2023年7月15日

赤いストレッチ・ジーンズ

 

先月お別れしたK子さん(95)は、同じ東京からの移住組ということもあり、よくその病室にお邪魔した。

最後まで、心の中に女の子が住んでいたKさん。その言葉を残しておきます。

「あなた立教ボーイなのね!私も夫を亡くしてから移住してきたの。ここで暮らすために73歳でクルマの免許を取って、90歳まで運転してたのよ」

「子どもは、息子と養女の2人。姉が早逝して、9歳だった女の子を引き取って育てたけど、その子も数年前に見送りました」

「夜中にこっそり晩酌するから、白ワインとKIRIのチーズ、SKIPPYのピーナッツバターを買って来て。SKIPPYは必ずチャンキーでね」

「小学校の同窓会で、Kちゃんていう男の子に再会してね、60年ぶりに。何回か会って、彼が亡くなる前にラブレターくれたの。『私はあなたに会うために生まれて来た』って。そういえば私は、誰かに恋い焦がれたことがない」

「19歳で結婚して、商社マンだった夫は、夜ご飯を作ってもほとんど帰って来なかった。夜中に帰宅するなり、いきなり『この家は売った、引っ越すぞ』という人だった」

「小学生だった頃は、Kちゃんちが港区の大地主だなんて知らなかった。もし彼と結ばれてたら、どんな人生だったかしら」

「95年間でいちばん楽しかったのは、60歳すぎてから。当時まだ珍しかったボーイスカウトの女性リーダーとして、日本中を飛び回った。社交ダンスも始めて、90過ぎまで高いヒールでステップ踏んでたのよ!」

(香道も嗜むK子さん、ある夜中に病室でお香を焚いてしまった。煙が充満して大騒ぎになった)

「(嬉しそうに)年の離れた男の人が何人も私のお見舞いに来るって、看護師さんの間で噂になってるらしいのよ!」

(春ごろから、K子さんは体を起こすのがつらそうになった)

「このところ食事が喉を通らなくて。生きられるのは、7月の96歳の誕生日までかな。それまでにもう一度、家で暮らしたいの。でも人の気配がないと寂しいから、ミヤサカさんウチに泊まってくれないかしら」

「何もしなくていいから。1日3000円払うから。もう長くはないから」

(そして、その翌週)

「あの時は、思いつきであんなこと言ってごめんなさい。とうとう、飲み物も喉を通らなくなった。私は、ここで枯れることに決めました」

「今週でお別れのつもりです。最後まで、おむつのお世話にならずに逝きたい。自分でトイレに行けなくなったら、注射で眠らせてもらいます」

ある金曜日の夜、K子さんは旅立った。夜勤明けの看護師さんに聞くと、「彼女のお望み通り」の最期だったようだ。

生前の希望通り、ナースたちに赤いストレッチ・ジーンズをはかせてもらったK子さん。まだお香の香りが残る510号室を、静かに去っていった。

Rolwaling valley, Nepal 2023


2023年7月7日

続・ゼロで死ぬ

 

「関西から来る女子高の八ヶ岳登山ガイド。往復ロープウェー利用、実働4時間。日当3万円!」

むむ。

魅力的なオファーが舞い込んできた。

でも結局、その日も時給933円の緩和ケア病棟で働くことにする。

終末期の患者さんの傍でさまざまな人生に接し、ふと口から漏れ出る心境に耳を澄ませることは、自分にとってかけがえのない経験なので。

 

前回に引き続き、「DIE WITH ZERO」(ビル・パーキンス著、ダイヤモンド社)の中身を紹介していきます。

・人生を最大限に充実させるための3大要素、「金」「健康」「時間」の全てが同時に潤沢に手に入ることは、めったにない

・若い時は健康で自由な時間もあるが、金はあまりない。老後生活を送っている人は時間が豊富にあり、たいてい金も持っているが、残念ながら健康状態は衰えている。中年期はバランスが取れているが、時間が不足しがち

・金でなく健康と時間を重視することが、人生の満足度を上げるコツ

・健康は、金よりはるかに価値が高い。健康状態が良好なら、たとえ金が少なくても素晴らしい経験はできる

・そして金から価値を引き出す力は、年齢とともに低下していく。経験を最大限に楽しめる真の黄金期は、一般的な定年よりもっと前に来る。この真の黄金期に、私たちは喜びを先送りせず、積極的に金を使うべき

・どれだけ働いて金を稼いでも、まだ稼ぎ足りないと感じる人は多い。だが膨大な時間を費やして働いても、稼いだ金をすべて使わずに死んでしまえば、人生の貴重な時間を無駄に働いて過ごしたことになる

