。

 このあたり、けっこうインド的。定価などあってないようなものだから、振れ幅が大きい。きちんと準備して臨まないと、ボラれそう。

 この春に東京から長野に引っ越した家族の情報を、前もって仕入れてある。あらかじめ相場がわかれば、有利に交渉できる。

でもギリギリまでは値切らず、最後は人となりで決めた。

 

その担当者は、電卓を叩きながら、途中で何度も本部に電話していた。

 ・・・そこを何とか・・・もっと値引きを・・・お願いします・・・

 上司とのやりとりを聞かせて、「私はお客様の味方です」とアピールする。

 彼の工夫と熱意に負けました。 



2020年11月7日

ウルサイ日本と私

 

「クリエイティビティは移動距離に比例する」

 こう言ったのは、実業家の本田直之だったか。

彼はハワイに自宅を構えて、日本と往復する生活をしている。

ちなみに、毎日2便飛んでいたANAの東京~ハワイ線は、コロナ禍のいまは「毎月2便」に激減している。

 

 クリエイティビティは、移動距離に比例する。

 新聞社の海外特派員だった3年間、飛行機でアジア諸国を飛び回った。年間100フライト以上、距離にして約10万マイル。

でも、偉大なクリエイターにはなれなかった。

それどころか、どんどん疲弊していくばかり。

行き先が大地震の被災地だったり、自爆テロ現場だったり、クーデターが起きた国だったせいだろうか。

やっぱり、行き先はハワイに限る。

 

コロナを奇貨として、ローカル線で小さな旅に出た。

富士と甲府を結ぶ身延線と、松本~糸魚川の大糸線。

車窓を移ろう錦繡の山を眺めながら、どんどん自分がクリエイティブになっていく。

・・・と言いたいところだが、思わぬ伏兵が。

車内アナウンスだ。

やれ整理券を取れだの、ドアは自動で開かないからボタンを押せだの、この駅は一番前のドアしか開かないから気をつけろだの、切符は運転士に渡せだの、精算機は1000円札しか両替できないから小銭を用意せよだの・・・

駅を出発した後と、次の駅に到着する前の2回、ほぼ同じ文言が、大音量の人工音声で繰り返される。

耳栓代わりのイヤホンが、何の用もなさないほどうるさかった。

身延線88キロ、39駅。

大糸線105キロ、41駅。

はぁ・・・

旅情に浸るどころか、終点に着くころには廃人寸前。

間違っても俳人にはなれない。

急ぐ旅でもないのに、帰りは新幹線や特急に乗って、別ルートで帰った。

もし外国人がもっと増えて、英語や中国語、韓国語のアナウンスが追加されたら、ローカル線の車内から静寂が消えてしまう。

私が特別、音に対して繊細すぎるのだろうか。



2020年10月31日

Go To おもてなしの国

 

Go To トラベル」に誘われて、友人が暮らす金沢へ。

 八ヶ岳西麓から、クルマとJRで4時間ほどの旅。

 友人は、「Go To トラベル」に東京発が追加され、「Go To Eat」も始まったら、いきなり街に人が増えたと言っていた。確かに、「ひがし茶屋街」などの観光スポットや飲食店街は、かなり賑わっている。

 

 今回はホテルが軒並み35%off なので、金沢でも3本の指に入る高級ホテルに泊まってみた。

 世界的ブランドを冠したホテルだが、ツインルームの広さは最小限。しかも、壁が薄い。夜中に目覚めたら、隣室の声が聞こえてくる。

「金沢駅近くのセブンイレブンが・・・」

 セリフまで、はっきり聞こえた。

コロナ対策とかで、朝食ビュッフェがお仕着せのセットメニューになっている。平日にも関わらず、入り口には順番待ちの行列。給仕するスタッフも忙しそうで、「ありがとうございました」が、「ありゃ~とやんした~」に・・・

一流ホテルが、これでは居酒屋チェーンだ。上品な白人老夫婦が、居心地悪そうにしていた。

週末になると、1泊3万円に値上がりする。この連休は満室になる。

相当な殿様商売だ。

 いつかコロナ禍が収まって外国人旅行者が戻っても、有名観光地のホテルがこの程度では、「インバウンド景気」は頭打ちになると感じた。

それとも貧弱なハードを、日本が世界に誇る「おもてなし」でカバーする?

 物量の劣勢を精神力で取り繕う発想は、75年前の対米戦争と同じだ。

 

 いままで、仕事でいろいろなホテルに(たぶん500回以上)泊まったが、いちばん快適だったのは、中国・瀋陽のシェラトンホテルだ。

チェックインからチェックアウトまで、全くストレスフリー。

 そこかしこに、スタッフのさりげない心遣いを感じた。

思うに、「おもてなし」は日本の国民性でも何でもなく、すべての人に備わっている。スタッフからその心を引き出すのは、マネージャーの腕次第。国籍なんか関係ない。

 

35%引に釣られてツインルームに泊まったら、部屋に戻るたび、片方のベッドが使われないままなのを見ることに。

 次からは、おとなしくシングルを取ろうと思う。



2020年10月23日

見えない相手の顔色は?

