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2025年12月5日

トーヨコ礼賛

 

新聞社で働いていた時、3年連続でホテル泊が年200日を超えたことがある。

出張まみれの仕事から足を洗ったのに、なぜかその後もホテル泊が多い。

名古屋の予備校に毎週通ったせいもあって、今年もホテル泊が100日以上。

…とはいっても、以前と違って宿泊費は全額、自腹だ。

もっぱら、「東〇イン」を愛用している。

10泊ごとにもらえる1泊無料の特典を、もう4回ゲットした。

 

ビジネスホテルチェーンでは、東〇インが一番、快適だと思う。

12㎡に統一された部屋は、窓が大きくて室内が明るい。そして、とても清潔。

壁紙に、水洗いできる素材を使っているそうだ。

客室数日本一を誇り、どこに泊まっても窓やベッド、机の配置が一緒。

朝目覚めると、自分が東〇インにいることは一発でわかるが、

「えっと…どの町にいるんだっけ?」 一瞬、戸惑う。

安心感は、ある。

旅情は…ない。

バスルームは最低限の広さで、ゆっくりバスタブに浸かる気にはならない。

でもシャワーが天井についていて、モンスーンの雨みたいに降り注ぐ(レインシャワー)。

まるで、リゾートホテルのよう。

ただ、2泊3泊するうちに、髪型が「トーヨコ・ヘア」になるから要注意!

シャンプーが上等でないらしく、洗い髪がペッタンコに寝てしまうのだ。

無料朝食の内容は、可もなく不可もなし。何十品目も料理が並ぶシティホテルは食べすぎるから、この程度がちょうどいい。

ふだんパン食なので、和朝食が食べられるだけで、旅気分にさせてくれる。

午前6時30分の提供開始からしばらくの間、朝食会場には長蛇の列ができる。ホテルによって、早い時間帯は中国人団体客に占拠される。

できれば、遅めの時間に行きたい。

そして東〇インは、週末や繁忙期も、原則ワンプライスを貫いている。某ア〇ホテルみたいに、繁忙期に価格を2倍3倍に吊り上げるようなことはない。

利用者には、とてもありがたい。

東〇インの社長は女性だ。露出しまくるア〇ホテルの名物女社長と比べて、上品な雰囲気。最近、メディアの取材に答えて「需給に応じて価格を変動させない分、他社より利益率は低い」といっていた。

今後もリピートしますから、どうかそのポリシーを捨てないで!

A budget hotelroom in eastern Japan, 2025


2025年9月26日

『なぜ日本人は間違えたのか』

 

終戦60年の夏、報道カメラマンとして遺骨収集団に同行し、パプアニューギニアに向かった。

日本から遠く5000キロ離れた、赤道直下の島。元日本兵の男性やボランティアの女子大学生らがジャングルの地面を掘ると、ほとんど土と同化した人骨が出てきた。戦時中、野戦病院があった場所だ。

この島に上陸した日本兵約20万人のうち、生きて帰れたのは1万人。食料の補給を絶たれ、死因の大半が餓死や病死だったという。

密林を出ると、出し抜けにケータイが鳴った。東京本社のデスクからだ。

「パキスタンでM7.6の地震発生、死傷者多数らしい。お前、衛星電話持ってるんだろ? すぐに向かってくれ」

(えーっ東京の方が近くないすか? ぼく半袖しか持ってないんですけど)

という言葉をぐっと飲みこみ、ポートモレスビー、アデレード、シンガポール、ドバイ、カラチ、イスラマバード経由で震源の村に向かったのだった…

そして今年は、はや戦後80年。関連ニュースがメディアを賑わせる中、日経ビジネス電子版に作家・保阪正康氏のインタビューが載っていた。

『あの戦争は何だったのか』『なぜ日本人は間違えたのか』などの著作がある保阪氏は、何千人もの元軍人や政府関係者に取材を重ねて史料を徹底検証する、実証主義的なスタンスで知られるノンフィクション作家だ。

インタビューの一部を紹介します。

・学校を出たばかりの二十歳過ぎの若者が、鉄砲を担いでなぜニューギニアなどに送られて死ななきゃいけなかったのか。彼らは行き先も告げられずに船に乗せられ、地獄のような戦場で命を落とした

・なぜこんなことになったのか。戦争で死んだ兵士たちのためにも、きちんとした答えを出さなきゃならない

・戦後の左翼的な歴史観に対して、実証的な歴史研究に基づいて異議申し立てをすると、「お前は右翼だ。軍国主義者だ」と非難される。逆に、太平洋戦争における日本の軍部の問題点を指摘すると「お前は左翼だ」と批判される

・あの戦争が正しかったとか、間違っていたとか論じる必要はない。人は好むと好まざるとにかかわらず、生まれた時代の枠組みの中で生きていくしかない

・あの戦争から学ぶべき1つのポイントは、シビリアンコントロール(文民統制)が存在しなかったこと。ヒトラーもスターリンも軍人ではなくシビリアン。軍人が政治を手中に収めてコントロールしたのは、日本だけ

・首相と陸相を兼務した東條英樹は、国民に「戦争は負けたと思った時に負けるんだ。だからそう思うまで負けていない」と語っていた。まさに精神論。残念ながら当時の日本は、政治と軍事の指導者のレベルが本当に低かった

・慶応大在学中に召集された上原良治は、神風特攻隊として出撃する際「明日は自由主義者が一人この世から去ってゆきます」と全体主義を批判し、一方で「特別攻撃隊に選ばれたことを光栄に思っている」と述べた。

心に矛盾を抱えながら運命を受け入れ、22歳で沖縄の空に散っていった

Vientiane Laos, 2025


2025年5月16日

上海のお上りさん

 

初めて中国の土を踏んだのは、20歳の時。

当時は車が少なく、街は自転車の海。人々はみな、灰色の人民服姿だった。

ジーンズとTシャツで街を歩いていると、1キロ先からでも外国人とわかってしまう。四方八方から、ものすごい視線が飛んできた。

その後、かれこれ10回ぐらい中国に行った。学生時代の夏休みは新疆ウイグル自治区からチベットのラサまで、長距離トラックをヒッチハイクしながら中国大陸を縦断した。

卒業後は報道カメラマンとして、登山隊の取材でチベットへ。雪山にテントを張って3か月過ごした。

10万人の死者を出した四川省大地震の取材では、ズタズタに寸断された道を、自転車と徒歩で震源地へ。被災者のテントに転がり込んで、その片隅で夜を明かした。朝起きてみると、一夜にして髪が真っ白に。

「ボクも苦労したんだなぁ…」一瞬、感慨にふけりかけた。

何のことはない、枕にした小麦粉入りの麻袋が破れただけだった。

 

コロナ以降、ずっと入国制限をしていた中国政府が最近、日本人にもビザなし渡航を認めるようになった。

そうだ、久しぶりに中国に行こう! 

