2015年3月29日

それでも車より安全


 また飛行機事故だ。

 副操縦士がコクピットから機長を締め出し、150人が乗った旅客機をアルプス山中に激突させたという。

 昨年のマレーシア航空機事故では、北京行きの便が突然、夜中に進路を南に変え、オーストラリア沖で消息を絶った。

操縦室の中で、いったい何があったのだろう。

 airlineratings.com というオーストラリアのサイトが、世界の航空会社449社の安全性をランキングしている。上位にはキャセイ航空やエミレーツ、カンタスといった、ちまたでも評価の高いエアラインが並ぶ。

 「世界でもっとも危険なエアライン」も公表されている。ワースト5はアフガニスタンのカムエア、インドネシアのライオンエア、ネパール航空・・・なんと3社まで、前に乗ったことがあった。ほかにもインドネシアのシュリーヴィジャヤ航空やブータンのドゥルックエアなど、私が乗った航空会社が「ワースト」ランキングに名を連ねている。

 ことさらスリルを楽しんでいる訳ではない。仕事の時は、ほかに選択肢がなかった。

バンコク駐在時代、何度もアフガニスタンに出張した。当時はUAEのドバイから国連機、アフガニスタン国営アリアナ航空、同民営カムエアが飛んでいた。

国連機は、国連職員御用達だからと安心して乗ると、実際はトルコやヨルダンの民間機を乗員ごとリースしていることが多かった。週2便しかない上に、切符はアリアナ航空やカムエアの2倍以上した。

日程の都合で、毎日飛んでいる他の2社も使わざるを得ない。アリアナ航空はドイツの空港でオーバーラン事故を起こし、以後EU上空出入り禁止の問題児。カムエアも少し前、カブール近郊に墜落していたが、気にしてはいられなかった。

何度も通っているネパールも、ほんとうに事故が多い。

3年前、秘境ムスタンに行く途中にポカラ~ジョムソン間を飛んだ。ヒマラヤの高峰に囲まれた狭い谷を、山肌すれすれに飛ぶ路線だ。怖いなと思っていたら案の定、数週間後に同じ便が谷に墜落した。

この地域の交通手段は飛行機しかない。何日も歩くのは大変なので、選択の余地なく、帰りも同じ便で帰った。

国内でも異質な事故は起きている。82年の日航機羽田沖墜落事故の際、「逆噴射」「心身症」「機長、何するんですか!」という言葉が流行ったのを思い出す。

それでも飛行機に乗って、どこか自分が知らない街に行くのは、面白くてやめられない。「危険な航空会社ランキング」上位に名を連ねるカンボジア・アンコールエアやラオス航空など、今年もすでに10回飛行機に乗った。

もし変なパイロットに当たってしまったら? その時が私の寿命だ。

2015年3月26日

意外な展開


 週明けの市立病院は、とても混んでいた。

 正面入り口の車寄せに、送迎の車が二重三重に行列を作っている。警備員が必死に交通整理をしているが、高齢者や車いす利用者の乗り降りは時間がかかる。玄関までたどり着けず、90歳のおばあちゃんを車いすのまま福祉車両から路上に降ろし、今度は駐車場に入る行列に並ぶ。

 やっと病院に入ると、待合室もほぼ満員。たとえ診察が終わっても、会計でまた待たされ、3時間かかることもあるらしい。長丁場になるようだ。

 今週から、グループホームで入所者の通院付き添いなどをしている。あまり好きな言葉ではないが、いわゆるボランティア。報酬にこだわらずに、今までのキャリアとまったく違うことをしてみたかった。

最初、受け入れ先をネットで探したが、あまり出てこない。市の社会福祉協議会に電話すると、一度おいで下さいという。

協議会では、ボランティアコーディネーターが応対してくれた。聞くと、おもに60代以上の女性がボランティア登録しているが、パートや孫の世話で忙しく、なかなか時間が取れないという。私のような中年男がのこのこやって来るのは珍しいらしい。

ていねいに希望を聞いてくれるが、私もどんな職種?があるのかわかっていない。とにかく必要とされるところ、私でもお役に立てることがあれば、と伝える。

すると、認知症の高齢者を預かるグループホームを紹介された。「グループホームは面白いですよ~。もしお時間があったら、見に行きませんか~」。あれよあれよという間に見学に行くことになり、そのまま就職?が決まってしまった。

正直に言って、グループホームのどこが面白いのか、想像もつかない。以前は自分も介護関係で働いていた、というコーディネーターの口車に乗せられた。人と人をつなぐのが天職のような女性だった。