 

 その日訪ねた3つめの物件は、マンションの最上階にあった。

 オーナーの男性は、マンション2棟50室を経営しながら、自身は整体師をしているという不思議な人だ。

「体のどこかが痛くなったら連絡ください。ぼくが診ますよ」

との声に送られて室内に入り、まず目に飛び込んできたのが新雪の常念岳。ダイニングの窓の向こうに、白銀に輝く北アルプスの山々が連なっている。

ここに案内してくれたのは、駅前不動産の若手社員。自信を持って勧めた物件には「あー」とか「うー」とか言うだけだった客が、にわかに窓にくぎ付けになっているのを見て、

「あなたのツボはそこだったんですか・・・」

と言いたげに、私を眺めている。

 交渉にはポーカーフェイスが必須だが、心中を見透かされた。それでも彼は「ここに決めて頂けるなら」と、オーナーに頼んで家賃を値引きしてくれた。

 賃貸暮らしは、2年ごとに更新料を払わなければならない。4年も住めば、

「意味不明のお金を払うぐらいなら、いっそ見知らぬ街に引っ越したい」

という衝動に抗えなくなる。いま住む家の、6年目の更新料支払いが迫る。

 でも会社に守られていた頃の引っ越しと違い、フリーランスにとって大きなハードルになるのが「賃貸保証委託会社」だ。

 家賃支払いの連帯保証人を誰かに頼むのは気が引ける。となると、残るは保証会社のみ。

ところがこの保証会社、サラリーマンや年金生活者など、定期的な収入がある客には寛大だが、フリーランスには俄然、審査を厳しくする。確定申告書類など、何かしらの収入証明を求めてくる。

しかも、保証会社の顔が見えない。不動産業者を介して「給与明細を」「確定申告書を」と要求してくるだけで、会ったり電話で話したりできないのだ。

もっとも、たとえ直談判できたとして、

「財産のほとんどは価格が乱高下する外国株で、自分でも時価がわかりません。しかもここ数年、勤労収入は限りなくゼロで・・・」

こんなたわけたことを言う人には、誰も部屋を貸さないだろう。

 恐る恐る、あまり説得力があるとはいえない額を預けてある銀行の「取引残高報告書」を送る。するとあっさり、「審査を通りました」ときた。賃料が安い地方都市の中古マンションだと、チェックも甘いのか。

 

「この家って結婚してから10軒目なんだね。11軒目はどこになるんだろう」

 春先にそんなことを言っていた妻は、夏の終わりに天上へと旅立った。

地上に残された夫は、保証会社という見えない相手の顔色を伺いながら、ゴソゴソ引っ越しを繰り返すのだと思う。




2020年10月17日

人は安きに流れる

最近、わが家を訪れた人に言われた。

「ここ、新聞配達の人に申し訳なくないですか?」

確かに。

 八ヶ岳の中腹にあるこの家まで、市街地から車でも30分かかる。そして、森の中に点在する周りの家は、夏のほんの一時期しか使われていない。

 雨の日は水が流れ、冬になると凍結する道を登って、もしこの家のためだけに新聞を届けてくれているとしたら、本当に申し訳ない。

 考えるまでもなく、人口より野生のシカの方が圧倒的に多いこの地域で、電気・水道・ガス完備、郵便やアマゾンも届き、頼めば生協のトラックまで来てくれるこの生活は、かなりぜいたくだ。

私の留守中、福沢諭吉さんが数枚入った現金書留が、外の郵便受けに投げ込まれていた。郵便局の人も、ここまで来て無駄足はイヤだったらしい(実はこういうこともあろうかと、郵便受けの中にハンコを転がしてある)。

また、暗くなるころに宅配便のお兄さんが電話してきて、

「本日指定の荷物が集配センターに届いたんですけど・・・明日にしてもいいですか?」と、泣きを入れてきたこともある。

でもテレビもラジオもない、ケータイもド〇モの電波が辛うじて届くだけの生活に、新聞は大切なライフラインなのである。

 こんど新聞販売店に電話して、もしこの辺の客がウチだけだったら「冬場は3日に1度でいいですから」「1週間に2度だけでも・・・」と、言ってみよう。

 

 登山道や山小屋を使わず、釣りや狩りで食料を現地調達しながら山を登る「サバイバル登山家」の服部文祥さん。昨年から、山に囲まれた茅葺きの廃屋で暮らし始めたという(以下、引用はすべて106日付読売新聞より)。

「母屋の横50メートルに渓流が流れ、鳥、風、ときどき遥か上空を飛んでいく飛行機の音しかしない。携帯電話はもちろん届かない」

 彼が実践するサバイバル登山では、「空気はもちろん、水も食料も宿泊費もすべて無料。お金ではなく、労力と引き換えに手に入れる」

だから「ふと立ち止まって街の生活を考えると、自然界では無料のものにお金を払うため、賃金労働に追われているのではないか」

「手軽で効率が良くなった先で、我々はいったいなにをしているのだろう。やるべきことを失って、必死で暇つぶしをしているようにも思える」

「ちょっとした労力や手間を惜しまなければ、国や自治体やライフライン企業に頼らず暮らすことができる」

 