名古屋の予備校で講義を受けたその足で、中部国際空港から上海に飛んだ。

海外旅行なのに、なぜか上海に着いても非日常感が少ない。思い返せば、名古屋で定宿にしている「東横イン」がいつも中国人の団体に占拠されていて、出発前から「ここは本当にニッポンか?」という状況なのだった。

大都会・上海は、道行く人が洗練されている。ユニクロを着て歩く私は、透明人間並みに無視される。昔はもっと注目してもらえたんだけどなぁ。

自慢じゃないけど、中国語は「トイレはどこですか?」しか話せない。

仕事で大連に行った時、美人のウェイトレスさんに旅慣れた口調で尋ねた。

「厠所在哪里?」

ウェイトレスさん、なぜか無言。

隣にいた、某新聞北京支局長のYさんが赤面している。

「あのねミヤサカさん、現代中国では、もうトイレのことを厠所なんて言わないんです! 洗手間(シーショウジェン)と言って下さい!」

今回、Y支局長に「中国はキャッシュレス社会だから、現金なんか持ってても何もできませんよ」と脅された。だから出発前、スマホにAlipayのアプリを入れ、クレジットカードと紐づけておいた。

おかげで地下鉄にも乗れたし、食事にもありつけた。

街を走るバイクは100%電動で、音もなく近づいてきて危ない。クルマもEVが多い。何度か乗った二階建てバスも電動で、静かなのに加速が強烈だ。

ホテルでエレベーターに乗ろうとしたら、小学生ぐらいの背丈の円筒形ロボットがついてきた。何やら、ひっきりなしに中国語で呟いている。

颯爽と16階で降りて行った。

フロントスタッフに聞くと、きれいな英語で事もなげに言う。

「彼には、お客様に歯ブラシを届けに行ってもらいました」

ハイテク中国!

Shanghai, May 2025


2024年12月27日

「好き」を仕事にしたら、そこにキョジンがいた

 

小さい頃から、趣味は写真。

高校では写真部に入り、撮影旅行と暗室作業に明け暮れた。

大学では主に山岳写真を撮り、卒業して報道カメラマンになった。

「好きなことを仕事にできてよかったね」

傍から見れば、そういうことになる。

でも現実は、そう簡単ではなかった。

 勇んで入社した新聞社は、プロ野球人気球団の親会社だった。

そして、数十人の同僚の中から選ばれる「G担」(キョジン担当カメラマン)は、出世コースど真ん中、花形ポジションとされた。

しかも「すべての報道写真の基本はスポーツ写真」が、不文律となっていた。

スポーツを撮れなければ、人間に非ず。

スポーツ取材に興味がなく、反射神経も鈍い人間(私)にとっては、実はかなりキビシイ職業なのである。

それでも、スポーツ以外に居場所を探して、なんとか20年余、在職した。

その間、栄えある「キョジン担当」には縁がなかったが、キョジン戦の応援取材には、有無を言わさず駆り出された。

3人で取材チームを組み、まずは球場近くで腹ごしらえ。油ギトギトの料理と一緒に、酒好きな先輩カメラマンに、飲めないビールを飲まされた。

この時点で、すでに戦意喪失。意識もうろう。

球場内のカメラマン席に戻って、さぁ試合開始だ。隣のベテラン・スポーツ紙カメラマンが、一球一球をレンズで追い、心地よいシャッター音を響かせる。

空調の効いたドーム球場は、暑からず寒からず、実に快適だ。

…これで寝るなという方が無理でしょう。

キョジンが勝とうが負けようが、ぼく興味ないし。

ウトウト…

カキーン!!

鋭い打球音と、大歓声。我に返ると、イヤホンのラジオ中継が「打った入ったホームラン! キョジン勝ち越しです!」と叫んでいる。

ししし、しまったぁ! 撮りっぱぐれたぁ!

もしこれが決勝点になってしまうと、会社に戻ってから地獄を見る。たちまち睡魔も吹っ飛び、その後は相手チームを熱烈に応援した。

すると、神風が吹いた。相手打線が奮起して、執念の再逆転!

あぁ、助かった…


もし自分が素直にキョジン軍のファンになっていたら…

タダで特等席から試合が見られて、さぞ楽しかったろうと思う。

仕事にも、もっと身が入っただろう。寝たりもしなかっただろう。

もしかしたら、人生そのものが変わっていたかも…

でも人間って、そう簡単には宗旨替えできないのです。

Tateshina Japan, December 2024


2023年9月29日

悪夢の社員旅行

東京の会社で働いていた時の同僚Fさんが、近所にセカンドハウスを買った。

森の小径を歩いて10分ほどの、目と鼻の先だ。以来、ひんぱんにBBQパーティーに呼んで頂いている。

Fさんは当時、女性報道カメラマンの草分け的存在だった。彼女が若くして退社して以来ご無沙汰していたが、ここ信州で30年ぶりに交流が復活。

こんなこともあるんだなぁ。

 先日のBBQでは、当時の社員旅行の話が出た。

「あれはひどかったよね~」「本当に!」

その会社では、社員旅行をなぜか海軍用語で「全舷」と呼んだ。

泊まりがけで有名温泉地に繰り出し、夜は大広間に一同会して、飲めや歌えの大宴会。酒の席では無礼講とばかり、浴衣をはだけた上司が醜態をさらした。

しかも女子社員がいる前で、平気でコンパニオンをはべらせる。

私は目撃してないが、ストリップが演じられた年もあったという。

女性陣はたまらず別室に避難。まとも(?)な神経を持つわれわれ若手男子社員(←当時)にとっても、全舷は拷問だった。

しかも家族に不幸でもない限り、不参加は許されない。休日召し上げ。

ある年、全舷当日に宿直で会社に残ることになった。合法的に?行かなくて済むと知った時は、思わずバンザイ三唱した。

 

信じがたいことだが、この世の中には、社員みんなが楽しみにしている社員旅行もあるという(以下、日経ビジネス電子版より抜粋)。

長野県伊那市の寒天メーカー、伊那食品工業では、国内と海外、毎年交互に社員旅行に行っている。

まず社員にアンケートを取り、会社がいくつか行き先を決める。いろいろな行き先の中から、社員が各自行きたいところを選び、班ごとに出発。

社員旅行のルールは、国内の場合も海外の場合も1つだけ。1回だけ班の全員が集まって食事をする。あとは全部自由行動。

でも意外にみんな集まって行動する。自分で選んでそうしているから、つらくない。

行き先ごとに作った15ほどの班には、さまざまな部署の社員が集まる。各班のメンバーは事前に集まってどこに行くのか、どのように行くのかなどを話し合う。言ってみれば部門横断のプロジェクトのようなもの。

社員が楽しんで参加し、他の部署の社員とも交流を深めることができる。

遊びに行っているのだから工場見学をする必要はないのだが、自分たちで見学先を探してきて勉強するケースも。

…確かに。こういう社員旅行なら、ぜひ参加したい! 

