2019年12月28日

ヘリコプターに100回乗ると・・・


新聞社でカメラマンをしていた時、「羽田番」と呼ばれる勤務があった。

月に1~2度、交代で朝から日没まで空港内に詰める。事件や事故の一報が入ると、会社のロゴが入ったヘリコプターに飛び乗って、現場に急行した。

血気盛んな同僚カメラマンは、「オレが(私が)スクープ写真を撮るんだ!」と、手ぐすね引いて待機していた。自衛隊からの転身者が多いパイロットも、やはり事件と聞くと血が騒ぐ人たち。飛ぶ気満々だ。

美女と絶景を撮りたくてこの世界に入った私は、ひとり「お願いだから何も起きないで」と、八百万の神に祈った。その消極的な姿勢が、かえって事件を呼んでしまったらしく、何だかんだで100回は出動したと思う。

 ヘリが大空を飛ぶ姿は優雅だが、乗ってみると、騒音と振動がものすごい。いくら大声の持ち主でも、ヘッドセットなしでは話ができない。常に前後左右に不規則に揺さぶられ、2時間も乗るとフラフラになった。

それでも印象に残った光景。花火大会の撮影で、日暮れ時に飛び立った。夕日に照らされたビル群が少しずつ闇に沈み、代わって窓の明かり、街路灯、車のライトが輝き始める。無機質な大都会が、見る間に光の海に変わっていく。

やがて眼下で、花火が音もなく大輪の花を咲かせ、川面が紅に染まった。

日本の漁業実習船と米潜水艦が衝突した事故では、ヘリをチャーターして、連日ハワイ沖の沈没海域を飛んだ。ある日、海面にクジラの親子を見つけた。仲良く仰向けに並んで白い腹を見せ、悠然と浮かんでいる。

まるで、日向ぼっこを楽しんでいるみたい。よく晴れて、海も空も真っ青だ。水平線上に、白いワイキキ・ビーチが見える。パイロットに頼んで海面すれすれまで降下し、つかの間、遊覧飛行を楽しんだ。

東南アジアや南アジアを襲った大地震の取材では、インドネシア空軍、シンガポール空軍、パキスタン空軍のお世話になった。現場でパイロットに頼むと、快くヘリに乗せてくれた。軍隊というところは、意外にも融通が利く。

9万人の犠牲者を出した、パキスタン北部地震。救助活動に奔走していたのは、大きなローターが2基ついた、数十人乗り大型ヘリだった。乗り込むと、倒壊家屋から救出された負傷者が、担架に横たわり、床を埋め尽くしている。

「自分が乗らなければ、けが人をもう1人運べるのでは?」「いや、報道だって大切な仕事のはず・・・」。かなり葛藤した。

 著名登山家の取材でヒマラヤに行った時、標高5300mの峠で吹雪に遭い、膝まで雪に埋まった。いったん下山して、飛び道具(ヘリ)の力を借りた。

 ほんの10数分の飛行で氷河上のキャンプに降り立つと、何やら視線を感じる。某テレビ局の取材班が、ヒルに生血を吸われながら深山幽谷を越え、徒歩2週間かけて現地入りしていた。「そんなの、あり?」と、目で訴えている。

 “飛び道具代”を惜しまず出してくれた会社の方角に、思わず手を合わせた。



2019年12月21日

肥満ネコ用キャットフード


「東京ドーム4個分」の巨大倉庫は、ありとあらゆる商品で溢れていた。

 この前見かけたのは、「肥満ネコ用キャットフード・カロリー控えめ」。「ブランド牛のビーフジャーキー」も、よく見たらイヌのおやつだった。

離乳食やオムツをピッキングする時は、がんばるお母さんを想像する。でもそれ以上に目につくのが、ペットフードのまとめ買いだ。国内で飼われるイヌとネコの合計が、ヒトの子の数を上回ったというニュースに、妙に納得した。

 ヒト向け食品では、スナック菓子やインスタントラーメン、炭酸飲料、酒類のまとめ買いが多い。ニッポン人の健康、大丈夫なの・・・?

スキャナーは、画面がとても小さい。目を凝らして読み取った次の商品が、

「エッセンシャル ふんわりうるツヤ髪 キューティクルエッセンス」

これは・・・何? 似たようなボトルやチューブが、棚に並んでいる。手あたり次第にスキャナーを当てたら、警告ブザーが響き渡った。ドタバタしていると、赤いベストの“リーダー”が、音もなく近づいてきた。

「朝礼で言った『目標』覚えてますか?そう、95でしたね。あなたの実績は、先月が1時間当たり平均50、直近で70台。ミスも1件ありました。もう少し、生産性を気にして下さい」

自分のとろさを感じてはいたが、この数字は想定外。

私は、肥満ネコ用キャットフードを探してオロオロ歩く「ドジでのろまな亀」だ(ここでスッチー姿の堀ちえみを連想した人は、間違いなく私と同世代です)

赤ベストのリーダーは、アマゾンの社員ではない。労働者の募集と管理を一手に請け負う、W社の人だ。5500人が働くクリスマス商戦の倉庫内で、アマゾンの社員を見つけるのは、サバンナでライオンを探すより難しい。

「余計な感慨を抱かず、ロボットのように働け」。アマゾンの意向を忖度した請負業者に、尻を叩かれる。この構図は、そこはかとなく、もの悲しい。

出勤してから帰るまで、機械に身分証を4回かざし、静脈認証を2回受け、出欠簿3か所に記入し、最後にX線探知機をくぐって所持品検査を受ける。勤務中は、常に「生産性」と「ミス率」を監視される。私語は禁止。

市内で日本語教室を主宰しているTさんに聞くと、アマゾンへ働きに行った外国人は、全員が数日で辞めて帰ってきたという。この感覚こそ、世界標準のように思える。

倉庫に設備投資するより、日本人が持つち密さや勤勉さ、「働くことは、耐え忍ぶこと」という独特の労働観を利用した方が、安上がり。

アマゾン・ジャパンは、たぶん、そう考えている。

70歳近い背中が曲がった女性が、自分の体重ほどあるカートを、懸命に引っ張っている。スキャナーの小さな画面に、ガムテープで拡大鏡をくくりつけて。毎回、休み時間が終わると、真っ先に休憩室を飛び出していく。

ベゾスCEOは、こういう人が会社を支えていることを、忘れないで欲しい。

Tateshina, Japan Autumn 2019

2019年12月13日

ピッキングは天職


 アマゾンの物流倉庫で、「ピッキング」という仕事をした。

 棚の商品を「ピッ」とスキャンして、カートに乗せて運ぶだけ。

 求人広告には、そう書いてある。

誰でもできる仕事かと思ったら、やってみると甘くない。

 まず、倉庫が尋常でなく広い。床面積が、東京ドーム4個分。約1万点の商品を納めた高さ2.6メートルの棚が、見渡す限り並んでいる。

 研修が終わった後、帰ろうとして迷子になり、出口まで15分かかった。

それぞれの棚は、アルファベットと数字で分けられている。でもなぜか、Tの隣がWだったり、60番台からいきなり100番台に飛んだりする。フォークリフトが動き出して、さっきまで歩けた通路が突然、通行止めになったりもする。