 そうはいっても、家を修繕し、畑をいじり、くたびれた体で五右衛門風呂を沸かし、カマドに火を起こして飯を炊く服部さんの生活は、大変そうだ。

 文明生活を甘受しながら山に暮らし、必死で暇つぶしをする。

 やっぱり私は、こちらの路線でいきたい。


 

2020年10月10日

「死ぬ気まんまん」

 

秋の夜長に、妻の入院前後に読んだ本を再読した。

NHKアナウンサーの絵門ゆう子さんは、自身ががんと診断されてから産業カウンセラーの資格を取り、多くのがん患者と接してきた。

絵門さんによると、勇気を奮って訪れたがん専門病院や大学病院で、初対面の医師に、救いようのない言葉を投げかけられる場合が非常に多いという。

「がんでも私は不思議に元気」(絵門ゆう子著、新潮社)に実例が出ている。

「あなた、あと3か月だよ。なんでここに来たの?」

「あなたのようになった人で、5年も10年も生きた人はいませんよ」

「ここに来たからって、治ると思ってもらっては困りますからね。何をしたところで、あなたは必ずがんで死にますから」

「もうあなたに効く薬はありませんから。身辺整理でもしたらどうですか?」

「こんな状態になった人は、普通は旅行することとかを考えるんですよ」

「あなたみたいな人は治しようがないので、ホスピスに紹介状書きますから」

「悪いのはあなたの運ですからね。私たち医者が悪いんじゃありませんから」

・・・わが耳を疑う。人間以下だ。

 日野原重明・元聖路加国際病院院長は、絵門さんとの対談で

「医師が診断をし、治療をするとき、患者から希望を取るのは暴力です。ところが、はっきり言うことがカッコのいい知的な医者だ、というふうなサイエンスがのさばっている。そのような教育は、どうしても間違っています」

と言っている(同書より)。

 この本が書かれたのが2005年。その後、状況は改善されたのだろうか。

 絵門さんは、医者が余命を告げることにも否定的だった。

「死刑宣告された死刑囚だって、執行日は告げられない。それを知らされたら狂乱してしまうかもしれないと、死刑囚の精神を守るための配慮であろう。であれば、「余命」を言われてしまうがん患者は、何一つ罪を犯していないのに、死刑囚に施される配慮さえされていないことになる」

 死生学が専門の哲学者アルフォンス・デーケンさんも、その著書「死とどう向き合うか」(NHK出版)の中で

「人間は真実を知る権利とともに、知ることを拒む権利を持っている」と書いている。

「患者自身が知りたいという意欲を持っているか、告げないことで患者の心に葛藤を与えていないかなど、さまざまな点を検討してから告知すべき。決して告げることだけを優先させてはいけない」(同書より)

 余命宣告されたその日に「これでお金の心配をしなくて済む」と、貯金でオープンカーを買ったのは、絵本作家の佐野洋子さん。腹の据わった人だ(「死ぬ気まんまん」佐野洋子著、光文社)。

 ちなみに妻の主治医は、「たとえ手術中に致命的なミスがあっても、この人だったら笑って死ねる」とさえ思える人だった。




2020年10月3日

走れる森の美女

 

 もしインターネットだけで仕事ができたら、どこで暮らしますか?

 コロナ禍で100%リモートワークに切り替わり、都心に通う必要がなくなった人もいる、らしい。

 でも自分の周囲に限っては、

「ウチの会社はリモートワーク率0%」

 と、自嘲気味にいう人ばかり。

ちなみに、友人の多くは新聞やテレビなど、時代の最先端をいく?はずの人たち。旧態依然とした業界の体質が、こういう時に露呈する。

 記者会見もオンラインでやるこのご時世、会社に行かなくてもよさそうなのに。

サッカー担当記者をしている私の友だちは、スポーツ専門チャンネルで試合を見て(あるいは見たことにして)、試合後の会見にはズームで参加。悠々と、家で記事を書いているという。

 やればできるじゃないですか。

 都内の不動産会社で働く別の友だちは、上司と交渉して、週に数回のリモートワークを勝ち取った。でも不思議と、彼女に追随する同僚はいないらしい。

 よっぽど家の居心地が悪いのか。

そして上司からは、在宅勤務を認める条件として、パソコンのカメラを常にオンにしておくよう求められたという。

 部下を監視する暇があるなら、経営判断に時間を割いた方がいいのではないでしょうか。

 

 投資家という自分の本業は、もともと住む場所を選ばない。たまにネットがつながればOKだ。今年は、街でやっていた有償無償の副業をすべて辞めて、春から信州の山奥に移り住んだ。

ところが4月下旬、気温がまさかの氷点下に下がり、雪まで積もった。そしてそういう時に限って、石油ストーブが故障した。

コロナより、寒さ。夏の間は涼しくて快適だったが、冬はどうしよう。

 近くの森に、美しい女性が暮らしている。彼女の職業は「翻訳家+大学講師」。春までは週に何度か、特急あずさで東京の大学に通っていた。コロナで授業がオンラインになり、今は通勤しなくてもよくなった。

