記者時代の海外取材では、あちこちで在住日本人のお世話になった。
インド・コルカタでは一緒にスラムを歩き、南アフリカ・ケープタウンからはともに喜望峰を目指した。セネガル・ダカール郊外のバオバブの森で日の出を迎え、トルコ・イスタンブールのアパート屋上で張り込みをした。
ほとんどが女の人だった。まさかと思うような場所にも、必ず日本女性が住んでいた。とても助けられた。
バンコク駐在時代、ベトナム出張ではヨーコさんにお世話になった。だが彼女も私も帰国し、最近はメールのやりとりも途絶えていた。
会社を辞めて東南アジアを旅していた時、偶然ヨーコさんが書いた記事を地元紙で見つけた。またベトナムに舞い戻っている!
うろ覚えのメールアドレスを頼りにメッセージを送ると、すぐ返事があった。そしてこの冬、11年ぶりに再会できた。
サイゴン・タンソンニャット空港の人混みに、「ミヤサカさま」と書かれた紙を掲げて立つ、元気なヨーコさんの姿があった。
「ところであの時、一緒にどんな仕事したんでしたっけ?」「・・・さあ?」
2人とも記憶にない。11年の歳月。
でもヨーコさん自身が書く記事には、鋭いニュース感覚を感じる。それもそのはず、彼女はバリバリのテレビウーマンだったのだ。
ニュースキャスターとして活躍する宮崎緑さんに憧れたヨーコさんは、新卒でテレビ局に入社した。だが休暇で訪れたベトナムに魅せられて、「この国の旬を伝えられるのは今だけ」と、せっかく入ったテレビ局を辞めて移り住む。
この突破力。
途中、帰国して再びテレビ局で働いた時期を挟んで、サイゴン暮らしも今年で13年目。規格外のヨーコさんに、日本の会社員生活は窮屈すぎたみたいだ。
それでもテレビの世界には、女性であることの働きづらさはなかったという。同じマスコミでも、男社会の新聞社とはずいぶん違う。いまはベトナム通のフリージャーナリストとして、取材協力や市場調査などに活躍している。
最近、大学学長を務めるあの宮崎緑さんが、サイゴンを訪問。たまたまヨーコさんが、現地コーディネーターを務めた。
長年の熱い思いを、宮崎さん本人に伝えることができたという。
そしてその翌年、宮崎さんの大学のベトナム研修旅行をヨーコさんが引率している。
念じれば通ずる。とてもいい話を聞けた。
別れ際、ヨーコさんはバイクタクシーに横座りし、さっそうと夕暮れのサイゴンに消えて行った。
話の端々に感じた、ベトナムへの強い愛。
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