2016年2月8日

不機嫌なカーナビ


 土地勘のない外国で運転するとき、カーナビは強い味方になるはずだ。

タイでレンタカーを借りた際、カーナビも借りた。後付けのカーナビを、係が運転席のフロントガラス正面にマグネットで取り付けてくれた。

 本当に目の前だ。タイのドライバーは、こうやって運転するのだろうか。

 しかし・・・これでは前が見えない。彼が去ってから、隅の方に装着しなおす。すると運転中、何度も振動で足元に落ちてしまった。

 さて今晩のホテルを目的地に入力しようとすると、まず登録されていない。

住所で探してみる。タイ語の地名は、ローマ字表記すると何通りもスペルがある。いろいろスペルを替えてみてもヒットしない。

あきらめて、あらかじめ登録されている市役所などを当面の行き先にした。

途中で気が変わり、クメール時代の遺跡に寄ることにした。脇道に入ると、日本のカーナビなら、最終目的地までの経路を再計算してくれる。ところがこちらのカーナビは、しばらく沈黙した後に「 Impossible!  Make U-turn! 」と連呼しはじめた。ヒラリー・クリントンを思わせる、低い女性の声だ。

市民の意向を無視して我を通そうとする。カチンときて、スイッチを切る。

すると何日かして、今度は勝手に電源が切れるようになった。肝心な場面で寡黙になる。彼女の機嫌を損ねたか。どうも、電源コードの接触不良らしい。指で押さえると復活する。

旅の後半、右手でハンドルを握りながら、左手でカーナビを押さえて走った。

それでも、現在地がわかるだけでもありがたい。タイ北部チェンマイでレンタカーを借りたときも、事前にオプションで注文した。

ところが、車内にカーナビが見当たらない。スタッフに指摘すると「契約に含まれていない」「別途つけるなら1日240バーツ必要」という。

おかしい。確かにカーナビ代も払っているはず。私の思い違いだろうか。

今回は田舎道だからいいか、とそのまま出発した。結果、どんな小さな町でも必ず道に迷い、ホテルにたどり着くまで1日平均30分は右往左往した。道行く人に聞きまくり、タイ語の練習にはなった。

改めてレンタカー会社との契約内容を見直すと、確かにカーナビ代を払っている。

最終日。車を返却し、「カーナビ代を払っているのにカーナビなしの車だった」とクレームをつけた。シラを切るつもりなら、断固戦ってやる。

若い男性スタッフは、しばらく端末をいじると「オ~オオ」とつぶやき、女性上司にタイ語で何か言った。すると上司も「オ~オオ」と言い、にっこり笑った。

タイ人と話すと必ず出くわすこの「オ~オオ」、アメリカ人の「Oh!」とは似て非なるもので、感嘆詞ではあるが、本人はあまり驚いていないことが多い。

「OK、カーナビ代は払い戻します。口座に入金されるまでひと月かかります」。

ここで怒ると、かえって事態が悪化することは経験で知っている。久しぶりに、カーナビがない時代のドライブを経験できてよかった。

次回はA社でなく、H社の車を借りよう。でもどんなに国際ブランドでも、ここがタイである限り、また同じ目に遭う気がする。


2016年2月2日

ドバイ空港ターミナル2


ミャンマーで珍しいエアラインに乗ったが、以前もっとすごい航空会社を使っている

2005年から07年にかけて、何度かアフガニスタンに出張した。中東の玄関口ドバイから首都カブールへは、アフガニスタン国営アリアナ航空、同民営カム・エア、国連機、以上3つの選択肢があった。

アリアナ航空は唯一、ネット予約ができた。でもeチケットではなく、数日後に国際宅配便で紙の航空券が届く方式なので、急な出張には使えない。まともな航空会社からは引退した、旧式のボーイング727やエアバスA300を飛ばしている。

最後にアリアナ航空に乗った時は、トルコの民間機を乗員ごとリースしていた。さすがは世俗的イスラム国家トルコで、客室乗務員は半袖とミニスカートの女性たちだった。一方でアフガニスタンは、女性を頭のてっぺんからつま先までブルカで覆う厳格な国だ。乗客のアフガン男性たちには、ちと刺激が強すぎないか。