ちなみにこの伊那食品工業は、48年連続増収増益の超優良企業。

天下のトヨタも見学に訪れるそうだ。



2021年11月27日

人体の不思議

 

 虫の居所が悪いと、すぐ部下を怒鳴りつける。

 その当時のボスは、絵に描いたようなパワハラ上司だった。

 そして、外回りから内勤に異動した私に与えられた席は、よりにもよって、ボスのすぐ隣。

 案の定、定期的に怒号が飛んできた。幸い頭上を通過して、前後左右の同僚に着弾することが多かったが、生きた心地がしなかった。

 そのうち、ボスのいる側の耳が、聞こえなくなった。私の耳をのぞいた耳鼻科の医師が、重々しく病名を告げた。

「あなたはジコウセンソクです」

 やった! これで会社を休める! 

と、思いきや…

 ジコウセンソクを漢字にすると、「耳垢栓塞」。まったく恥ずかしい。

 それにしても。

 不快な音を、こんな方法でシャットアウトしてしまうとは。

人体は、よくできてる。

 

 あれから10年、最近また、耳に違和感が…

 今回は、思い当たる節がない。

 あの頃は大きな会社にいたので、社内に診療所があった。今度の職場は、小さな町のはずれにある。耳鼻科のありかを同僚に尋ねると、

「この町にはろくな医者がいないよ。私はいつも、クルマで隣町まで行くよ」

 別の同僚も、

「耳鼻科の医師がおじいちゃんで、手が震えて診察にならないの。診てもらった子どもが、怖がって泣いて。もういいですって、途中で帰ってきちゃった」

 散々な口コミに恐れをなして、私もさっさと隣町へ。電話で予約を取ろうとしたら、「予約は受け付けません」。いつでも勝手に来い、と言う。

 年季の入った診察椅子に座り、まな板の鯉になる。

今回の診断は、外耳炎。

 やった! 耳垢栓塞より、よほど聞こえがいい。ずいぶん出世したもんだ。

それで先生、原因は?

パソコンに顔を向けたまま、初老の医師がクールに言った。

「耳垢の溜めすぎ」

 なんだ、同じじゃん。

 

 ネット検索によると、過度の耳掃除が、外耳炎の一番の原因だという。

 耳を掻くべきか、掻かざるべきか。

 それが問題だ。



2021年5月22日

新聞社は、発達障害の集まり

 

「大人の発達障害」に関する記事を読んでいて、思わず笑ってしまった。 

その記事によると、発達障害の人は不得意なことがある一方で、「人より得意なこと」「優れた能力」が突出するのだそうだ。そしてその一例として、

Aさんは会社のデスク周りの片づけはまったくできず荒れ放題だが、文章の構成力、執筆の表現力においては大変優れている」と。

そのまんま、新聞社文化部の奥のほうや、編集委員室の風景じゃないか!

 あの人たち発達障害だったのか。

 特派員電を書きまくる敏腕記者が、実は経費精算が苦手で、海外出張の旅費を1年もため込んでブラックリストに載っていた。

 もしかして、あの人も発達障害…?

 記事(日経ビジネス電子版)に登場する精神科医・五十嵐良雄氏によると、

・発達障害は病気ではなく、生まれながらの脳機能の障害。遺伝や体質など、いろいろな要因が重なりあって起きる。人口の1割が発達障害

・その人の人格的な問題としてとらえられがちだが、全くそうではない。発達障害的な要素は程度の差があるだけで、誰もが多かれ少なかれ持っている

・うつ症状で休職を繰り返す会社員の、本当の原因は発達障害だったケースも

・自分の得意な分野で、ひとりコツコツ仕事をして成果を上げてきた発達障害の社員が、歳を重ねてチームのリーダーなどになった場合、苦手な「周囲とのコミュニケーション」の場面に直面し、ストレスでうつになる

 

 ずっと新聞社の報道カメラマンをやってきて、40代でデスクになったとたんに抗不安剤が手放せなくなった私も、もしかしたら発達障害…

 新聞社は、「大人の発達障害」の巣窟かもしれない。

 

 記事によれば、

・発達障害やその傾向を持つ人は、医師や弁護士に多い。著名人では、ビル・ゲイツやスティーブ・ジョブズなどグローバル企業の創業者。歴史上の人物では、アインシュタインやモーツァルトなど

 

 発達障害にはネガティブなイメージもあるが、こうした人たちと並び称されるのは、ちょっとうれしいかも。



2021年2月6日

夢は夢のままで

ミヒャエル・エンデの名作「モモ」の中で、こんな文章に出会った。

すっかり大金持ちになり、有名にもなったジジが、わが身を振り返る場面。

「モモ、ひとつだけきみに言っておくけどね、人生でいちばん危険なことは、かなえられるはずのない夢が、かなえられてしまうことなんだよ」

(大島かおり訳 岩波少年文庫版より)

 

 野球。フットボール。バスケットボール。アメリカのプロスポーツ選手は、法外な報酬をもらう。NBAトップ選手の年俸は、40億円以上。

 その一方で、元NBA選手の6割が、引退後5年以内に自己破産するという。

 これもアメリカの話だが、宝くじで10万ドル以上当たった人の7割が、その後自己破産を申請しているという。

「宝くじで1億円当たった人の末路」(鈴木信行著 日経BP)によると、宝くじで高額当選した人が陥る不幸には、決まったパターンがある。

・親族トラブルが続発する

・浪費が過ぎて、宝くじに当たる前より貧困になる

・仕事(人生)にやる気がなくなる

そして、宝くじで1億円当たった時の心得も、次の3つ。

・今の生活を変えない

・仕事を辞めてはいけない

・人との付き合い方を変えてはいけない

 当たり前のことのようで、「言うは易し…」なのだろう。

 

 宝くじで1等が当たっても、必ずしも幸せになれるとは限らない。

むしろ、不幸になることの方が多い。

 でも大丈夫。

「年末ジャンボ宝くじ」で1等が当たる確率は、交通事故で死ぬ確率の300分の1以下。

 夢は、夢のままで終わってくれるのだ。

 

