「死ななくてもいいと思います。死ぬまで何度でも行って爆弾を命中させます」
戦争末期、神風特攻隊パイロットだった佐々木友次氏は、「必ず死んで来い」と言われながら9回出撃し、そのたびに生還した。
21歳の若者がなぜ、40代50代の上司の命令に背くことができたのか。劇作家の鴻上尚史が佐々木氏を病院に訪ね、「不死身の特攻兵」を書いた。
特攻隊で死んでいったパイロットたちは「全員が志願だった」、と命令した側は言い張る。一方で命令された側の手記には「絶対に志願ではない、命令だった」と書かれている。
鴻上はこれを、社長の命令によって社員が疲弊しているのに「全員が志願して働いている」というのと同じだという。命を消費するブラック企業の究極だと。
この本は、ビジネスマンが「理不尽な命令はうちの会社とまったく同じだ」と言って読み始め、次に女性たちが「PTAと似ている」と話題にした。
自分にとっての大ピンチは、10年ほど前に訪れた。
「パキスタンのブット元首相、亡命先から凱旋帰国へ」
その一報が入ったとき、私は運悪く?バンコクに駐在していた。パキスタンは自分の縄張りで、何度も出張している。イスラム過激派による自爆テロが頻発し、何が起きてもおかしくない不穏な空気を感じていた。
ましてや、暗殺予告が出ている悲劇のヒロインだ。あまり近づきたくない。
現地の特派員に連絡したら、こう言われた。
「ミヤサカさんにはパキスタン人の助手をつけますから、勝手にカラチ空港に行って下さい。ぼくはホテルでテレビ中継を見ながら原稿を書きます」
よくそんなこと言えるなあ。決定的シャッターチャンスは、命と引き換えか。
ほぼ同じタイミングで、今度はイランで日本人大学生が誘拐された。私はイラン大使館に日参し、死に物狂いでビザの発給交渉をした。日本人学生以外の取材はしないという条件で、入国ビザが下りた。私は全速力でイランに向かった。
そしてブット元首相は帰国後の遊説中、爆弾テロに倒れた。近くにいた20人が、巻き添えで犠牲になった。
階級社会の軍隊にいながら、佐々木氏が命令に背けたのは、空の上では全ての責任を自分でコントロールするパイロットだったから、と鴻上は見ている。
カメラマンだった私の場合、当時は写真セクションと国際報道セクションそれぞれに上司がいて、命令系統に空白があった。そこに個人の裁量で動ける余地が生まれて、あやうく命拾いした。
「不死身の特攻兵」は、主に日本社会の枠組みに苦しんでいる人、うっとうしいなと思っている人に読まれているという。「一方でこうした共同体に没入することで安心を得ようとする人もいます。実に厄介です」(鴻上)。
Tateshina Japan, Autumn 2018 |
0 件のコメント:
コメントを投稿