2018年12月29日

クロワッサンを英語で言うと?


 「これからの投資の思考法」 柴山和久著 ダイヤモンド社

  表紙裏の、著者略歴を見てびっくり。東大~財務省~ハーバード大(ボストン)~イギリス財務省(ロンドン)~INSEAD(パリ)~マッキンゼー(ニューヨーク)・・・

 私も一度でいいから、LinkedInにこんなプロフィールを書いてみたい。つながり申請が殺到するか、それとも怖がって誰も近づかないか。どっちだろう。

 本書が唱えるのは、とても正統的な「長期・積み立て・分散」の資産運用。それより、絵に描いたようなエリートでありながら、著者は辛かったこと、苦しかったこれまでの経験を、随所で正直に語っている。

「人を話に引き込むにはまず失敗談から」というのも、マッキンゼー流ロジックか。とにかく本筋の話より、個人的な部分に読みごたえがあった。

ボストン留学中、カフェでクロワッサンを注文した著者は、「ハアーッ?」と露骨に嫌な顔をされる。指でクロワッサンを指しながら何度も言い直すと、いちいち発音を直される。そんな日々が2年続いたという。

私も実は、子ども時代を過ごしたパリのパン屋で、まったく同じ経験をしている。いたいけな東洋の少年相手に大人げないことを、といまだに思う。

でもクロワッサンの発音を、よりにもよってアメリカ人に直された著者には、深く同情してしまった。

新人時代に財務省の職員食堂で、470円のA定食にするか560円の和定にするかで迷う。出向先のロンドンでは、ポンド高で800円もするスタバのカフェラテにたじろぎ、夫婦で香りだけ嗅いで店を出る。

そんな著者の質素な生活が、マッキンゼーのニューヨーク事務所に栄転したとたん、一変する。

クレジットカードはプラチナ。飛行機はファーストクラス。ホテルは専属バトラー付のスイートルーム。10ドル札が100円玉ぐらいに感じる高収入。

でもそんなVIP待遇と引き換えに、気がつけば週4日は出張という生活。旅先のホテルで、ひとりぽつりとソファに座りながら、著者は考える。

「本当の豊かさとは何か」「自分にとって本当に大切なものは・・・?」

 豪華さのスケールは足元にも及ばないが、私も週に4日は海外出張という日々が3年続いた。航空会社やホテルのお得意様になってアップグレードも受けたが、それらは所詮、会社の経費で得たものだ。

一方で、高い給料は強いプレッシャーと引き換えだし、家族と過ごす時間も滅茶苦茶になる。そのうえ帰国すれば、やりたくない管理職が待っている。私も出張先で、著者と似たようなことを自問自答するようになっていた。

 すごく共感できた。

マッキンゼーを退職した著者は2016年、人工知能で個人の資産運用を支援する会社を興す。大きなリスクを取って、一からスタートする道を選んだ。

 こういう人こそ、応援しなければ。

Tateshina Japan, Winter 2018



2018年12月22日

Listen first. Speak last.


「新聞記者は、時間に追われるとても忙しい人たちだ」

 この例題は正しい。新人記者時代に、いきなりその洗礼を浴びた。

取材現場から上司に電話すると、いつも10秒で電話を切られてしまう。まず名を名乗り、最初の用事を言い終わるか終わらないうちに

「ご苦労さ(ガチャン)」

「ご苦労さん」の「ん」が聞こえる前に、ガチャン!と受話器を叩きつける音。

 何とか最後まで話を聞いてもらおうと、一息で用件を言おうとした。すると緊張のあまり、かえって舌がもつれた。

「アワアワ・・・」「ガチャン!」

 もともと気が短い人たちが集まっているのか、長年の記者生活でああなったのか。いまだ謎だ。そもそも締め切りに関係なく、上司との会話は常にワンフレーズだった。

 そして10数年後。海外駐在の機会を得て、写真セクションから国際報道セクションに異動した。しばらくは雑用係として、世界各地の特派員からかかってくる電話を社内で取り次いだ。

 デスクに電話を回して横で見ていると、そこには実に丁寧なやりとりがあった。締め切り前でも1時間もかけて、じっくり話をしている。

 扱う素材が写真であるか文章であるかの違いは、もちろん大きい。でも多くのデスクに、部下と業務連絡以上のコミュニケーションを取ろうとする姿勢が見えた。

 前の職場がすぐ近くに見えるのに、まるで別の会社に来たかのような文化の違い。思えば写真セクションは、徒弟制度の面影が濃い、個人商店主の集まりみたいな組織だった。離れてみて初めてわかった。

 上司と部下の間にコミュニケーションはいらない。ただ指示があるのみ。仕事は自分で覚えて結果を出せ。

当時の写真セクションは、そういう集団だった。

 それでは、コミュニケーションとはなにか。

 いまは会社のタテ社会から離れ、日々ヨコのつながりで人と関わる。組織の生産性を上げるコミュニケーションより、その場の雰囲気を暖かいものにしたり、若い人のモチベーションを上げるコミュニケーションを学びたい。