新聞社にいた頃、「年末ジャンボ宝くじ」の発売日を取材した。

 東京・有楽町の宝くじ売り場は、その名も「チャンスセンター」。寒風吹き付ける中、他のブースはガラガラなのに、以前1等賞が出たブースだけに、長蛇の列ができていた。

 私の直感では、もう1等が出てしまったブースには、当分同じことは起こらない気がする。

 数字には弱いので、統計学的にどうなのか、わからないですが…


Minami-Izu Japan, January 2021


2020年11月13日

引っ越しはインド風に

 友人が、800キロ離れた地方都市に引っ越していったとき。

 会社から転勤の内示が出たのが、赴任2週間前だった。

 理由は「社員の不正を防ぐため」。彼が勤める金融業では普通らしい。

 欧米の大企業や国際機関では、転勤は希望者のみだ。人気のない任地、危険な任地に社員を送るときは、それに見合ったインセンティブが提示される。

紙切れ一枚でいきなり社員を動かすのは、日本の会社だけだ。

 

「紙切れ一枚」で、4転勤した。

引っ越しで持ち物を「断捨離」するチャンスが、8回あったことになる。

たしかに海外赴任の時は、「航空便100キロ、船便10立方メートル、国内倉庫に20立方メートルまで」という会社規定があったから、かなり断捨離した。

でも国内異動には制限がない。引っ越すたび、逆に荷物が増えていった。

段ボール箱が100個を数えたのは、いつの頃だったか。最後の転勤では、トラック2台に荷物を満載して、1000キロ離れた任地に向かった。

晴れて着任したその朝、会社の経理担当に呼び出された。

「キミ、引っ越しにいくら使うつもりなの? なんぼなんでも高すぎるよ!」

 

 フリーランスになった今、自分で自分に辞令が出せる。その代わり、引っ越し代も自腹。以前は「妻が風邪で」と言って、ちゃっかり梱包まで会社経費でやってもらったりしたが・・・

 今回はきちんと断捨離した上で、引っ越し業者に見積もりを頼んだ。

 やってくる営業担当者は、ほとんど男性。電話で「ほんの30分」といっておきながら、契約を勝ち取るまで帰らないゾ、という気概に満ちている。1時間以上も粘る。

 どの社も最初は、「20万円以上かかります」という。「A社は8万円だったよ(←半分ハッタリ)」「B社は粗大ごみの処分もやってくれるよ」といって各社を競わせると、見る間に言い値が下がり、半額以下になっていく。

 このあたり、けっこうインド的。定価などあってないようなものだから、振れ幅が大きい。きちんと準備して臨まないと、ボラれそう。

 この春に東京から長野に引っ越した家族の情報を、前もって仕入れてある。あらかじめ相場がわかれば、有利に交渉できる。

でもギリギリまでは値切らず、最後は人となりで決めた。

 

その担当者は、電卓を叩きながら、途中で何度も本部に電話していた。

 ・・・そこを何とか・・・もっと値引きを・・・お願いします・・・

 上司とのやりとりを聞かせて、「私はお客様の味方です」とアピールする。

 彼の工夫と熱意に負けました。 



2020年8月29日

名ばかり夜勤

 

 家族の見舞いで訪れた、夕暮れの病院。

 病室に、看護師のMさんが入ってきた。

「私が今日の夜勤担当です、よろしくお願いします・・・でも実は家を出る前から、もう帰ること考えてます。ハハハ」

いつも労を厭わず、笑顔で患者に尽くすMさんの、正直すぎる発言。それだけ、夜勤がつらいのだろう。彼女が以前いた病棟は特に忙しく、ナースコールが鳴りっぱなしで仮眠も取れなかったという。

自分もずっと新聞社で宿直をしたので、その気持ちはよくわかる。

 深夜に朝刊の締め切り時間を迎え、ゲラのチェックが済むと、次の業務は上司の酒に付き合うこと。なにしろ職場で飲むので、逃げ場がない。未明にやっと解放されて、仮眠室へ。

 当時はひと晩中、消防無線を聞く決まりだった。火事が延焼して「第2出動」「第3出動」がかかると、カメラを掴んで現場に急行することになっていた。

 無線からは、絶えずザーザーと雑音が入る。寝ぼけ眼でチューニングをいじっても、収まらない。ある晩アタマに来て、無線のスイッチを切ってしまった。空腹時と眠い時に怒りっぽくなる、自分はわかりやすい人間だ。

 まだ新人の頃から、この「名ばかり宿直」の常習犯だった。でも幸い、翌朝テレビで昨夜の大火事を知って青くなることは一度もなかった。

 消防無線をぶっちぎって寝る新聞記者は、まだかわいいと思う。

 もしナースコールをぶっちぎって寝るナースがいたら・・・ちょっと怖い。

 

「睡眠こそ最強の解決策である」の著者、脳神経科学者のマシュー・ウォーカーが、CNNに出演していた。8時間寝ないと機能しない人(=私)を擁護する話だったので、喜んで要約を書いておきます。

・先進諸国では、睡眠時間の破滅的な減少が起きている。1942年に平均8時間弱眠っていたアメリカ人は、現在6時間30分。日本人はさらに短くて6時間21

・睡眠が短くなるほど、寿命が縮む。睡眠不足はあらゆる死因の予測因子だ

・「ショートスリーパー」として知られたサッチャー英元首相やレーガン米元大統領が認知症になったのは、偶然ではない。心臓病、がん、認知症と睡眠不足は、重大な因果関係がある

・だが十分な睡眠をとっている人は、怠け者という目で見られがち。現代は、少ししか寝ずにハードワークすることが自慢になる社会

・きれいな女性から朝のコーヒーに誘われても、もし7時間30分しか寝ていなかったら、私は断る。十分な睡眠を取らないために生じる弊害を知っていれば、8時間の睡眠を取る以外の選択肢は考えられなくなる

・よりよい睡眠のためには、平日も休日も同じ時間に寝て、同じ時間に起きることと、寝室の温度を下げること。体温を1度下げると、うまく入眠できる




2020年7月17日

「決断~会社辞めるか辞めないか」

「決断~会社辞めるか辞めないか」 成毛眞著 中公新書ラクレ

 日本の新聞発行部数は、1年間で約200万部(5%)減り、過去最大の落ち込みを記録した。20年間で、業界の規模が4分の3に縮小した。

 これが他の業界なら、新聞を筆頭にメディアがこぞって「倒産の危機」と報じたはず、と著者はいう。

そしてメディア業界の凋落は、「既存のビジネスモデルが行き詰った先行的な典型例」。これからは、自分が身を置く産業が衰退していく中で、誰もが決断を迫られる「大決断時代」が到来する、のだそうだ。

元マイクロソフト社長の著者が、50歳前後で新聞社や雑誌社を辞めた4人にインタビューしたのが、この本だ。

 4人はいずれも私と同世代で、学生時代はろくに授業にも出ずに、立花隆や本田勝一、田原総一朗らの本を読みふけっていたというから、まるで自分。

 中でも共感したのが、新聞記者からフリージャーナリスト、そしてネットメディアに移った大西康之氏。彼は元日経新聞記者だが、読んでいて「新聞社はどこも同じだなあ」と思うことしきりだった。例えば・・・