グループホームは、自宅から自転車で10分ほどのところにある。ホーム長は布袋寅泰そっくり。介護職に携わる前はバーで働いていた。茅ケ崎に住むサーファーだ。

面談で志望動機を聞かれ、私が「ヒマなので・・・」というと、「正直に言っていただくとこちらも助かります」。ちょっと正直すぎたか。

認知症の人とうまく会話できるか不安。通院などの外出に、スタッフと同行しながら、少しずつ見習っていくことになる。


 病院の待合室で1時間が過ぎた頃。突然スタッフが「あれ?このカード出さなくちゃいけないのかな?」と言い出す。何のことはない、まだ受付が済んでいなかった。いくら待っても順番が来ないはずだ。

つい先ほど「介護業界10数年のベテラン」と聞いた気がする。

 グループホームは面白いって、こういうこと?
ラオス・ナムオー川の夕暮れ

2015年3月22日

ヒンカク論争


 大相撲春場所も千秋楽。横綱白鵬が独走で優勝を決めるかと思ったら、新星・照ノ富士が立ちはだかり、意外に面白い場所になった。

 相撲ファンでもないのに結果が気になる。2年間、専属カメラマン同然だったからか。昨年まで、両国国技館で開かれる3場所のほか、名古屋・大阪・九州場所にも出張していた。

 業務として関わってはいたが、最後まで相撲を好きになれなかった。それでも毎場所通ううちに、不本意ながら、後ろ姿で力士が誰だかわかるようになった。

 取材ではカメラマン2~3人でチームを組み、土俵直下の砂かぶりと2階席に分かれて撮影する。砂かぶりは、至近距離で取り組みを見ることができ、迫力満点。その代わり、たまに体重200キロが転がり落ちてくるので、危険と背中合わせだ。けがをしたカメラマンもいる。

大関琴奨菊のお尻を間近に見てしまうのも、あまりうれしいものではない。痰ツボの近くに座っていたときには、的を外れた勢関の痰をかぶった。

 一方の2階席は、はるか眼下の土俵を望遠レンズで狙う。場内は冬でも暖かく、つい緊張感が緩んで居眠りが出る。特に平日の九州場所は要注意。両国は時間いっぱいになると、観客の盛り上がりでふと我に返る。福岡は観客が少なく、気がつくと取り組みが始まっていることがあった。出合い頭の突き落としで、一瞬のうちに勝負がついてしまい、1枚も撮れなかったことがある。

 大相撲取材で名古屋、大阪、福岡に行くときは、職場で「おいしい出張だな」と言われた。毎日、中入り後の取り組みが始まる午後までは自由時間だ。私は朝、もっぱら熱田神宮(名古屋)、中之島(大阪)、大濠公園(福岡)あたりをジョギングしていた。つい気分よく走りすぎて、仕事が始まるころには早くも睡魔との闘い。まったく本末転倒だ。

 中入り後、番付が上の方になると、登場するのは外国人だらけになる。彼らは国籍を問わず、日本語が達者だ。プロ野球の外国人選手は、何年たってもヒーローインタビューを通訳付でやっている。もし、白鵬が優勝インタビューを通訳付でやったら、横綱審議委員会とやらがかみつくのだろう。

下っ端のうちは、大部屋生活で口に合わないちゃんこを食べ、先輩力士のお尻まで拭かされるという。日本人でも逃げ出す閉鎖的な環境で、彼らは大変な努力をしてきたと思う。

稀勢の里や遠藤が登場すると、日本人だからというだけで、場内に大きな声援が飛ぶ。外国人力士たちの「精進」ぶりを思えば、もっと公平に応援したほうがいい。朝青龍や白鵬に「横綱の品格」を問うなら、観客の品格も問われるべきだ。

 私が好きな力士は北太樹。時間いっぱいなのに大きく伸びをし、眠そうなそぶり。闘争心をむき出しにする力士が多い中で、気合、やる気をまったく見せない。そこがいい。

ラオス北部で

2015年3月19日

ベアでブル


 トヨタがベア4000円、日産は5000円で過去最高額。ボーナスは満額回答。

 久しぶりに帰国したら、ニッポンはやけに景気がいいようだ。

 そもそも「ベア」なんて言葉、不況で10年以上聞かなかった。死語になったかと思っていた。

給料が底上げされる時代の復活。少し前まで、誰も想像していなかったのではなかろうか。

かくいう私は、月末に給料が払い込まれなくなって、もうすぐ3か月になる。何ともむごいタイミングで退職してしまった。

 もっとも、25年間、連続300か月もらいつづけていた月給がなくなり、かなり焦るかと思っていたら、意外に平気なものだ。強がりでなく。

 生活をシンプルにするために、東京を脱出したのが効いている。移り住んだ人口20万の街での毎日は、驚くほどお金が減らない。いつもコンビニATMから3万円ずつ引き出し、財布に入れているが、ここでは東京の2倍も日持ちがする。