100万ドルの資産を残して死んだら、それは100万ドル分の経験をするチャンスを逃したということ。それでは最適に生きたとはいえない

・オーストラリアの緩和ケア介護者ブロニー・ウェアは、余命数週間の患者たちに、人生で後悔していることについて聞いた。最大の後悔は「勇気を出して、もっと自分に忠実に生きればよかった」。2番目に多かったのは「働きすぎなければよかった」(男性患者の1位)

・人生を最大限に充実させるために、「資産を減らすポイント」を明確に作る。経験から多くの楽しみを引き出せる体力があるうちに、資産を取り崩していくべき。大半の人にとって、そのポイントは4560

・若い頃にネパールへ行くことについて。この手の旅行は年をとったら子育てや仕事で簡単にできなくなる。だから有り金を使って、一生に一度の経験をするためにネパールに旅立つ価値はある。それは無駄遣いではない

※著者ビル・パーキンスは1961年生まれのヘッジファンド・マネージャーです

Rolwaling valley, Nepal 2023


2023年6月30日

ゼロで死ぬ

 

病棟に、ネコが現れた。

余命数週間の患者さんへの、うれしい見舞客だ。

先日は、家族に抱かれたワンちゃんも来た。

ヒトにさえ厳しい面会制限を設ける病院がある中で、ウチの病棟のおおらかさが、好きだ。

 

付き添い家族のために、寝具セットを用意するのは私の役目。でも、臨終が近い患者さんに泊まり込みで付き添う家族は、意外に少ない。

救急救命措置を取らない方針のこの病棟には、心電図の電子音もない。患者さんは、窓から信州の山を望む部屋で、静かに旅立っていく。

人生という大仕事を成し遂げた、穏やかな表情。

最後に心に浮かぶのは、どんな思い出なのだろう。

 

DIE WITH ZERO」 ビル・パーキンス著 ダイヤモンド社

著者は1億ドル超の運用資産を抱えるヘッジファンドのマネージャー。いわゆる富裕層だ。その点を勘案して読んでも共感できたので、中身を紹介します。

・全ての年代の中で、75歳以上の家庭の純資産がいちばん多い。アメリカ人は70代になってもなお、未来のために金を貯めようとしている

・私は人生でいろんな体験をしたいと思っている。でも死んだり、年を取り過ぎてからでは金は使えない。だから「ゼロで死ぬ」ことを目指すべきと考える

・大切なのは、自分が何をすれば幸せになるかを知り、その経験に惜しまず金を使うこと

・何かを経験するのに、必ずしも金はいらない。だが価値ある経験には、ある程度の出費はつきものだ(一生記憶に残るような旅、素晴らしいコンサートのチケット、新しい趣味など)

・モノは買った瞬間の喜びは大きいが、次第にその喜びは減っていく。だが経験から得る価値は時間の経過とともに高まっていく。私はこれを「記憶の配当」と呼んでいる

・現代社会では、勤勉に働き、喜びを先送りすることを美徳とするアリ的な生き方が持ち上げられすぎている。そして、キリギリス的な生き方の価値が軽視されすぎている。キリギリスはもう少し節約すべきだし、アリはもう少し今を楽しむべき

・「人生でしなければならない一番大切な仕事は、思い出作りです。最後に残るのは、結局それだけなのですから」__英TVドラマ「ダウントン・アビー」カーソン執事の言葉

・もちろん、老後の備えは必要。だが、老後で何より価値が高まるのは思い出。だから、できるだけ早く経験に十分な投資をして欲しい

※「DIE WITH ZERO」著者のアイデアは、後半さらに具体的。次回に続きます

Pokhara Nepal, Spring 2023


2023年6月23日

9万ドル vs 933円

 

病院の看護助手として働く私の給料は、時給933円だ。

この4月に昇給したが、それでも県の最低賃金と同水準。

ランチタイムに院内の売店で牛丼弁当とサラダと豆乳を買い、レジで1000円札を出したら足りなかった。

物価高の折、この労働量でこの給料は…

なんだかなぁ、という気はする。

去年までいた病棟では、1日に患者さん20人の入浴介助をすることもあった。夏場はサウナそのものの機械浴室で、けっこうな地獄を味わった。

現在は念願の緩和ケア病棟に配属され、毎日とても貴重な経験ができている。自分の場合は本業が別にあり、この仕事に生活がかかっている訳でもない。

それでも、この時給は腑に落ちない。

 

廊下で会うたび「給料が安すぎる!」と怒るのは、看護助手仲間のHさん。

倹約家の彼女は、毎朝4時に起きて、家族3人分の弁当を作っている。

先日、スタッフ休憩室で弁当を食べているHさんの背中を見かけた。

おかずがなんと、丸い小さなカップ入りの納豆!