 彼女は東京から移り住んで3年目、厳しい冬も慣れたもので、雪の山道を四駆で走り回っている。でもやはり1~2月は寒く、部屋を暖めるために、ひと月400リットルの灯油を消費すると言っていた。

 話を聞いたら、ますます逃げ腰になった。自分には、定住は無理かも。

 冬が来る前に森を出て、どこか新しい町で暮らそう、かな。




2020年9月25日

活字中毒

 

 入院の際に妻が持参した本は、穂村弘の「世界音痴」だった。

 穂村弘は歌人だが、エッセイの名手でもある。めっぽう面白い。

 でもそのうち、

「人生最後の読書が穂村サンじゃねぇ・・・」

 と、言い始めた。

・・・わかる気がする。

そして差し入れたのが、村上春樹「世界の終わりとハードボイルド・ワンダーランド」。彼女は大のハルキ・ファンなので、たぶん再々読か、再々々読だったと思う。

病身には文庫本さえ重かったらしく、バラバラに裁断し、軽くして読んでいた。スマホにはあまり触らず、備え付けのテレビには目もくれなかった。

彼女のような本好きが喜ぶ記事を見つけた。米国の神経科学者、メアリアン・ウルフのインタビュー。「紙の本は深く読む脳を育む」という。

(以下、712日付読売新聞より要約です)

・トランプ米大統領は読書が嫌い。歴代大統領の中でも、異例の存在だ

・トランプ氏は読むことに習熟していないので、他者に共感できない。だから自分自身が知っていることを過信し、妄信してしまう。トランプ氏が唱える「米国第一主義」は、幼稚な自己中心主義だ

・ただ読書嫌いは、直ちに無分別を意味しない。哲人ソクラテスは「人生の意義は言葉を吟味し、問いを発し、自ら思考すること。読むことは書き手に頼ることにあり、怠惰に堕する」といって、読書を批判した

・ソクラテスの批判は、現代のデジタル文書に通じる。スマホなど現代のデジタル媒体は、「言葉を吟味し、問いを発し、自ら思考する」ために適した媒体ではない

・真の理解は、時に立ち止まり、後戻りして、作者が姿を現すのを待つことで得られる。デジタル媒体は、結末に向けて読みを急かしてしまう

・電子書籍にも同様の落とし穴がある。つい読み流し、吟味が疎かになり「深い読み」ができない

・加えて、デジタル媒体は文章が短くなる。読み飛ばす読み手は、書き飛ばす書き手になるもの。ツイッターは象徴的

・トランプ氏は、自身の思いつきを単純な短文でつぶやくことしきり。それでは事態の複雑さを見落とし、多角的な見方もできない

・速読向きのデジタル媒体に染まると、ヒトは考えに時間を割かなくなり、短絡的になり得る。米国には、デジタル世代は他者への共感が薄くなっているという知見もある

・子どもの時になるべく多く紙の本に親しみ、デジタル媒体に接する時は、意識的に注意深く読む習慣をつけることが大切

                      天国はwifi完備だったりして・・・




2020年9月19日

PCUの人たち

 

 ひと月あまりを過ごした緩和ケア病棟(PCU)は、病院の最上階にあった。

 すべて個室で、窓から雄大な八ヶ岳連峰が見える。

 全12床に対して、看護師さんが15人。ナースステーションから、女性たちのおしゃべりと、笑い声が聞こえてくる。急性期病棟にはない、穏やかな空気に満ちていた。

私たちは、ここでしっかり痛みをコントロールしてもらい、再出発するつもりだった。でも一般には、緩和ケア病棟といえば「末期患者が最後の日々を過ごす場所」というイメージがある。

確かに、死の影はそこかしこにあった。

廊下でパジャマ姿の女性とすれ違った時。そのやせ方、頭髪の抜けた姿に、(本当に申し訳ないが)一瞬、アウシュビッツの収容者を連想した。

亡くなった人が搬出されていくのも、見かけた。

病棟の一角には、キッチン付のラウンジがある。大きな窓から陽光が入り、いつも明るい。外は屋上庭園で、色鮮やかなハーブが植えられている。

夕方になると、決まって坊主頭の中年男性が現れて、炊事を始めた。昨日はすき焼き、今日はジンギスカン。ジュージュー、肉が焼ける香りが充満する。

病気の奥さんがいるのかと思ったら、自分で食べ始めた。「このラム肉、スーパーで売ってるよ。病みつきになる味だね」。腰から、モルヒネの点滴バッグがぶら下がっている。

ある昼下がり、看護師のアスカさんが、初老の男性と一緒に入ってきた。よく日焼けして、土のにおいが漂ってきそう。その人の声が、聞こえてきた。

「今日から家内をよろしくお願いします」

「家内は、去年までパートに出ていたほど元気だったんです。血便が出るっていうんで診てもらったら、大腸がん。それも、腸を塞ぐほど大きくなっていて、転移もしてると言われて・・・」

