2018年5月19日

The Top Five Regrets of the Dying


「死ぬ瞬間の5つの後悔」~The Top Five Regrets of the Dying~ 新潮社

 著者ブロニー・ウェアはオーストラリアの女性。銀行などで働いたのち、家賃を浮かせるために住み込みの在宅介護ヘルパーになる。

「正しい手の洗い方と、移動介助のやり方の実演を見せられただけ」の研修を受けて、ブロニーは終末期の患者の家に派遣される。そして、たった一人で患者たちと向き合い、その最後を看取っていく。

「私はルース(患者)を自分の祖母と同じように扱っていた。それ以外のやり方を知らなかったのだ」

 死を前にして、人は何を語るのか。ブロニーがベッドの脇に座って聞いた、5つの後悔の言葉。

1 自分に正直な人生を生きればよかった

「いい、ブロニー。死を迎えようとしている私に約束してちょうだい。どんな時も自分に正直でいること。他人に何を言われても自分の望み通りに生きる勇気を失わないことを」(横暴な夫との辛い結婚生活を送ったグレース)

2 働きすぎなければよかった

「私は怖かったのだ。怯えていた。ある意味、地位が私の価値を決めていた。こうして死を控えてここに座っている今は、良い人間でいることだけで、人生には十分以上だと思っている。我々はなぜ、物質的な成功で自分の価値を計ろうとするのだろう」

「他人にどう思われるかなんて気にしなければよかったんだ。どうして死が迫ってくるまでわからなかったんだろうね」

3 思い切って自分の気持ちを伝えればよかった

「愛している人にはそれを伝えるべきよ。感謝しているというべきなのよ。相手がその率直な言葉を受け止めてくれなくても、期待とは違う反応をしても構わない。伝えたことが大事なんだから」

4 友人と連絡を取り続ければよかった

「日々の生活に流されないで。その人たちの居場所がわからなくならないようにして」「弱いところを見られるのを怖れないでね。私は自分のひどい姿を知られたくなくて、ずいぶんと時間を無駄にしてしまったから」

5 幸せをあきらめなければよかった

「今は1日1日を贈り物のように大切に感じるのよ。いつだって毎日は大切だったんだけど、こうして弱ってからは毎日の暮らしの中にどれだけたくさんのすばらしいことがあるかがわかるようになったのよ」

「人はみなたくさんのことを当たり前だと思いすぎている」

「いい人生だったよ・・・いい人生だった」(長男をベトナム戦争で、長女を交通事故で、次男を心の病で亡くし、愛妻も40代で病死したレニーの最後の言葉)

 最期を迎えた人々が一番大切だと思うのは、愛する人をどれだけ幸せにできたか、自分は好きなことにどれだけの時間を費やせたかだ、と著者は書く。

 これらの言葉を忘れないでいたい。でも自分は、絶対に何かを後悔しながら死ぬんだろうな、と思う。


2018年5月12日

レンタカーと泥付きダイコン


 クルマが売れている。

トヨタが過去最高益を更新した。

でもクルマは、買うより借りるものだと思う。



 去年1年で、レンタカーを102日借りた。夏は2か月借りっぱなし。

いっそ買ったほうがトクかも。

 この辺りの駐車場は月5千円だ。

でもやっぱり、モノを所有するのは怖い。



今とても懇意にしているNレンタカーは、ト〇タレンタカーの半額で借りられる格安レンタカーだ。

この料金だと、ふつうは10年&10万キロ経過した古いクルマを想像する。実際、別の町で借りた同じチェーンのクルマは、ダンパーが抜けて高速道をまっすぐ走れなかった。安さは恐怖の代償だった。

でも近所のNレンタカーは、程度のいいクルマが多い。先日は90キロしか走っていない卸したてを、「最初に使ってください」と貸してくれた。久しく嗅いでいない新車の香りがした。

いったい、これで商売成り立つのか。「残価設定型リースだから・・・云々」と説明してくれたが、何度聞いても仕組みがわからない。

中古を買って廃車になるまで使っても、新車を買って数年使い、残価があるうちに売却しても経費的に差はないという話?