ピッキング中、近くの人に「Uの棚はどこですか?」と聞いたとたん、

「話しかけないで下さい!」

赤いベストの“リーダー”が飛んできた。

私語は厳禁、道を聞くのもダメらしい。

 私の担当は、日用雑貨と食品の倉庫だ。大人の身長ほどの高さがあるカートを引っ張って、コメ5キロ、ビール半ダース、ネコ用トイレの砂ひと袋等々、顧客が注文した品をどんどん積んでいく。

 働き始めの数日、初心者を示す黄色いタスキを体に巻いた。同じく黄色いベストを着た“トレーナー”が、私の後をついて歩いた。

「いま遠回りしましたね。早く棚の位置を覚えて下さい」「あ~その柿ピー、3個セットなのに1個しかピックしてませんよ」「作業が遅いです~」

 口元は笑っているが、目が笑ってない。

 バーコードを読み取るためのスキャナーは、私が1時間当たり何個の商品をピックしたかも、常に計測している。

そして全員の「生産性」と「ミス率」が、倉庫の壁に張り出されるのだ。


でも、ものは考えよう。

 毎朝ジョギングしても1円ももらえない。こうしてアマゾンで働けば、いい運動になる上に、お金までもらえる。

 毎日人と接していれば、心が疲れる時もある。ここに来れば、高さ2.6メートルの棚に身を隠して、誰とも話さずにいられる。

 ピッキングで商品を集めていくと、カートの重さは30キロを超えてくる。1日働けば、総歩行距離は20キロ。スポ根ドラマのヒーロー気分になれる。

 この仕事、天職かも。

そのうち、GAFAの一角で働いた実績を買われて、シリコンバレーのスタートアップから転職のオファーが・・・

来るわけないか。



2019年12月7日

自転車でアマゾン川へ


わが家の近くに、アマゾンの巨大な物流倉庫がある。

「外国人の友だちがアルバイトに行って、激ヤセした」「勤務中の突然死があったらしい」。地元の人から聞くアマゾンの評判は、よくない。世界各地のアマゾンでも、待遇改善を求めるデモが行われている。

ずっと専業主婦だった近所のAさんが、アマゾンで働き始めた。いわく、

「こんなにラクな仕事でお金を頂いて、いいのかしら・・・」

 ブラック企業か、それとも楽園か。倉庫は、ウチから自転車で10分だ。

 楽園の可能性に賭けて、私も働いてみよう。

アマゾンの求人は、アルバイト情報サイトで簡単に見つかった。応募はメールでOK。履歴書さえ必要ない。

 面接は、駅近くの多目的スペースで行われた。審査の類はなく、簡単な説明を受け、ID用の顔写真を撮っておしまい。

 期待した時給は、県が定める最低賃金+9円。意外にショボい。週に数十時間も働いたり、夜勤をすると、時給アップがある。

 勤務初日、いよいよアマゾンの敷地に入る。広い芝生で、ルンバの親分みたいな無人芝刈り機が、黙々と動いている。

 社員食堂の一角を借りて、研修が行われた。

のっけから禁止事項。「フードのついた上着はダメ」「ケータイ、スマホは持ち込み禁止。違反すれば解雇もありうる」「ここで見聞きしたことをSNSに流して、それが個人情報と判断されれば、賠償金は4000万円に及ぶことも」。

 ランチタイムになると、社食には1000人以上が押し寄せて、芋を洗うがごとし。クリスマス商戦のいま、倉庫内で5500人が働いているという。

 外では無人芝刈り機、内では人海戦術。

 380円のハンバーグ定食が、けっこういけた。

食堂のはす向かいに、壁が黒く塗られた喫煙部屋があった。小さな窓から差し込む光の中で、鈴なりの人がうごめき、煙が充満している。ナチスの「ガス室」を想起させる、ショッキングな光景。

 廊下に、ジェフ・ベゾスCEOの写真が30枚も並んでいる。従業員向けメッセージが貼ってあったが、出来の悪いAIに翻訳させたような日本語で、意味不明。太字部分の「善意よりメカニズム」とだけ、読めた。

 研修を終えると、倉庫の出口では、身体検査が待っていた。ベルトを外し、ポケットの中身をすべてトレーに空けて、金属探知機のゲートをくぐる。

「そのハンカチ、広げて見せて下さい」。米国の空港並みの厳重さだ。

誰でも受け入れるが、誰も信用しない。そんなメッセージを感じた。

久々にシャバに出て、スマホに数時間前の着信履歴を発見。「返事が遅れました、今までアマゾンにいました」と知人に送ったら、すかさずレスが来た。

「今度は南米に行ってるんですね!」




2019年11月30日

やる気の源泉


 経済的に恵まれない子が集まる、無料の学習会。

 顔を出すたび、子どもたちの変わりように驚かされる。

 割り算もおぼつかなかった勉強嫌いのハルナが、中学生になり、複雑な方程式に食らいついている。学習会の90分、ひたすら机に向かう姿に、目を疑う。

誰かいい先生に出会ったの?

 ハルナいわく、クラスで一番勉強ができて、しかもスポーツ万能の男子と隣同士なのだそうだ。彼女の苦手な数学を、優しく教えてくれる。

「でも、テストが終わったら席替えなんだ」

やる気の源泉がイケメン男子だとしたら、席替えした後は・・・?



 その学習会の子どもたちと、秋祭りに参加した。

フランクフルトソーセージ300本を売ることが、与えられた使命だ。

 割り当てられた場所は、通路のどん詰まり。待っていても、人は来ない。

子どもたちは、焼いたソーセージをお盆に乗せて、行商に出た。

 物陰から見ていると、ソータが、うどんを食べている家族の横に座り込み、買うと言うまで離れない。その横では、サクラがおじさんを相手に「これ全部売らないと、家に帰れないんです~」

そのセリフ、どこで覚えたの?