カンボジアの古典舞踊「アプサラ・ダンス」
まず、地価や人件費が違うせいか、モノやサービスの値段が安い。昨日は髪を切ったが、駅周辺の理容室3軒ともカット代1000円だった。前回切ったバンコクより安い。

そのうえ、大都会の消費社会から外れ、お金を使わせようという誘惑が少ない。早い話、身の回りに買いたいモノがない。

また、会社勤めで発生する「ストレス消費」がないのも大きい。去年まで毎晩飲み歩いていた訳ではないし、衝動買いが多かったつもりもないが、何やかやと散財していたようだ。

職場が銀座にあった一昨年、毎日のランチに社員食堂はほとんど使わなかった。同僚と一緒に、今日はインド料理、明日はイタリアンと食べ歩き。いま思えば、これも一種のストレス消費だった。

私がいた新聞業界も賃上げできるかというと、少し疑わしい。私の古巣も、ライバル紙の従軍慰安婦報道の失態に乗じてシェアを伸ばしているかと思ったら、一緒になって発行部数を減らしている。消費増税のダメージが大きい。

もうかっている自動車メーカーあたりから広告収入が入って、元同僚の懐も潤うのを願っている。そうすればおごってもらえるし。

ところでこの賃上げニュース、私だけ蚊帳の外なのは寂しい。国際分散投資のセオリーに則って、確定拠出年金などの一部は日本株に投資している。みんなの給料が上がって景気がよくなれば、私の持ち株も値上がりするかも知れない。


リタイア後 ブルかどうかは ベア次第


2015年3月15日

新しい職場で


 25年間働いた会社を辞め、同時に東京から地方都市に引っ越し、片付けもそこそこに今度は東南アジアに渡り、そして3か月後に帰国した。

日本に戻ってきたという実感はあるが、自分の街に帰ってきた気はしない。かといって、まだ旅の途中、という気分でもない。暑季が始まり、最低気温が25度を超えてきた街から、春とはいえ最高気温が10度そこそこの街へ移り、気候にもまだ慣れていない。

 新しい住まいは、畑と隣接したマンションの3階。北向きの洋室に机とイスを据え、念願の書斎を作った。ここを勝手に新しい職場に見立てて、毎朝食後、リビングから徒歩18歩の通勤をしている。

窓からは、住宅街の彼方に標高1000メートル級の山々が望める。見晴らしに満足して振り向けば、本や衣類、未整理の段ボール箱、月1回しか回収してもらえない「燃えないゴミ」の入った袋、などが乱雑に散らかっている。できるだけ机に向かい、後ろを振り返らないようにする。

新しい「職場」で何をしているかというと、生産的なことは全くしていない。確定申告の電子申請をしたり、確定拠出年金(DC)を会社から個人に移す手続きをしたり、企業健保を国民健保に切り替えるタイミングを調べたり。時間はたっぷりあるからいいようなものの、ペーパーワークの連続にはうんざりする。サラリーマンをやめて自立するということは、格段に雑用が増えることと自覚した。

それにしても、役所が作る書類やウェブサイトは、どうしてこんなにわかりにくいのか。重要なことと枝葉末節が、抑揚もなく同じ調子で並べてある。加えて、私に言わせれば、ネーミングが絶望的に下手くそだ。

「国民年金」と「国民年金基金」がまったく別物である件、今回初めて知った。DC移管の手続きで、まずここに引っかかり、書類が返送されてきた。書き直して再送すると、今度は口座引き落としの銀行で引っかかり(シティバンクはだめだそうだ)、また返送、書き直し。ダメ出しをするのは国、移管先は民間企業なので、書き直すための用紙は、そのたびに電話で請求しなければならない。私が事務処理能力に欠けるせいもあり、いつまでたっても終わりそうにない。

自分で税金関係の手続きをしていると、サラリーマン時代は感じなかった「重税感」をたっぷりと味わうことが出来る。収入がゼロなのに、住民税が月7万円、健康保険が月6万円、国民年金が月3万円・・・。前年度の収入をもとに計算されたり、これまで会社と折半して払っていたのが全部自分持ちになったり、そして私が会社人生における収入のピークで辞めたのも一因とはいえ・・・