そんな気持ちでドラッカーを読んだら、意外にも、いちいち腑に落ちた。

「コミュニケーションを成立させるのは受け手である。聞くものがいなければコミュニケーションは成立しない」

「聞け、話すな Listen first. Speak last

The most important thing in communication is hearing what isn’t said コミュニケーションで最も大事なことは、言葉にされないことに耳を傾けること」

 そんなドラッカーの言葉を胸に、身体的または経済的に他者の支援を必要とする人に会う。手応えを感じる時もあれば、全然ダメな日もある。

聞く力や非言語コミュニケーションは、人工知能AIに取って代わられることがない、とても大切な領域だ。








2018年12月15日

投資家は陸上選手


 トランプ米大統領が「I am a Tariff Man」とツイートしたら、ダウ平均が800ドル下落した・・・?

 ツイートとマーケットの動きに、本当に因果関係があるのか。幸い情報端末が不調で、市場の乱高下をリアルタイムで見ずに済んでいる。

 むしろ、これまで世界株安時に必ず起きていた円高が、まったく起きないのが気になる。円は安全通貨だ、という外国人投資家の幻想が剝がれてきたのか。とめどなく膨張する財政赤字を放置する日本の「Xデー」は近いかもしれない。

「インベストメント ハードラー」 為末大 講談社 2006年発刊

 400mハードルで世界選手権銅メダルに輝いた著者が、自らの投資経験を語った異色の本。

 為末は子供のころから「駆けっこ」に強く、中学時代に出した短距離の記録は、あのカール・ルイスの中学時代より速かったという。著者は冷静に自己分析し、「あれは単に体が早熟だったため」と、ハードル走に転向する。

 陸上選手は持って生まれた資質の面が大きいが、ハードル走は技術が必要とされ、ち密でかつ限界まで耐え抜くような厳しいトレーニングが必要となるという。

 だからハードル走には根性が大きな意味を持つが、覚悟や根性といった心の強さが日本人の最大の特徴だ、と著者は説く。「日本人は耐えられるのだ」

 日本人は耐えられる。この特質は投資にも応用できると私は思う。数多の暴落に耐え、複利効果を生かしてゆっくりお金持ちになっていく「株式長期分散投資」こそ、日本人向きの投資戦略だ。

 ところが、実際に為末の身に起きたのは、「30万円が3年で2000万円になる」という経験だった。

 暖かいトレーニング環境を求めて訪れたタイで、彼は投資会社の日本人社長に出会う。時はちょうど、アジアを金融危機が襲って間もなく。社長に託した金は、資金不足で工事が止まった建設中のマンションに投資された。

建物を完成させ、数倍の値で転売して得た資金を、今度はスマトラ沖大地震からの回復局面にあったタイ株市場に投資。かくして、30万円が2000万円に。

為末自身も断っているが、これはめったにない投資チャンスを運よく掴めたということだ。読者が真似してアジアの不良債権市場に手を出したら、大やけどするだろう。

「そもそも私は陸上選手である。陸上選手にとって最大のリスクは陸上以外のことに思考が向かってしまうこと」と自戒して書いている。だが為末はこの本を出した後、目立った成績を残すことなく引退している。

投資の大成功が、かえって彼の選手生命を縮めることになってはいないか。

宝くじが当たった人や、プロスポーツ選手の引退後に自己破産が多いことは、よく知られている。準備ができていない人の頭上に、お金が雨あられと降り注ぐと、その結末はあまり幸せではなさそうだ。

「雨あられ」ほどでもなかった為末は、引退後も各方面で活躍している。



2018年12月8日

最後までひとり


 ハツエさんは、人の体を両手でまさぐる癖があった。

 その日は視覚障がい者の集まりがあり、ハツエさんの手を取って社会福祉協議会へ。いつも明るいハツエさんは人気者で、たちまち若い女性職員に囲まれた。

 その一人ひとりに、ハツエさんの入念なボディーチェックが始まる。目が見えない代わりに、掌で覚えているらしい。特に胸のあたりを、念入りに撫で回している。

「あなたサトミさんね。また太ったんじゃない?」

 目のやり場に困るというか、ちょっとうらやましいというか。

 演歌歌手のコンサートが開かれる市民会館にも、よく行っていた。最前列に陣取ってノリノリで踊っていた、とヘルパーさんから聞いた。

「昭和の遺構」とでも呼びたくなるような、老朽化した市営住宅。その一室がハツエさんの住まいだ。ヘルパーさんの支援を受けながらも、独りで暮らす。玄関には、人の気配を感知するぬいぐるみがあり、いつもにぎやかな機械音声に迎えられた。