・夜回りの後、歌舞伎町に集まって酒を飲みながら情報交換。朝方黒塗りのハイヤーで帰宅すると、すでに朝駆け用の別のハイヤーが家の前で待っている。シャワーを浴びて着替え、「お待たせ」と乗り込む。もはやチンピラの生活

・後輩の記者が「今日はクラウンだからシートにマッサージ機能がついてないんだよな」と愚痴っていた。だからセンチュリーかプレジデント以外は乗りたくないだよ、とか

・ダメな記者は徹底的にダメになっていく。取材先から接待攻勢を受けるし、社長人事のスクープ記事でも書かせておけば記者もルンルンだから。30歳を超えたぐらいで、そんな状況に陥ってしまう

・東京本社の狭い論理だけで生きてきた人間が、ロンドン駐在でいろいろなものを見て、それなのに帰国したら前と変わらない日常があって、夜討ち朝駆けして同期と競争して・・・虚無感がすごかった

・新聞社はスポンサーをとても大事にする。お前らの食い扶持はどこから出ているのか、と。決して読者ではない

・自分のキャリアを振り返ると、45歳までは楽しかった。身の肥やしにもなった。でもその後に積んだスキルは全部不要だった

・お金より会社の名刺を失う不安が大きかったが、フリーになってみたら、むしろ今までアクセスできなかった人とつながることができた


 私が思うに、本のタイトルはちょっと大げさ。今の会社を辞めて次のキャリアに進むことは、「判断」であって「決断」ではない。

 成毛さん、新聞社を辞めて投資家になり、2地域居住をしている人もインタビューしませんか? 面白い話が聞けるかも知れません。







2020年6月13日

コロナでも幸せ


若葉が生い茂ってくると、森の家はネット環境が悪化する。つながる場所を求めて、クルマで砂利道をさまよった。10分後にオンライン飲み会が始まる。

 シフト勤務で忙しい彼らに合わせて、スタートは平日の昼下がり。スマホをダッシュボードに立て、運転席からジュースで乾杯した。

いかつい顔の旧友が、自宅で寛ぐ姿が画面に見える。

「やっと会えたね~ 娘さん何歳になった?」

「いま中2です」

「じゃ、反抗期の最中だね」

「どうなんだろう。いまだにボクの隣で寝るし、一緒にお風呂に入ったりもしますよ」

一同「エエーッ!」「ヤダ―!」「何それ!」

 その子が生まれた時、彼は育児休暇を取った。長時間労働が当たり前の会社では、育休制度も「絵にかいた餅」。それまで、誰も取ろうとしなかった。

「遅くまで会社にいる」という事実のみで評価されがちな職場で、男女社員を通じて初の育休申請。風当たりは強かった。当時の上司からは、かなり嫌味を言われたらしい。今後のキャリア形成への影響も、覚悟の上での行動だ。

 このふやけたお父さん、実は気骨のある人なのだ。

 そうこうするうちに、当の娘さんが学校から帰ってきた。コロナで短縮授業だったといい、画面上の私たちにあいさつすると、リビングで勉強を始めた。

「数学は、もう高1の問題を解いてるみたいなんですよ~」

 チラチラと娘の様子を伺いながら、嬉しそうなお父さん。

「まだやってたの?」彼の背後で声がする。今度は奥さんが、バイトから帰ってきた。ニコニコ顔の女性が、画面に映った。

 彼が体を張って守ってきた家庭は、何だかとてもいい雰囲気だ。



 緊急事態宣言の発令中、日本企業の社員を対象に行われた幸福度アンケートでは、「とても幸せになった」から「とても不幸になった」まで、回答が二極化した。

「幸せになった」と答えた人たちは、リモートワークの浸透で家族と過ごせる時間が増えたことが影響している、という(67日付読売新聞)。

 そして不幸中の幸いで、「私たちは人類史上、つながるためのツールに最も恵まれた状態でコロナ禍に遭遇」(前野隆司・慶大教授)したらしい。



 オンライン飲み会は、ひと言でいえば「隔靴搔痒」。物足りなさは残る。

でも職場では仮面を被って働く人が、ふと素顔を見せたり、家庭の様子を垣間見ることができたり。

なかなかどうして、悪くない。


2020年5月23日

コロナ・ショック! タイ航空の倒産


 わが愛しのタイ航空が、経営破綻してしまった。

 新型コロナの威力、恐るべし。



 初めてタイ航空に乗ったのは、バンコク経由でインドを旅した19歳の時。

そして、バンコクを拠点にアジアのニュースを追っていた頃は、ジャカルタ、マニラ、ハノイ、イスラマバード、カトマンズ、アンマン、ドバイ、シドニー、北京へと、3年間で120回も乗った。

 タイ航空をひと言で表現すれば、「さりげなく、さりげあるもの」。

 たとえばJALANAに乗ると、会社の経費で飛行機を使い、マイレージの上級会員になった日本人サラリーマンがふんぞり返っている。彼らのぞんざいさと、客室乗務員が作る必死の笑顔。あまり見たくない光景だ。

タイ航空の機内は、もっとコスモポリタン的。国際線はもちろん、国内線でもタイ人乗客は少ない。欧米やアジアなど、いろいろな国籍の男女が、仕事、観光、移住、いろいろな目的で乗り合わせる。

 そんな機内で、自然な笑顔を浮かべたキャビンクルーが、柔らかな物腰で、誰にでも公平なサービスを提供する。

 一般に、日本人に比べると時間にルーズなタイ人だが、タイ航空は意外にも?時間に正確だった。仕事で100回以上乗って、飛行機が遅れて決定的場面を撮り逃したことは皆無だった。

 一度だけ、取材を終えて乗った帰りの便が、滑走路手前で離陸を中止して、引き返した。「機体に不具合が見つかった」と、機長からアナウンス。

 すると、われわれ乗客より先に、客室乗務員が不機嫌になった。バンコクでデートの約束でもあるのか、とても声を掛けられない雰囲気。

不測の事態が起きた時のプロ意識は、少し足りないような・・・

 またタイ社会では、おかま、いやゲイやトランスジェンダーの人をよく見かけるが、タイ航空の客室乗務員にも多かった。彼ら(彼女ら?)はまさに「気は優しくて力持ち」。これが天職とばかり、楽しそうに働いていた。