これから1年ぐらい無収入を続け、来年はたっぷり「軽税感」を味わいたい、という誘惑に駆られる。
ラオス北部で

2015年3月12日

基本的犬権の確立


 久しぶりに帰国して、新鮮に感じた光景がある。「犬がちゃんとつながれている」ことだ。飼い主とリードでつながり、程よい距離を保ちながら歩道の端を歩いている犬なんて、バンコクにはいない。驚愕に値する。

 この冬に訪れた、バンコク、チェンマイ、プノンペン、ビエンチャンといった街では、犬は路上に放し飼い。夜、街灯のない暗がりでボロ布のようにうずくまる犬を、何度踏んづけそうになったことか。

それだけならいい。天下の公道を歩く人さまに向かって吠えるのはどういうことか。バンコク東部のアパートに滞在していた時、入り口を出てすぐのところに、5~6匹の大型犬がたむろしていた。通りがかるといつも、唸り声をあげながら寄ってくる。おかげで出かける時は、敷地内からトゥクトゥクやバイクタクシーに乗っていた。噛まれたら狂犬病で死ぬかも、と思うと、とても怖い。

 犬といえば、会社を辞める前の2年間、私は夕刊「ペット面」担当カメラマンだった。作家や俳優、スポーツ選手などの自宅におじゃまして、ペットとの交遊を撮影する。ペットと一緒にいる時の飼い主は、とてもリラックスした表情になる。撮っていて楽しかった。

少しは苦労もあった。俳優・前田吟さん宅のチワワには、よほど嫌われてしまったと見え、2時間吠えられっぱなし。撮影が終わってからも、しばらく耳がガンガン鳴っていた。また、中にはペットをアクセサリーのように扱う人もいた。できるだけ親密な関係を撮る努力をしたが、読者には見抜かれていたと思う。

それでも、出会ったほとんどの人が、筋金入りのイヌ・ネコ好きだった。「セクシー女優」杉本彩さんは、京都市内のマンションに猫10匹、犬3匹と暮らしていた。みな、飼い主に捨てられたものばかりという。ネコエイズで四肢麻痺の猫も引き取っていた。

漫画家のハルノ宵子さんは、おしっこうんこ垂れ流しの猫を墓地で拾ってきた。社会運動家のイメージがある池田香代子さんも、それはそれは愛情こまやかに、年老いた愛犬のシモの世話をしていた。

 家族の一員か、それ以上の扱い。それが日本だ。だれが飼い主かも判然としない東南アジアとは、ペットとの接し方が根本から違う。

ちなみに、少子化が進む日本では、飼われている犬や猫の数が、中学生以下の子供の数より多いという。

 タイ滞在中に、作家・稲葉真弓さんの訃報に接した。享年64。やはりペット面の取材で、海に近い東京都内のマンションに伺ったことがある。新聞の追悼記事によると、私がお会いした時には、すでにがんの再発を知っていたようだ。愛猫ボニーと、ひとりと一匹。お互いを知り尽くした様子の、淡々とした暮らしぶりが思い出された。

 東南アジアでは、猫も放し飼いが多い。たまに人からエサをもらうことはあっても、基本は自給自足。身づくろいをするゆとりもないらしく、うっかりなでると手が黒くなる。
すぐ徒党を組むバンコクの犬

2015年3月8日

そして我が祖国・・・


 生まれて初めて、ハローワークの扉をたたくことになった。

 どんな服装で行くのがふさわしいかで悩む。会社の採用試験ではないので、スーツとネクタイになる必要はないだろう。華美な格好さえしなければいい、と検討をつける。

 我が町のハローワークは、城のお堀端にある小さな石造りの建物だ。古めかしく「公共職業安定所」と看板が掲げられている。取材で東京や福岡のハローワークに行った時は、多くの人がずらりと並んだパソコンで黙々と求人案内を見ていた風景が記憶にある。ここでは端末が数台しかなく、だれも使っていない。来ている人たちも、老若男女いろいろ。市役所とあまり雰囲気が変わらないのが少し意外だった。これがもし、自分と同じようなくたびれた中年男ばかりだったら、かなり凹んでいただろう。受付でもらった書類に職歴を書き込み、整理券をもらって面談を待つ。
 退職後、会社から「離職票」が送られてきた。一緒に入っていた紙に、「ハローワークでの手続きの際、曖昧なお話をされますと、失業給付金を受けられなくなりますのでご注意ください」と書いてある。ご親切にというか余計なお世話というべきか。とにかく背に腹は代えられないので、頭の中で想定問答を用意しておく。

 昼休みから帰ってきたらしい中年の男性職員が、おもむろに面談ブースに座り、私の番号を呼んだ。ひととおり書類に目を通す。やがて「この男は本当に就職する気があるのか」という、人を値踏みするような視線とともに、鋭い質問が次々と飛んできた。