 案の定、全員の目が通路を歩くCAの足にくぎ付け。驚愕の表情を隠さず、全身硬直していた。

カム・エアは、地元の金持ちが経営している。飛行機は最新鋭の737-800型などで、これもトルコから乗員ごとリースして使っている。HPにアクセスすると、ネット予約が「coming soon」とあり期待したが、結局は帰任するまで「coming soon」のままだった。

ドバイに着くと、市内にあるカム・エアのオフィスへチケットを買いに走った。時間がない時は、ドル札を手に直接、空港のカウンターで交渉する。満席のことも多く、毎回スリリングだった。

国連機は、United Nations Humanitarian Air Services(UNHAS)が運営する。週2便しかなく、主にカブールからの帰りに使った。UNHAS事務所の横柄な対応さえ我慢すれば、空いていて予約は取りやすい。親方国連の殿様商売で、料金はアリアナ航空やカム・エアの2倍した。

国連機だ、と期待して乗り込んでみると、やはりトルコやヨルダンの民間機をリースして使っている。何のことはない。結局、どこを選んでも借り物の飛行機だ。

カブール駐在の国連日本人職員いわく、彼らはアリアナ航空やカム・エアには乗ってはいけない規則だという。実際、カム・エアはカブール近郊の山中に墜落。アリアナ航空もドイツの空港で滑走路をオーバーランし、EU出入り禁止になった。

ドバイからのカブール便は、どれも早朝発。午前6時からの1時間に、相次いで出発していく。巨大で未来的なドバイ空港ターミナル1ではなく、タクシー運転手さえ場所を知らない、場末の雰囲気漂うターミナル2から発着した。

小さく暗いターミナル2からは、イラク便も出る。電光ボードにはカブール行、「タリバンの本拠地」カンダハル行と並んで、バグダッド行やバスラ行の文字が並ぶ。なかなかの迫力だ。

イラク便の搭乗口に行列するのは、丸太のような腕に入れ墨をした、迷彩ズボン姿の白人男。民間軍事会社に雇われた兵士や、軍需物資を運ぶトラック運転手らと思われる。

我がカブール便の乗客には、NGOや国際機関で働く女性もちらほら混じっている。バグダッドに比べれば、まだ安全な場所と言えそうだ。

少しだけ心が和んだ。


2016年1月31日

宝石の塊エアライン


 改革開放が進む「最後のフロンティア」ミャンマー。今回は最大都市ヤンゴンと、最後の王朝が置かれた古都マンダレーに行くことにした。

 ヤンゴン~マンダレー間は約600キロ。この区間には国営ミャンマー航空をはじめ、エア・パガン、エア・マンダレー、ヤンゴン航空、エア・カンボウザ、エイジアン・ウィングス、FMIエアチャーター、マン・ヤダナボン航空、ゴールデン・ミャンマー航空など10社あまりが飛んでいる。

 航空自由化は、日本を追い越しているかも知れない。

 ところが会社名で検索すると、いかにもウィルス感染しそうな、怪しげなサイトに行きつく。予約方法が現地への電話だけだったり、メールを送っても返事が来なかったり。あまりやる気が見られない。

いくつかのサイトは、リアルタイムで空席状況が確認できる。一見信用できそうなのだが、カード決済の途中でフリーズしてしまう。ガイドブックには「某国営航空は危険」などと書いてある。

 日本からの予約をあきらめ、現地に向かった。

 ヤンゴンではまず、滞在したホテルのツアーデスクへ。マンダレー行きは早朝と夕方の2便だけ、と不便なフライトしか紹介してくれない。市内で別の旅行会社に飛び込むと、「どの便も一律145ドル」と吹っ掛けられる。

結局、ホテルのロビーで再びネット検索する。

 比較的まとも、と口コミサイトにある「マン・ヤダナボン航空」を選び、遅いwifi にハラハラしながらネット決済。またフリーズか、と不安になるほど待って、やっと購入完了画面が現れた。