「主治医のK先生によると、余命2か月。もしかしたら、もっと短いらしい。妻にはがんだってことは言ってあるけど、余命のことは話してません」

「あいにく次男夫婦が台湾に住んでいて、帰国すれば(コロナ禍で)往復4週間の自己隔離。だから葬式には来なくていい、と言っときました」

「この病棟は特別に、コロナでも面会できるんですね? 最後まで穏やかに過ごさせてあげたい。アイスなら喉を通るから、毎日差し入れに来ます」

 数日後、その男性が、K先生と話している。

「・・・その鎮静剤を使うと、痛みは治まるけれども、意識が戻らない可能性が高いんですか・・・もう、女房と話せないのか・・・息子たちは、オヤジに任せるって言うし・・・参ったな・・・どうしたもんかなあ」

 こちらに背を向けて座るその背中が、小さく、丸まっていた。





2020年9月12日

天使は実在する

 

 妻の体にその病気が見つかったのが、4年前の春。

「すぐウチで手術しないなら、他に行って欲しい」

 粗野で尊大な地元医師のことばに、不信感を募らせた妻が目指したのは、180キロ離れた信州S病院だった。

そしてマチコ先生が、妻の主治医になった。

 自分の体は自分で治す。妻は、先生が提案する外科的治療の多くを断った。病院経営的には、招かざる客だったと思う。

 それでも妻が行くたび、マチコ先生は30分、時には1時間も時間を割き、じっくりと話し合って治療方針を決めていた。

「私が思うに」「私の考えでは」が口癖のマチコ先生は常に、対等な立場で妻と向き合おうとした。東洋医学や中医学にも精通していて、さまざまな漢方薬を処方してくれた。

 息苦しさを訴える妻をクルマに乗せて駆け込んだときは、外科部長であるマチコ先生自ら、車いすを押して、玄関まで迎えに出てくれた。

 やがて入院した妻の病室を、マチコ先生は平日休日問わず、朝夕訪れた。体中を治療パッドに巻かれて暑がる妻を見ていた先生は、ニトリで冷感シーツを買ってきてくれた。

 そして、看護師さんも献身的だった。

 リンパ浮腫の専門知識を持つヒタチさんは、夜勤専門の看護師なのに、昼間に私服でやって来ては、妻の腫れあがった腕にサポーターを巻いてくれた。

 ある夜、ヒタチさんにこう言われたという。

「いい?私に向かって宣誓して。ナースコールするとき、絶対に遠慮しないって。『寂しい』だけでもコールしてね」

 妻の腕がさらに腫れて、パジャマの袖を通らなくなった時。何軒も店を回って、男物LLサイズのパジャマを見つけてくれたのは、「国境なき医師団」志望の看護師ミナミちゃん。

 68歳にして夜勤もこなす「スーパー看護師」スーさんは、畑で採れたキュウリやトマトを手土産に、1時間半もかけて妻の手足をマッサージしていった。

 マッサージがてら身の上話をしていく若い看護師さんも多く、それまで家で孤独な闘病をしてきた妻は「私、人気者なんだよ」と、うれしそうだった。

 病院を去る時、死が日常的にあるはずの緩和ケア病棟で、何人もの看護師が涙を流してくれた。そして向かった地下通用口の暗がりには、マチコ先生の姿が。外来診察を抜け出して、妻が乗った寝台車を見送ってくれた。


 ありがとう、マチコ先生と看護師の皆さん。

 「白衣の天使」は、本当にいた。



2020年9月5日

「アフターコロナ」は元通り


 家族の病気治療に専念するため、首都圏を離れて5か月余。

 ここ八ヶ岳山麓には、コロナの気配がほとんどない。個人的にも、コロナどころじゃなかったりする。

唯一の影響といえば、家族の入院先が、日に日に面会制限を厳しくしていくこと。「県外在住者は面会禁止」から、「市外から来た人は禁止」へ。そして一時、家族さえ面会禁止になった。主治医に泣きついて「裏口面会」する。

メディアは「ウィズ・コロナ」「アフター・コロナ」を特集しているが、面会以外にはコロナ禍の影響がないので、どうもピンとこない。

ただ、デジタルアートの旗手・猪子寿之氏の見方が、かなり的を射ている気がした。猪子氏は40代前半、起業家でもあるようだ。

(以下、例によって日経ビジネス電子版より要約です)

・過去にも疫病は多くあったが、都市化が止まったことはない。人は長い年月をかけ密へと向かっている。大きな流れは変わらず、「アフターコロナ」のようなものはない。収束後の世界は元に戻る

・みんなが「変わる」と言っているのは、そう言えば人々の関心が湧き、もうかるから。ビジネス的に、変わることにしている

・オフィスを持たずに仕事するといったことは、高付加価値の領域では起こり得ない。これまでに起こっていないことは、いずれ元に戻る

・以前の世界は、固定的で受動的だった。映画も遊園地も受動的で、行動原理は時間を消費し、楽しませてもらうこと。今後は、すべてが変化し続けるようになる。ゴールはあらかじめ設定されておらず、自分で表現し、アップロードする