ラオス・ルアンプラバンで
・・・というようなことは全くなかった。「海外勤務はどちらへ?」「ああタイですか。私はCOCAのタイスキが大好きで、銀座の店にはよく行ったものです。え?バンコクではMKの方が流行ってる?そうですか、それは知らなかったなあ」といった会話のあと、「じゃあ次は2階の5番窓口にお願いします。あ、車はお持ちですか?この辺で働かれるなら、車はあった方がいいですよ」と言われ、無事終了。まずは受給資格を得られた。

 3か月の東南アジア暮らしを終え、帰国した翌日にはハローワークへ。成田空港で乗ったリムジンバスから、首都高湾岸線沿いの殺風景なビル群を眺めているうちに、心のスイッチが切り替わった。どうやら日本という国は、働くか、働く意思を示さないと居場所がなくなるように出来ている。

昨年末の退職と同時に、人口20万ほどの城下町に引っ越した。新しく借りたマンションを、ろくに住まないうちにバンコクへ発った。留守中に料金滞納で電気・ガス・水道が止められていないか、手続きはしたつもりでもかなり不安。玄関を開けて室内を点検する。どうやら大丈夫だ。

まだ引っ越しの段ボール箱が残る室内から、箱根や丹沢など関東近郊の山々が間近に見える。新しい街を探検しながら、これまでを振り返り、これからを考えていきたい。

2015年3月2日

子ゾウに襲われる


 ラオス北部のコテージで昼寝していたら、どこからともなくカウベルの音が聞こえてきた。目をつぶっていると、スイスアルプスの牧草地にいるのかと錯覚する。それにしてはプルメリアの香りが鼻孔をくすぐる。目を開けると、やはり周囲は針葉樹ではなく熱帯の木々だ。

 バルコニーから見下ろすと、樹間を見え隠れしながら近づいてくるのは、乳牛ならぬ水牛の家族だった。一家の長らしい黒々とした牡牛が、立派な角を頭にのせて先頭で歩いてくる。

一週間前にバンコクでタイ語を習っていた時、20代の女の先生が「水牛はカワイイ」と言っていた。このいかつい顔のどこがかわいいのかと思うが、小さな耳を盛んに振り回しながら歩いていて、唯一該当するとしたらこの耳だ。

翌朝、バルコニーの下を流れるメコン川支流の河原に、また動物を発見。目を凝らすと、ゾウの親子だ。一瞬、わが目を疑った。

ここは辺境の地と言っていいと思うが、さすがに野生ではないはず。近くに孤児のゾウやけがをしたゾウの保護施設があるので、そこのゾウだろう。それにしても、全くの放し飼い状態。東南アジアは飼い犬も飼い水牛も飼いゾウも放し飼いだ。

ゾウは親子で黙々と道草を食っている。長い鼻を伸ばしては、枝ごと根こそぎにする。近くに寄って写真を撮っていると、私に興味を示した子ゾウが近づいてきた。鼻息で威嚇してくる。

「子ゾウは人間の怖さを知らないから、逃げた方がいいよ」

人声に振り返ると、いつの間にか2隻のカヌーが音もなく川面を近づいてきていた。ラオス人が、私に英語で警告してくれた。

言われなくても逃げる。子ゾウに脅かされて逃げるのも情けないが、見たところ小錦並みの大きさ、私の体重の3倍はありそうなのだ。

昨年12月と今年1月、延べ2週間を過ごしたタイ北部の村も田舎だったが、週末の夜になるとカラオケの歌声が聞こえ、それなりに人の住む気配があった。ここラオスの田舎は日が暮れると、川の対岸は灯り一つない闇に包まれる。車やバイクの音も含め、人工的な物音は一切しない。

こうして東南アジアを3か月近くぶらぶらした後で来ても、本や新聞を開く暇もないほど、この環境に熱中する。会社員時代に休暇でここを訪れていたら、もっと感激したと思う。東京からバンコクまで飛行機で7時間、バンコク~ビエンチャン、ビエンチャン~ルアンプラバンが飛行機で各1時間、最後に車で40分。モノと情報にあふれた都会生活から、これほど何もない場所へのワープは、とてもぜいたくな経験になるはずだ。

会社を辞めたことを、少しだけ後悔した。


肉食女子

わが母校は、伝統的に女子がキラキラ輝いて、男子が冴えない大学。 現在の山岳部も、 12 人の部員を束ねる主将は ナナコさんだ。 でも山岳部の場合、キャンパスを風を切って歩く「民放局アナ志望女子」たちとは、輝きっぷりが異なる。 今年大学を卒業して八ヶ岳の麓に就職したマソ...