2015年1月11日

プノンペンの民宿カレー


生まれ故郷、カンボジアのプノンペンに里帰りしています。

 「東洋のパリ」と言われた古き良き60年代のプノンペンで生まれ、クメールルージュの粛清を前に命からがら日本に逃げのびた我が激動の人生を想い、滂沱の涙を流す主人公であった・・・

 実は当時の記憶はほとんどないのだが(なにしろ物心ついたのが高校時代なので)、母乳代わりにカンボジアのバナナを食べていたせいか、バナナさえ投げ与えておけば機嫌がいい人間に育ってしまった。大人になり、スマトラの地震で被災地に入ったときは、3日ぐらいバナナしか食べずに取材し、何の問題もなかった。

 今回は8年ぶりの里帰りになる。それ以前は、クメールルージュの指導者を裁く特別法廷の取材などでカンボジアに来ていた。「オオカミに育てられた少女」に会いに、プノンペンから車で10時間かけて北部ラタナキリ州まで行ったこともあった。当時はそんな怪しげな話題でも出張できたのだが、2008年のリーマンショックが世界を、そして日本の新聞社を大きく変えてしまった。「日本には全く影響ない」とのたまった時の財務大臣、誰でしたっけ?

 カンボジアに来たからと言って、特に何もすることがない。キッチン付のサービスアパートを借りてのんびりしている。戸籍謄本に書いてあった出生地「モニヴォン通りのカルメット病院」まで行って、セルフィーしてきた。20年前は廃墟のようだったプノンペンの街並みには高層ビルが出現していたが、大通りを少しはずれるとおじさんが立ちションしている。暇そうにしている人が、バンコクよりさらに多くて嬉しい。

朝のジョギング中、何やらニュースで見覚えのある、側頭部を刈り上げ肥満された方の写真を見かけた。北朝鮮大使館であった。条件反射で緊張してしまったが、入り口に設けられた検問所のボックスの中では、警備要員が机に脚を投げ出して熟睡中であった。カンボジアと北朝鮮の、きわめて良好な関係が伺えた。

 平時はバナナ以外のものも食べる。アパート隣にできたばかりの日本食レストランに入ると、全員カンボジア人のスタッフから「イラッシャイマセ~」と唱和された。カンボジアには外資がどんどん入ってきているが、中国や欧米資本などと伍して、日本も珍しく存在感がある。雄大なトンレサップ川沿いに、東横インそっくりの場違いなビルが建っていると思ったら、ほんとに東横インだった(3月開業予定)。王宮近くには王宮より大きな「イオンモール」がある(昨年オープン)。

日本語のフリーペーパーも、たちどころに3誌見つけた。日本人の多さがわかる。読むと、若い日本人がチャンスを求めてどんどん海を渡って来ているようだ。日本人トゥクトゥクドライバーまでいるという。

ちなみに「イラッシャイマセ~」のカレーライスは、ジャガイモと人参がゴロゴロ入り、田舎の民宿で出てくるカレーみたいでおいしかった。


2 件のコメント:

  1. 熊崎です。ご無沙汰しています。宮坂君、お元気そうでなりよりです。カンボジア生まれだとは知りませんでした。

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  2. 熊崎さん、お元気ですか?拙文にお付き合いいただき、恐縮です。

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