 訪ねると、キンキンに冷えた栄養ドリンクをくれる。「エアコンは4年前に壊れたきり」と、猛暑の夏でも平気な顔をしていた。

1000円カットの「チョキチョキ」や、スーパー「ヤオマサ」まで車で送ることはあったが、彼女の行き先が病院だったことはなかった。

その後、ハツエさんとはご無沙汰していた。他のNPOメンバーが送迎している、とばかり思っていた。

 用事があって社協を訪ね、ハツエさんが亡くなったことを知った。

 体調を崩して入院し、最期は見知らぬ町の老人病院で、家族に看取られることもなく息を引き取ったという。

 目は不自由でも、いつも笑顔だったハツエさん。そのひんやりした手のひらを思い出した。



 オーストラリアに、ヘルパーとして多くの高齢者を在宅で看取った女性がいる。その人の手記に、こんな一節がある。

「死を迎える人の中には、家族に看取って欲しいとは思わない人もいる。そういう人たちは、意識があるうちにお別れを言って、家族には他の記憶を心に残してもらい、臨終の時にはヘルパーに見送られたいと望む」

 昔のテレビドラマに、いまわの際に「死なないで!」と家族がすがりつく場面がある。もし見送られる本人が人生に満足していたら、あまり居心地よくないことだろう。

 もしかしたらハツエさんも、「寂しく孤独に亡くなった」と言われるのは心外かも知れない。


2018年12月1日

やがて哀しき外国語


 新聞社時代の同僚が、30代で退社して英語学校を開き大成功した。彼が書いた本のタイトルが、「130分を続けなさい!」。

 月刊の英語教材を買って、私も「130分を続けなさい!」と唱えながら、細々と英語を続けている。

 この月刊誌には毎号、英語の達人たちのインタビューが掲載される。地方の大学を出て、留学なしでニューヨーク・タイムズ記者になった女性。サラリーマンを60歳で定年退職の後、猛勉強して同時通訳者になった男性などなど。

 すごすぎる・・・

 NYTimes記者になった女性には、実際に会って話を伺った。別に英語訛りの日本語を話す訳でもない、日本女性らしい控えめな方だった。

 ネパールで会った彼女の妹さんに聞くと、「姉はかなりストイック」。それを聞いて妙に安心した。並々ならぬ努力を続ける、不屈の人なのだろう。

 英語で食べている人と会った時は、英語との出会い方を聞いてみる。ハワイで通訳をしているAさんは、モルモン教の金髪青年が自宅に訪ねてきて、カッコよさに憧れ、小学校から英語塾に通ったという。

 弁護士としてアメリカで働いた後、帰国して大学講師や翻訳をしているYさんは、親の仕事の関係で小さい頃にアメリカで暮らしていた。

 同じ帰国子女でも、語学に苦手意識を持ってしまう人(=私)もいる。AさんもYさんも女性なので、女性は生まれつき人とのコミュニケーションを大切にする➡語学習得も自然に努力できる、というのが私の仮説だ。



 子どもにボランティアで英語を教える機会がある。教科書を開くときの、彼らのイやそうな顔!自分のことは棚に上げて、そこまで嫌わなくてもいいのにと思う。

 早晩、小学校でも英語が必修化される。早くから苦手意識を植え付けてしまうと、子どもの人生が暗くなる。

 仲間の元英語教師が、隣でスパルタ式に文法を暗唱させている。私は、もっと彼らのモチベーションに訴えたい。

「英語を勉強すれば外国に行けるよ!」「ぼくずっと日本にいるからいい」

「フェイスブックやツイッターで英語でつぶやけば、世界中の人が聞いてくれるよ!」「私LINEでいい」

 LINEは東南アジアで普及しているが、グローバルではない。いじめや仲間外れの温床にもなる。スタンプばかりでやりとりすれば、日本語まで退化しそう。

「英語ができればいろんな生き方ができるよ。それに、お金も儲かるかも!」

(と言いながら、我ながら品がなかったと反省)

 もう少し、彼ら彼女らの心に刺さる殺し文句はないものか・・・





2018年11月24日

子どもを年収1000万円の社畜にするのか


 貧困家庭の子ども向け無料塾で、久しぶりにショウちゃんに会った。

 いつの間にか中学生になっていたが、相変わらず勉強する気はない。

「あ~あ・・・つまんねえ」 何を聞いてもうわの空。

 でも戦国時代に話を振ると、ショウちゃん俄然、生き生きする。福島正則、朝倉義景、今川義元、片倉小十郎、立花宗茂、北条氏康。知らない武将の名が次々に出てくる。戦国時代が舞台の3Dゲームにハマっているらしい。

「過去にタイムトリップして雑賀孫一に会いたい」目をキラキラさせて言う。

  この塾、以前は子どもの居場所作りの色合いが強かった。ショウちゃんとも、よく廊下でサッカーをした。それが今や、元教師や大学生のボランティアが2時間みっちり勉強を教える場に。分数の掛け算も忘れた私には分が悪い。

 子どもに居場所を提供するはずが、自分の居場所がなくなっていた。



 ちょうど日経ビジネスonlineで、マンガ「ドラゴン桜」に登場する弁護士、桜木健二のインタビューを読んだ。「わが子を年収1000万円の社畜にするのか」という刺激的なタイトル。子どもと接する上でのヒントを見つけた。



〇教師の役割・・・かつては系統だった知識を生徒に教える授業方法だったが、今は知識がネット上にいくらでもある。今の教師の役割は、少しだけ先に人生を歩む先輩として、生徒の心に寄り添うこと

