2023年6月17日

患者さんの願いごと

 

入院生活も長くなれば、いろいろ不便なことが出てくる。

でも忙しそうな看護師さんに、つまらない用事を頼むのは、どうも気が引ける。

そういう時こそ、看護助手の出番だ。

まめに病室に顔を出してヒマそうにすれば、最初は遠慮がちな患者さんも、そのうち希望を言ってくれるようになる。

 

「ツルヤスーパーのイカの塩辛が食べたい。あなた知らないの?おいしいのよ」(Aさん・80代・女性)

さっそく買って届けたら、1パックを一度に食べてしまった。

食べものや飲みもののリクエストは、他にもバナナ、濡れせんべい、ヤクルト、赤ワインなど。

コロナ禍で家族の面会が制限されていた頃は、特に多かった。

 

「駐車場に停めた愛車のバッテリー上がりが心配だ。その辺をひと回り走ってきて下さい」

と、スバルの新車のキーを手渡してきたのは、80代の男性患者Bさん。自ら運転して入院し、病室では栄養学の本を読んでいた。

再起にかける彼の思いはしかし、ついにかなわなかった。

Bさんが病院の裏口からひっそりと退院した後、しばらく置きっぱなしだった愛車スバルは、いつの間にかなくなっていた。

 

「これ、ぼくが書いた自叙伝。読んだら感想を聞かせて欲しい。口頭なんかじゃダメ、ちゃんと文章でね」(Cさん・80代・男性)

Cさんは地元の銀行で定年まで働き、その後は町会議員を務めた。プライドが高く、奥さんや看護師さんにはきつく当たることもあった。

読書感想文は、小学生の頃から得意だ。お安い御用とばかり、レポート用紙数枚に書いて手渡した。

私と接する時のCさんは、いつも上機嫌だった。

 

「もう長くないから、最後は自宅で過ごしたい。でも夜が寂しいの。お願い、ウチに泊まり込んでちょうだい。何もしなくていいから。1泊3000円払うから。」(Dさん・90代・女性)

Dさんは東京出身。早くに夫を亡くし、ここ信州に移住して、この年齢までずっとひとり暮らしをしてきた。

さてどうしたものか…と思っていたら、その翌週。

「あの時は、思いつきであんなこと言っちゃってごめんなさい」

食べものも飲みものも喉を通らなくなり、帰宅する気力をなくしたという。

「私はここで枯れることにしました」

Rolwaling valley, Nepal 2023


2023年6月9日

持病は高山病

 

「高度5000mで、生まれて初めて頭痛になりました」

この春一緒にヒマラヤ登山をした、母校R大学山岳部の女子が驚いていた。

日常的に偏頭痛に悩む人が多い中、20年も頭痛知らずとはうらやましい。

そういう私も、飲まされて二日酔いした学生時代と、性懲りもなくヒマラヤに行って高山病になる以外、頭痛とは無縁。でもその辛さは、よくわかる。

高山病も二日酔いも、頭痛は相当きつい。あまり同情してもらえないけど。

脳神経外科の権威、森本将史・横浜新都市脳神経外科病院院長によると、昔と生活様式が大きく変わった現代は、脳には非常に厳しい時代だという。

(以下、日経ビジネス電子版に載った森本院長インタビューの要点です)

・電車内で下を向きながらスマホをいじる時、重い頭を首の筋肉だけで支えているので、筋緊張の状態が延々と続く

・さらにスマホは、常に交感神経をオンにさせる。交感神経がオンになると血管を収縮させ、心拍数も上がる。常に興奮状態になっているから、疲れる。こうした要因で頭が痛くなる

・寝る前のスマホもよくない。交感神経が優位になって、睡眠の質が著しく低下する。興奮状態のままで、ぐっすり眠れるわけがない

・脳梗塞の原因は、過度な飲酒や喫煙、高脂肪の偏った食生活、不規則な生活、そしてストレス

・疲れたなと思ったら、必ず十分な休息を取り、適度な運動をする。「何だかダルい」「疲れが抜けない」という状態を継続させてはいけない。ストレスフルな生活を長く続けていたら、いつ脳梗塞が起きるか分からない