 マンダレーに発つ前日、航空会社から「定刻を80分後に変更します」とメールが入る。当日、空港ゲートでさらに30分の遅延を伝えられる。乗り込んでからは、離陸の順番待ちなどで時間を食い、結局マンダレー着は当初予定の2時間30分後になった。

 文句を言う気は起きない。無事に着けてよかった。

 乗客は、ノースフェイスのダウンジャケットにトレッキングシューズ姿の白人団体客、オレンジの法衣を身にまとい「ビルマの竪琴」を思わせるお坊さん、色鮮やかな布を頭に巻いたパオ族のおばさんたちなど、多士済々。大きな瞳の古典的美人CAが、あめ玉や軽食を配ってくれる。小さなプロペラ機で低い高度をゆっくり飛び、乾燥したミャンマー中部の大地をよく見渡すことができた。

 「ヤダナボン」というのは19世紀、時のミンドン国王が名付けたマンダレーの別名で、宝石の塊という意味だという。マンダレーを拠点に飛ぶマン・ヤダナボン航空が、10社以上の競争を今後も勝ち抜いていけるのか。かなり怪しい。

とりあえず、手元の搭乗券とバゲージタグは大事に取っておこう。


2016年1月24日

職業を気にする国②


 新聞紙上でインド連載が始まると、インド大使館に通い詰めた。①書類提出、書記官との面接 ②招聘状発給、ビザ申請と手数料の支払い ③パスポート預け ④パスポート受け取り。インド出張が決まるたび、4回ずつ大使館に足を運んだ。

渋滞したバンコクを大使館まで行き、長蛇の列に並ぶ。さすが「悠久のインド」、ビザ申請窓口にも悠久の時間が流れていて、いっこうに順番が来ない。対応ぶりは傍若無人で、書類に不備があると邪険に突き返された。

 そして面接では、書記官から詳しく取材目的を聞かれる。ある時、担当書記官のクマール氏に「今回は人気女優のマリカ・シェラワットをインタビューしますよ」と話すと、「マリカのナマ写真をくれるなら、次から特別扱いでビザを発給する」と真顔で言われた。

出張から戻り、大きく伸ばしたマリカの写真を手にインド大使館に行くと、クマール氏はすでに異動していた。

帰任直前になって、インド大使館のビザ・セクションが、古びた一軒家からモダンなビルに移転した。明るいガラス張りになった窓口では、制服姿の若い職員が打って変わってきびきびと対応し、書類の書き方も親切に教えてくれる。整理券の発行は手書きから機械式に替わり、待ち時間が激減した。

これからは外国人を受け入れよう、という意思のようなものを感じた。

インドの隣国パキスタンの取材ビザは、当初とても簡単に取れた。申請書さえ出せば、翌日には面接なしにビザが出て、しかも無料。開かれた国に思えた。

それがインドとは逆に、日を追って審査が厳しくなった。特にブット元首相の暗殺後は、訪問目的によっては発給を拒否される。ビザが出る場合でも、滞在日数と訪問都市を厳しく制限される。

もとより治安が安定しないので、ビザを申請に来る人は少なく、窓口はいつも閑散としていた。当時のパキスタンは世界との交流をなくし、孤立していくように見えた。

そしてミャンマー軍事政権も、何かを見せたい時しか取材ビザを出さなかった。バンコク特派員時代の3年間で入れたのは、独立記念日の軍事パレードと、新首都ネピドー完成時の2回だけ。飛行機で1時間の距離なのに、近くて遠い隣国だった。

今回晴れて自由の身となり、ミャンマー行きの飛行機に乗る。




2016年1月21日

職業を気にする国①


 ミャンマーへ行くことにした。

 新聞記者をしていた頃、個人でミャンマーに入るのは意外に大変だった。「ミャンマー国内で取材活動をしない旨の誓約書」に、会社の休暇証明書までつけて出さなければならない。行きたいと思いながら、何となく足が遠のいていた。今はもう何の気兼ねもいらない。