→一人ひとりの得意・不得意・行動のクセやモチベーションの発火点を正しく見極める

〇親の役割・・・親の時代の常識が、これからの時代に通用するわけがない。世の中が驚くようなスピードで変化している時代に、過去の常識は今の非常識。親の『よかれ』という思いは、子どものためにはならない

→「自分のアドバイスが子どもの役に立つなんて思うな」

→子どもがゲームにハマってもいい。好きなことに没頭する経験は、将来の集中力につながる。大人から見て「くだらない」「役立たない」と思うものでも、子ども自らが夢中になっているものを奪ってはいけない

→親が子どもに対してできるのは、体力をつけさせること。体力さえ備えておけば、いざ子どもが勉強しようと火がついた時の集中力も高くなる

〇多くの親が陥っているのは、自分に自信が持てないという罠。わが子の力を心の底から信じ切る、そのためには自分自身に自信を持つ

→「歳を取ったって、親になったって、人間はいくらでも成長できる。自分を高めろ!自分にかまけろ!それが、子どもを伸ばす唯一にして最高の方法だ」



 私がショウちゃんに英語や数学を教えるよりは、そのまま彼の大好きな戦国時代を極めてもらった方が、何者かになれる気がする。

 勉強していい学校に入り、いい会社に入れば一生安泰。そんなロールモデルがなくなって大変だが、ネット世代は好きなことを武器に生きていける世代でもある。


2018年11月17日

天使と過ごす30分


 今日も、Kちゃんとデートした。

 一時預かり施設からママが働く病院まで、30分の夕暮れドライブ。

 何度も同じ道をデートしているが、彼女はいつだって奔放だ。

 車検証やバッグの書類など、手が届く限りの紙を丸めて、そこら中に投げる(・・・しわを伸ばせばまた読めるし。節分みたいで楽しいね)。

 ボールペンやCDを、窓から車外に投げる(あああ。ま、拾いに行けばいいや)。

 走っている最中に、助手席から手を伸ばしてギアをニュートラルにしたり、ハンドブレーキを引いたり(クルマがどうやったら止まるか、小さいのによ~く理解してるね)。

渋滞がちな道中、どうしたらKちゃんがよりハッピーになり、私も前方不注意にならずに済むか。あまりしゃべらない彼女の胸中を、推し量ってみる。

絵は好きなのかな。子ども扱いを嫌う彼女に、ホワイトボードと4色ペンをそっと手渡した。

 無心に絵を描いている。珍しく、車内に静かな時間が訪れた。

 ところがある日、彼女がムキになって、ボードにタテ線を書き殴っている

Kちゃん・・・それ、なんの絵?」

「雨。」

Kちゃんの今の心境は、土砂降り?)

 そしてボードが青一色に塗りつぶされると、今度は私の腕に描き始めた。顔色ひとつ変えずに。

(うわあああ、買ったばっかりのシャツが・・・いや待てどうせユニ〇ロだ)

 毎回、度量を試される。落ち着け、自分。運転に集中しろ。

 今日はどんな展開が待っているか、楽しみに行けばKちゃん爆睡中。先生に抱っこされて車に運ばれ、院内保育所に着いても起きない。寝たまま抱っこで保育士さんに手渡す。天使のような寝顔が、みんなを笑顔にした。

 一度だけ、彼女にお返ししたことがある。

 その日も橋の手前で渋滞が始まり、Kちゃんが退屈し始めた。モゾモゾ、足元の赤いリュックを開けようとしている。

「!」

 小さな背中を見ていて、ピンときた。とっさに運転席側のスイッチで、全ての窓を閉めた。

 次の瞬間。Kちゃんが振り向きざま、食器袋を窓に向かって投げつけた。ガチャーーン!間一髪、閉まった窓ガラスに当たって跳ね返り、戻ってきた。

「やった!」大喜びするおじさんの隣で、憮然とするKちゃん。

 NPO活動で障がいのある高齢者と接していると、人生終盤の厳しい現実を見ることがある。Kちゃん自身がどう思っているか知らないが、彼女と過ごす30分が、間違いなく心の救いになっている。




2018年11月10日

サラリーマン冒険家たち


「会社やめて、毎日なにしとんのや」

「いや・・・その・・・個人投資家として・・・」

「なにい個人投資家だ? なんじゃそりゃあ! うさん臭いのう!!」

 大学山岳部の会合で、数年ぶりに会った先輩に笑い飛ばされた。

 後輩の一部から「うらやましい」という声も聞こえたが、とても本気で言っているとは思えない・・・



 今から25年前、まだ20代だった彼ら山岳部の仲間とヒマラヤの未踏峰に挑んだ。8000メートル近い高さの山に登るには、優に2か月はかかる。ふつうは会社を辞める覚悟が必要だ。

ところが、当時新聞社に入って5年目の私は「出張扱い」にしてもらった。夕刊特集面を作ることを条件に、「会社のお金で」好きな山登りができた。帰国後には、骨休め休暇までもらってしまった。

