2015年1月7日

バンコクで「住所不定・無職」を楽しむ


早朝ジョギングの後、コーヒーチェーン店でクリームチーズベーグルとカフェラテを注文する。気温は早くも25度を超えた。

店内は空いており、会話の大半が何かの金額で占められている白人ビジネスマン2人、タブレットでメールチェックに余念がない初老の華人夫婦、年齢差がありすぎる白人男性とタイ人妻に子供2人の一家、がぽつりぽつりと離れたところに座っている。

大きな窓から表通りを眺める。正月明けのスクムビット界隈はすっかり喧騒が戻り、車とバイクがひっきりなしに行きかっている。店を通るといつも声をかけてくるマッサージ屋のおばさんが、バイクタクシーで出勤してきた(あの色気たっぷりの誘い方、絶対マッサージだけで終わりそうにない・・・)。ショッキングピンクのど派手なタクシーの脇では、運転手がプラスチックの椅子を持ち出して、もう1時間も手持ちぶさたに座っている。

会社を辞めて、どうしてバンコクに?と人に聞かれる。ひと言でいえば「温まりに来た」ということになるだろうか。日本の冬に比べればこの気候は本当にありがたく、こうして短パンとTシャツでいられる。

でも街を歩いているとしょっちゅう犬の糞を踏みそうになるし(時には人糞も落ちてる!)、インフレと円安でモノは高くなった。たまに食べるとおいしいタイ料理も、唐辛子と砂糖、味の素が大量投入されていて、とても毎食は食べられない(ちなみにここでは日本料理やイタリア料理にも普通に砂糖が入ってます)。市内各所に次々オープンする巨大ショッピングモールに入ってみても、買いたいものが見つからない。

結局今の私には、意味もなくほっつき歩いたり、ぼんやり座って外を眺めたりできる、この街の「緩さ」が何より必要なのだろう。これが東京だと、共働きの夫婦が会社へと出払った白昼の住宅街で、働き盛りの中年男がぽつねんと歩いているだけで怪しまれる。公園で遊んでいる子供に声をかけたりしようものなら・・・かなりの確率で警察に突き出されますね。おお怖い。

成田・仙台・バンコク・福岡。会社員時代に思いもよらない転勤で移り住んだ街は、どこも暮らしやすかったが、その中でも仙台とバンコクが、私たち夫婦が「もう一度暮らしたい街」のトップ2。特にバンコクは、3年間の駐在中は出張ばかりで暮らしたという実感がないので、この機会にじっくり味わってみたい

まず住みたい街に住んでみる。すべてはそれから。

あらかじめ職場と仕事が用意されていたサラリーマン時代とは順番が逆だが、長い人生のいっとき、こういう選択ができることに感謝しながら、しばらくぼーっとしていたい。

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