 かわいい小学生に懇願されれば、とても敵わない。1本100円のソーセージが、見る間に売れていく。人影まばらになると、食べもの屋台を出す他の売り子さんにまで、ソーセージを売りつけていた。

 ちなみに、何本売っても、彼らは1円ももらえない。「祭りでソーセージを売る」という行為を、純粋に楽しんでいる・・・のだろうか。

たまに学習会に顔を出す、アンナという10代の子がいる。身長170センチ超。乱暴な男言葉。濃いメイク。鋭い眼光。学校に行かず、彼氏とバイクで遊び回っている。女番長みたいで、近寄りがたい。

 そのアンナが、2年前の秋祭りでは、誰よりも大きな声で呼び込みをした。

「フランクフルトいかがですか~! 1本100円!」

2時間もの間、ひたむきに連呼している。300本のソーセージを、ほぼひとりで売り切った。

 どうして、そんなにがんばれるの? 金銭的報酬もなしに。

と、思う自分は、インセンティブでしか動かない、汚れたオトナだ。



今年の秋祭り、アンナがお客さんとしてやってきた。目つきが柔らかい。来年、お母さんになるのだという。

おめでとう! でもアンナ、まだ高校生だよね・・・(汗)



※子どもの名前は変えてあります


2019年11月22日

英語の先にあるもの


トヨタ自動車の豊田章男社長といえば、豊田家3代目の御曹司。記者会見の姿からは、およそ面白味のない人に見える。

その豊田社長が今年、米バブソン大学の卒業式で演壇に立った。さぞイタイ姿かと、YouTubeで見た。堂々とした、素晴らしいスピーチだった。

跡継ぎ息子であることを自虐ネタに、笑いを取る。ノリのいい話ぶりに、満場の学生が湧く。しまいには、スタンディングオベーションが起きていた。

 エライと思ったのは、約13分間の英語スピーチの間、常に学生たちの目を見て話したこと。あのスティーブ・ジョブズの、伝説的なスタンフォード大卒業スピーチでさえ、ジョブズは手元の原稿を読んでいた。

 英語で話し始めたとたん、人格までアメリカンになる人がいる。豊田社長の場合は、むしろ日本で羊の仮面を被っている。

 そう感じるほど、溌剌としたユーモア溢れるスピーチだった。



 その豊田社長の努力を見習おうと?入会した、オンライン英会話。

授業料3190円を前払いすると、毎日1レッスンずつ受けられる。気合で31日連続して受講したら、レッスン単価が102.9円になった。

 ケチな英語学習者には、「授業料前払い」が最強のモチベーションだ。

 キャンペーン期間が終わった翌月から、授業料は2倍に上がる。それでも、しつこく毎日レッスンを受ければ、1回当たり単価は200円少々だ。

 仕事や学業に忙殺される平均的日本人が、週2、3回しかレッスンを受けられないことを前提に、オンライン英会話ビジネスは成り立っている。閑暇だらけの変人が毎日レッスンを受けたら、この学校は破産する。

 そうは言っても、授業料3か月分前払いの、元を取らせて頂かないと。経営が傾かない程度に、レッスンがんばろう。

フィリピン各地からSkypeで教えてくれる先生は、ほとんどが大卒者。英語を生かして、ロンドンやシンガポール、ドバイで働いたと話す先生達がいた。

 またフィリピン国内で、米系企業のコールセンターに勤めていた先生も、何人もいた。アメリカ時間に合わせて、夜10時から翌朝6時まで働いたという。

体調を崩して2年で辞めたというA先生は、「アメリカ人は人種差別主義者よ」。哀しみと諦めの口調で言う。40代のA先生は、訛りのある英語を話す。そのせいで、不当な扱いを受けたのかも知れない

 同じくコールセンターから英語講師に転じた、20代のB先生。

「あなたジャーナリストだったの?実は私も、報道番組のアンカーパーソンになるのが夢だった。あの頃は、よくメディア関係の講義を受けてたなあ」

まだ若いんだから、そんなに遠い目をしなくても。



2019年11月16日

フィリピンは英語大国


 オンライン英会話のサービスのひとつに、電話カウンセリングがある。

日本人カウンセラーの質問に答えると、学習プランを立ててくれる。

「あなたが英会話を学ぶ目的は何ですか?」と聞かれて、

「ヒマラヤの山旅で、同宿したインド人に巻き舌の英語で議論を吹っかけられた時に、受けて立ちたいんです」

 と答えたら、カウンセラーが混乱していた。



 ビデオ・レッスンを受けている先生は、全員フィリピン人で、とても流ちょうな英語を話す。イギリスで看護師をしていた女性はもちろん、国から一歩も外に出たことがないと言う人も。

「フィリピンでは保育園から英語を教えているし、小中学校では国語(タガログ語)以外の授業を英語でやるんだよ」

クラーク旧米軍基地近くに住む、50代の先生が言っていた。



空き時間にレッスン相手を検索すると、たちどころに100人以上の先生の顔写真が並ぶ。その中から適当に選んでいるはずが、つい「講師経験が浅く、写真映りがよくない30~40代女性」を選んでしまう。

男の先生は明るくてジョーク好きだが、ルーズで覇気がない人もいる。その点、女の先生は熱心で、ホスピタリティに溢れている。

たとえネット環境が悪くても、女性だと発音もクリアに聞こえる。

若くて写真映りのいい先生は、あえて選ばない。また、保育園で働いていた人も要注意だ。

たどたどしい私の英語を聞くと、職業病が顔を出す。そうでちゅよ~、よくできまちたね~、急に幼児をあやすような話し方になる。けっこう傷つく。

バリバリの「ザ・英語教師」は、さすがに教え方がうまい。そして、他に本業を持つ「アルバイト教師」は、ときどき仕事の話をしてくれる。

「この間までシティバンクで働いてたんだ。でも、いつも低い査定しかくれないから辞めちゃった」(20代男性)

「毎年、韓国人の子たちのサマースクールで英語を教えるんだけど、彼らすぐ仮病で休むのよ。で、引率の先生が、平気で子どもを殴るんだ」(30代女性)

「朝5時から夜11時まで、112コマ英会話を教えてる。でもきつくないよ。常連さんばかりで、教えるというより、おしゃべりだから」(30代女性)

  早くアンジェリカ先生と、自在におしゃべりできるようになりたい・・・

  先生の中に、なぜか「フィリピンの東大」ともいわれる、フィリピン大の卒業生がいる。

国の将来を背負って立つ秀才が、私などに付き合っていて、いいのか??