学校を出てからもヒマラヤ登山を続けるには、どうしたらいいか。ひと昔前は、学校の先生になるのが正解だった。毎年、夏にひと月も休めたから。

学校が次第にブラック職場化してくると、今度はマスコミに人気が移った。私や山岳部の後輩は、軒並み新聞社やテレビ局に就職している。

会社側にとっても、山岳部出身者は「真冬に夜中まで張り込みさせても文句を言わない」便利な人材だったと思う。双方の利害が見事に一致していた。

 マスコミに入った後輩たちは、それぞれ会社の経費で北極に行ったり、南極で越冬したり、エベレストに登頂したり。役得をフルに行使した。

 登頂25周年を祝う会で、久しぶりに会った彼ら。歳も50前後となり、現場は若手記者に譲って、もっぱら社内でデスクワークに勤しむ毎日だ。

 テレビに行った連中は元気がいい。いつの間にか、酒にも強くなっている。某局で部長職を務める後輩にごちそうになった時、会計で領収書を作りながら彼が豪語する。


「オレが使える交際費には上限がないんっすよ」

 史実を基にした映画「ペンタゴン・ペーパーズ」では、メリル・ストリープやトム・ハンクス扮する新聞人たちが輝いている。政権の圧力に抗して、歴代大統領のウソを暴いていく。それがベトナム戦争の終結につながった。


 いつだって、歴史を作るのは新聞だ。

 それなのに、なぜ新聞ばかりが没落する?

 世の中、なにか間違っている。









2018年11月2日

蒸留された情報


 新聞記者だった先輩が、退職と同時にテレビを捨てた。

 会社にいる時はもちろん、休日も家のテレビをつけっ放しにしてニュースを追い、緊急速報のチャイムに身構える。そんなことを何年も続けていると、確実に心が摩耗する。

 仕事上の必要がなくなってしまえば、ニュースがなくても困らないことに、私も気づいた。

 そして、投資家にとっての経済ニュースも、ただ気ぜわしいだけだ。経済専門チャンネル(CNBC、ブルームバーグなど)をつけっ放しにしている人は、ちょっとカッコいいが、有益とは限らない。