・重要なのは、自らの意思で歩くこと。単なる時間の消費ではなく、意味を求めていく。働くことにも、お金でなく意味を強く求めるようになる。このシフトは、生存への心配が少ない地域で一気に進む

・歴史を見れば、人口爆発以外で栄えてきたのはグローバル化した場所。情報が重要となる中、様々な考え方を受け入れる素養が問われる。だから分断されているより、連動できる地域が発展しやすい

・世界では超大国のナショナリズム化が進んでいる。ナショナリズムも分断をあおるから、仮に日本がナショナリズムの低い大国として存在すれば、競争優位性が極めて高くなる

・前の産業の時にできた受け身の教育には何の意思もない。自らの意思のある身体で社会が変わるという体験を重ねていくべき

・ウィキペディアは世界中の言語に訳されて、どれだけの人が見たかを示す指標がある。日本人でその数値が最も高いのが、松尾芭蕉。現存する人物では映画監督の宮崎駿。日本が世界に最も影響を与えているのは、科学でも産業でもなく、文化かもしれない



2020年8月29日

名ばかり夜勤

 

 家族の見舞いで訪れた、夕暮れの病院。

 病室に、看護師のMさんが入ってきた。

「私が今日の夜勤担当です、よろしくお願いします・・・でも実は家を出る前から、もう帰ること考えてます。ハハハ」

いつも労を厭わず、笑顔で患者に尽くすMさんの、正直すぎる発言。それだけ、夜勤がつらいのだろう。彼女が以前いた病棟は特に忙しく、ナースコールが鳴りっぱなしで仮眠も取れなかったという。

自分もずっと新聞社で宿直をしたので、その気持ちはよくわかる。

 深夜に朝刊の締め切り時間を迎え、ゲラのチェックが済むと、次の業務は上司の酒に付き合うこと。なにしろ職場で飲むので、逃げ場がない。未明にやっと解放されて、仮眠室へ。

 当時はひと晩中、消防無線を聞く決まりだった。火事が延焼して「第2出動」「第3出動」がかかると、カメラを掴んで現場に急行することになっていた。

 無線からは、絶えずザーザーと雑音が入る。寝ぼけ眼でチューニングをいじっても、収まらない。ある晩アタマに来て、無線のスイッチを切ってしまった。空腹時と眠い時に怒りっぽくなる、自分はわかりやすい人間だ。

 まだ新人の頃から、この「名ばかり宿直」の常習犯だった。でも幸い、翌朝テレビで昨夜の大火事を知って青くなることは一度もなかった。

 消防無線をぶっちぎって寝る新聞記者は、まだかわいいと思う。

 もしナースコールをぶっちぎって寝るナースがいたら・・・ちょっと怖い。

 

「睡眠こそ最強の解決策である」の著者、脳神経科学者のマシュー・ウォーカーが、CNNに出演していた。8時間寝ないと機能しない人(=私)を擁護する話だったので、喜んで要約を書いておきます。

・先進諸国では、睡眠時間の破滅的な減少が起きている。1942年に平均8時間弱眠っていたアメリカ人は、現在6時間30分。日本人はさらに短くて6時間21

・睡眠が短くなるほど、寿命が縮む。睡眠不足はあらゆる死因の予測因子だ

・「ショートスリーパー」として知られたサッチャー英元首相やレーガン米元大統領が認知症になったのは、偶然ではない。心臓病、がん、認知症と睡眠不足は、重大な因果関係がある

・だが十分な睡眠をとっている人は、怠け者という目で見られがち。現代は、少ししか寝ずにハードワークすることが自慢になる社会

・きれいな女性から朝のコーヒーに誘われても、もし7時間30分しか寝ていなかったら、私は断る。十分な睡眠を取らないために生じる弊害を知っていれば、8時間の睡眠を取る以外の選択肢は考えられなくなる

・よりよい睡眠のためには、平日も休日も同じ時間に寝て、同じ時間に起きることと、寝室の温度を下げること。体温を1度下げると、うまく入眠できる




2020年8月21日

退路を断って生きる


 コロナ禍のおかげで、ますます静かな今年の夏。

 そんな中、珍しいお客さんが、わが森に現れた。

 ニューヨークタイムス記者のUさん、海外向け報道番組ディレクターのIさん夫妻、元業界紙記者のHさん。

 こう書くと仰々しいが、みな「私鉄沿線の居酒屋で知り合った飲み友だち」なのだそうだ。

飲めるっていいな。うらやましい。

 でも、ただの酒飲み旅行ではない。それどころか、「地方移住」「2地域居住」「農業」などを共通のテーマに、2泊3日を現地視察の予定でびっしり埋めてきた。

その視察対象に、なぜか私も入ったらしい。

 記者時代、いつもメモを取りながら人の話を聞いていた。今回ばかりは逆に、自分の話をメモってもらえた。感激。

 