・水分補給も大事。細胞の70%は水分なので、細胞をきれいにしておこうと思ったら水分を取るのが一番。酒を飲むときは、水も一緒にガンガン飲む

・動脈瘤の手術を受ける患者の7割は無症状。奥さんに言われて渋々検査を受けたら、破裂寸前の動脈瘤(りゅう)が見つかって即入院、手術という人がいた。40歳を過ぎたら、1度は脳ドックを受けてほしい

・また、コロナ禍で認知症の人が激増している。人に会えなくなってコミュニケーションの機会が減ったのは、脳にすごく悪いこと

・直接人と会って話す時、人は頭をフル回転させている。無意識に相手の表情や声のトーンやしぐさを読んで、瞬時に対応して言葉を選んでいる。いつまでも脳を若々しく保つために、コミュニケーションはとても大切

・といっても、同じことの繰り返しはダメ。母は70歳まで塾の先生をしていたが、それでも認知症になった。他のことはせず、そればかり続けていたから

・常にアップデートしていく気持ちがないと「同じことの繰り返し」になる。好奇心を持ってチャレンジすることが大切

・「分からない」「面倒くさい」という言葉が増えてくると危ない。人間は、分からない、面倒くさいことをしないと頭を使わない

Ramdung Peak BC, Nepal


2023年6月2日

Hさんのこと

 

私が勤務する緩和ケア病棟は、命に関わる重い病気の患者さんばかりだ。

その多くは、わが命が限りあることを、ある程度受け入れている様子。でも病状の深刻さを知らない患者さんもいて、会話には気を遣う。

その中でHさん(70代・女性)は、入院した時から覚悟が決まっていた。

とても印象に残る患者さんだったので、彼女の言葉を書き留めておきたい。

 

「夫は定年後、ずっと家に籠りきりで、どこにも行かないんです。毎日3度の食事を作り、身の回りの世話をしていたら、私がウツになっちゃった」

「だんな様を看取った友人から評判を聞いて、ずっと入院希望を出してたんですよ。窓から残雪の山並みが正面に見えて、ここに来て本当によかった」

Hさんの自宅からこの病院まで、車で2時間かかるという。

「この遠さがいいのよ。簡単には見舞いに来られないでしょ」

「人生の最後ぐらい、夫から離れて自由に過ごしたかった」

花が好きなHさんを車いすに乗せて、病院裏のハーブガーデンに案内すると、とても喜んでくれた。

「ついこの間までは、普通に歩けたのにね。手指までしびれて動かなくなってきたし、下痢も止まらない。放射線治療の後遺症かしら」

もはや彼女は、病院の食事が喉を通らない。家族の見舞いも期待できないので、スーパーでバナナを買って病室に届けた。

「ありがとうございます。毎朝バナナを1本食べたら、今日はもう何も食べなくていいや、と思うのよ」

Hさんの人生の自由時間は、長くは続かなかった。3度めのハーブガーデン散歩では、体をくの字に曲げて、とても辛そう。たった5分で病室に戻った。

ほどなく、話すことさえしんどそうに。

ある朝、夜勤明けの看護師さんに、

「今日は何日? なかなか逝けないのね」

そして、看護師長が必死になって聞き取ったHさんの言葉は、

「お世話になった病院の皆さんに、おいしいクロワッサンを差し入れたい」

ほどなく、彼女の地元の店から、クロワッサンの大箱がナース控室に届いた。

その翌日。付き添いに来たご主人に、かき氷を口に入れてもらったHさんは、彼が席を外したわずかな間に、息を引き取った。

 私の仕事は、主がいなくなった病室で、前の住人が残した痕跡を完璧に消して、ベッドメイクすること。

早ければ翌日にも、新しい入院患者を迎える。

(ずっとヒマラヤの話を書いてきましたが、4月初旬に帰国し、病院の仕事に復帰しています。大変ご心配をお掛けしました!