なんとなく声を掛けられず、素通りしてしまった。

 

別の看護助手Yさんは、勤続24年のシングルマザー。

ずっとパート待遇だったので、月給はいまだに手取り15万円だという。

この春、病院から退職金名目の一時金が振り込まれた。その額、140万円。

Yさんはこのお金を、うわさに聞く「NISA」で運用してみようと思っている。

 

夕方5時、田畑に囲まれた病院からクルマを飛ばして、森の家に帰る。周りは別荘地なので、いわゆる「富裕層」が多い。

近所の瀟洒なログハウスに住むMさん夫妻の夫は、アメリカ出身の金融アナリスト。シンガポールの大富豪が運営するファミリーオフィスで、専属の投資顧問をしている。

時々、Mさん夫妻に、留守中のドッグシッターを頼まれる。愛犬ジュニパーちゃんのエサは、北海道から取り寄せた鹿肉だ。

最近、夫妻の一人息子が大学を卒業し、ニューヨークのグリーンコンサルティング・ファームに採用された。

社長はタイ人で、初任給は年俸9万ドルだという。

あちらでは、労働市場の入り口に立ったばかりの22歳がもらえる給料が、現在の円ドルレートで月額100万円超!

ニッポン人の賃金、安すぎませんか?

Rolwaling valley, Nepal 2023



2023年6月17日

患者さんの願いごと

 

入院生活も長くなれば、いろいろ不便なことが出てくる。

でも忙しそうな看護師さんに、つまらない用事を頼むのは、どうも気が引ける。

そういう時こそ、看護助手の出番だ。

まめに病室に顔を出してヒマそうにすれば、最初は遠慮がちな患者さんも、そのうち希望を言ってくれるようになる。

 

「ツルヤスーパーのイカの塩辛が食べたい。あなた知らないの?おいしいのよ」(Aさん・80代・女性)

さっそく買って届けたら、1パックを一度に食べてしまった。

食べものや飲みもののリクエストは、他にもバナナ、濡れせんべい、ヤクルト、赤ワインなど。

コロナ禍で家族の面会が制限されていた頃は、特に多かった。

 

「駐車場に停めた愛車のバッテリー上がりが心配だ。その辺をひと回り走ってきて下さい」

と、スバルの新車のキーを手渡してきたのは、80代の男性患者Bさん。自ら運転して入院し、病室では栄養学の本を読んでいた。

再起にかける彼の思いはしかし、ついにかなわなかった。

Bさんが病院の裏口からひっそりと退院した後、しばらく置きっぱなしだった愛車スバルは、いつの間にかなくなっていた。

 

「これ、ぼくが書いた自叙伝。読んだら感想を聞かせて欲しい。口頭なんかじゃダメ、ちゃんと文章でね」(Cさん・80代・男性)

Cさんは地元の銀行で定年まで働き、その後は町会議員を務めた。プライドが高く、奥さんや看護師さんにはきつく当たることもあった。

読書感想文は、小学生の頃から得意だ。お安い御用とばかり、レポート用紙数枚に書いて手渡した。

私と接する時のCさんは、いつも上機嫌だった。

 

「もう長くないから、最後は自宅で過ごしたい。でも夜が寂しいの。お願い、ウチに泊まり込んでちょうだい。何もしなくていいから。1泊3000円払うから。」(Dさん・90代・女性)

Dさんは東京出身。早くに夫を亡くし、ここ信州に移住して、この年齢までずっとひとり暮らしをしてきた。

さてどうしたものか…と思っていたら、その翌週。

「あの時は、思いつきであんなこと言っちゃってごめんなさい」

食べものも飲みものも喉を通らなくなり、帰宅する気力をなくしたという。

「私はここで枯れることにしました」

Rolwaling valley, Nepal 2023


2023年6月9日

持病は高山病

 

「高度5000mで、生まれて初めて頭痛になりました」

この春一緒にヒマラヤ登山をした、母校R大学山岳部の女子が驚いていた。

日常的に偏頭痛に悩む人が多い中、20年も頭痛知らずとはうらやましい。

そういう私も、飲まされて二日酔いした学生時代と、性懲りもなくヒマラヤに行って高山病になる以外、頭痛とは無縁。でもその辛さは、よくわかる。

高山病も二日酔いも、頭痛は相当きつい。あまり同情してもらえないけど。

脳神経外科の権威、森本将史・横浜新都市脳神経外科病院院長によると、昔と生活様式が大きく変わった現代は、脳には非常に厳しい時代だという。

(以下、日経ビジネス電子版に載った森本院長インタビューの要点です)

・電車内で下を向きながらスマホをいじる時、重い頭を首の筋肉だけで支えているので、筋緊張の状態が延々と続く

・さらにスマホは、常に交感神経をオンにさせる。交感神経がオンになると血管を収縮させ、心拍数も上がる。常に興奮状態になっているから、疲れる。こうした要因で頭が痛くなる