「まぐれ」(Fooled by Randomness)の著者ナシーム・N・タレブは、オプション取引のトレーダーにして大学教授。彼もマスコミに対して辛辣だ。


「マスコミは私たちが出くわす最大の害悪」「世界はどんどん複雑になり、一方私たちはどんどん単純化されたものにばかり接するようになる」

「マスコミと歴史の違い=ノイズと情報の違い」

「マスコミでありながら有能な人間であるためには、物事を歴史家のような視点で見て、自分が提供する情報の価値を割り引いて考えなければならない」

「新しい考え方よりも蒸留された考えにこそ価値がある」

「疑わしい時はシステマチックに新しいアイデアを否定するのが一番いいやり方だ。明らかに、そして驚くべきことに、常にそうなのだ」

「情報の問題点は、気が散るところや一般的には役に立たないところではない。有毒なところだ」

「不確実性の下で意思決定を行う時には、マスコミには可能な限り接しない方針を持つのが正しいはず」

「マスコミにとって、黙るぐらいならそれこそ何でもいいからしゃべった方がましなのである」

「蒸留されていない情報の蒸留された情報に対する比率が上がり、市場は前者で溢れかえっている。昔の人の戒めなんか、緊急ニュースで届いたりしない」



 最近起きたマーケットの変動を、マスコミは米中貿易戦争」結びつけたが、本当だろうか。

 市場でつけられたものの値段が、その本質的な価値より高くなりすぎれば、いつか必ず元に戻る。その逆もまた真なり。今回も、それだけの話だと思う。



「やっぱり詩でも読んでいる方がいい。何か本当に重要な事件が起きたなら、どのみち私の耳までたどり着くだろう」

2018年10月27日

時間を飛び越える


 3年ほど前、障がい者の通院を支援するNPOに入れてもらった。

 暇を見ては、車いす用リフトが付いた車のハンドルを握る。

 その後もいっこうに忙しくならないので、毎日ハンドルを握っている。



 夏が終わるころ、久しぶりにNさんを乗せた。

「認知症が進んで大変だよ」 NPO仲間が敬遠する人だ。

 予約の時間に、アパートのチャイムを鳴らす。返事がない。

 もう1回鳴らす。

 ドアが開いた。不審そうな顔をしたNさんが、暗闇に立っている。

「○○会のミヤサカです。今日は病院に行く日ですよね?」

「・・・あっ! 待ってろ、すぐ行く」

 身支度に15分かかって、ようやく出発。病院は遅刻だ。

「春以来ですね。変わりないですか?」「これ以上変わりようがねーよ!」

 独り暮らしのNさんは、糖尿病の合併症で目が見えにくい。足も弱ってきた。毎週、輸血を受けるのは、別の重大な病気かも知れない。

 でも雨戸を閉め切ったアパートで、日がなタバコをくゆらせている。腹が減ると、買い溜めしたコンビニおにぎりに、お茶をかけて食べる。

 定期的にヘルパーの訪問も受けるが、本人曰く「おれが孤独死しないよう、ケアマネが勝手に仕組んだ」。

ケアマネさんに頼まれて、私が「ちゃんと薬飲みました?」と聞くと、「忘れた」。そもそも飲む気がない。病気を治さない自由を行使する。



「今日は病院の日ですよ」「・・・あっ!」

その後も、玄関先で同じやりとりが続いた。ひとつ、聞いてみた。

「ところでNさん。部屋に時計はありますか?」「・・・ない」「やっぱり」

 いつからか、時間や曜日の観念をも超越したようだ。



NPOに加わった3年間で、助手席に乗せた6人を見送った。送迎予約が入らなくなり、「○○さんは入院しました」と知らされる。しばらくして、訃報を聞く。

長生きする気がないNさんを乗せる日も、いつまで続くかわからない。彼の姿を心に刻み、いずれは自分も、Nさんの境地に至りたいと思う。



最近、眠れぬ夜にふるさとを思い出すという。Nさんは日本海の離れ小島で育った。少年時代、暗くなる頃あいを見て、よその庭に忍び込んだ。

「こたつの上のミカンはうまくない。盗んで食うからうまいんだ」
「・・・」


Tateshina Japan, Autumn 2018

2018年10月20日

ビリギャルが来た


「学年ビリのギャルが1年で偏差値を40上げて慶應大学に現役合格した話」

 塾講師(坪田信貴)が本に書き、有村架純の主演で映画化もされた。

 先日、その「ビリギャル」本人が、なんと家から自転車で10分の市民ホールに現れた。先生目線でない、当事者自身の話を聞くことができた。

 主人公「ビリギャル」こと小林さやかさん、30歳。会社勤めの後、フリーのウェディングプランナーに。社会人3年目に「ビリギャル」が出てから、講演依頼が殺到。いまは年100回の講演で、全国を飛びまわる日々だという。

「元ギャル」らしさの演出か、講演はタメ口混じり。隣のお姉さん風でいて、話術は巧み。実質70分の講演が、あっという間だった。

開口一番、「ビリギャル」の本当の主人公は、実は彼女が「あーちゃん」と呼ぶ彼女の母親だ、と言った。

・母は、ビリギャルの私、高校中退でヤンキーの弟、不登校の妹、きょうだい3人をいつでも肯定した。相づち・うなずき・繰り返し。家事を全て中断して、私の話を聞いてくれた

・中学時代、タバコで学校に呼び出されても叱られなかった。母はむしろ、「子どもを信じていることを見せる絶好のチャンス」と考えていたようだ

・母の望みは、「ワクワクすることを自分の力で見つけられる子になって欲しい」ということ

・私は自分のためだけにはがんばれない。1日15時間勉強できたのは、「あなたが笑顔でいてくれるだけで私は幸せ」と言って何も求めない母のため

・人間は感情の生きもの。心が揺さぶられないと、大きな努力はできない➡「好き」「ワクワク」がいちばんの原動力。ワクワクする目標を自分で設定するには、親子でどうでもいい会話をたくさんすること

・不登校だった妹は、私の姿を見て「もっとラクして東京の大学に行きたい」。自らニュージーランドの高校に進学し、帰国子女枠で上智大に合格した

・最近ニューヨークに行った。受験勉強で英語の偏差値を28から72にしたのに、英語が話せなかった。これが日本の教育の現実



 彼女が合格したのは慶大、それもSFC総合政策学部。主な受験科目は小論文で、暗記力より思考力が試される。当意即妙な彼女の講演からは、かなり小さい頃から、自分なりの考えを持って生きてきたことが伺えた。

 卒業後、彼女は北海道の高校に「押しかけインターン」に行った。先生でも生徒でも親でも子でもない立場から、学校を見た。生徒への影響力がとても大きい教師たちが、実は社会とつながっていないと感じた。

だから最近、彼女自ら「面白い大人と学生をつなぐ場」を作った。

 この積極性。慶大合格は、ビリギャルのその後の人生を、間違いなく大きく変えたといえる。

 会場を見渡すと、聴衆は40歳前後の子育て世代の女性が目立った。




2018年10月13日

職場のアメリカ人


 カブール市街を見下ろす丘に、インターコンチネンタル・ホテルがある。

 テロリストの乱入で多くの死傷者が出たが、当時はアフガニスタンでも安全なホテルとされていた。

 高級ホテルだったのは、昔の話。エレベーターは動かぬ箱と化し、客室清掃係(全員おじさん)はシーツも代えてくれない。ちょっとシワを伸ばしただけで、チップを要求された。

 汚れた窓を開けて、衛星電話を突き出す。インド洋上の人工衛星を経由して、写真を東京に送る。

ドアが開き、わがボスが入ってきた。

「おいミヤサカ! ついでにこれも送ってくれ」

 無造作に渡されたUSBメモリの中身は、本社宛の書類だった。ちょうど査定シーズンで、アジアに散らばる特派員への、ボスの評価が記されている。

そっと覗くと、私へは最大限の評価がされていた。

活躍した覚えはない。でも給料が上がるのはうれしい。年末のボーナスを楽しみに待った。でも本社の査定は、相も変わらず「中の中」。昇給もない。

他部から来ている人間には、余分な給料を払いたくないのだろう。でも、ありえないほどの評価をくれた当時のボスには、感謝している。



帰国後に中間管理職になり、今度は自分が部下を評価することになった。彼らの自己申告書を読むと、「私は全ての項目において平凡です」と書く人もいれば、全項目に「自分は上の上だ!」と書く人もいた。

