生まれて初めて、ハローワークの扉をたたくことになった。
どんな服装で行くのがふさわしいかで悩む。会社の採用試験ではないので、スーツとネクタイになる必要はないだろう。華美な格好さえしなければいい、と検討をつける。
我が町のハローワークは、城のお堀端にある小さな石造りの建物だ。古めかしく「公共職業安定所」と看板が掲げられている。取材で東京や福岡のハローワークに行った時は、多くの人がずらりと並んだパソコンで黙々と求人案内を見ていた風景が記憶にある。ここでは端末が数台しかなく、だれも使っていない。来ている人たちも、老若男女いろいろ。市役所とあまり雰囲気が変わらないのが少し意外だった。これがもし、自分と同じようなくたびれた中年男ばかりだったら、かなり凹んでいただろう。受付でもらった書類に職歴を書き込み、整理券をもらって面談を待つ。
退職後、会社から「離職票」が送られてきた。一緒に入っていた紙に、「ハローワークでの手続きの際、曖昧なお話をされますと、失業給付金を受けられなくなりますのでご注意ください」と書いてある。ご親切にというか余計なお世話というべきか。とにかく背に腹は代えられないので、頭の中で想定問答を用意しておく。
昼休みから帰ってきたらしい中年の男性職員が、おもむろに面談ブースに座り、私の番号を呼んだ。ひととおり書類に目を通す。やがて「この男は本当に就職する気があるのか」という、人を値踏みするような視線とともに、鋭い質問が次々と飛んできた。
ラオス・ルアンプラバンで |
・・・というようなことは全くなかった。「海外勤務はどちらへ?」「ああタイですか。私はCOCAのタイスキが大好きで、銀座の店にはよく行ったものです。え?バンコクではMKの方が流行ってる?そうですか、それは知らなかったなあ」といった会話のあと、「じゃあ次は2階の5番窓口にお願いします。あ、車はお持ちですか?この辺で働かれるなら、車はあった方がいいですよ」と言われ、無事終了。まずは受給資格を得られた。
3か月の東南アジア暮らしを終え、帰国した翌日にはハローワークへ。成田空港で乗ったリムジンバスから、首都高湾岸線沿いの殺風景なビル群を眺めているうちに、心のスイッチが切り替わった。どうやら日本という国は、働くか、働く意思を示さないと居場所がなくなるように出来ている。
昨年末の退職と同時に、人口20万ほどの城下町に引っ越した。新しく借りたマンションを、ろくに住まないうちにバンコクへ発った。留守中に料金滞納で電気・ガス・水道が止められていないか、手続きはしたつもりでもかなり不安。玄関を開けて室内を点検する。どうやら大丈夫だ。
まだ引っ越しの段ボール箱が残る室内から、箱根や丹沢など関東近郊の山々が間近に見える。新しい街を探検しながら、これまでを振り返り、これからを考えていきたい。
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