2019年11月9日

25分106円、一本勝負


 外国特派員。同時通訳者。翻訳家。英語教師。外資系企業勤務。

 友人知人に語学の達人がいると、かえって英語をやる気が萎える。

 それでも、恥を忍んで、オンライン英会話を始めてみた。



 まずは環境整備から。物置部屋でコソ練しようと思って、無線LAN中継器を買った。ところがドアを全開にしないと、居間の電波が届かない。

下手な英語が、家じゅうに響き渡ることになった。

 数ある中から選んだスクールは、キャンペーン中で月謝3190円。毎日受講すれば、1レッスンが106円。やるっきゃない。

レッスンでは25分間、初対面の外国人と「電話で」「英語で」話すのだから、恐怖そのもの。Skypeは相手の顔が見えるから、少しは楽かと思ったがダメ。簡単な英単語さえ、口から出てこない。七転八倒、悶絶、失神寸前。

レッスン前の緊張は体に悪いので、いつも30分前に予約を入れ、怒涛の勢いで教材を予習し、直前にSkypeを起動する。

千人いる先生は、全員がフィリピン人。「ハロー!日本は寒いの?こっちは気温34度だよ!」。自分の部屋と3千キロ離れた南国が、ネットで瞬時に結ばれる。

初対面のあいさつ中、背後でニワトリが鳴いた。生活ぶりが伺えて、心が和んだ。

 先生方は皆、フィリピン人のイメージ通りに明るくて率直。でも男性陣は、いささか率直すぎる。髪に寝癖をつけたまま画面に現れ、「初めまして、ぼくの名前はジェイ。5分前に起きたばっかり」

そして年配の先生は、男女を問わず話好き。「ずっと大学で教えてたけど、去年晴れてリタイアしたよ!」「ダンナと別れて子育ても終え、犬5匹と暮らしてるの」。自己紹介が、どんどんプライベートな話に流れる。

教材を使ったレッスンをリクエストしておいても、一切お構いなし。最後までフリートーク(雑談)で終わることが、ままある。

早口の英語を浴びて呆然としていると、家人がダメ押しのひと言。

「へーとかホーしか聞こえなかったけど、英会話やってたんじゃないの?」

翌日、先生から送られてきたフィードバックを読む。「あなたはリスニングが素晴らしい」。記者時代に身についた、ひたすら人の話を聴く癖が、完全に裏目に出ている。



フィリピン人中心のスクールが多いが、東欧出身の先生が多い学校、100か国以上の先生と話せる学校もあるみたい。

オンライン英会話は、世界の窓。



2019年11月2日

灯台下暗し!


「市内の家が浸水して、ひどい状況です。畳の運び出しを手伝ってもらえませんか?」

社会福祉協議会のヤマダさんから、電話をもらった。

あの日、確かに大型台風が町の真上を通過したが、ニュースになっているのはもっぱら千葉や長野、東北方面だ。

 さっそく350円のボランティア保険に加入し、自転車で現場に向かう。なんとなんと、わが家の目と鼻の先が、被災していた。

 そこは、海と川が交わる角にある住宅地。でも川面からそれなりの高さがあり、水が来たとは信じ難い。

 被災家屋で待っていたのは、一人暮らしの50代女性だった。あの日、町内放送で避難勧告を聞いた女性は、風雨の中を避難所に向かった。そして翌朝戻った自宅で、床上浸水という、思ってもいなかった光景を目にした。

台風の通過時間に高潮が重なって、海水が川を逆流したらしい。

住み慣れた家に、もう土足で上がるしかない。その時の心境は、察して余りある。近くのラーメン屋や寿司屋は、何事もなかった。わずかな土地の高低差が、明暗を分けたのか。

 この日、集まったボランティアは5人。元気な70代の2人組は、市内の山岳会に所属する山男だ。東日本大震災の時も、ボランティアで東北に通った。

今回も、2人はまず千葉の被災地に急行したという。このフットワークの軽さ、まさにスーパーボランティアだ。千葉では、家じゅうの家財道具が流されて玄関に積み重なり、中に入るのも一苦労だったという。

マスクと軍手をつけた我々は、靴のまま女性宅に上がった。塩水に浸かった畳が異臭を発し、壁のあちこちからカビが生えてきている。豪雨で雨漏りしたのか、食器棚の天井に置かれた皿にまで、泥水が入っている。

女性は、もうこの家を出ていくと決めている様子。

居間の仏壇に、ご両親の遺影が見える。長年、家族3人で暮らしてきたらしい室内には、たくさんのモノがあった。汚れて、ほとんどゴミとして出すしかないのだが、その分別に手間取った。

自治体の決まりで、衣類は「燃えるゴミ」でも「燃えないゴミ」でもなく、資源ゴミとして「紙ゴミ」と一緒に出すことになっている。でも今回のように水に浸かった衣類は、「燃えるゴミ」になるそうだ。

人のスーパーボランティアは、悩む私を尻目に、慣れた手つきでどんどん分別して、外に運び出していく。

外は、申し分ない秋晴れ。社協のヤマダさんが、「この辺で休憩しましょう!」と、お茶やチョコレートを出してくれる。スーパーボランティアに導びかれて体を動かし、女性からは感謝の言葉を頂いた。

つなぎの作業着で駆けつけた自分ではあったが、見かけ倒しに終わった気がする。でも貴重な時間だった。



2019年10月26日

寿命が縮んでいく国


 1999年秋、ITバブル崩壊前のアメリカに約2か月、出張した。

 社会部のジェイクと、フロリダで待ち合わせる。彼は日本で新聞記者になり、サツ回り(事件取材)に情熱を燃やす、変なアメリカ人だ。

その日、ジェイクと向かったのは“Gated Community”

富裕層が危険から逃れるため、身を寄せ合って暮らす「要塞町」。

 壁とフェンスに囲まれたコミュニティーの入り口ゲートで、警備員の厳重なチェックを受ける。中に入ると、豪邸や高層アパートと並んで、商店街やレストラン、ゴルフ場まであった。住人は、一歩も外に出ることなく生活できる。

 マンションの21階、大西洋を一望する部屋に住む女性は、

「毎日、散歩できるのがいい。マイアミでは、1人歩きなど自殺行為だった」

 と言いつつ、なぜか暗い顔をしていた。

 守るべき財産があると、大変だ。金持ちになることは、必ずしも幸福には結びつかない。この取材で、そんな思いを抱いた。



 今、アメリカ人の寿命が縮んでいる。

CNNの番組”Newsmakers Today”などによると、米国人の平均寿命は3年連続で縮小。特に白人女性の寿命が、過去18年間で5歳、白人男性も3歳短くなった。ソ連崩壊後、ロシア人男性の寿命が7歳縮んだことに匹敵する変化だ。

死因で目立つのは、飲酒による肝硬変、薬物中毒、自殺などの「絶望死」。

オートメーション化とアウトソーシングが進んで、白人労働者階級の仕事がなくなり、賃金も下がった。中間管理職、中産階級さえ、自分の将来を見通せなくなり、人々の大きなストレスになっているという。

番組では、サルを使った実験が紹介された。2匹のサルに芸を教えて、うまくできたらキュウリを与える。それを何度も繰り返した後、ある時点で右側のサルにだけ、キュウリの代わりにブドウを与えた。サルの大好物だ。