 たまに、シンガポール航空にも乗った。この会社も、機内サービスには定評がある。でも満席のエコノミーでは、客室乗務員が機内食を手に走り回る。

「廊下は走らない!」小学校で教わらないのかなあ。

いくら忙しくても、あくまでマイペース。決して優雅さを失わないタイ航空が、やっぱり好きだ。



 自由に空を飛んで、世界中どこにでも行けることを、当たり前だと思っていた。新型コロナが、すべてを変えてしまった。

 もし空の旅ができる世に戻ったら、倒産を機に「汚職と縁故主義が蔓延する国営企業」の体質を払しょくし、生まれ変わったタイ航空に乗ってみたい。


外出自粛中のニンゲンを眺める



2020年5月9日

ステイホームは人それぞれ


 誘われて、Zoom飲み会に参加してみた。

 “ウェブ会議システム”って、いったい何者? Skypeさえ、最近オンライン英会話で初めて使ったばかり。会議で・・・飲み会? わからない。

 ただリンクをクリックするだけかと思ったら、甘かった。まずアプリをダウンロードして・・・ミーティングIDを入力して・・・パスワードを入れて・・・

 30分も遅刻して、やっと入室に成功した。



 そういえばこの飲み会、誰が参加するのか聞いてない。闇鍋というか、ブラインドデートというか。5分割されたスマホ画面に現れたのは、横浜、大阪、福岡、台北の友人たち。6年ぶりに「会う」友だちもいた。

 Zoom飲み会が初めて、という人は私の他にもいて、入室に50分かかったらしい。さらには1時間も悪戦苦闘して、ついに入室できない人も発生。

類は友を呼ぶ。

さっきから画面の一角に、ぎこちなく動く変なおじさんが映っている。私だ。どうしても慣れない。つい、畳の上に正座してしまう。

皆がビールやワインを手にリラックスしている中、自分だけが静止画像。



外出自粛要請で、友人たちはそれぞれ、自宅のリビングや寝室を背景に飲んでいる。でも横浜の友だちは毎日、昼は会社に行っているという。

 大阪と福岡の友だちは、新聞社で働く報道カメラマン。会社から撮影機材を持ち帰り、タクシーで直接、家から取材現場に向かっている。

「これをテレワークと言っていいのかどうか・・・」

 でも、上司の顔を見なくて済むからいいよね。

「そうでもないですよ。社会の動きが止まっている中で、写真になるようなニュースを探すのは、すごく大変。家でもずっとネタ探しです」

 リスクを冒して街に出て、できるだけ正確な情報を読者に伝える。新聞社で働く人たちも、立派なエッセンシャル・ワーカーだ。

 かと思えば、もうひとりの友だちは、

「仕事ついでに、店でひとり焼肉ランチして、ビールも飲んじゃった」

やりたい放題だ。ステイホームも人それぞれ、か。

 台北で暮らす友だちによると、台湾ではかなり前から、新規感染者数がゼロ。外出もできて、「新型コロナ」はもはや海外の話題になっているらしい。台湾政府は2週間に9枚、市民が必ずマスクを入手できるようにしている。

また、大阪には「中国系ドラッグストアが集まる地域」があって、路上でマスクをたたき売りしていると聞いた。

 Zoomの向こうの世界は・・・広かった。


Nagano Japan, Spring 2020

2020年4月4日

雑菌王


19の春に、インドを旅した。

 当時は、黄色い表紙のガイドブックが大人気。「11000円で世界を歩こう」と喧伝していた。

 それを真に受けて、安宿に泊まり、ゴミだらけの路地でカレーを食べた。見かけも味も泥みたいなカレーは、やたら辛かった。テーブルにあった水差しの水を、がぶ飲みした。着いたその日から、腹を壊した。

 長距離バスに乗り、休憩時間に停車すると、周囲は見渡す限りの大平原。公衆トイレはおろか、身を隠す場所さえない。旅行者仲間にもらった下痢止めを飲み、青い顔をして耐えた。

インドを去る日までのひと月、ずっと下痢が続いた。

帰国した成田空港の検疫所で、下痢を申告すると、インド帰りはすぐ検便を採られる。

翌日、白衣とマスクの男数人が、アパートに現れた。

「保健所の者です。赤痢菌が出ました。すぐ隔離します」

 連行される私を、家主のおばあちゃんが、呆気に取られて見ている。

 法定伝染病は、治療費がタダだ。3食昼寝付きの隔離病棟で2週間を過ごし、娑婆に出ることが出来た。

 21の春、今度はビルマ(当時の呼称)を旅した。ただでさえ暑いこの国が、ことさら暑くなるのが5月。行ってから気づいた。あまりにも暑くて、安食堂の水をがぶ飲みした。

 帰国後、どうも体がだるい。白眼が黄色くなってきた。そして尿が茶色に。

 病院で検査すると、肝機能の値が、正常な人の数十倍になっている。

「急性A型肝炎です」。即入院。そのまま、1か月以上を病院で過ごした。

赤痢でも肝炎でも、「西洋医学の殿堂」ともいうべき大学病院に入院したのに、治療らしい治療は何もなかった。

赤痢の時は毎朝、看護婦さん(当時の呼称)に言われるままにお尻を出して、赤痢菌をチェックされるだけ。肝炎の時も、「小柴胡湯」という漢方薬を処方されただけだった。結局、自らの免疫力だけが頼りなのだ。

社会人になり、仕事で途上国を渡り歩いた。インドにも、何度も行った。タイには3年住んだ。でも病気らしい病気はおろか、下痢もしない。

いつの間にか、雑菌にとても強くなっていた。

 個人的には、COVID-19にも100%勝つ自信がある。こうして防戦一方、家に籠ってほとぼりが冷めるのを待つ毎日が、何とも歯がゆい。

ちゃんと食べて、きちんと寝て体の抵抗力をつける。自分でも気づかないうちにCOVID-19に感染し、「ちょっと風邪ひいたかな」ぐらいの症状で治る。

そしていつの間にか、世界中の人に免疫ができていた・・・

 たとえ楽観的すぎると言われても、このシナリオ、本気で信じている。



2020年3月21日

読んでよし 包んでよし 拭いてよし


 家人にお使いを頼まれて向かった、郊外のマツモトキヨシ。

平日の昼下がりなのに、なぜか駐車場がクルマで溢れている。店内に入ると、レジの前には、見たこともない長蛇の列ができていた。

 特売日? ポイント10倍デー? それとも年金支給日?

