2018年9月22日

リーマンと一サラリーマン



「100年に1度の金融危機」リーマン・ショックから10年。

 20089月のあの日、まともな人ならマイホームや子どもの教育に充てるであろう有り金全てを、私は世界中の株に注ぎこんでいた。

株式市場の大暴落で、1000万円単位のお金が一瞬で吹き飛んだはずだ。

 でも憶えていない。努めて証券口座の残高を見ないようにしていたおかげで、何も知らずに済んだ。


危機の黒い影はしかし、数年かけてじわりじわり、わが身辺に及んできた。

リーマン半年前まで、私はバンコク特派員だった。当時はイランやアフガンから南太平洋の島々まで、自分の縄張りの中は自由に動くことができた。ところがリーマン後、後任O君は、東京の許可がないと出張に出られなくなった。

現場にいなければ写真が撮れない報道カメラマンに、現場に行くなという。

その後、なんと海外駐在のポストそのものが消滅し、O君は任期途中で戻された。

その頃、私は転勤で九州へ。新しい職場に顔を出すと、いきなり「キミの引っ越し代は高すぎる」と怒られた。

夫婦2人なのに3LDKでないと荷物が収まらない。人よりモノが多いのは認める。でも何度も社命で転勤して、こんなこと言われるのは初めて。

転勤先で45歳の誕生日を迎えた。すると「セカンドライフ研修」なるもののために、わざわざ飛行機で東京本社に集められた。

配られた冊子には、退職金の算出方法がこと細かに書かれている。講師に言われるまま、計算式に則って「老後のマネープラン」を作成する。割増退職金さえあれば、いま辞めてもそれなりに暮らせるという結果が出た。

本当に信じていいものか。SONYの「追い出し部屋」ほど露骨ではないにせよ、「3年で辞められても困るが、20年以上しがみつかれるのはもっと困る」という会社の本音が、透けて見えた。

 現場に出られなくなった時が潮時、とは思っていた。経費節減に血道を上げる上司の存在が、強く背中を押した。なんだかんだでリーマン・ショックは、私個人のライフシフトに大きな影響を与えた。

フリーになってから、福祉や教育関連のNPOに巡り合った。福祉と教育は、どんな金融危機にも影響を受けない大切な分野だ。「理念だけではメシは食えない」のも確かだが、とてもやりがいがある。

 買った株を危機後ほったらかしておいたのも正解だった。ダウ平均はその後3年で危機前の株価を回復し、現在は2008年当時の4倍。日経平均もこの10年で3倍になって、生計を支えてくれる。

 先日とあるNPOの、ウナギ屋での慰労会に招かれた。会費は無料。重箱のふたを開けると、ウナギが折り重なるほど盛られていて、ご飯が見えない。

 NPOは人を大切にしてくれるなあ。しみじみと味わった。


Tateshina Japan, Autumn 2018



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