ラオス北部のコテージで昼寝していたら、どこからともなくカウベルの音が聞こえてきた。目をつぶっていると、スイスアルプスの牧草地にいるのかと錯覚する。それにしてはプルメリアの香りが鼻孔をくすぐる。目を開けると、やはり周囲は針葉樹ではなく熱帯の木々だ。
バルコニーから見下ろすと、樹間を見え隠れしながら近づいてくるのは、乳牛ならぬ水牛の家族だった。一家の長らしい黒々とした牡牛が、立派な角を頭にのせて先頭で歩いてくる。
一週間前にバンコクでタイ語を習っていた時、20代の女の先生が「水牛はカワイイ」と言っていた。このいかつい顔のどこがかわいいのかと思うが、小さな耳を盛んに振り回しながら歩いていて、唯一該当するとしたらこの耳だ。
翌朝、バルコニーの下を流れるメコン川支流の河原に、また動物を発見。目を凝らすと、ゾウの親子だ。一瞬、わが目を疑った。
ここは辺境の地と言っていいと思うが、さすがに野生ではないはず。近くに孤児のゾウやけがをしたゾウの保護施設があるので、そこのゾウだろう。それにしても、全くの放し飼い状態。東南アジアは飼い犬も飼い水牛も飼いゾウも放し飼いだ。
ゾウは親子で黙々と道草を食っている。長い鼻を伸ばしては、枝ごと根こそぎにする。近くに寄って写真を撮っていると、私に興味を示した子ゾウが近づいてきた。鼻息で威嚇してくる。
「子ゾウは人間の怖さを知らないから、逃げた方がいいよ」
人声に振り返ると、いつの間にか2隻のカヌーが音もなく川面を近づいてきていた。ラオス人が、私に英語で警告してくれた。
言われなくても逃げる。子ゾウに脅かされて逃げるのも情けないが、見たところ小錦並みの大きさ、私の体重の3倍はありそうなのだ。
昨年12月と今年1月、延べ2週間を過ごしたタイ北部の村も田舎だったが、週末の夜になるとカラオケの歌声が聞こえ、それなりに人の住む気配があった。ここラオスの田舎は日が暮れると、川の対岸は灯り一つない闇に包まれる。車やバイクの音も含め、人工的な物音は一切しない。
こうして東南アジアを3か月近くぶらぶらした後で来ても、本や新聞を開く暇もないほど、この環境に熱中する。会社員時代に休暇でここを訪れていたら、もっと感激したと思う。東京からバンコクまで飛行機で7時間、バンコク~ビエンチャン、ビエンチャン~ルアンプラバンが飛行機で各1時間、最後に車で40分。モノと情報にあふれた都会生活から、これほど何もない場所へのワープは、とてもぜいたくな経験になるはずだ。
会社を辞めたことを、少しだけ後悔した。
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