 タイミング悪かったなあ、と思いながら、行列の最後に並んだ。

 何日かして、「新型肺炎でトイレットペーパーの売り切れ続出!」というニュースに触れ、初めて行列の訳がわかった。でも、意味がわからない。いつの間にか、近所のドラッグストア数軒からトイレットペーパーが消えている。



学生時代、1980年代の中国をヒッチハイクで旅した。途中で公衆トイレに入ると、壁もドアもなく、土に掘った穴が並んでいるだけ。人民服を着た人たちと、仲良くしゃがんで用を足した。

そして皆、トイレットペーパー代わりに新聞紙を使っていた。

そんな原体験があるので、

「トイレットペーパーがなくなったら、古新聞を使えばいいや」

 個人的には、あまり危機感がない。

 わが家はシンプルな水洗トイレだが、よそ様は「乾燥機能付きシャワートイレ」が標準のはず。現代ニッポンで、もはやトイレットペーパーは必需品ではないと思うのだが・・・



新聞の投書欄に70代男性が寄せた、こんな話を読んだ。

中学生になる彼の孫が、トイレットペーパーを買いに走った。数軒回ってやっと1パック手に入れた。その帰り道、ベビーカーを押したお母さんに「そのトイレットペーパー、どこで手に入れたの?」と聞かれた。

 これが最後の1パックだったと説明すると、とてもがっかりした様子。孫は、パックの包装を破り、トイレットペーパーを3つ、その場でお母さんに手渡した。

 わが孫ながら、あっぱれ! 投書は、そう締めくくられていた。私も一瞬、いい話だなあと思った。

 でも大王製紙など製紙工場は、平常通りに稼働しているという。皆がパニック買いに走らず、冷静に行動していれば、こんな騒動にならなかったはず。

前に勤めていた新聞社の先輩記者は、定年退職と同時にテレビを粗大ごみに出した。わが家もテレビはほとんど見ない。ネットのSNSは、チラッと見る。ヒマつぶしになるので、新聞は読む。

怪しげな情報が、日々量産されるこの時代。わが身を守るためには、「テレビを捨てる」ぐらいの英断が、必要なのかも。

でも新聞は・・・いろいろ使い道があるから、捨てない


2019年12月28日

ヘリコプターに100回乗ると・・・


新聞社でカメラマンをしていた時、「羽田番」と呼ばれる勤務があった。

月に1~2度、交代で朝から日没まで空港内に詰める。事件や事故の一報が入ると、会社のロゴが入ったヘリコプターに飛び乗って、現場に急行した。

血気盛んな同僚カメラマンは、「オレが(私が)スクープ写真を撮るんだ!」と、手ぐすね引いて待機していた。自衛隊からの転身者が多いパイロットも、やはり事件と聞くと血が騒ぐ人たち。飛ぶ気満々だ。

美女と絶景を撮りたくてこの世界に入った私は、ひとり「お願いだから何も起きないで」と、八百万の神に祈った。その消極的な姿勢が、かえって事件を呼んでしまったらしく、何だかんだで100回は出動したと思う。

 ヘリが大空を飛ぶ姿は優雅だが、乗ってみると、騒音と振動がものすごい。いくら大声の持ち主でも、ヘッドセットなしでは話ができない。常に前後左右に不規則に揺さぶられ、2時間も乗るとフラフラになった。

それでも印象に残った光景。花火大会の撮影で、日暮れ時に飛び立った。夕日に照らされたビル群が少しずつ闇に沈み、代わって窓の明かり、街路灯、車のライトが輝き始める。無機質な大都会が、見る間に光の海に変わっていく。

やがて眼下で、花火が音もなく大輪の花を咲かせ、川面が紅に染まった。

日本の漁業実習船と米潜水艦が衝突した事故では、ヘリをチャーターして、連日ハワイ沖の沈没海域を飛んだ。ある日、海面にクジラの親子を見つけた。仲良く仰向けに並んで白い腹を見せ、悠然と浮かんでいる。

まるで、日向ぼっこを楽しんでいるみたい。よく晴れて、海も空も真っ青だ。水平線上に、白いワイキキ・ビーチが見える。パイロットに頼んで海面すれすれまで降下し、つかの間、遊覧飛行を楽しんだ。

東南アジアや南アジアを襲った大地震の取材では、インドネシア空軍、シンガポール空軍、パキスタン空軍のお世話になった。現場でパイロットに頼むと、快くヘリに乗せてくれた。軍隊というところは、意外にも融通が利く。

9万人の犠牲者を出した、パキスタン北部地震。救助活動に奔走していたのは、大きなローターが2基ついた、数十人乗り大型ヘリだった。乗り込むと、倒壊家屋から救出された負傷者が、担架に横たわり、床を埋め尽くしている。

「自分が乗らなければ、けが人をもう1人運べるのでは?」「いや、報道だって大切な仕事のはず・・・」。かなり葛藤した。

 著名登山家の取材でヒマラヤに行った時、標高5300mの峠で吹雪に遭い、膝まで雪に埋まった。いったん下山して、飛び道具(ヘリ)の力を借りた。

 ほんの10数分の飛行で氷河上のキャンプに降り立つと、何やら視線を感じる。某テレビ局の取材班が、ヒルに生血を吸われながら深山幽谷を越え、徒歩2週間かけて現地入りしていた。「そんなの、あり?」と、目で訴えている。

 “飛び道具代”を惜しまず出してくれた会社の方角に、思わず手を合わせた。



2019年10月26日

寿命が縮んでいく国


 1999年秋、ITバブル崩壊前のアメリカに約2か月、出張した。

 社会部のジェイクと、フロリダで待ち合わせる。彼は日本で新聞記者になり、サツ回り(事件取材)に情熱を燃やす、変なアメリカ人だ。

その日、ジェイクと向かったのは“Gated Community”

富裕層が危険から逃れるため、身を寄せ合って暮らす「要塞町」。

 壁とフェンスに囲まれたコミュニティーの入り口ゲートで、警備員の厳重なチェックを受ける。中に入ると、豪邸や高層アパートと並んで、商店街やレストラン、ゴルフ場まであった。住人は、一歩も外に出ることなく生活できる。

 マンションの21階、大西洋を一望する部屋に住む女性は、

「毎日、散歩できるのがいい。マイアミでは、1人歩きなど自殺行為だった」

 と言いつつ、なぜか暗い顔をしていた。

 守るべき財産があると、大変だ。金持ちになることは、必ずしも幸福には結びつかない。この取材で、そんな思いを抱いた。



 今、アメリカ人の寿命が縮んでいる。

CNNの番組”Newsmakers Today”などによると、米国人の平均寿命は3年連続で縮小。特に白人女性の寿命が、過去18年間で5歳、白人男性も3歳短くなった。ソ連崩壊後、ロシア人男性の寿命が7歳縮んだことに匹敵する変化だ。

死因で目立つのは、飲酒による肝硬変、薬物中毒、自殺などの「絶望死」。

オートメーション化とアウトソーシングが進んで、白人労働者階級の仕事がなくなり、賃金も下がった。中間管理職、中産階級さえ、自分の将来を見通せなくなり、人々の大きなストレスになっているという。

番組では、サルを使った実験が紹介された。2匹のサルに芸を教えて、うまくできたらキュウリを与える。それを何度も繰り返した後、ある時点で右側のサルにだけ、キュウリの代わりにブドウを与えた。サルの大好物だ。

