2024年8月17日

ケンロウさんのこと

 

ヒマラヤの高峰、ダウラギリのベースキャンプ。

ケンロウさんのテントは、すぐ目と鼻の先にあった。

標高4800メートルの氷河上に張った、小さなテントで過ごす日々。夜は降るような星空の下で、気温は氷点下だ。人工音が一切ない、太古の静寂が周りを支配する。

「んごごー、ギシギシッ、んごごー、ギシギシッ」

枕の下では氷河が軋みながら、悠久の時間をかけて移動していく。

…いや、どうも違うみたいだぞ。

音の主は、隣のテント。ケンロウさんのイビキと歯ぎしりだった。

(…ったく擬音の多いやっちゃなぁ!)

まだ20代のその頃から、ケンロウさんが撮る山の写真は、構図や光線の使い方が素晴らしかった。版画家のお父さん、染色家のお母さんを持つ血筋ゆえか。センスのかけらもない写真を撮る報道カメラマンの自分とは、雲泥の差だ。

シスパーレ北東壁、ラカポシ南壁、ティリチミール北壁、カールンコー北西壁。

その後ケンロウさんは、「登山界のアカデミー賞」ピオレドール賞を2度も受賞する先鋭的なクライマー、「世界のナカジマ」になった。

(あの歯ぎしりケンロウがねぇ…感慨無量)

同時に、民放「イッテQ!登山部」やNHK「ヒマラヤ・グレートトラバース」などの撮影で、その類いまれな絵心を存分に発揮した。プライベートの山登りと仕事で、最近は、1年の半分以上はヒマラヤにいたんじゃないかと思う。

ケンロウさんを見かけるのは、もっぱらテレビ画面を通してになった。

去年の春、久しぶりに自分もヒマラヤを登れることになり、ケンロウさんに相談した。ロールワリン山群のラムドゥンピークという、あまり知られていない、そして我々の力量にぴったりな山を教えてくれた。

登山を終えたカトマンズで、久しぶりにケンロウさんに会った。相変わらず、テレビの仕事で何か月もネパールに入り浸っているとのこと。

「長女の小学校の入学式があるから、明日の便でちょっとだけ帰国します」

と、嬉しそうだった。

ケンロウさんとパートナーの平出さんの次の目標が、K2西壁だと知った時、この夏は緊張しっぱなしになるぞ、と思った。

岩壁そのものの危険度に加えて、今回は8611mという高さ。

ケンロウさんは、高所順応に時間がかかる体質のようだった。ダウラギリでも辛そうだったし、番組でサポートしたイモトアヤコさんには、「強いけど、誰よりも早く高山病になるのもケンロウさん」と突っ込まれていた。

パキスタンに向けて出発する前、松本の石井スポーツでサイン会を開いたケンロウさんに会った。

「ぼくも、もう40ですよ~」

相変わらずの、柔らかな関西弁。気のせいか、いつもより口数少なだった。


K2西壁では、何が起きてもおかしくない。

頭では、わかっていたつもり。

でも、本当にこんなことになるとは…



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無節操な読書でもOK!

  ほんの出来心で、いま心理系大学院を目指している。でも受験勉強にも飽きて、町に出て本を 10 冊、衝動買いした。 「流出する日本人」「世界は経営でできている」「日ソ戦争」「愛着障害と複雑系 PTSD 」…ノンフィクション系が多いが、ジャンルはバラバラだ。 こんな乱読じゃイカ...