・寝る前のスマホもよくない。交感神経が優位になって、睡眠の質が著しく低下する。興奮状態のままで、ぐっすり眠れるわけがない

・脳梗塞の原因は、過度な飲酒や喫煙、高脂肪の偏った食生活、不規則な生活、そしてストレス

・疲れたなと思ったら、必ず十分な休息を取り、適度な運動をする。「何だかダルい」「疲れが抜けない」という状態を継続させてはいけない。ストレスフルな生活を長く続けていたら、いつ脳梗塞が起きるか分からない

・水分補給も大事。細胞の70%は水分なので、細胞をきれいにしておこうと思ったら水分を取るのが一番。酒を飲むときは、水も一緒にガンガン飲む

・動脈瘤の手術を受ける患者の7割は無症状。奥さんに言われて渋々検査を受けたら、破裂寸前の動脈瘤(りゅう)が見つかって即入院、手術という人がいた。40歳を過ぎたら、1度は脳ドックを受けてほしい

・また、コロナ禍で認知症の人が激増している。人に会えなくなってコミュニケーションの機会が減ったのは、脳にすごく悪いこと

・直接人と会って話す時、人は頭をフル回転させている。無意識に相手の表情や声のトーンやしぐさを読んで、瞬時に対応して言葉を選んでいる。いつまでも脳を若々しく保つために、コミュニケーションはとても大切

・といっても、同じことの繰り返しはダメ。母は70歳まで塾の先生をしていたが、それでも認知症になった。他のことはせず、そればかり続けていたから

・常にアップデートしていく気持ちがないと「同じことの繰り返し」になる。好奇心を持ってチャレンジすることが大切

・「分からない」「面倒くさい」という言葉が増えてくると危ない。人間は、分からない、面倒くさいことをしないと頭を使わない

Ramdung Peak BC, Nepal


2023年6月2日

Hさんのこと

 

私が勤務する緩和ケア病棟は、命に関わる重い病気の患者さんばかりだ。

その多くは、わが命が限りあることを、ある程度受け入れている様子。でも病状の深刻さを知らない患者さんもいて、会話には気を遣う。

その中でHさん(70代・女性)は、入院した時から覚悟が決まっていた。

とても印象に残る患者さんだったので、彼女の言葉を書き留めておきたい。

 

「夫は定年後、ずっと家に籠りきりで、どこにも行かないんです。毎日3度の食事を作り、身の回りの世話をしていたら、私がウツになっちゃった」

「だんな様を看取った友人から評判を聞いて、ずっと入院希望を出してたんですよ。窓から残雪の山並みが正面に見えて、ここに来て本当によかった」

Hさんの自宅からこの病院まで、車で2時間かかるという。

「この遠さがいいのよ。簡単には見舞いに来られないでしょ」

「人生の最後ぐらい、夫から離れて自由に過ごしたかった」

花が好きなHさんを車いすに乗せて、病院裏のハーブガーデンに案内すると、とても喜んでくれた。

「ついこの間までは、普通に歩けたのにね。手指までしびれて動かなくなってきたし、下痢も止まらない。放射線治療の後遺症かしら」

もはや彼女は、病院の食事が喉を通らない。家族の見舞いも期待できないので、スーパーでバナナを買って病室に届けた。

「ありがとうございます。毎朝バナナを1本食べたら、今日はもう何も食べなくていいや、と思うのよ」

Hさんの人生の自由時間は、長くは続かなかった。3度めのハーブガーデン散歩では、体をくの字に曲げて、とても辛そう。たった5分で病室に戻った。

ほどなく、話すことさえしんどそうに。

ある朝、夜勤明けの看護師さんに、

「今日は何日? なかなか逝けないのね」

そして、看護師長が必死になって聞き取ったHさんの言葉は、

「お世話になった病院の皆さんに、おいしいクロワッサンを差し入れたい」

ほどなく、彼女の地元の店から、クロワッサンの大箱がナース控室に届いた。

その翌日。付き添いに来たご主人に、かき氷を口に入れてもらったHさんは、彼が席を外したわずかな間に、息を引き取った。

 私の仕事は、主がいなくなった病室で、前の住人が残した痕跡を完璧に消して、ベッドメイクすること。

早ければ翌日にも、新しい入院患者を迎える。

(ずっとヒマラヤの話を書いてきましたが、4月初旬に帰国し、病院の仕事に復帰しています。大変ご心配をお掛けしました!

Rolwaling valley, Nepal 2023


HIKIKOMORI

  不登校や引きこもりの子に、心理専門職としてどう関わっていくか。 増え続ける不登校と、中高年への広がりが指摘されるひきこもり。 心理系大学院入試でも 、事例問題としてよく出題される。 対応の基本は、その子単独の問題として捉えるのではなく、家族システムの中に生じている悪循...