それまでキュウリで満足していた左側のサルは、不公平に気づくと、もらったキュウリを実験者に投げ返した。

そしてブドウをもらったサルも、同様にストレス症状を示した。

格差社会では、持てる側も持たざる側も、ストレスにさらされるのだ。



 ジェイクらと作った連載記事は、「覇権大国アメリカ」という本になった。

光と影はあっても、超大国アメリカの地位は、今後100年揺らがない。

政治部、経済部、社会部、科学部など、取材に当たった記者はそのように結論し、自分もそう思った。

そのアメリカが、冷戦で負かしたはずの旧ソ連と同じ「寿命が縮んでいく国」になった。経済規模(GDP)でも、10年以内に中国に追い抜かれそう。

ジェイクも私も、2,30年先を見通すことさえできなかった。

やれやれ。


2019年10月18日

転勤


 山崎豊子の小説「沈まぬ太陽」の主人公は、実在のJAL元社員とされる。

モデルとなったその人は、組合活動で経営陣と対立したばかりに、パキスタン、イラン、ケニアで延々10年の「僻地」勤務を強いられた。

まだインターネットもSNSもなかった時代。家族と遠く隔てられ、極度の孤独から酒と狩猟に走り、精神の破綻寸前まで追い詰められていく。読んでいて、鬼気迫るものがあった。

平成元年入社の私は、辞令1枚でどこにでも行くことを当然と思っていた世代。でも日経ビジネス電子版で行われた、河合薫(社会学者)と中野晴啓(セゾン投信社長)の対談では、転勤について次のように語られる。

・「君、明日から仙台だからね」と言われて、転勤したくないと思っても「社命だからしょうがない」と転勤する。こういう例は、実は海外にはない

・日本企業は人事権が異様に強大で、いわゆるパワハラ異動みたいなのが、当たり前に成立している

・2年に1回社員を動かすローテーションというのも、わけが分からない。あっちからこっちへと、パズルを組み合わせるような玉突き人事が行われている

・いろいろな部署を回るのは、キャリアアップではない。外国人には理解不能

・日本は人事部の力が強すぎる。人事部長が出世コースになるのは日本だけ。人事部の地位を低くしないと、誰も何も言えなくなるのでは?

 また出口治明・立命館アジア太平洋大学学長も言う(日経ビジネスより)。

・転勤の強要はパワハラ的マネジメントのひとつ。その社員が地域のサッカーチームで子どもたちに慕われているかも、という発想がない

・そしてその社員のパートナーは専業主婦(夫)だから、黙ってついてくると当然のように思っている。会社が転勤を強要できるという考え方は、この二重の非人道的な、あり得ない偏見の上に成り立っている

・世界的に見れば、転勤するのは希望者と経営者だけだ



私は先手を打って?積極的に転勤希望を出し続け、国内外に4度転勤した。中には左遷人事もあったかも知れないが、「これが同じ会社?」と感じるほど雰囲気の違う職場で、新鮮な気持ちで働くことができた。

見知らぬ街で暮らすことも、これまた快感だった。だから本人は幸せだったし、会社側としても、動かしやすいコマだったと思う。

去年、妻と2人の子持ちの友人が突然、800キロ離れた地方都市への異動を告げられた。「2週間で赴任せよ」と命ぜられ、慌ただしく旅立っていった。

内示が直前になるのは不正防止のため、というのが彼の見方。職種は金融関係だ。もし本当なら、社員を信用しない、そんな会社の商品は買いたくない。

どのみち優秀な人材が集まらなくなって、経営が傾くのだろう。


   ナベちゃん元気? キミもそろそろ転職しちゃえば~(^O^) 




2019年10月12日

インターンも良し悪し


 バンコクで記者をしていた頃、日本から学生インターンがやってきた。

 ちょうどタイ政局が荒れていた時期で、毎日反政府デモが繰り広げられた。彼らを現場に案内し、合間においしいイタリアンをごちそうした。

 ミナガワさんはこの旅が初の海外だったが、果敢にも(無謀にも)エア・インディアでやってきた。案の定、帰国フライトが24時間遅れた。彼女を家に泊めて、翌朝空港まで送り届けた。インターンの受け入れは、ちょっと大変。

 一方ムラモト君は、なんとその後、新聞社に就職した。報告を聞いたとき、記者冥利に尽きるというより、罪悪感の方が勝った。

 在学中に仕事の実際を知ることができるインターンは、素晴らしい制度だ。でも新聞社の場合、見せ方が難しい。海外で国際ニュースを追う機会なんて、記者生活のほんの一部でしかない。

 ふだんは国内で、雨の中を立ちっ放しで張り込みしたり、消防無線を聞きながら宿直して、夜中の3時に火事現場に向かったりしているのだ。

 私の学生時代はまだ、インターン制度がなかった。記者稼業の大半を占める泥臭さを知った上で、なおこの世界に入ったかどうか。何も知らずに飛び込んで、いきなり激流に呑み込まれて・・・迷う暇もなくて、かえって良かった。

 ミナガワさんもムラモト君も、APU(立命館アジア太平洋大学)から来ていた。大分県に立地しながら世界80数か国の留学生を受け入れ、教員の半数が外国籍。英語で行われる授業も多い。

 そして今年、一般公募でAPU学長に就任したのが、出口治明・元ライフネット生命会長。かなり思い切ったことを言う人だ。(以下、日経ビジネスより)



30年前、世界の時価総額トップ20社中14社が日本企業だったのに、今はゼロ。日本は、GAFAのような新しい産業を生み出せていない

・「土地・資本・労働力」から、今は「アイデア勝負」の時代。会社で夜10時まで働いてから上司と飲みに行き、家では「メシ・風呂・寝る」の生活では、経済をけん引するようなイノベーションは起こせない

・脳が疲れやすいことを知っているグローバル企業は、残業しない

・年13001500時間労働で2%成長の欧州と、2000時間労働(正社員)で1%成長の日本。これでは「骨折り損のくたびれ儲け」そのもの

・これからは「メシ・風呂・寝る」より「人・本・旅」。早く帰って面白い人に会い、たくさん本を読み、いろんな所に行ってみる。脳に刺激を与えることが、生産性と創造性を引き上げるカギになる

・イノベーションは既存知の組み合わせ。既存知間の距離が遠ければ遠いほど、面白い発想が出てくる

・「変わらなくてはいけないのは、まずは大人です。大人が変わらなくて、どうして若者が変われますか」


Tateshina Japan, autumn 2019

私はカモシカ

  ・もし、自分を動物に例えるとしたら? A 子「リス」  B 子「カモシカ」  C 子「飛べない鳥」  D 子「ウサギ」  E 子「フクロウ」 ・あなたが人生の最後に食べたいのは? A 子「オムライス」  B 子「あん肝」  C 子「寿司」  D 子「オムライス」 ...