 ところが、いくら会社を辞めたと言っても、パスポートには各国のジャーナリストビザが残っている。「辞めたという証明書を出せ」などと言われたら面倒だ。

 そこで、今回は周到に準備した。パスポートを新品にして証拠を消した上で、日本より審査が緩いバンコクのミャンマー大使館に出向いた。

正門近くに駐車したワンボックス車の中では、便利屋さんが顔写真撮影やパスポートのコピー、頼めばビザ申請書の代筆までやってくれる。ここではパスポートとお金さえあれば、簡単にビザが取れるようだ。

 申請書をめくると、現在の職業と過去の職業それぞれ、仕事内容、職位、在職期間まで詳細に申告する欄がある。ずいぶん人の職業にこだわる国である。

 いままでは、正式に取材ビザを取って入国する場合は photojournalist とか staff photographer。観光ビザで仕事をしてしまう場合は office worker などと書いていた。これからは何と書こうか。

freelance では正体不明すぎる。retiree ・・・この歳で? invester も怪しまれそう。unemployed かえって面倒なことになる。NPO staff  真実だが、これにも説明が必要そうだ。

 去年の実態を正確に書けば「労働時間が長かったのは福祉関係と教育関係で、収入が多かったのは投資と失業給付」になる。そのまま申告して、果たして先方はどう思うだろうか。

 結局、elementary school english teacher ということにした。ウソではないし、まともな人に見られることがこの際、最重要。その割には英語が下手だ、と入国審査で突っ込まれそうだが。

 苦心の末に、申請書を書き上げる。妻の分も、適当に代筆する。欧米人バックパッカーたちと一緒に、1時間以上も行列に並んだ。窓口では特にお咎めなく受理され、2日後には無事、ビザが発給された。

 遊びでなく、仕事で行っていた頃のアジア諸国は、基本的にビザが必要だった。観光客を装い、ビザなしで仕事をしてしまう時もあるが、そうはいかない国もある。バンコクに駐在中は、ビザの取得でいろいろなことがあった。
 (続く)


2016年1月19日

90分間のラオス旅行



 年明けから金融市場が荒れている。今年のNISAは毎月の積み立てをするつもりだったが、安くなったのでいっぺんに投資してしまった。

 FTSE新興国指数       40%

 CRSP米国小型株指数     20%

 FTSE世界小型株指数     20%

 MSCIフロンティア指数    20%

 ちなみにフロンティア市場というのは、クウェートやナイジェリア、パキスタンなど、新興国よりさらに危険、もとい成長力を秘めた国家群だ。

 皆が売っている時に、いちばん値下がりしたアセットを買うのが投資の鉄則とはいえ、心理的に難しい。世界経済と関係なさそうなタイの田舎にいた方が、かえって自分の意志を貫ける。

 幸い、今や東北タイの中級ホテルでもwifiがつながる。夕食後ニューヨークに指値注文を入れ、日本だったら「果報は寝て待て」、そのまま寝てしまう。タイは日本よりさらに2時間時差があるので、ぼんやり端末を見ているうちにNY市場が開いた。その日も世界中のインデックスが軒並み2%を超えて下がり、あっという間に約定した。

 いっけん分散投資をしているように見えて、実は思い切りタマゴをひとつの籠に盛っている。落としたら大変だが、債券投資家は弱虫だと公言している手前、他に選択肢がない。5年か10年放っておけば、値上がりしていると思う。

※昨年のNISAも一昨年のNISAも、現時点ではボロ負けだ。価格変動を友だちにできる人以外、マネしない方がいいです

 この東北タイ旅行中、4日間で3回、ラオスに行った。

メコン川に沿って車で北上すると、いつも右手にラオスの山が見えている。昼頃にドライブを終えて次の町に着くと、ほかにやることがない。暇つぶしがてら、つい国境を越えてしまう。

世界中で人畜無害と思われている日本人観光客は、ラオス入国にもビザがいらない。パスポートに、タイ出入国のスタンプとラオス出入国のスタンプが、きれいに6つずつ12個並んだ。90分間のラオス滞在後タイに再入国すると、イミグレーションの係官がまじまじと私の顔を見つめ、