Rolwaling valley, Nepal 2023


2023年5月26日

出稼ぎ立国ネパール

 

ヒマラヤの頂を目指すとき、経験豊富で高所に強いシェルパ(登山ガイド)は、頼もしい助っ人だ。

ところが、我々R大学登山隊がカトマンズに着いても、同行してくれるはずのシェルパ氏が現れない。

刻一刻と、出発の日が迫る。

シェルパを手配した現地エージェントのプラビン社長は、

「彼は日本に出稼ぎ中だけど、みなさんの登山に間に合うように帰ってくるから、ダイジョーブ」という。

結局、シェルパのカジさんと合流できたのは、カトマンズを出発したバスの中という、ギリギリのタイミングだった。

冬の間、新潟の民宿に住み込みで働いていたカジさん。前日の夜中に帰国し、数か月ぶりに妻と愛娘の顔をひと目見てから、バスに飛び乗った。

再び家族と離れて3週間、ロールワリンの谷深く分け入ることになったカジさん。中肉中背、控えめな性格で、ハードスケジュールにも愚痴をこぼさない。

雪道で突然、履き古した彼の登山靴の靴底がべろりとはがれ、我々を慌てさせた。でもそこは、エベレストの麓に生まれ育ったシェルパ族。高度を上げるほどに底知れぬパワーを発揮して、我々を導いてくれた。

下山すると休む間もなく、別の日本人パーティを案内して、エベレスト街道に向かった。

 

わが登山隊のもうひとりのシェルパ、24歳のニマさんは、地元ロールワリン出身。帰りのキャラバンで、彼が生まれ育った村を通過した。

段々畑の中にポツリと建つ、土壁とトタン屋根の小さな家が、彼の実家だ。お母さんがニワトリの世話をしながら、ひとりで家を守っていた。

お父さんは家畜を追って、泊まりがけで山へ。

そしてニマさんの妹は、地中海の島国・キプロスのホテルで働いている。


出発前、2012年ダウラギリ峰の時のシェルパ、ラルさんに会った。

彼は3年前、妻と娘を残して八ヶ岳の山小屋に出稼ぎに来ていた。野菜や肉、缶ジュースを背負って、山小屋まで運び上げる歩荷(ボッカ)の日々。

登山シーズンたけなわの夏、私が山小屋までラルさんを訪ねていくと、

「ボッカはとてもきついです…」

屈強なシェルパらしからぬ弱音を吐いていた。

晴れてコロナ禍が明け、カトマンズでラルさんと感動の再会。

でも近況報告もそこそこに、

「今夜の便でカナダに飛びます。ロッキー山脈のスキー場で働くつもりです」

慌ただしくバイクに跨り、砂ぼこりを残して去っていった。

 

ネパールで出会った人は、生きるために、家族がバラバラになって、世界中に散らばっていた。

Rolwaling valley, Nepal 2023


2023年5月19日

エア・インディアの混沌

 

ネパール最後の日、日本大使館で働く方々とお会いできることになった。

ちょうど山岳部2年のヨコが、外交官志望だ。ヨコを誘って、待ち合わせ場所の「カトマンズの青山通り」ラジンパトに向かった。

カフェの中庭で我々を待っていたのは、医務官のSさんと領事のTさん。偉そうなおじさんを想像していたら(←我ながらすごい偏見だ)、T領事は物静かな20代女性だった。

最初は地元の市役所に就職するつもりだったTさん。公務員試験のための専門学校に通い、市役所ついでに国家公務員試験を受けたら、そちらも合格。

一足早く内定が出た外務省に、20歳で入省した。

今ごろは、実家から電車で市役所に通っていたはずのTさん。その初任地がタンザニアで、2か所めがネパールである。人生何がどう転ぶか、わからない。

 

