山崎豊子の小説「沈まぬ太陽」の主人公は、実在のJAL元社員とされる。
モデルとなったその人は、組合活動で経営陣と対立したばかりに、パキスタン、イラン、ケニアで延々10年の「僻地」勤務を強いられた。
まだインターネットもSNSもなかった時代。家族と遠く隔てられ、極度の孤独から酒と狩猟に走り、精神の破綻寸前まで追い詰められていく。読んでいて、鬼気迫るものがあった。
平成元年入社の私は、辞令1枚でどこにでも行くことを当然と思っていた世代。でも日経ビジネス電子版で行われた、河合薫(社会学者)と中野晴啓(セゾン投信社長)の対談では、転勤について次のように語られる。
・「君、明日から仙台だからね」と言われて、転勤したくないと思っても「社命だからしょうがない」と転勤する。こういう例は、実は海外にはない
・日本企業は人事権が異様に強大で、いわゆるパワハラ異動みたいなのが、当たり前に成立している
・2年に1回社員を動かすローテーションというのも、わけが分からない。あっちからこっちへと、パズルを組み合わせるような玉突き人事が行われている
・いろいろな部署を回るのは、キャリアアップではない。外国人には理解不能
・日本は人事部の力が強すぎる。人事部長が出世コースになるのは日本だけ。人事部の地位を低くしないと、誰も何も言えなくなるのでは?
また出口治明・立命館アジア太平洋大学学長も言う(日経ビジネスより)。
・転勤の強要はパワハラ的マネジメントのひとつ。その社員が地域のサッカーチームで子どもたちに慕われているかも、という発想がない
・そしてその社員のパートナーは専業主婦(夫)だから、黙ってついてくると当然のように思っている。会社が転勤を強要できるという考え方は、この二重の非人道的な、あり得ない偏見の上に成り立っている
・世界的に見れば、転勤するのは希望者と経営者だけだ
私は先手を打って?積極的に転勤希望を出し続け、国内外に4度転勤した。中には左遷人事もあったかも知れないが、「これが同じ会社?」と感じるほど雰囲気の違う職場で、新鮮な気持ちで働くことができた。
見知らぬ街で暮らすことも、これまた快感だった。だから本人は幸せだったし、会社側としても、動かしやすいコマだったと思う。
去年、妻と2人の子持ちの友人が突然、800キロ離れた地方都市への異動を告げられた。「2週間で赴任せよ」と命ぜられ、慌ただしく旅立っていった。
内示が直前になるのは不正防止のため、というのが彼の見方。職種は金融関係だ。もし本当なら、社員を信用しない、そんな会社の商品は買いたくない。
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