 Uさん一行は旅の最初に、4年前に東京から山梨に移住した家族を訪問している。400坪の笹林を手に入れ、保育園児を育てながら、自分たちの手で開墾している若夫婦だ。

 まず重機を運転して抜根するところから始め、雑草を刈って、やっと地面が顔を出す。上下水道がないから井戸を掘削し、電気も町から引き込んでこなければならない。

独学で大工仕事を習得した夫は、4年かけて、ここに家を建てるという。

そして妻は、獣や虫と闘いながら、土地の一部で野菜を育て始めた。コメも無農薬で作り、早くも家族の1年分を蓄えた。

久しぶりに、「開墾」ということばを聞いた気がする。そして、しっかりと大地に根を張って暮らすこの一家に、退路を断って生きる人の覚悟を感じた。

 

 日本人は農耕民族だというが、自分に限って、前世は遊牧民のような気がする。とにかく、1か所に腰を据えて暮らすことができない。

 社会人になってこの方、ずっと借家住まい。毎年のように転勤を希望して、ほぼ3年おきに引っ越しを繰り返した。いよいよ会社に居づらくなると、今度は株式市場という名の「砂上の楼閣」に乗り、漂っている。

「また原発がバクハツしたら、バンコクかクアラルンプールで暮らそう!」と、本気で思う。

 軽薄だ。退路を断つ覚悟どころか、「逃げるが勝ち」。

 果たしてこんなヒトの話を、メモを取って聞く価値はあるのか?

 

でも、この「ノマド的生活」こそ、地震や気候変動、金融危機やコロナにも左右されない「全天候型ライフスタイル」なのでは?という予感もある。

危うい仮説を信じつつ、これからも体を張って、実証実験を続けます。





2020年8月14日

満員電車は違法

 

株式投資を生業にする人の中でも、長期投資家はヒマな人種だ。

特に市場が乱高下している今は、嵐が過ぎるまで、ひたすら死んだふり。

滅多にトレードをしないので、ネット環境が悪くても平気。でも家族のリクエストで、森の中に光回線を引くことにした。

プロバイダーを介してNTTに電話し、住所を告げると「そんな山の中に?・・・この忙しいのに」という沈黙。工事日は、2か月も先になるという。

そして2か月後、大きなハシゴ車でやってきたNTTの人は、我が家をひと目見て言った。

「うわあ!この辺、電柱がないじゃないですか!いちばん近くの電柱は・・・えっあそこ?木の枝が邪魔で、これじゃ回線を引き込めません、まずは木を伐採して、それから改めて電話ください」

 あっという間に帰って行った。

 木を切れと言われても・・・あの辺はお隣さんの森だし。

 ヒカリ生活は夢と散り、再び情報過疎な生活が続くことに。

 

 JR東日本の「その先の日本へ。」や、サントリー「モルツ球団」などの傑作CMを生み出し、先日亡くなったクリエイティブ・ディレクターの岡康道氏。かなりプリミティブな問いを発する人だったらしい。

「なあ、どう思う? 満員電車って狂ってないか?」

「狂ってるけど、乗らないと学校に来れないしな」

「でも、乗ってる全員が我慢してるっておかしくないか?」

(小田嶋隆との対談「人生の諸問題」より)

8月9日付読売新聞によると、満員電車は厳密には「違法」らしい。1900年制定の鉄道営業法では「乗客は座席に限って乗車することができる」と規定し、事業者が強制的に定員を超えて乗車させた場合は、罰則もあるという。

 岡氏の疑問は真っ当なのだ。また、こんな問いも発している。

8月ってこんなに暑い必要あると思うか?」

「別に必要で暑いわけじゃないしな」

「そりゃそうだけど、全世界が全部暑いわけじゃないぞ」

「どういう意味だ?」

「だからさ。探せば涼しい場所もあるっていうことだよ」

「まあな」

「だろ? 涼しい場所に行かないのってただの間抜けだと思わないか?」

 コロナ禍の影響で、東京名物「満員電車」があまり見られなくなったという。ではこのままテレワークが普及すれば、涼しいこの森にも人が増えるだろうか。今のところ、その兆候はない。

 こんな所で暮らせるのは、長期投資家だけ?

 今朝の玄関先は、気温16度。



2020年8月7日

人生は、好きか嫌いか

 敏腕ファンド・マネージャーが投資先を選ぶ時、何を考えているのか?

