2020年9月12日

天使は実在する

 

 妻の体にその病気が見つかったのが、4年前の春。

「すぐウチで手術しないなら、他に行って欲しい」

 粗野で尊大な地元医師のことばに、不信感を募らせた妻が目指したのは、180キロ離れた信州S病院だった。

そしてマチコ先生が、妻の主治医になった。

 自分の体は自分で治す。妻は、先生が提案する外科的治療の多くを断った。病院経営的には、招かざる客だったと思う。

 それでも妻が行くたび、マチコ先生は30分、時には1時間も時間を割き、じっくりと話し合って治療方針を決めていた。

「私が思うに」「私の考えでは」が口癖のマチコ先生は常に、対等な立場で妻と向き合おうとした。東洋医学や中医学にも精通していて、さまざまな漢方薬を処方してくれた。

 息苦しさを訴える妻をクルマに乗せて駆け込んだときは、外科部長であるマチコ先生自ら、車いすを押して、玄関まで迎えに出てくれた。

 やがて入院した妻の病室を、マチコ先生は平日休日問わず、朝夕訪れた。体中を治療パッドに巻かれて暑がる妻を見ていた先生は、ニトリで冷感シーツを買ってきてくれた。

 そして、看護師さんも献身的だった。

 リンパ浮腫の専門知識を持つヒタチさんは、夜勤専門の看護師なのに、昼間に私服でやって来ては、妻の腫れあがった腕にサポーターを巻いてくれた。

 ある夜、ヒタチさんにこう言われたという。

「いい?私に向かって宣誓して。ナースコールするとき、絶対に遠慮しないって。『寂しい』だけでもコールしてね」

 妻の腕がさらに腫れて、パジャマの袖を通らなくなった時。何軒も店を回って、男物LLサイズのパジャマを見つけてくれたのは、「国境なき医師団」志望の看護師ミナミちゃん。

 68歳にして夜勤もこなす「スーパー看護師」スーさんは、畑で採れたキュウリやトマトを手土産に、1時間半もかけて妻の手足をマッサージしていった。

 マッサージがてら身の上話をしていく若い看護師さんも多く、それまで家で孤独な闘病をしてきた妻は「私、人気者なんだよ」と、うれしそうだった。

 病院を去る時、死が日常的にあるはずの緩和ケア病棟で、何人もの看護師が涙を流してくれた。そして向かった地下通用口の暗がりには、マチコ先生の姿が。外来診察を抜け出して、妻が乗った寝台車を見送ってくれた。


 ありがとう、マチコ先生と看護師の皆さん。

 「白衣の天使」は、本当にいた。



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