海外旅行でよく使うLCC(格安航空会社)も、ピカピカの新鋭機を揃えていたりする。同じようなビジネスモデルだろうか。

格安レンタカーはガソリンスタンド併設店が多い。近所のNレンタカーも、本業は自動車修理工場。プレハブ小屋を事務所にして、初老の夫婦と娘さんの3人で両方を切り盛りしている。たしかに、副業にすれば合理的だ。

でも365日、朝8時から夜9時までほぼ無休。本当に大変だと思う。

ただでさえ安い料金をさらに値引きし、帰り際には泥付きダイコンやミカンを持たせてくれる。いくら私が、均せば3日に1度は利用するヘビーユーザーとはいえ・・・有難すぎる。

恩に報いるため、利用するごとに最高の評価をアンケートに書き、本部に送っている。「おかげさまで、2年連続優良店として本部から表彰されました」と、娘さんが言っていた。

町から町へ、身軽に引っ越すための借りもの生活。

新車と泥付きダイコンのNレンタカーに魅せられて、引っ越せないまま3年がすぎた。

 この前こんなに長く暮らしたのはどの町だったか。

 レンタカーのために定住しそう。
 



Saigon, January 2018

2018年5月5日

眠り姫の行き先は


 初めて会った女性を乗せて、車のアクセルを踏み込む。

10数分後、ふと助手席を見ると・・・もう寝ている。

駐車場に車を止めても起きない。

「ミホちゃん着いたよ!」

 というと、手と手を合わせて頬を乗せ、もっと寝たいポーズ。

 かわいい。かわいすぎて起こせない。



 ファミリーサポート研修を受けたのが、去年の夏。

 平日の3日間、お母さんたちに交じって乳児の沐浴方法など教わり、支援会員になった。最近、急にサポート依頼が増えて、ミホちゃん(6歳)たち5人の子とつながった。保育所や習い事に送迎したり、公園で一緒に遊んだりしている。

 ダウン症のミホちゃんは、心臓手術という大変な経験をした。お母さんはシフト勤務の看護師さんで、なかなか病院の持ち場から抜けられない。

 初日から車内で爆睡したミホちゃん、どんどん奔放な性格が露わになる。最近は助手席で、アンパンマンの歌に合わせて踊る。託児所や一時支援施設では、スタッフのお姉さんたちの人気者だ。



 小学生のボーイズ3人とも友だちになった。

 去年東京から越してきたタカシ君は、外遊びが大好き。一緒に2時間も鬼ごっこした。私が鬼になり、近くで遊んでいた子にタカシ君の隠れ場所を聞き出したら、すごい剣幕で怒られた。諜報活動は反則らしい。

 この春1年生になったユウト君は、正反対のシャイな性格。放課後は学童クラブと水泳教室と図書館に行き、お母さんが仕事から戻る6時半すぎに自宅へ送り届ける。新しい環境に不安そう。「ぼくがんばってるよ」と背中で語っている。

 4年生のアキラ君は夜の体操教室へ。自宅に送るのは8時ごろになる。



 そして新たに保育所へ送ることになった、ショウ君(2歳)。お母さんは3児の母で、産休と育休を終え何年ぶりかの職場復帰。朝は自宅からバスで駅に向かい、改札口でショウ君を私に預け、新幹線に飛び乗って東京に向かう。

 彼女の会社は社内公用語が英語で、慣らし期間が終わると数億円もの売り上げノルマが待っている。別の大企業に勤めるダンナは、いつも帰宅が11時ごろ。仕事から戻れば、子どもの世話が待っている。



 共働き世帯、ひとり親世帯の慌ただしい暮らしが、子どもを通じて見えてくる。お母さんたちは、仕事と育児で毎日が綱渡りだ。いくら手助けしても、国の子育て支援策やおとなの働き方が変わらなければ、忙しさは変わらない。

 この子たちが親になるころ頃には、少しでもゆとりある社会にしなければ。



※子どもの名前は仮名です


2018年4月28日

要塞町の住人


 米フロリダ州のGated community」を訪ねたことがある。

 周囲を塀に囲まれ、無数の監視カメラが見張る富裕層向け住宅街だ。

「ゲート付き住宅地」というより、まるで「要塞町」。

 遮断機が下りた正門で用件を聞かれ、守衛が住人に確認してやっと入場が許される。海を望む高層階に住んでいた60代女性は、

「以前住んでいた町で、女ひとり外を出歩くのは自殺行為だった。ここでは安心して散歩ができる」

と言いながらも、それほど幸せそうな顔はしなかった。



 出張でハワイに行った時、吹き抜ける爽やかな風に魅せられた。

もしハワイで暮らせるお金があったら、ここは地上の楽園ではないか?