それまでキュウリで満足していた左側のサルは、不公平に気づくと、もらったキュウリを実験者に投げ返した。

そしてブドウをもらったサルも、同様にストレス症状を示した。

格差社会では、持てる側も持たざる側も、ストレスにさらされるのだ。



 ジェイクらと作った連載記事は、「覇権大国アメリカ」という本になった。

光と影はあっても、超大国アメリカの地位は、今後100年揺らがない。

政治部、経済部、社会部、科学部など、取材に当たった記者はそのように結論し、自分もそう思った。

そのアメリカが、冷戦で負かしたはずの旧ソ連と同じ「寿命が縮んでいく国」になった。経済規模(GDP)でも、10年以内に中国に追い抜かれそう。

ジェイクも私も、2,30年先を見通すことさえできなかった。

やれやれ。


2019年10月18日

転勤


 山崎豊子の小説「沈まぬ太陽」の主人公は、実在のJAL元社員とされる。

モデルとなったその人は、組合活動で経営陣と対立したばかりに、パキスタン、イラン、ケニアで延々10年の「僻地」勤務を強いられた。

まだインターネットもSNSもなかった時代。家族と遠く隔てられ、極度の孤独から酒と狩猟に走り、精神の破綻寸前まで追い詰められていく。読んでいて、鬼気迫るものがあった。

平成元年入社の私は、辞令1枚でどこにでも行くことを当然と思っていた世代。でも日経ビジネス電子版で行われた、河合薫(社会学者)と中野晴啓(セゾン投信社長)の対談では、転勤について次のように語られる。

・「君、明日から仙台だからね」と言われて、転勤したくないと思っても「社命だからしょうがない」と転勤する。こういう例は、実は海外にはない

・日本企業は人事権が異様に強大で、いわゆるパワハラ異動みたいなのが、当たり前に成立している

・2年に1回社員を動かすローテーションというのも、わけが分からない。あっちからこっちへと、パズルを組み合わせるような玉突き人事が行われている

・いろいろな部署を回るのは、キャリアアップではない。外国人には理解不能

・日本は人事部の力が強すぎる。人事部長が出世コースになるのは日本だけ。人事部の地位を低くしないと、誰も何も言えなくなるのでは?

 また出口治明・立命館アジア太平洋大学学長も言う(日経ビジネスより)。

・転勤の強要はパワハラ的マネジメントのひとつ。その社員が地域のサッカーチームで子どもたちに慕われているかも、という発想がない

・そしてその社員のパートナーは専業主婦(夫)だから、黙ってついてくると当然のように思っている。会社が転勤を強要できるという考え方は、この二重の非人道的な、あり得ない偏見の上に成り立っている

・世界的に見れば、転勤するのは希望者と経営者だけだ



私は先手を打って?積極的に転勤希望を出し続け、国内外に4度転勤した。中には左遷人事もあったかも知れないが、「これが同じ会社?」と感じるほど雰囲気の違う職場で、新鮮な気持ちで働くことができた。

見知らぬ街で暮らすことも、これまた快感だった。だから本人は幸せだったし、会社側としても、動かしやすいコマだったと思う。

去年、妻と2人の子持ちの友人が突然、800キロ離れた地方都市への異動を告げられた。「2週間で赴任せよ」と命ぜられ、慌ただしく旅立っていった。

内示が直前になるのは不正防止のため、というのが彼の見方。職種は金融関係だ。もし本当なら、社員を信用しない、そんな会社の商品は買いたくない。

どのみち優秀な人材が集まらなくなって、経営が傾くのだろう。


   ナベちゃん元気? キミもそろそろ転職しちゃえば~(^O^) 




2019年10月12日

インターンも良し悪し


 バンコクで記者をしていた頃、日本から学生インターンがやってきた。

 ちょうどタイ政局が荒れていた時期で、毎日反政府デモが繰り広げられた。彼らを現場に案内し、合間においしいイタリアンをごちそうした。

 ミナガワさんはこの旅が初の海外だったが、果敢にも(無謀にも)エア・インディアでやってきた。案の定、帰国フライトが24時間遅れた。彼女を家に泊めて、翌朝空港まで送り届けた。インターンの受け入れは、ちょっと大変。

 一方ムラモト君は、なんとその後、新聞社に就職した。報告を聞いたとき、記者冥利に尽きるというより、罪悪感の方が勝った。

 在学中に仕事の実際を知ることができるインターンは、素晴らしい制度だ。でも新聞社の場合、見せ方が難しい。海外で国際ニュースを追う機会なんて、記者生活のほんの一部でしかない。

 ふだんは国内で、雨の中を立ちっ放しで張り込みしたり、消防無線を聞きながら宿直して、夜中の3時に火事現場に向かったりしているのだ。

 私の学生時代はまだ、インターン制度がなかった。記者稼業の大半を占める泥臭さを知った上で、なおこの世界に入ったかどうか。何も知らずに飛び込んで、いきなり激流に呑み込まれて・・・迷う暇もなくて、かえって良かった。

 ミナガワさんもムラモト君も、APU(立命館アジア太平洋大学)から来ていた。大分県に立地しながら世界80数か国の留学生を受け入れ、教員の半数が外国籍。英語で行われる授業も多い。

 そして今年、一般公募でAPU学長に就任したのが、出口治明・元ライフネット生命会長。かなり思い切ったことを言う人だ。(以下、日経ビジネスより)



30年前、世界の時価総額トップ20社中14社が日本企業だったのに、今はゼロ。日本は、GAFAのような新しい産業を生み出せていない

・「土地・資本・労働力」から、今は「アイデア勝負」の時代。会社で夜10時まで働いてから上司と飲みに行き、家では「メシ・風呂・寝る」の生活では、経済をけん引するようなイノベーションは起こせない

・脳が疲れやすいことを知っているグローバル企業は、残業しない

・年13001500時間労働で2%成長の欧州と、2000時間労働(正社員)で1%成長の日本。これでは「骨折り損のくたびれ儲け」そのもの

・これからは「メシ・風呂・寝る」より「人・本・旅」。早く帰って面白い人に会い、たくさん本を読み、いろんな所に行ってみる。脳に刺激を与えることが、生産性と創造性を引き上げるカギになる

