パリの連続テロ事件が起きたのは、バンコクでテレビのあるアパートに住んでいた時。ついチャンネルを回してしまった。CNNでは犯人が路上で市民を射殺する瞬間や、警官隊が容疑者を撃つ瞬間(正確には0.1秒前まで)の映像が流れていて、衝撃的だった。
事件後すぐ、レピュブリック広場に” Je suis Charlie” と紙に書いた大勢のパリ市民が集まった。数日後にはレユニオン広場などに数百万人が集まったという。その迅速な行動ぶりに、さすがはパリ市民と思った。でも今は少し考えが違う。
Charlie Hebdo の風刺画をネットで見ると、まあ品のないこと。預言者ムハンマドがこれ以上ないほど醜悪に描かれている。政治家は思う存分デフォルメし、風刺すればいい。でも彼らのどこに、人さまの宗教を悪く言う資格があるのだろう。自分が信じ、仕える宗教を悪しざまに言われて、どんな気持ちになるか。想像力の欠如というより、他者への配慮がなさすぎる。「言論の自由」のはき違えだろう。

これが十字軍の時代だったら、どうぞ宗教戦争でも文明の衝突でも、勝手にやって下さいだ。ところが、自分の懐具合がグローバル経済にリンクし、国境を越えることも多い今の暮らしには他人事でない。保護主義やテロ警戒度の高まりは、私にとっては明らかにマイナス。第一、また9.11直後のように、飛行機に乗るたびに靴やベルトまで脱いでバンザイするのは・・・できれば遠慮したい。
この件で “Je suis Charlie” と旗色鮮明にするのは、日本人として賢明でないと思う。玉虫色がいちばん!でも、テロ行為には反対だが、Charlie Hebdo の編集方針にはもっと反対、という意味で、私は小声で “Je ne suis pas Charlie….” と言いたい。
0 件のコメント:
コメントを投稿