2日間でお会いした3人の大使館スタッフの話で、もうひとつ驚いたのは、「公務で出張すると赤字になる」ということだ。

近年、出張経費が切り詰められて、大使といえども、移動はエコノミークラス。しかもJALANAに乗ろうとすると、経費の上限を超えてしまうそうだ。

そして、ホテル代も。「広島サミット」にはネパールからも応援出張に駆り出されるが、会期中は周辺ホテルが高騰し、とても規定の宿泊料に収まらない。

泊まれば泊まるほど、自腹を切ることになる、というのだ。

 

お会いした翌日、私も個人的な経費節減のため、ニューデリー経由のエアインディア深夜便で、成田に向かった。

満席のエコノミークラスで離陸を待っていると、つかつかと中年女性がやってきた。英語で「ユーの隣は私の友だちだから、席を替わってくれ」という。

まるで、譲るのが当然、という口ぶりだ。

彼女の迫力に押されて、すごすごと退散。追加料金20ドルを払って予約した、前方通路側のいい席だったのに。

別の席に落ち着いて、午前0時。さぁ寝ようとしたら、今度は前列の太った女性が、通りがかった乗務員を何度も呼び止める。コールボタンまで押して、大声のヒンディー語(たぶん)で、何かしつこく要求している。

やがて仏頂面の乗務員が持って来たのは、数本のダイエットコーク。女性はそれを、臆面もなく自分のバッグに詰め込んだ。

せこい! 彼女は持ち帰りできるように、「栓を開けずに」持って来い、と乗務員にゴリ押ししていたのだ。

安いチケットで国際線に乗ると、自己チューかつ「生まれてこの方、場の空気を読んだことありません」みたいな乗客に、たびたび遭遇する。

日本の国益を背負って、過酷な生活環境で働く在外公館スタッフが、もしこんな思いをしているとしたら…

出張旅費をもう少しフンパツしても、納税者は誰も文句言わないと思うけど。

Rolwaling valley, Nepal 2023


2023年5月13日

フェアで明るい登山隊

 ヒマラヤ登山は男の世界というイメージは、まだまだ強いと思う。

今まで同行した7つのヒマラヤ登山隊は、隊員全員が男だった。

だからメンバー8人全員が大学生で、そのうち4人が女子というこのR大学登山隊は、かなり画期的。

隊列の最後尾を歩いていると、前を行く女子の賑やかな話し声、笑い声が、絶え間なくずーーーっと聞こえてくる。やがて話題が尽きると、「しりとり」を始めた。

男ばかりの登山隊に、とてもこんな明るさはない。

しばらく歩いて、川のほとりで休憩。1年と2年の女子が、元気に「アルプス一万尺」を歌い出した。

そして、星降るヒマラヤ山中の夜。やっと寝静まったと思ったら、今度は3年女子が鬼ごっこ(?)を始めた。

そのうち、マクラ投げでも始めそうな勢いだ。

標高4800mのベースキャンプでも、5000m超のハイキャンプでも、高山病で静かになるどころか、彼女たちの元気さ、賑やかさは最後まで変わらなかった。


男女同数の効用か、メンバー内の意思決定も、とってもフェアだ。

その日に調子が悪い人の荷物は、元気な者が分担して背負う。

食事当番は、上級生が率先してこなす。

そして1年生は、いちばん暖かいテントの真ん中に寝かせていた。

ちなみに、私が新人だった頃の山岳部は、圧倒的な男社会のタテ社会。4年生は神様で、1年生は奴隷だった。

テントではいつも端っこに寝かされ、夜中に起きると、吹き込んだ雪で寝袋が真っ白。まだ先輩が寝ている横で、未明から黙々と食事を作った。

卒業して入った報道カメラマンの世界もまた、封建的な男社会だった。当時はまだフィルムカメラの時代、新人は日がな暗室に籠り、ひたすら先輩が撮って来た写真を現像した。手の爪は、有害な現像液でまっ黄色だ。