「上の上だ!」の彼とは、わりと親しかった。「よくこんなこと書けるなあ」ある時、面と向かって言ってみた。彼によれば、自分で「中の中」と書くことは、それ以上の査定を得る可能性を失う自殺行為なのだそうだ。

 次から私も、その手でいこうか。でも自分で自分を「すべてにおいて上の上」だなんて、そんなアメリカ人みたいなこと・・・とてもできない。



 報道カメラマンは結果(写真)がすべて。査定に容赦はないが、わりと公平だ。でも現場を離れて中間管理職になると、得体の知れない別の要素が混じってくる。忙しいフリをする人が、得をしているように見える。とても疲れる。

「まぐれ」や「ブラック・スワン」を書いたN・タレブも、言っている。

「サラリーマンをやっていて、だから他人の判断に左右される立場だと、忙しいフリをしていたほうが、まぐれの飛び交う環境で出た結果を自分の手柄にしやすい」
「誰かが忙しそうに見えると、因果関係、つまり結果とその人が結果に果たす役割の結びつきが何かありそうな気がしてくるのである」

 二度と人に雇われずに生涯を終えられれば、それが最高だ。


2018年10月6日

不死身のカメラマン


「死ななくてもいいと思います。死ぬまで何度でも行って爆弾を命中させます」

 戦争末期、神風特攻隊パイロットだった佐々木友次氏は、「必ず死んで来い」と言われながら9回出撃し、そのたびに生還した。

 21歳の若者がなぜ、40代50代の上司の命令に背くことができたのか。劇作家の鴻上尚史が佐々木氏を病院に訪ね、「不死身の特攻兵」を書いた。

 特攻隊で死んでいったパイロットたちは「全員が志願だった」、と命令した側は言い張る。一方で命令された側の手記には「絶対に志願ではない、命令だった」と書かれている。

 鴻上はこれを、社長の命令によって社員が疲弊しているのに「全員が志願して働いている」というのと同じだという。命を消費するブラック企業の究極だと。

 この本は、ビジネスマンが「理不尽な命令はうちの会社とまったく同じだ」と言って読み始め、次に女性たちが「PTAと似ている」と話題にした。



 自分にとっての大ピンチは、10年ほど前に訪れた。

「パキスタンのブット元首相、亡命先から凱旋帰国へ」

 その一報が入ったとき、私は運悪く?バンコクに駐在していた。パキスタンは自分の縄張りで、何度も出張している。イスラム過激派による自爆テロが頻発し、何が起きてもおかしくない不穏な空気を感じていた。

 ましてや、暗殺予告が出ている悲劇のヒロインだ。あまり近づきたくない。

 現地の特派員に連絡したら、こう言われた。

「ミヤサカさんにはパキスタン人の助手をつけますから、勝手にカラチ空港に行って下さい。ぼくはホテルでテレビ中継を見ながら原稿を書きます」

 よくそんなこと言えるなあ。決定的シャッターチャンスは、命と引き換えか。

ほぼ同じタイミングで、今度はイランで日本人大学生が誘拐された。私はイラン大使館に日参し、死に物狂いでビザの発給交渉をした。日本人学生以外の取材はしないという条件で、入国ビザが下りた。私は全速力でイランに向かった。

そしてブット元首相は帰国後の遊説中、爆弾テロに倒れた。近くにいた20人が、巻き添えで犠牲になった。



 階級社会の軍隊にいながら、佐々木氏が命令に背けたのは、空の上では全ての責任を自分でコントロールするパイロットだったから、と鴻上は見ている。

 カメラマンだった私の場合、当時は写真セクションと国際報道セクションそれぞれに上司がいて、命令系統に空白があった。そこに個人の裁量で動ける余地が生まれて、あやうく命拾いした。

「不死身の特攻兵」は、主に日本社会の枠組みに苦しんでいる人、うっとうしいなと思っている人に読まれているという。「一方でこうした共同体に没入することで安心を得ようとする人もいます。実に厄介です」(鴻上)。

Tateshina Japan, Autumn 2018

2018年9月29日

家賃交渉

 借家暮らしも、かれこれ数十年。
いま住んでいる湘南の賃貸マンションは、「新幹線駅から徒歩15分」が売りだ。でも15分で歩けた試しがない。
以前住んでいた物件も「駅から徒歩15分」だったが、ちゃんと15分で歩けた。この手のタイム設定は、「やばい会社に遅刻する」という動機付けがあって初めて達成できるようだ。
いまのマンションは市街地にありながら、海まで徒歩10分。ハイキングができる山にも近い。バルコニーの正面が畑で、静かな環境にある。
夕方部屋にいると、弾き語りをする男の声が頭上から聞こえてくる。ウクレレでつまびくのは「My Way」ばかりで、いつも陶酔しながら歌っている。
かなり怪しい。
でも会社にも行かずに昼からブラブラし、突然2~3か月留守にして郵便受けを溢れさせる自分は、きっともっと怪しい

