「市内の家が浸水して、ひどい状況です。畳の運び出しを手伝ってもらえませんか?」
社会福祉協議会のヤマダさんから、電話をもらった。
あの日、確かに大型台風が町の真上を通過したが、ニュースになっているのはもっぱら千葉や長野、東北方面だ。
さっそく350円のボランティア保険に加入し、自転車で現場に向かう。なんとなんと、わが家の目と鼻の先が、被災していた。
そこは、海と川が交わる角にある住宅地。でも川面からそれなりの高さがあり、水が来たとは信じ難い。
被災家屋で待っていたのは、一人暮らしの50代女性だった。あの日、町内放送で避難勧告を聞いた女性は、風雨の中を避難所に向かった。そして翌朝戻った自宅で、床上浸水という、思ってもいなかった光景を目にした。
台風の通過時間に高潮が重なって、海水が川を逆流したらしい。
住み慣れた家に、もう土足で上がるしかない。その時の心境は、察して余りある。近くのラーメン屋や寿司屋は、何事もなかった。わずかな土地の高低差が、明暗を分けたのか。
この日、集まったボランティアは5人。元気な70代の2人組は、市内の山岳会に所属する山男だ。東日本大震災の時も、ボランティアで東北に通った。
今回も、2人はまず千葉の被災地に急行したという。このフットワークの軽さ、まさにスーパーボランティアだ。千葉では、家じゅうの家財道具が流されて玄関に積み重なり、中に入るのも一苦労だったという。
マスクと軍手をつけた我々は、靴のまま女性宅に上がった。塩水に浸かった畳が異臭を発し、壁のあちこちからカビが生えてきている。豪雨で雨漏りしたのか、食器棚の天井に置かれた皿にまで、泥水が入っている。
女性は、もうこの家を出ていくと決めている様子。
居間の仏壇に、ご両親の遺影が見える。長年、家族3人で暮らしてきたらしい室内には、たくさんのモノがあった。汚れて、ほとんどゴミとして出すしかないのだが、その分別に手間取った。
自治体の決まりで、衣類は「燃えるゴミ」でも「燃えないゴミ」でもなく、資源ゴミとして「紙ゴミ」と一緒に出すことになっている。でも今回のように水に浸かった衣類は、「燃えるゴミ」になるそうだ。
2人のスーパーボランティアは、悩む私を尻目に、慣れた手つきでどんどん分別して、外に運び出していく。
外は、申し分ない秋晴れ。社協のヤマダさんが、「この辺で休憩しましょう!」と、お茶やチョコレートを出してくれる。スーパーボランティアに導びかれて体を動かし、女性からは感謝の言葉を頂いた。
つなぎの作業着で駆けつけた自分ではあったが、見かけ倒しに終わった気がする。でも貴重な時間だった。
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