カブール市街を見下ろす丘に、インターコンチネンタル・ホテルがある。
テロリストの乱入で多くの死傷者が出たが、当時はアフガニスタンでも安全なホテルとされていた。
高級ホテルだったのは、昔の話。エレベーターは動かぬ箱と化し、客室清掃係(全員おじさん)はシーツも代えてくれない。ちょっとシワを伸ばしただけで、チップを要求された。
汚れた窓を開けて、衛星電話を突き出す。インド洋上の人工衛星を経由して、写真を東京に送る。
ドアが開き、わがボスが入ってきた。
「おいミヤサカ! ついでにこれも送ってくれ」
無造作に渡されたUSBメモリの中身は、本社宛の書類だった。ちょうど査定シーズンで、アジアに散らばる特派員への、ボスの評価が記されている。
そっと覗くと、私へは最大限の評価がされていた。
活躍した覚えはない。でも給料が上がるのはうれしい。年末のボーナスを楽しみに待った。でも本社の査定は、相も変わらず「中の中」。昇給もない。
他部から来ている人間には、余分な給料を払いたくないのだろう。でも、ありえないほどの評価をくれた当時のボスには、感謝している。
帰国後に中間管理職になり、今度は自分が部下を評価することになった。彼らの自己申告書を読むと、「私は全ての項目において平凡です」と書く人もいれば、全項目に「自分は上の上だ!」と書く人もいた。
「上の上だ!」の彼とは、わりと親しかった。「よくこんなこと書けるなあ」ある時、面と向かって言ってみた。彼によれば、自分で「中の中」と書くことは、それ以上の査定を得る可能性を失う自殺行為なのだそうだ。
次から私も、その手でいこうか。でも自分で自分を「すべてにおいて上の上」だなんて、そんなアメリカ人みたいなこと・・・とてもできない。
報道カメラマンは結果(写真)がすべて。査定に容赦はないが、わりと公平だ。でも現場を離れて中間管理職になると、得体の知れない別の要素が混じってくる。忙しいフリをする人が、得をしているように見える。とても疲れる。
「まぐれ」や「ブラック・スワン」を書いたN・タレブも、言っている。
「サラリーマンをやっていて、だから他人の判断に左右される立場だと、忙しいフリをしていたほうが、まぐれの飛び交う環境で出た結果を自分の手柄にしやすい」
「誰かが忙しそうに見えると、因果関係、つまり結果とその人が結果に果たす役割の結びつきが何かありそうな気がしてくるのである」
「誰かが忙しそうに見えると、因果関係、つまり結果とその人が結果に果たす役割の結びつきが何かありそうな気がしてくるのである」
二度と人に雇われずに生涯を終えられれば、それが最高だ。
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