ひと月あまりを過ごした緩和ケア病棟(PCU)は、病院の最上階にあった。
すべて個室で、窓から雄大な八ヶ岳連峰が見える。
全12床に対して、看護師さんが15人。ナースステーションから、女性たちのおしゃべりと、笑い声が聞こえてくる。急性期病棟にはない、穏やかな空気に満ちていた。
私たちは、ここでしっかり痛みをコントロールしてもらい、再出発するつもりだった。でも一般には、緩和ケア病棟といえば「末期患者が最後の日々を過ごす場所」というイメージがある。
確かに、死の影はそこかしこにあった。
廊下でパジャマ姿の女性とすれ違った時。そのやせ方、頭髪の抜けた姿に、(本当に申し訳ないが)一瞬、アウシュビッツの収容者を連想した。
亡くなった人が搬出されていくのも、見かけた。
病棟の一角には、キッチン付のラウンジがある。大きな窓から陽光が入り、いつも明るい。外は屋上庭園で、色鮮やかなハーブが植えられている。
夕方になると、決まって坊主頭の中年男性が現れて、炊事を始めた。昨日はすき焼き、今日はジンギスカン。ジュージュー、肉が焼ける香りが充満する。
病気の奥さんがいるのかと思ったら、自分で食べ始めた。「このラム肉、スーパーで売ってるよ。病みつきになる味だね」。腰から、モルヒネの点滴バッグがぶら下がっている。
ある昼下がり、看護師のアスカさんが、初老の男性と一緒に入ってきた。よく日焼けして、土のにおいが漂ってきそう。その人の声が、聞こえてきた。
「今日から家内をよろしくお願いします」
「家内は、去年までパートに出ていたほど元気だったんです。血便が出るっていうんで診てもらったら、大腸がん。それも、腸を塞ぐほど大きくなっていて、転移もしてると言われて・・・」
「主治医のK先生によると、余命2か月。もしかしたら、もっと短いらしい。妻にはがんだってことは言ってあるけど、余命のことは話してません」
「あいにく次男夫婦が台湾に住んでいて、帰国すれば(コロナ禍で)往復4週間の自己隔離。だから葬式には来なくていい、と言っときました」
「この病棟は特別に、コロナでも面会できるんですね? 最後まで穏やかに過ごさせてあげたい。アイスなら喉を通るから、毎日差し入れに来ます」
数日後、その男性が、K先生と話している。
「・・・その鎮静剤を使うと、痛みは治まるけれども、意識が戻らない可能性が高いんですか・・・もう、女房と話せないのか・・・息子たちは、オヤジに任せるって言うし・・・参ったな・・・どうしたもんかなあ」
こちらに背を向けて座るその背中が、小さく、丸まっていた。
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