 藤野英人・レオス・キャピタルワークス社長は「目先の得だけを重視すると長期的な利益につながらない。それよりも『好きか嫌いか』という視点が大事」だという。そしてそれは、仕事選びにも当てはまる、と。

(以下、日経ビジネス電子版に掲載されたインタビューの要約です)

・日本人は「仕事嫌い」が圧倒的に多い。ある調査では、自分が働いている会社に対する信頼度は26か国中25

・「働くことはつまらないことであり、苦行である。給料は我慢代でしかない」という認識が広く持たれている

・同じ調査では、アメリカ人と中国人の80%は「会社が好き」と回答した。「この会社は嫌い、信用が置けない」と感じると、すぐに辞めて好きな会社に移るので、常に好きな職場で働いている

・平均寿命が伸びて、年金だけでは老後の暮らしが成り立たない。「長く働くこと=苦行」という考え方のままでは、本来は喜ばしいはずの長生きを肯定的に捉えられない

・なぜ嫌いな職場に留まってしまうかというと、「仕事なんてそんなものだ。耐えればいつかいいことあるよ」という長年の“擦り込み”があるから

・日本社会では「損か得か」で意思決定することがよしとされ、「好きか嫌いか」で物事を決めるのはよくないとされている

・子どもの時から「好き嫌い」を否定する教育を受けているから、「好き嫌い」に対する感覚が鈍磨している人が多い。

・「食べ物の好き嫌いをしてはいけません」「誰とでも仲良くしなさい」「嫌いな教科もがんばって勉強しなさい」。好き嫌いをなくして標準化することが、日本の教育の大方針になっている

・そうやって好き嫌いの感覚を磨けない教育を受け続けた結果、「自分の自由意思だけでは選べない」という体質が完成してしまう

・さらに「働くことは楽しくてすてきなことだよ」と教えてくれる大人はめったにいなくて、どちらかというと“脅し”を受ける。「いい会社に入れるように勉強しなさい。そうしないと食っていけないぞ」と

・そうやって損得勘定で就職先を選ぶと、待っているのは“絶望”

・少子化が進むのも「選べなくなっている」のが原因。結婚する男女が減っているのは、損得勘定なしに感情に基づいて選ぶ訓練が不足しているから

・だから、「好き嫌い」を大事にして欲しい。「自分が心から好きなことって何だ?」と問い続けて、その先へと向かって欲しい

・理由や根拠は、後付けでいい。実際に好きな方を選び取ってから、「なんで自分はこっちが好きなんだろう?」と考え続けるのが、とても大事

・「好き嫌い」は、その人の価値観や哲学が反映される主観。だから損得勘定より一貫性があり、ブレにくい 





2020年8月1日

ニンジャ・クライマーの子どもたち


「夫婦そろってスーパークライマー」のMさん宅からは、日本有数の岩場が近い。この辺り、多くのクライマーが移り住んでいる。

そしてクライマーを親に持つ子は、まず例外なく「山が嫌い」だという。

「親が楽しみすぎちゃうから・・・なんでしょうね」

 Mさん夫が苦笑して言う。

スーパークライマーの仲間は、ニンジャ・クライマーやターザン・クライマー。類は友を呼ぶ。階段やエレベーターを使わずに東京スカイツリーを登れてしまうような、実力派ばかりだ。

だから彼らの子にとって、山登りといえば「垂直の岩壁を登ること」。

最初からオーバーハングしていたり、一つ目のホールド(手掛かり)が、大人がジャンプしなければ届かない場所にあったり。子どもには、とても歯が立たない。だからいつも、岩場の下で待つことになる。

頭上で親たちが、ヒト科とは思えない手さばき足さばきで登る、その姿をただ眺めるのみ。スマホゲームで時間をつぶそうにも、電波が届かない。

 だからひとりで留守番ができる年ごろになると、子どもは超インドア派になるという。家から出ようともしない。そしてママが「今日は肩が痛いから、山に行くのやめようかな」などとつぶやこうものなら、イヤな顔をする。

 なかには不登校になる子もいる。でもその原因は、いじめとは限らない。

 海外の岩場に行きたくなると、ニンジャ・クライマーたちは子どもに学校を休ませて、道連れにする。だから、子どもの頭から「小学生は学校に行かなければならない」という常識が、欠落してしまうようなのだ。

 そして滞在先で、怪しい外国人クライマーからパーティーに招かれ、「マリファナを吸うと人はどうなるか」を間近に観察している・・・かも知れない。

 そんなニンジャ・クライマーやターザン・クライマーは、とんでもない親なのか? 少なくとも彼らの子どもは、「大人の世界って楽しそう」という認識を持って育つはず。

このことは、どんな学校教育より大切なことじゃないだろうか。

そして「自分も早く大人になって、このしょうもない親から離れよう」と、旺盛な独立心を持つようになる、かも。

また、同調圧力が強く息苦しい日本社会では、学校以外で様々な価値観を知っておくことは、時に「自分の命を救う」ことにさえなると思うのだ。

よく屋内クライミング・ジムにわが子を通わせて、下で叱咤激励するパパやママがいる。Mさん夫によると、そういう熱心な親に限って、自分は岩に触ったこともないそうだ。

ではなぜ、子どもをクライマーにするのか。スポーツクライミングがオリンピック種目になったから? 子どもをメダリストにしたいから?

わが子に期待するより、まず自分が楽しめばいいのに。




肉食女子

わが母校は、伝統的に女子がキラキラ輝いて、男子が冴えない大学。 現在の山岳部も、 12 人の部員を束ねる主将は ナナコさんだ。 でも山岳部の場合、キャンパスを風を切って歩く「民放局アナ志望女子」たちとは、輝きっぷりが異なる。 今年大学を卒業して八ヶ岳の麓に就職したマソ...