政府の遺骨収集団と一緒に行ったパプアニューギニアで、元日本兵のIさんに会った。
日本から5000キロ離れた地で3年余戦い、20人に1人しか生き残れなかった地獄の戦場、ニューギニア。今なお、日本兵10数万人の遺骨が眠る。
熱帯のジャングルで何があったのか。1週間寝食をともにしても、Iさんは「私は司令部付の兵隊だったので恵まれていました」というだけ。
最後まで自らの体験を話すことはなかった。
「日本軍兵士」 吉田裕著 中公新書
戦後生まれの研究者が書いた太平洋戦争の現実。「約230万人といわれる日本軍将兵の死は、実にさまざまな形での無残な死の集積だった」(本書より)
まず、戦没者の実に61%が餓死だったという推計が紹介される。
米潜水艦の攻撃で1000隻以上の輸送船が沈められ、補給もなくニューギニアやフィリピン、ビルマの山中に置き去りにされた兵士たち。マラリアの高熱で体力を奪われ、わずかな食事も薬も受け付けなくなって死んでいった。
ニューギニアからの生還者は、栄養失調独特の土色の肌が人並みに戻るまで5年かかったという。
輸送船ごと海に沈んだ、溺死を含む「海没死」も36万人。せっかく波間から救出された兵士も、やがて腹部が膨れ、腹痛を訴えながら死んだ。
味方駆潜艇の対潜爆雷攻撃で、肛門に水圧を受けて腸が破裂したのだ。
ニューギニアに向け出港する前日の輸送船内では、極度の不安による発狂者が続出したという。
戦場で傷つき、歩けなくなった兵士には自殺が強要された。
「武器を持っていない者には小銃を貸すか手榴弾を与え、ちゅうちょすれば強制し、応じなければ射殺した」
傷病兵に薬物を注射して「処置」することもあった。
部隊内でのいじめもまた、すさまじかった。新兵たちは、古参兵からの「体が吹き飛ばされ、顔が変形するほどの激しい殴打」に苦しんだ。太い棒で打ちすえられ、「明らかに撲殺」だった若い兵の死も、戦病死として処理された。
国家は国民の命をないがしろにする。東日本大震災で原発事故が起きた時の政府の対応から、この事実が改めて確認されたと私は思う。
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