・イノベーションは既存知の組み合わせ。既存知間の距離が遠ければ遠いほど、面白い発想が出てくる

・「変わらなくてはいけないのは、まずは大人です。大人が変わらなくて、どうして若者が変われますか」


Tateshina Japan, autumn 2019

2019年10月4日

ミカンひと山100円の町


 東京を脱出し、関東の端に引っ越してきた5年前。

 裏山をジョギングしていたら、ミカンの無人販売所を見つけた。

 ひと山、100円。

「安い!」と大感激。以後、ポケットに100円玉を入れて走った。

 ところが知り合いが増えてくると、あちこちでミカンを頂く。

 近所のお母さん、NPOで知り合ったおばあちゃんから、車を借りたレンタカー屋のお姉さんまで・・・

毎日のようにミカンをもらって食べた。

ミカンは、お金を払って買わなくてもいいんだ!もしミカンが、全ての栄養素を備えた食品なら、収入ゼロでも生きていける・・・かも。



先日ある会合で、この町の市議をしているSさんに出会った。

50歳ぐらいの人で、奥さんと子ども2人の4人家族。

そして実家はミカン農家。今朝もひと仕事してきたという。

趣味は読書、旅行、草刈り。

何となく隙があるスーツとネクタイ姿から、土の香りが漂ってきそう。



Sさんに裏山の100円ミカンの話をしたら、「実はあれ、すごく儲かるんですよ!」と、嬉しそうに言う。

 キズがあったり小さかったりする規格外のミカンは、おいしくても農協に出荷できない。かといってミカンの缶詰工場に卸すと、1キロ当たり7円にしかならない。

 その同じミカンを裏山に置いておくだけで、不思議や不思議、7円が100円に・・・

「でも、『監視カメラ作動中』の貼り紙がある無人販売所も見かけますよ。実は大変なんじゃないですか?」

「あ、国道に置いちゃダメ。ごっそり持って行かれるから」

 あまり目立たない農道沿いに置くのがコツらしい。

Sさんが夕方、料金箱を開けてみると、100円に混じって1円玉が入っていることがある。それでも、代金回収率は平均99%だという。



「でも早朝から農作業して昼は議員活動、大変ですね~」

「いや・・・むしろ、議員報酬を月に何十万ももらえてしまう方が苦痛です。陰でアイツ何もしてないのにって言われるし」

「そもそも、好きで議員になった訳じゃないんです。地元のしがらみがあって・・・2期務めたから、もうやめたいな」

 仕事で出会った、中央の政治家たちとは大違い。

 どこまでも正直で、欲のないSさんなのであった。



Mt. Tateshina, autumn 2019

2019年9月28日

「老後は2000万円必要」の真実


この夏、金融庁が「老後資金は2000万円必要」と報告書に書き、大きな話題になった。

 報告書作りを担った中核メンバーが、中野晴啓(セゾン投信社長、56歳)。

日経ビジネス電子版のインタビュー記事に、彼が本当に言いたかったことが書いてある。同世代のせいか、年金や人生設計についての考えが、自分ととても近かった。以下はその意訳です。

◎人口減と少子・高齢化で、年金は減らさざるを得ない。現在の高齢者は、現役世代の収入の6割を受け取っているが、将来的には4割しかもらえない

◎そう正直に書いたら、国民から強烈なアレルギー反応が出た。国民全体が年金に関する「事実」を聞きたくない、認めたくないと思っている

◎年金は国民生活のセーフティネットなので、政府も「維持に不安がある」とは言えず、ずっとオプラートに包んできた

◎でも支え手が多かった高度成長期のような年金制度が維持できないのは明白

◎だから、年金受給者にも一定の犠牲が必要。それに納得できないお年寄りは、自分の子どもや孫を幸せにしたいと思っていない、ということ

◎「敬老の日のまんじゅうが安物になった」と怒る人は、社会の支え手が減り、自治体の財政も悪化しているロジックを見ていない

◎そして残念なことに、報道を受けた大多数の人たちは、「もっと節約、貯金をしなくては」と考えてしまった

◎デフレが20年続いているが、いざインフレになれば現金は目減りする。「節約や預金は正義」という発想は早く改めるべき

◎そして現役世代が老後に備えるための仕組みが、個人型年金「iDeCo」や非課税投資制度「つみたてNISA

◎これらを使って資産形成することが大切。そして日本経済へのこだわりを捨て、「グローバル国際分散投資」を行うこと。世界の経済成長を享受しなければ、国民の豊かさは戻ってこない

◎長く働くことと並行して、日本経済にはない成長市場への投資で金融所得を得ることで、豊かな人生が実現できる

◎北欧は「高福祉高負担」だが、日本は、高度成長という特殊な状況で成立した「高福祉低負担」が、国民を思考停止にしている。
くれない、くれないと「国民総くれない族」になっている

◎今後はGDPよりGNI(国民総所得)を増やすことが大切。1人当たりGNIは現在、1位がスイス(8万560ドル)、2位がノルウェー(75990ドル)、3位がルクセンブルグ(7260ドル)。日本は23位(38550ドル)

◎「でも自分で合理的に動いた人は、超高齢化社会においても欧米並みの人生が実現できると僕は信じて行動しています」



2019年9月21日

世界で最も住みにくい町


 英エコノミスト誌が選ぶ「世界で最も住みやすい町」。今年のベスト10は、

   ウィーン(オーストリア)

   メルボルン(オーストラリア)

   シドニー(同)

   大阪

   カルガリー(カナダ)

   バンクーバー(同)

   トロント(同)

   東京

➈ コペンハーゲン(デンマーク)

⑩ アデレード(オーストラリア)

 カナダや豪州の諸都市は順当として、大阪が4位で東京が7位・・・?

 大阪は、梅雨明けと同時に猛暑日が連続する。東京もこの夏、熱帯夜が20日以上続いた。タイやフィリピンの友人たちさえ悲鳴を上げるこの暑さは、もはや災害レベルだ。

エコノミストの英国人調査員さん、8月の両市を知らないナ。

個人的には、カルガリーかコペンハーゲンに住んでみたい。

 いっぽう、「世界で最も住みにくい町」のトップ10はこちら。

   ダマスカス(シリア)

   ラゴス(ナイジェリア)

   ダッカ(バングラデシュ)

   トリポリ(リビア)

   カラチ(パキスタン)

   ポートモレスビー(パプアニューギニア)

   ハラレ(ジンバブエ)

   ドゥアラ(カメルーン)

   アルジェ(アルジェリア)

   カラカス(ベネズエラ)

おどろおどろしい地名ばかりだが、この中の3都市には行ったことがある。

 パキスタンに出張したとき、同僚が現地で暮らす自宅兼オフィスは、塀と鉄格子に囲まれていた。玄関には、銃を持ったガードマンが24時間立つ。

 その彼と、アフガニスタンのカブールで待ち合わせた。なぜか妙に嬉しそう。この町も、防弾仕様車での移動を強いられる、とても物騒な町なのに。

「へへへ、カブールでは酒が手に入るんですよ! ああ楽しみ~♪」

そっか、そーいうことね。

このランキングも公正を装いつつ、実は個人的嗜好が入っているかも知れない。


2019年9月13日

フリーランスは地獄耳


 新聞社で働いていた時の友人たちと、東京で飲む。

テレビがなく、ろくにネットも通じない森の家を出て、いきなり現役ジャーナリストに囲まれる。自分が同じ会社にいたのが信じられず、まるで100万光年前の出来事のよう。

彼らは彼らで、「辞めて5年でここまでボケるかなあ」と、呆れたと思う。

東京五輪を来年に控えて、紙面では特集が組まれ、取材合戦が始まっている。3040代の元同僚、特に五輪担当の記者からは、熱気や高揚感を感じた。

それに比べて50代の友人は、5年10年とミドルマネージャーを続けていて、大変そう。社員の年齢構成がいびつなため、昇進が遅れに遅れるのだ。

ある年齢で突然、取材現場から外れ、「デスク」という名の調整役に回される。それからは朝から晩まで、社内に缶詰めの日々。権限はないのに、責任は無限大。自分の場合5年どころか、2年も持たなかった。