マンションの誰かが退去すると、入口に「入居者募集中」ののぼりが立つ。この夏は立て続けに2部屋、空きが出た。
ネットでこのマンションの物件情報を調べてみると、たった数年で家賃が1万円下がっている。しかも最初の1か月の家賃はタダ。我々はしっかり取られた礼金も、いつの間にかタダになっている。
 これは・・・
ちょうど契約更新の時期だったので、勇気を奮って不動産業者に電話してみた。逡巡があったが、黙って人より高い家賃を払うのもお人よしすぎる。
 電話に出た女性に、入居時の家賃と直近の家賃の差を伝える。値下げを打診すると爽やかな声で、「さっそく担当者に伝えます」。数日後に交渉した担当者もまた、感じのいい男性だった。
 そしてものの数分で、密かに目指していた額には届かなかったものの、家賃を値下げしてもらえた。
 雑談交じりに聞くと、最近はなかなか入居者が決まらないことがあり、この夏は思い切った値にしたとのことだった。
 自分が学生の頃までは、土地や家は値上がりするものと相場が決まっていた。あっけなく家賃が下がって、時代の変化に立ち会った気がした。
 人口減少により、日本中で空き家が増えている。東京都心は別にしても、今後は「不動産は値下がりするもの」が常識になるのだろうか。

※賃貸物件の場合、入居者が決まると情報がネット上から削除される。今回は家賃のページを保存しておいたのが、値下げ交渉の切り札になった

Tateshina Japan, Autumn 2018

2018年9月22日

リーマンと一サラリーマン



「100年に1度の金融危機」リーマン・ショックから10年。

 20089月のあの日、まともな人ならマイホームや子どもの教育に充てるであろう有り金全てを、私は世界中の株に注ぎこんでいた。

株式市場の大暴落で、1000万円単位のお金が一瞬で吹き飛んだはずだ。

 でも憶えていない。努めて証券口座の残高を見ないようにしていたおかげで、何も知らずに済んだ。


危機の黒い影はしかし、数年かけてじわりじわり、わが身辺に及んできた。

リーマン半年前まで、私はバンコク特派員だった。当時はイランやアフガンから南太平洋の島々まで、自分の縄張りの中は自由に動くことができた。ところがリーマン後、後任O君は、東京の許可がないと出張に出られなくなった。

現場にいなければ写真が撮れない報道カメラマンに、現場に行くなという。

その後、なんと海外駐在のポストそのものが消滅し、O君は任期途中で戻された。

その頃、私は転勤で九州へ。新しい職場に顔を出すと、いきなり「キミの引っ越し代は高すぎる」と怒られた。

夫婦2人なのに3LDKでないと荷物が収まらない。人よりモノが多いのは認める。でも何度も社命で転勤して、こんなこと言われるのは初めて。

転勤先で45歳の誕生日を迎えた。すると「セカンドライフ研修」なるもののために、わざわざ飛行機で東京本社に集められた。

配られた冊子には、退職金の算出方法がこと細かに書かれている。講師に言われるまま、計算式に則って「老後のマネープラン」を作成する。割増退職金さえあれば、いま辞めてもそれなりに暮らせるという結果が出た。

本当に信じていいものか。SONYの「追い出し部屋」ほど露骨ではないにせよ、「3年で辞められても困るが、20年以上しがみつかれるのはもっと困る」という会社の本音が、透けて見えた。

 現場に出られなくなった時が潮時、とは思っていた。経費節減に血道を上げる上司の存在が、強く背中を押した。なんだかんだでリーマン・ショックは、私個人のライフシフトに大きな影響を与えた。

フリーになってから、福祉や教育関連のNPOに巡り合った。福祉と教育は、どんな金融危機にも影響を受けない大切な分野だ。「理念だけではメシは食えない」のも確かだが、とてもやりがいがある。

 買った株を危機後ほったらかしておいたのも正解だった。ダウ平均はその後3年で危機前の株価を回復し、現在は2008年当時の4倍。日経平均もこの10年で3倍になって、生計を支えてくれる。

 先日とあるNPOの、ウナギ屋での慰労会に招かれた。会費は無料。重箱のふたを開けると、ウナギが折り重なるほど盛られていて、ご飯が見えない。

 NPOは人を大切にしてくれるなあ。しみじみと味わった。


Tateshina Japan, Autumn 2018



肉食女子

わが母校は、伝統的に女子がキラキラ輝いて、男子が冴えない大学。 現在の山岳部も、 12 人の部員を束ねる主将は ナナコさんだ。 でも山岳部の場合、キャンパスを風を切って歩く「民放局アナ志望女子」たちとは、輝きっぷりが異なる。 今年大学を卒業して八ヶ岳の麓に就職したマソ...