新聞社でカメラマンをしていた時、「羽田番」と呼ばれる勤務があった。
月に1~2度、交代で朝から日没まで空港内に詰める。事件や事故の一報が入ると、会社のロゴが入ったヘリコプターに飛び乗って、現場に急行した。
血気盛んな同僚カメラマンは、「オレが(私が)スクープ写真を撮るんだ!」と、手ぐすね引いて待機していた。自衛隊からの転身者が多いパイロットも、やはり事件と聞くと血が騒ぐ人たち。飛ぶ気満々だ。
美女と絶景を撮りたくてこの世界に入った私は、ひとり「お願いだから何も起きないで」と、八百万の神に祈った。その消極的な姿勢が、かえって事件を呼んでしまったらしく、何だかんだで100回は出動したと思う。
ヘリが大空を飛ぶ姿は優雅だが、乗ってみると、騒音と振動がものすごい。いくら大声の持ち主でも、ヘッドセットなしでは話ができない。常に前後左右に不規則に揺さぶられ、2時間も乗るとフラフラになった。
それでも印象に残った光景。花火大会の撮影で、日暮れ時に飛び立った。夕日に照らされたビル群が少しずつ闇に沈み、代わって窓の明かり、街路灯、車のライトが輝き始める。無機質な大都会が、見る間に光の海に変わっていく。
やがて眼下で、花火が音もなく大輪の花を咲かせ、川面が紅に染まった。
日本の漁業実習船と米潜水艦が衝突した事故では、ヘリをチャーターして、連日ハワイ沖の沈没海域を飛んだ。ある日、海面にクジラの親子を見つけた。仲良く仰向けに並んで白い腹を見せ、悠然と浮かんでいる。
まるで、日向ぼっこを楽しんでいるみたい。よく晴れて、海も空も真っ青だ。水平線上に、白いワイキキ・ビーチが見える。パイロットに頼んで海面すれすれまで降下し、つかの間、遊覧飛行を楽しんだ。
東南アジアや南アジアを襲った大地震の取材では、インドネシア空軍、シンガポール空軍、パキスタン空軍のお世話になった。現場でパイロットに頼むと、快くヘリに乗せてくれた。軍隊というところは、意外にも融通が利く。
9万人の犠牲者を出した、パキスタン北部地震。救助活動に奔走していたのは、大きなローターが2基ついた、数十人乗り大型ヘリだった。乗り込むと、倒壊家屋から救出された負傷者が、担架に横たわり、床を埋め尽くしている。
「自分が乗らなければ、けが人をもう1人運べるのでは?」「いや、報道だって大切な仕事のはず・・・」。かなり葛藤した。
著名登山家の取材でヒマラヤに行った時、標高5300mの峠で吹雪に遭い、膝まで雪に埋まった。いったん下山して、飛び道具(ヘリ)の力を借りた。
ほんの10数分の飛行で氷河上のキャンプに降り立つと、何やら視線を感じる。某テレビ局の取材班が、ヒルに生血を吸われながら深山幽谷を越え、徒歩2週間かけて現地入りしていた。「そんなの、あり?」と、目で訴えている。
“飛び道具代”を惜しまず出してくれた会社の方角に、思わず手を合わせた。