ハツエさんは、人の体を両手でまさぐる癖があった。
その日は視覚障がい者の集まりがあり、ハツエさんの手を取って社会福祉協議会へ。いつも明るいハツエさんは人気者で、たちまち若い女性職員に囲まれた。
その一人ひとりに、ハツエさんの入念なボディーチェックが始まる。目が見えない代わりに、掌で覚えているらしい。特に胸のあたりを、念入りに撫で回している。
その一人ひとりに、ハツエさんの入念なボディーチェックが始まる。目が見えない代わりに、掌で覚えているらしい。特に胸のあたりを、念入りに撫で回している。
「あなたサトミさんね。また太ったんじゃない?」
目のやり場に困るというか、ちょっとうらやましいというか。
演歌歌手のコンサートが開かれる市民会館にも、よく行っていた。最前列に陣取ってノリノリで踊っていた、とヘルパーさんから聞いた。
「昭和の遺構」とでも呼びたくなるような、老朽化した市営住宅。その一室がハツエさんの住まいだ。ヘルパーさんの支援を受けながらも、独りで暮らす。玄関には、人の気配を感知するぬいぐるみがあり、いつもにぎやかな機械音声に迎えられた。
訪ねると、キンキンに冷えた栄養ドリンクをくれる。「エアコンは4年前に壊れたきり」と、猛暑の夏でも平気な顔をしていた。
1000円カットの「チョキチョキ」や、スーパー「ヤオマサ」まで車で送ることはあったが、彼女の行き先が病院だったことはなかった。
その後、ハツエさんとはご無沙汰していた。他のNPOメンバーが送迎している、とばかり思っていた。
用事があって社協を訪ね、ハツエさんが亡くなったことを知った。
体調を崩して入院し、最期は見知らぬ町の老人病院で、家族に看取られることもなく息を引き取ったという。
目は不自由でも、いつも笑顔だったハツエさん。そのひんやりした手のひらを思い出した。
オーストラリアに、ヘルパーとして多くの高齢者を在宅で看取った女性がいる。その人の手記に、こんな一節がある。
「死を迎える人の中には、家族に看取って欲しいとは思わない人もいる。そういう人たちは、意識があるうちにお別れを言って、家族には他の記憶を心に残してもらい、臨終の時にはヘルパーに見送られたいと望む」
昔のテレビドラマに、いまわの際に「死なないで!」と家族がすがりつく場面がある。もし見送られる本人が人生に満足していたら、あまり居心地よくないことだろう。
もしかしたらハツエさんも、「寂しく孤独に亡くなった」と言われるのは心外かも知れない。
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