(バブル期入社の私が抜けたのは、会社にとっても同僚にとっても好都合。我ながらクリーンヒットだった)

50代サラリーマンの「辛さ」については、コラムニストの小田嶋隆とコピーライターの岡康道が、対談本「人生の諸問題」で明快に解説してくれている。


「サラリーマンにとって一番つらいのは50代。会社の中で訳の分からないゲーム、ルールが分からない最終ゲームが始まって、なんだかよく分からないぞ、とまごまごしているうちに勝ち負けが決まっていって・・・」

「一番仲が良かったあいつが執行役員になって、俺が子会社に出向になった、ということが起きる」「その時期に一番分かり合える人間と、一番遠ざからなきゃいけなかったりする」

「で、自分の中でも、それから社内でも、なぜなぜなぜ、っていう話が渦巻く。それが人事異動という形で1年とか半年にいっぺん起きる」

「日本経済が上向きのころだったら、そのあたりは処理できた」「今の50代の人たちがキツイというのも、この先日本は成長が見込めない時代になるというのがでかい」

「それに比べるとフリーランスの人生にそういう(人事異動の)波乱はない」

「会社を途中で辞めてフリーランスになった人間は、そういうのがないから、五十路についてかくも深く気楽に話し合える」



「出世レースからの墜落」
 以前の飲み会で、上司と部下の間柄だったり、ポストを争う相手だったりした人と、そんなものを全部取り払って話せるのは、とんでもなく楽しかった。

 そして皆が、社内の“噂の真相”をあけすけに語ってくれるのも、人畜無害なフリーランスになったがゆえの役得だ。




2019年9月7日

ヒマラヤの山岳ガイド


 7年前にヒマラヤを旅した時、山岳ガイドのライさんと一緒だった。

 馬の背に9日間揺られ続けて尻が擦り切れ、5000メートルの峠越えでは猛吹雪に遭い、氷河の上にテントを張ってひと月を過ごし・・・2か月ずっと、ライさんと寝食を共にした。

 その彼が今、日本の山小屋で働いているという。

押し入れから登山靴を引っ張り出して、久々に山を目指した。

「ミヤサカさ~ん!」登山道でさっそく、荷揚げ中のライさんと出くわす。人懐こい笑顔が変わらない。彼の休憩時間を待って、小屋で一緒にランチした。

会った当時まだ20代だったライさんは、体力抜群だがガイドとしては少々頼りなかった。33歳になった今、すっかり落ち着いた表情。あの旅の翌年、山岳ガイドとしてマナスル峰(8163m)に登頂したという。

その後のエベレスト遠征では、8848mの頂上直下まで迫ったが、体調不良の顧客に付き添って下山した。着々とガイドの経験を積んでいた。

だが、日本語が話せる山岳ガイドとして順調だったライさんの生活は、ネパールを訪れる邦人登山者の減少で一変する。

向こうで会った頃のライさんは、1年の半分はガイド稼業でヒマラヤ山中にいた。それが最近は年に1~2度、1週間ほどのトレッキングの仕事があるだけ。仕事がなくてももらえていた月給も、支払われなくなった。

彼の会社にいた80人以上のガイドは、いまや10人以下だという。

そしてライさんは、妻と9歳の娘を残して、出稼ぎにやって来た。

山小屋では早朝、まず登山客のために朝食の準備。次に食料の荷揚げ(ボッカ)で山麓へ下りる。3040キロの荷を背負って、日に1~2往復。しばし休憩して、今度は夕食の調理と配膳。週末は260人分を用意する。

夜は従業員6人がひと部屋に雑魚寝。夏の3か月間、休日はほぼない。

ライさん曰く、辛いのはボッカと、ケータイがつながらないことだと言う。

彼がボッカを苦にするとは意外だが、ネパールではガイドとポーターが分業制で、ガイドの彼は重荷には慣れていないらしい。

そしてケータイ。辛うじてドコモの電波が拾える場所が近くにあり、週1回、スタッフのケータイを借りて家族の声を聞いている。

山岳ガイドという彼の仕事は、つくづく因果な商売だと思う。何か月も自宅を離れて、豊かな国からヒマラヤに山登りに来た人に付き添う。時には顧客のために、命をも危険にさらす。

そして豊かな国が不景気になったり、登山ブームが去ったりすれば、急に仕事がなくなる。すると今度は自分が外国へ、出稼ぎに行かなければならない。

もし彼が日本人で、自分はネパールに生まれていたら・・・?

ライさんの屈託のない笑顔に見送られて、初秋の山を後にした。ラッキーにも日本に生まれた以上、ぜいたく言うのはよそうと誓いながら・・・


2019年8月30日

はるちゃん怖い


 東京から来た小学生が繰り広げる、八ヶ岳でのサマーキャンプ。

日目のハイライトは木登りだ。

ヘルメットとハーネスに身を固めて、高さ10メートル超のカラマツを登る。

命綱のロープを私に預けて、何の躊躇もなく、スルスル登っていく子がいる。見る間に、小さな背中が枝葉の影に消えていく。

 東京湾岸のタワーマンションから来た子も多い。地上100メートルで暮らしていれば、この程度の高さは、何でもないのかも。

 でも高みが苦手で、動けなくなる子もいた。落ち着いてゆっくり登りな、と励ますそばから、

「ギブ(アップ)ならギブって早くいいなよ!」

 待っている子が、しきりに急かす。こういう容赦ない発言は、女子に多い。

そして男子に多いのが、このパターン。登り始めてすぐ、

「うわ~、アリだ!このアリ、噛まない? もうダメ・・・ギブ、ギブ!」

 たかがアリで、3メートル登っただけで、降りて来る。



 夕暮れの森でバーベキューをしていたら、突然の雷雨に見舞われた。にわかに雨が強まり、横殴りに降りつける。突然、至近距離で大きな雷鳴がとどろいた。急いで子どもたちを、本部棟に避難させた。