それを確認するため、休暇の1週間をハワイで過ごしてみた。

 そうしたらホノルルの路上も、ホームレスや薬物中毒者が多かった。

 身の危険を感じるほどではなかったが、ここで能天気に暮らすのは無理だと思った。



 バンコクのようなアジアの大都会も、貧富の差はすごい。足や腕のない物乞いが並ぶ歩道橋の下を、東京より多くのベンツやBMWが走っている。

でも個人的には、不思議とアメリカで感じるような居心地の悪さはない。

社会が成長途上で、多くの人がよりよい明日を期待できるからだと思う。



人の幸福に関する研究では、幸せの分岐点は日本で600万円、アメリカで6万ドル。収入が増えるにつれて人の幸福度も増すが、年間所得が600万円または6万ドルを越えると、それ以上幸福度は増えないという。

日米で金額が似ているのが面白い。



また、アメリカで高額所得者への増税案が毎回つぶされるのは、誰もが将来、自分も金持ちになれると思っているからだという。

アメリカンドリームは、どこかに健在だ。



格差社会といわれつつ、日本は海外に比べて、まだ平等が保たれている。

ただそれは、縮小均衡による平等。社会にそこはかとない閉塞感が漂う。

でも人は、他人との比較で生きている。増税や年金の減額でみんなが一緒に貧しくなれば、幸福度は保たれる。

あまりぜいたくは言えない、という気分になる。


Waikiki, Feb 2018

2018年4月21日

にわか仏教徒


アメリカ南部の、ある町でのこと。

巡回中の警官がコンビニ裏を通りがかると、女が自分の腕にヘロインを打っている。

女はハイウェー脇の草むらに暮らすホームレスで、臨月だった

現行犯逮捕を覚悟した女に、警官はとんでもない申し出をした。

「あなたはその子を育てられるのか? 私が養子にして育てよう」。

やがて生まれた赤ちゃんに「希望」と名付けて、我が子同様に育てているという。

CNNの取材に答えて、その警官ライアン・ホーレッツ氏は言っている。

「これまで何度も、助けたいのに助けられない状況に出会ってうんざりしていた」「今回ばかりは『やりなさい。君にはできる』と神に言われた気がした」

路上で暮らす薬物中毒者の子を養子にすることを、妻も賛成したという。

我が家の最寄り駅にも、30代に見えるホームレス女性がいる。氷点下の冬を乗り切り、今朝もミスタードーナツ前で布団にくるまっている。

もし彼女のおなかが大きかったら、やがて生まれる子を養子に迎える度量が、自分にはあるだろうか。

ホーレッツ巡査の行為は、常軌を逸しているように見える。キリスト教への信仰がそうさせるのか。アメリカ人はこの話を、心温まるエピソードとして普通に受け止めるのだろうか。

 

 この話、CNNニュースを集めた月刊の英語教材で出会った。

 私の英語のヒーローは、アフガニスタンで出会ったジャワット君。貧困と内戦の地で、雑音だらけのBBCラジオで英語を独習し、外国メディアの通訳になった。便利な教材を買える私は恵まれている。

 CDを聞き流すだけでは上達しないので、テキストを何度も音読する。トランプ大統領の英語は、単語が中学生レベルで話し方もゆっくり。聞き取れてうれしい。でも音読すると、なぜか気が滅入ってくる。

その点、ホーレッツ巡査の話は気分が乗った。

CNN花形記者の抑揚を真似しながら、精いっぱいの滑舌で繰り返し音読した。

すると洗濯ついでに通りがかった妻が、

「また念仏が始まった」

 と言い残し、去って行った。

 念仏・・・

 そうか私は仏教徒か。

 だからホーレッツ巡査になれなくてもいいんだ。



Honolulu, February 2018

2018年4月14日

ジャングルで何が


 政府の遺骨収集団と一緒に行ったパプアニューギニアで、元日本兵のIさんに会った。

 日本から5000キロ離れた地で3年余戦い、20人に1人しか生き残れなかった地獄の戦場、ニューギニア。今なお、日本兵10数万人の遺骨が眠る。

 熱帯のジャングルで何があったのか。1週間寝食をともにしても、Iさんは「私は司令部付の兵隊だったので恵まれていました」というだけ。

最後まで自らの体験を話すことはなかった。



「日本軍兵士」 吉田裕著 中公新書

 戦後生まれの研究者が書いた太平洋戦争の現実。「約230万人といわれる日本軍将兵の死は、実にさまざまな形での無残な死の集積だった」(本書より)

まず、戦没者の実に61%が餓死だったという推計が紹介される。

米潜水艦の攻撃で1000隻以上の輸送船が沈められ、補給もなくニューギニアやフィリピン、ビルマの山中に置き去りにされた兵士たち。マラリアの高熱で体力を奪われ、わずかな食事も薬も受け付けなくなって死んでいった。