「ノーグッド、サムライ・・・」

とつぶやいていた。

タイ~ラオス国境のメコン川に近年、日本やオーストラリアなどの援助で4本の橋が架けられた。今回、そのうち3本を渡ったことになる。どの橋も交通量は少なく、税関ものんびりしている。だが、渡った先のラオスは、小さなボートで国境越えした10年前とは激変していた。

何もなかった町なかの広場には市が立ち、まるで白昼夢のようにひと気のない道が車で渋滞している。以前味わった、フランス植民地時代のノスタルジーを期待していたのでがっかりしたが、これが現実だ。

昨年12月31日にASEAN経済共同体(AEC)が発足し、東南アジアのヒト・モノ・サービスの流れは今後ますます活発になるようだ。

思い出の地はそのままでいて欲しい反面、経済成長のおこぼれにも預かりたい。サムライ煩悩だらけ。

2016年1月17日

カウヌン、テムタン!


 東北タイ(イサーン)車の旅も8日目、2000キロを走破して、無事にバンコクに戻ってきた。

 サービスアパートにチェックインした後、AVISの営業所まで車を戻しに行く。つながらないカーナビのせいで曲がるところを間違え、バイクタクシーのおじさんに道を聞く。

 まずい、日が暮れてきた。日差しが強いタイでは市販車でも、日本の暴走族並みに強いスモークガラスが使われている。フロントガラスさえ色つき。昼間はいいが、夜道は実際以上に視界が暗い。車の周囲をバイクの大群に囲まれ、その何台かは無灯火だったりするので、急ブレーキや急な車線変更は危ない。

バンコク名物の大渋滞にはまり、3キロの道のりに1時間半かかった。

 会社勤めの身だったら、「お金を払って車を取りに来てもらうんだった・・・」と後悔していたはずだ。いまは時間だけは豊富にあるので、これもひとつの経験、と余裕をかます。

 タイの道路は、全般に舗装が荒れているから、路面からの振動や騒音が大きい。郊外の空いた道を時速100キロで走る時は、まるで車の耐久テストをしているよう。それさえ目をつぶれば、道は広くまっすぐで、道路標識も過不足ない。助手席はともかく運転者にとっては、日本で2000キロ、青森から鹿児島まで走るより疲れなかった。

 ナコンラチャシマ、ウボンラチャタニー、ノンカイ、ウドンタニー、コラート・・・イサーンを1周した達成感に浸る。ただバンコクからイサーンの入り口までは景色が単調で、交通量が多い。次回はどこか地方都市まで飛行機を使い、田舎道だけを走ろう。

 車の旅では、行きたい時に行きたい場所に行ける半面、人との交流は減ってしまう。運転中に言葉を交わしたタイ人は、警察官とガソリンスタンドのお兄さんたちぐらいだ。

警官と言っても、反対車線を逆走してお世話になったのではない。

タイ・ラオス国境に沿って走った数日間、頻繁に検問があった。3回に1回の割合で、停止して運転免許証の提示を求められた。「韓国人?中国人?ああ日本人か。日本語でサワディーは何て言うの?カニチハ?コニチハ?コニチハ!」何のことはない、我々は単なる暇つぶしの相手だ。しかも日本はやっと3番手らしい。

ガソリンスタンドでは毎回、手のひらを下から首まで持ってきて「すりきり満タン」と理解してもらった。でもいつまでも、タイ人のカンの良さに甘えてはいられない。最後に給油した時、その数十秒さえ惜しんでベンチで居眠りするお兄さんを起こして、タイ語を教わった。

 「レギュラー、満タン!」は、「カウヌン、テムタン!」と言うそうだ。

 カウヌンはタイ語の91。オクタン価91のガソリンを満タン、という意味だ。

 やっと覚えたこのフレーズ、次に車を借りる時は、たぶん忘れている。


快適すぎるインド旅行

  大学院入学を控えたこの春、卒業旅行と称して南インドを旅した。 旧フランス領のポンディシェリ、旧ポルトガル領コーチン、同ゴアなど「インドの中の西洋」を巡り、1日3 食、朝からカレーを食べ続ける旅。 この辺りのカレーは「ケララカレー」といって、ココナツベースで甘みがある。...