改革開放が進む「最後のフロンティア」ミャンマー。今回は最大都市ヤンゴンと、最後の王朝が置かれた古都マンダレーに行くことにした。
ヤンゴン~マンダレー間は約600キロ。この区間には国営ミャンマー航空をはじめ、エア・パガン、エア・マンダレー、ヤンゴン航空、エア・カンボウザ、エイジアン・ウィングス、FMIエアチャーター、マン・ヤダナボン航空、ゴールデン・ミャンマー航空など10社あまりが飛んでいる。
航空自由化は、日本を追い越しているかも知れない。
ところが会社名で検索すると、いかにもウィルス感染しそうな、怪しげなサイトに行きつく。予約方法が現地への電話だけだったり、メールを送っても返事が来なかったり。あまりやる気が見られない。
いくつかのサイトは、リアルタイムで空席状況が確認できる。一見信用できそうなのだが、カード決済の途中でフリーズしてしまう。ガイドブックには「某国営航空は危険」などと書いてある。
日本からの予約をあきらめ、現地に向かった。
ヤンゴンではまず、滞在したホテルのツアーデスクへ。マンダレー行きは早朝と夕方の2便だけ、と不便なフライトしか紹介してくれない。市内で別の旅行会社に飛び込むと、「どの便も一律145ドル」と吹っ掛けられる。
結局、ホテルのロビーで再びネット検索する。
比較的まとも、と口コミサイトにある「マン・ヤダナボン航空」を選び、遅いwifi にハラハラしながらネット決済。またフリーズか、と不安になるほど待って、やっと購入完了画面が現れた。
マンダレーに発つ前日、航空会社から「定刻を80分後に変更します」とメールが入る。当日、空港ゲートでさらに30分の遅延を伝えられる。乗り込んでからは、離陸の順番待ちなどで時間を食い、結局マンダレー着は当初予定の2時間30分後になった。
文句を言う気は起きない。無事に着けてよかった。
乗客は、ノースフェイスのダウンジャケットにトレッキングシューズ姿の白人団体客、オレンジの法衣を身にまとい「ビルマの竪琴」を思わせるお坊さん、色鮮やかな布を頭に巻いたパオ族のおばさんたちなど、多士済々。大きな瞳の古典的美人CAが、あめ玉や軽食を配ってくれる。小さなプロペラ機で低い高度をゆっくり飛び、乾燥したミャンマー中部の大地をよく見渡すことができた。
「ヤダナボン」というのは19世紀、時のミンドン国王が名付けたマンダレーの別名で、宝石の塊という意味だという。マンダレーを拠点に飛ぶマン・ヤダナボン航空が、10社以上の競争を今後も勝ち抜いていけるのか。かなり怪しい。
とりあえず、手元の搭乗券とバゲージタグは大事に取っておこう。
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