ニューギニアからの生還者は、栄養失調独特の土色の肌が人並みに戻るまで5年かかったという。

輸送船ごと海に沈んだ、溺死を含む「海没死」も36万人。せっかく波間から救出された兵士も、やがて腹部が膨れ、腹痛を訴えながら死んだ。

味方駆潜艇の対潜爆雷攻撃で、肛門に水圧を受けて腸が破裂したのだ。

ニューギニアに向け出港する前日の輸送船内では、極度の不安による発狂者が続出したという。

戦場で傷つき、歩けなくなった兵士には自殺が強要された。

「武器を持っていない者には小銃を貸すか手榴弾を与え、ちゅうちょすれば強制し、応じなければ射殺した」

 傷病兵に薬物を注射して「処置」することもあった。

「おい衛生兵!きさまたちは熱が下がるなんぞいい加減なことをぬかして、こりゃ虐殺じゃないかッ」(元兵士の手記より)

 部隊内でのいじめもまた、すさまじかった。新兵たちは、古参兵からの「体が吹き飛ばされ、顔が変形するほどの激しい殴打」に苦しんだ。太い棒で打ちすえられ、「明らかに撲殺」だった若い兵の死も、戦病死として処理された。

 あの時、なぜIさんが多くを語らなかったのか。読んでいて、その気持ちが理解できた。

国家は国民の命をないがしろにする。東日本大震災で原発事故が起きた時の政府の対応から、この事実が改めて確認されたと私は思う。

そして現代の、いじめを苦にした児童生徒の自殺や、会社でのパワハラ・過労死・過労自殺。人に死を強要する日本軍という組織の闇は、いまも形を変えて残っていると思った。


2018年4月7日

ヨーコさんは、lovevietnam


 記者時代の海外取材では、あちこちで在住日本人のお世話になった。

 インド・コルカタでは一緒にスラムを歩き、南アフリカ・ケープタウンからはともに喜望峰を目指した。セネガル・ダカール郊外のバオバブの森で日の出を迎え、トルコ・イスタンブールのアパート屋上で張り込みをした。

 ほとんどが女の人だった。まさかと思うような場所にも、必ず日本女性が住んでいた。とても助けられた。

 バンコク駐在時代、ベトナム出張ではヨーコさんにお世話になった。だが彼女も私も帰国し、最近はメールのやりとりも途絶えていた。

 会社を辞めて東南アジアを旅していた時、偶然ヨーコさんが書いた記事を地元紙で見つけた。またベトナムに舞い戻っている!

 うろ覚えのメールアドレスを頼りにメッセージを送ると、すぐ返事があった。そしてこの冬、11年ぶりに再会できた。

 サイゴン・タンソンニャット空港の人混みに、「ミヤサカさま」と書かれた紙を掲げて立つ、元気なヨーコさんの姿があった。



「ところであの時、一緒にどんな仕事したんでしたっけ?」「・・・さあ?」
 2人とも記憶にない。11年の歳月。

でもヨーコさん自身が書く記事には、鋭いニュース感覚を感じる。それもそのはず、彼女はバリバリのテレビウーマンだったのだ。

 ニュースキャスターとして活躍する宮崎緑さんに憧れたヨーコさんは、新卒でテレビ局に入社した。だが休暇で訪れたベトナムに魅せられて、「この国の旬を伝えられるのは今だけ」と、せっかく入ったテレビ局を辞めて移り住む。

この突破力。

 途中、帰国して再びテレビ局で働いた時期を挟んで、サイゴン暮らしも今年で13年目。規格外のヨーコさんに、日本の会社員生活は窮屈すぎたみたいだ。

 それでもテレビの世界には、女性であることの働きづらさはなかったという。同じマスコミでも、男社会の新聞社とはずいぶん違う。いまはベトナム通のフリージャーナリストとして、取材協力や市場調査などに活躍している。

最近、大学学長を務めるあの宮崎緑さんが、サイゴンを訪問。たまたまヨーコさんが、現地コーディネーターを務めた。

長年の熱い思いを、宮崎さん本人に伝えることができたという。

 そしてその翌年、宮崎さんの大学のベトナム研修旅行をヨーコさんが引率している。

 念じれば通ずる。とてもいい話を聞けた。

 別れ際、ヨーコさんはバイクタクシーに横座りし、さっそうと夕暮れのサイゴンに消えて行った。

 話の端々に感じた、ベトナムへの強い愛。

彼女のメールアドレスには、『lovevietnam』の文字が躍っている。


Saigon, january 2018

かわいいペットがやってくる、かも

  わが大学には「院生室」という、大学院生のための休憩室がある。 修士課程の1,2年生合わせて 12 人で占有できる、なかなか贅沢な空間だ。 でも院生室のドアを開けると、トカゲが床を走り去る。 入り口で靴を脱ぐと、スリッパの中にムカデや蜂が潜んでいるから、要注意。 ...