2015年1月18日

Je ne suis pas Charlie...②


パリの連続テロ事件が起きたのは、バンコクでテレビのあるアパートに住んでいた時。ついチャンネルを回してしまった。CNNでは犯人が路上で市民を射殺する瞬間や、警官隊が容疑者を撃つ瞬間(正確には0.1秒前まで)の映像が流れていて、衝撃的だった。

事件後すぐ、レピュブリック広場に” Je suis Charlie” と紙に書いた大勢のパリ市民が集まった。数日後にはレユニオン広場などに数百万人が集まったという。その迅速な行動ぶりに、さすがはパリ市民と思った。でも今は少し考えが違う。

Charlie Hebdo の風刺画をネットで見ると、まあ品のないこと。預言者ムハンマドがこれ以上ないほど醜悪に描かれている。政治家は思う存分デフォルメし、風刺すればいい。でも彼らのどこに、人さまの宗教を悪く言う資格があるのだろう。自分が信じ、仕える宗教を悪しざまに言われて、どんな気持ちになるか。想像力の欠如というより、他者への配慮がなさすぎる。「言論の自由」のはき違えだろう。

度を越えた風刺画を、言論の自由として許す社会、それに反発して極端な行動を起こすアラブ系フランス人。背景には、フランス人(特に生粋のパリ市民)の根深い人種差別感情があると思う。フランス語を話せない人間、フランス語の発音がおかしい人間を、時として人とも思わない扱いをする。小中学校時代の7年弱をパリで暮らし、現地校にも通った私には、パリ周辺に暮らすアラブ系移民の人たちの気持ちが、少しだけわかる気がする。観光旅行でシャンゼリゼを歩いただけでは絶対にわからないパリが、そこにはある。

これが十字軍の時代だったら、どうぞ宗教戦争でも文明の衝突でも、勝手にやって下さいだ。ところが、自分の懐具合がグローバル経済にリンクし、国境を越えることも多い今の暮らしには他人事でない。保護主義やテロ警戒度の高まりは、私にとっては明らかにマイナス。第一、また9.11直後のように、飛行機に乗るたびに靴やベルトまで脱いでバンザイするのは・・・できれば遠慮したい。

この件で “Je suis Charlie” と旗色鮮明にするのは、日本人として賢明でないと思う。玉虫色がいちばん!でも、テロ行為には反対だが、Charlie Hebdo の編集方針にはもっと反対、という意味で、私は小声で “Je ne suis pas Charlie….” と言いたい。


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