「カミナリこわい~」男の子が泣く。恐怖で、ろれつが回っていない。

でも女子は、意外に怖がらない。バリバリッという雷の轟音にも、「うるさいなあ」。それより、鉄板に残った焼きそばに、未練たっぷり。



 そして夕食後は、ナイトハイクの時間。野生動物を探して、夜の森を歩く。

ピーッ

 静寂を切り裂いて、鋭い鳴き声が響いた。シカが発する警戒の声だ。

 コンビニはもちろん、人工的な光が一切ない漆黒の闇は、初めてだったかも知れない。「怖い」「帰りたい」1年生が、泣きながらしがみついてきた。

 中でもはる子ちゃんは、とりわけ内気な子だった。点呼で名前を呼ばれても、返事ができない。木登りでは足がすくんで、動けない。

 3日目の朝、子どもたちが騒いている。その輪の中心には、はる子ちゃん。カエルを素手で捕まえて、今まで見せたことのない、満面の笑顔だ。

 山登りの最終日も、みんなが急坂にハアハア言っている間、彼女だけは、ひとり別世界。トンボがハエを食べる様子を、熱心に観察していた。

末は生物学者か、昆虫博士か。



サマーキャンプの子どもたちは、アリ、雷、夜の森を恐れた。

私は、カエルを両手にニンマリ笑うはる子ちゃんが、いちばん怖かった。


流しそうめん in Yatsugatake, summer 2019


2019年8月23日

火事場の天使


 都会の小学生を対象にした、3泊4日のサマーキャンプ。

 八ヶ岳を舞台に、登山や秘密基地作り、オリエンテーリング、木登り、ボルダリング、バーベキュー、テント泊など充実した内容で、毎年行われている。

髪が白かったり薄かったりするキャンプリーダーに、この夏16歳のイケメンが加わった。

 身長178センチ、ハーフのふみ君。来年から南米サッカー留学するという。

 サマーキャンプ初日、子ども用のテントを張り終えたふみ君の両腕に、女の子3人がぶら下がっている。風に乗って甘い声が聞こえてきた。

「ねえねえ、一緒に寝ようよ~」

人生一度でいいから、女性3人にすがりつかれて、そう言われたかった。

キャンプ2日目はオリエンテーリング。地図と磁石を頼りに森を歩き、できるだけ多くのフラッグを見つけて点数を競う。第6班リーダーの私は、水分補給用のペットボトルを手に、7人の子について歩く。

「ねえもっとゆっくり歩いてよ。班行動でしょ!」「そっちが遅いんだろ!」

 歩き始めて10分で、トモちゃんとハカセがけんかを始めた。小学生同士とはいえ、ど迫力。何とか、この緊張を緩和しなければ。

「まあまあトモちゃん、水でも飲もう」(笑)

 子どもは回し飲みを嫌がるので、ペットボトルを高く掲げ、トモちゃんの口めがけて水を注いであげた。サッカーのテレビ中継で選手がやる飲み方だ。

でもユース選手のふみ君によると、プロでも喉が潤う程度で、ひたすらユニフォームが濡れるだけらしい。案の定、トモちゃんの口から水が溢れて、服がびしょ濡れに・・・

 悲鳴を聞いたハカセたちが集まってきた。そして、「ボクも!」「私も!」誰がうまく飲めるかを競い、みんなで口を開けて待っている。ヒナを養う親ツバメになった気分。

 キミたちのツボは、そこだったのか。それまでバラバラだった班が、一気に団結した。

でも水飲み休憩ばかりしていたら、競技がおろそかに。結果は…最下位。

そして夜のバーベキューは、小枝を集めて火をつけ、太い薪を燃やすまでが難しい。マッチを見たこともない今の子に代わって、各班リーダーが仕切る。

もし私が火を起こせなければ、周囲がうまそうに食べている中で、かわいい7人を飢えさせることになる。このプレッシャーは記者時代の、〆切30分前になっても1面用の写真が撮れていない状況と同じか、それ以上だ。

幸い火は点いた。でも、薪をくべすぎた。鉄板の油に火が燃え移り、あっという間にソーセージが黒焦げに。野菜も全半焼。子どもたちの視線が痛い。

「実はこんな事もあろうかと・・・」まさにその時、予備のソーセージを手に、キッチンスタッフのきみ子さんが現れた。後光が差して見えた。





2019年8月16日

ゲストハウスの夏


 夏休みの親子連れでにぎわう、とある信州湖畔の宿。

 朝、無心で廊下を掃除していたら、よれたTシャツを着たメタボおじさんの足が・・・ただブラブラと歩いている。

(掃除の邪魔だあ。早く出発してくれないかな)

 そしてその日の清掃を終えて、若き支配人のたまちゃんから衝撃の事実が。

「あの人、オックスフォード大学の教授らしいですよ」

「エーッ」

「本人は『別に有名でも何でもない』って言ってたけど」

 たまちゃんがもらった名刺でググったら、ホントにオックスフォード大公式HPに写真入りで紹介されている。リウマチ研究の専門家、とある。

ガーガーと掃除機で追い立てたりしなくてよかった・・・



 お盆などの繁忙期に、ここの客室係をさせて頂いて3シーズンめ。

この宿、普通のホテルと違い、「ホステル」や「ゲストハウス」と呼ばれている。個室もあるが、2段ベッドの相部屋もある。大きなダイニングと共同キッチンを備え、自炊ができる。宿泊料は、地域で1,2を争う安さ。

 ユニークな宿ゆえ、お客さんも実に様々だ。

 先日は初老のスペイン人男性が、外国ナンバーの大型バイクでやってきた。ユーラシア大陸を横断して、はるばる日本まで走ってきたのだろうか。

 ヤクザ風のこわもて男性が帰り際、黙って宿の周りの雑草を刈っていってくれたりもする。

 フィリピン女性10数人を引き連れて泊まりに来る、謎の日本男子も。

 また、某大学「星空研究会」の合宿地にもなっている。彼らはいつも未明に戻ってきて、昼間はひたすら寝ている。

チェックアウト時間が過ぎて、誰もいない女子トイレを掃除していたら、寝ぼけ眼の「星空」女子が入ってきて焦った。



宿では旅人のために、朝食を無料で提供している。でも時おり想定外のことが起き、私が9時ごろ出勤すると、支配人がゲッソリしている。

「あの人、ひとりでソーセージ20本食べたんですよ!」

「子連れの一家が、お米を5合も食べて・・・ごはん炊き直しました」

「自転車ツーリングの外国人に、スクランブルエッグ3キロ食べられた~」




助っ人客室係は盛夏の高原で、布団の上げ下ろしにいい汗をかく。

でもオーナーや支配人を見ていると、この世界も大変そう。


Kirigamine, summer 2019

肉食女子

わが母校は、伝統的に女子がキラキラ輝いて、男子が冴えない大学。 現在の山岳部も、 12 人の部員を束ねる主将は ナナコさんだ。 でも山岳部の場合、キャンパスを風を切って歩く「民放局アナ志望女子」たちとは、輝きっぷりが異なる。 今年大学を卒業して八ヶ岳の麓に就職したマソ...