タイの田舎でネコと遊んで暮らす、という退職前の夢が実現した。
少々行儀の悪いネコで、すぐ食卓やキッチンに飛び乗ってくるという誤算はあったものの、まずまず期待通りの生活だ。
時折吹くさわやかな風、鳥のさえずり、目に映る南国の草花・・・それらを味わうのに、1日の大半を費やしている。
もともと活字中毒気味なので、毎日市場へ英字新聞を買いに行くが、買うだけで満足してしまって読まない。頭の中は空っぽになりつつある。
ところが、せっかく都会から離れてのどかな環境にいるのに、ついインターネットをのぞいてしまう。迷惑メールしか来ていないのに、何度もメールボックスをのぞく。ニュースサイトを当たり、イスラム国による邦人殺害予告を知る。日銀の金融政策決定会合で揺れる株価や為替をチェックする。
こちらで借りているポケットwifi には、21.6Mbps と誇らしげに書いてあるが、この性能、LTEだ4Gだが当たり前の今の日本に比べるとずいぶん遅いのだろう。とにかくウェブサイトの中の画像が、いつまでたっても現れない。動画なんて夢のまた夢。それでも文字情報だけでも、と動かない画面を延々と見てしまう。ふだんネットにつながっていないと不安なほうではないのだが、これも一種の中毒症状か。
タイの地方にいると、日本のネット環境の方こそ特別に思える。東京で働いていた頃、友人たちは路上でも電車に乗っていても富士山頂でも、いつでもどこでもフェイスブックでコメントを交換し、LINEやツイッターでやりとりしていた。乗り物の中でまで動画が見られたり・・・これは実はすごいことなのだ。そしていつの間にか、私たちはその便利さを当たり前と思ってしまっている。だから外国でネットが遅いだけでストレスをためる。
こちらに来るとき(去年の12月)に成田空港で読んだTIMEには、世界人口72億のうち、ネットに接続できない人がいまだ43億人いると書いてあった。その半分は貧困層。インフラとしてはすでに世界人口の85%までカバーできているそうだ。
2007年に仕事でアフガニスタンに行ったとき、きれいなイギリス英語を話すアフガン人の青年ジャワットが助手についてくれた。ラジオでBBCを聞いて英語を独習したのだそうだ。カブールの丘を埋め尽くす泥壁の家々のひとつで、雑音だらけのラジオにかじりついて勉強する彼の姿が目に浮かんだ。
私は日本語のネット空間がそこそこ広いのに満足し、インターネット情報の9割が英語なのを忘れがちだ。米英の一流大学は、講義をネット上で無料公開し始めた。先進国で生まれた子どもだけでなく、たとえインドやアフリカの農村で生まれても一級の教育を受けられる世の中が、すぐそこまで来ている。
遅いネットと格闘しながら英語を学び、スタンフォード大のサイトにアクセスを試みるもう一人のジャワットが、タイ北部にいる私の隣に住んでいるかも知れない。
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