ヒマラヤの頂を目指すとき、経験豊富で高所に強いシェルパ(登山ガイド)は、頼もしい助っ人だ。
ところが、我々R大学登山隊がカトマンズに着いても、同行してくれるはずのシェルパ氏が現れない。
刻一刻と、出発の日が迫る。
シェルパを手配した現地エージェントのプラビン社長は、
「彼は日本に出稼ぎ中だけど、みなさんの登山に間に合うように帰ってくるから、ダイジョーブ」という。
結局、シェルパのカジさんと合流できたのは、カトマンズを出発したバスの中という、ギリギリのタイミングだった。
冬の間、新潟の民宿に住み込みで働いていたカジさん。前日の夜中に帰国し、数か月ぶりに妻と愛娘の顔をひと目見てから、バスに飛び乗った。
再び家族と離れて3週間、ロールワリンの谷深く分け入ることになったカジさん。中肉中背、控えめな性格で、ハードスケジュールにも愚痴をこぼさない。
雪道で突然、履き古した彼の登山靴の靴底がべろりとはがれ、我々を慌てさせた。でもそこは、エベレストの麓に生まれ育ったシェルパ族。高度を上げるほどに底知れぬパワーを発揮して、我々を導いてくれた。
下山すると休む間もなく、別の日本人パーティを案内して、エベレスト街道に向かった。
わが登山隊のもうひとりのシェルパ、24歳のニマさんは、地元ロールワリン出身。帰りのキャラバンで、彼が生まれ育った村を通過した。
段々畑の中にポツリと建つ、土壁とトタン屋根の小さな家が、彼の実家だ。お母さんがニワトリの世話をしながら、ひとりで家を守っていた。
お父さんは家畜を追って、泊まりがけで山へ。
そしてニマさんの妹は、地中海の島国・キプロスのホテルで働いている。
出発前、2012年ダウラギリ峰の時のシェルパ、ラルさんに会った。
彼は3年前、妻と娘を残して八ヶ岳の山小屋に出稼ぎに来ていた。野菜や肉、缶ジュースを背負って、山小屋まで運び上げる歩荷(ボッカ)の日々。
登山シーズンたけなわの夏、私が山小屋までラルさんを訪ねていくと、
「ボッカはとてもきついです…」
屈強なシェルパらしからぬ弱音を吐いていた。
晴れてコロナ禍が明け、カトマンズでラルさんと感動の再会。
でも近況報告もそこそこに、
「今夜の便でカナダに飛びます。ロッキー山脈のスキー場で働くつもりです」
慌ただしくバイクに跨り、砂ぼこりを残して去っていった。
ネパールで出会った人は、生きるために、家族がバラバラになって、世界中に散らばっていた。
Rolwaling valley, Nepal 2023 |
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