3年ほど前、障がい者の通院を支援するNPOに入れてもらった。
暇を見ては、車いす用リフトが付いた車のハンドルを握る。
その後もいっこうに忙しくならないので、毎日ハンドルを握っている。
夏が終わるころ、久しぶりにNさんを乗せた。
「認知症が進んで大変だよ」 NPO仲間が敬遠する人だ。
予約の時間に、アパートのチャイムを鳴らす。返事がない。
もう1回鳴らす。
ドアが開いた。不審そうな顔をしたNさんが、暗闇に立っている。
「○○会のミヤサカです。今日は病院に行く日ですよね?」
「・・・あっ! 待ってろ、すぐ行く」
身支度に15分かかって、ようやく出発。病院は遅刻だ。
「春以来ですね。変わりないですか?」「これ以上変わりようがねーよ!」
独り暮らしのNさんは、糖尿病の合併症で目が見えにくい。足も弱ってきた。毎週、輸血を受けるのは、別の重大な病気かも知れない。
でも雨戸を閉め切ったアパートで、日がなタバコをくゆらせている。腹が減ると、買い溜めしたコンビニおにぎりに、お茶をかけて食べる。
定期的にヘルパーの訪問も受けるが、本人曰く「おれが孤独死しないよう、ケアマネが勝手に仕組んだ」。
ケアマネさんに頼まれて、私が「ちゃんと薬飲みました?」と聞くと、「忘れた」。そもそも飲む気がない。病気を治さない自由を行使する。
「今日は病院の日ですよ」「・・・あっ!」
その後も、玄関先で同じやりとりが続いた。ひとつ、聞いてみた。
「ところでNさん。部屋に時計はありますか?」「・・・ない」「やっぱり」
いつからか、時間や曜日の観念をも超越したようだ。
NPOに加わった3年間で、助手席に乗せた6人を見送った。送迎予約が入らなくなり、「○○さんは入院しました」と知らされる。しばらくして、訃報を聞く。
長生きする気がないNさんを乗せる日も、いつまで続くかわからない。彼の姿を心に刻み、いずれは自分も、Nさんの境地に至りたいと思う。
最近、眠れぬ夜にふるさとを思い出すという。Nさんは日本海の離れ小島で育った。少年時代、暗くなる頃あいを見て、よその庭に忍び込んだ。
「こたつの上のミカンはうまくない。盗んで食うからうまいんだ」
「・・・」
Tateshina Japan, Autumn 2018 |
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