そして、いま働く病院という世界は、女性がとても多い。

特に私がいる病棟は、看護師さん全員が女性で、医師も女性ばかり。

19対男1。完全アウェーの日々。

毎日ナースに囲まれていいね、と思う人は、全くもって考えが甘い。患者として接するナースと、助手として使われる立場で接するナースとでは、大違いなのだ。

できれば、患者のままでいたかった…

ま、そんな話は置いといて。

どんな組織でも、男女半々ぐらいが、一番うまくいくんじゃないかな。

R大学登山隊を見ていて、心からそう思った。

Rolwaling valley, Nepal 2023


2023年5月6日

究極の選択

 

世界最高峰エベレストがそびえ、多様な民族が暮らす美しい国、ネパール。

でもアジアの最貧国ゆえに、旅をしていて大変なことも多い。

登山を終えた我がR大学山岳部は、次なる目標「アンナプルナ山群トレッキング」のために、カトマンズからポカラへ向かった。

日本でいえば、東京~大阪のような幹線道路だ。

ところが! この200キロ足らずのバス移動に、10時間かかったのである。

国土の大半が山岳地帯ゆえ、道がクネクネ曲がっているのは仕方ない。

今回はそれに加えて、断続的に、全線にわたって工事中だった。道路の至る所が掘り返されていて、乗ったインド製バスは尋常でなく揺れた。

横転するのではと思うほどバスが傾き、網棚に載せた私のザックが降ってくる。窓のすき間から入ってくる砂ぼこりが、車内に充満する。

その後のトレッキングでは、初日から高熱を出す人、下痢や嘔吐に苦しむ人が続出。2日目に全員でポカラに引き返すことになってしまった。

出発前夜、みんなで屋台の怪しげなパニプリ(ピンポン玉大の揚げ玉の中にポテトが入ったネパール風スナック)に群がったのも、悪かった。

でも原因の9割は、内臓を前後左右上下にシャッフルされ続けた、あの悪夢のバス旅に違いない。

さて、問題はポカラからの帰りだ。

飛行機を使えば、ポカラ~カトマンズ間はたったの25分。でもこの路線で2か月ほど前、乗員乗客71人全員が死亡する墜落事故が起きている。

ネパールに入り浸っている登山家兼取材コーディネーターのヌキタさん曰く、「統計的にこの区間は、飛行機が落ちるより、バスと一緒に崖から落ちて死ぬ確率の方が高い。空路の方がまだマシ」

ピオレドール賞クライマーのケンロウさんにも聞いてみた。

「ぼくが予約したポカラ行きの飛行機が、天候不良で欠航に。急きょジープをチャーターしたら、途中でタイミングベルトが切れて立ち往生。最後はトラックをヒッチハイクして、真夜中にたどり着きました」

私自身はこれまで、アフガニスタン航空やアフガン民営カム航空、イラン民営マハン航空など、世界中の危ない航空会社に乗って、生き延びてきた。

もう半世紀も生きたし、たまに落ちる航空会社を使うことに何の躊躇もない。

でもZ世代の山岳部員は、安全コンシャスだ。ネパールに来る際も、私が勧めたネパール航空の直行便を「安全性に問題がある」といって却下。わざわざ行きは香港経由、帰りはスリランカ経由便を選んだ人たちだ。

試しに、2年生のあい先輩を誘ってみた。

「帰りも10時間バスに揺られる? それとも、落ちたばかりのイエティ航空に乗って、空からヒマラヤを眺めながら25分で帰る?」

「ミヤサカさんと一緒に飛行機で帰ります!」

即座に、返事が返ってきた。

よっぽどバスに懲りたようですね。

Way to Kathmandu


HIKIKOMORI

  不登校や引きこもりの子に、心理専門職としてどう関わっていくか。 増え続ける不登校と、中高年への広がりが指摘されるひきこもり。 心理系大学院入試でも 、事例問題としてよく出題される。 対応の基本は、その子単独の問題として捉えるのではなく、家族システムの中に生じている悪循...