2020年10月17日

人は安きに流れる

最近、わが家を訪れた人に言われた。

「ここ、新聞配達の人に申し訳なくないですか?」

確かに。

 八ヶ岳の中腹にあるこの家まで、市街地から車でも30分かかる。そして、森の中に点在する周りの家は、夏のほんの一時期しか使われていない。

 雨の日は水が流れ、冬になると凍結する道を登って、もしこの家のためだけに新聞を届けてくれているとしたら、本当に申し訳ない。

 考えるまでもなく、人口より野生のシカの方が圧倒的に多いこの地域で、電気・水道・ガス完備、郵便やアマゾンも届き、頼めば生協のトラックまで来てくれるこの生活は、かなりぜいたくだ。

私の留守中、福沢諭吉さんが数枚入った現金書留が、外の郵便受けに投げ込まれていた。郵便局の人も、ここまで来て無駄足はイヤだったらしい(実はこういうこともあろうかと、郵便受けの中にハンコを転がしてある)。

また、暗くなるころに宅配便のお兄さんが電話してきて、

「本日指定の荷物が集配センターに届いたんですけど・・・明日にしてもいいですか?」と、泣きを入れてきたこともある。

でもテレビもラジオもない、ケータイもド〇モの電波が辛うじて届くだけの生活に、新聞は大切なライフラインなのである。

 こんど新聞販売店に電話して、もしこの辺の客がウチだけだったら「冬場は3日に1度でいいですから」「1週間に2度だけでも・・・」と、言ってみよう。

 

 登山道や山小屋を使わず、釣りや狩りで食料を現地調達しながら山を登る「サバイバル登山家」の服部文祥さん。昨年から、山に囲まれた茅葺きの廃屋で暮らし始めたという(以下、引用はすべて106日付読売新聞より)。

「母屋の横50メートルに渓流が流れ、鳥、風、ときどき遥か上空を飛んでいく飛行機の音しかしない。携帯電話はもちろん届かない」

 彼が実践するサバイバル登山では、「空気はもちろん、水も食料も宿泊費もすべて無料。お金ではなく、労力と引き換えに手に入れる」

だから「ふと立ち止まって街の生活を考えると、自然界では無料のものにお金を払うため、賃金労働に追われているのではないか」

「手軽で効率が良くなった先で、我々はいったいなにをしているのだろう。やるべきことを失って、必死で暇つぶしをしているようにも思える」

「ちょっとした労力や手間を惜しまなければ、国や自治体やライフライン企業に頼らず暮らすことができる」

 

 そうはいっても、家を修繕し、畑をいじり、くたびれた体で五右衛門風呂を沸かし、カマドに火を起こして飯を炊く服部さんの生活は、大変そうだ。

 文明生活を甘受しながら山に暮らし、必死で暇つぶしをする。

 やっぱり私は、こちらの路線でいきたい。


 

2020年10月10日

「死ぬ気まんまん」

 

秋の夜長に、妻の入院前後に読んだ本を再読した。

NHKアナウンサーの絵門ゆう子さんは、自身ががんと診断されてから産業カウンセラーの資格を取り、多くのがん患者と接してきた。

絵門さんによると、勇気を奮って訪れたがん専門病院や大学病院で、初対面の医師に、救いようのない言葉を投げかけられる場合が非常に多いという。

「がんでも私は不思議に元気」(絵門ゆう子著、新潮社)に実例が出ている。

「あなた、あと3か月だよ。なんでここに来たの?」

「あなたのようになった人で、5年も10年も生きた人はいませんよ」

「ここに来たからって、治ると思ってもらっては困りますからね。何をしたところで、あなたは必ずがんで死にますから」

「もうあなたに効く薬はありませんから。身辺整理でもしたらどうですか?」

「こんな状態になった人は、普通は旅行することとかを考えるんですよ」

「あなたみたいな人は治しようがないので、ホスピスに紹介状書きますから」

「悪いのはあなたの運ですからね。私たち医者が悪いんじゃありませんから」

・・・わが耳を疑う。人間以下だ。

 日野原重明・元聖路加国際病院院長は、絵門さんとの対談で

「医師が診断をし、治療をするとき、患者から希望を取るのは暴力です。ところが、はっきり言うことがカッコのいい知的な医者だ、というふうなサイエンスがのさばっている。そのような教育は、どうしても間違っています」

と言っている(同書より)。

 この本が書かれたのが2005年。その後、状況は改善されたのだろうか。

 絵門さんは、医者が余命を告げることにも否定的だった。

「死刑宣告された死刑囚だって、執行日は告げられない。それを知らされたら狂乱してしまうかもしれないと、死刑囚の精神を守るための配慮であろう。であれば、「余命」を言われてしまうがん患者は、何一つ罪を犯していないのに、死刑囚に施される配慮さえされていないことになる」

 死生学が専門の哲学者アルフォンス・デーケンさんも、その著書「死とどう向き合うか」(NHK出版)の中で

「人間は真実を知る権利とともに、知ることを拒む権利を持っている」と書いている。

「患者自身が知りたいという意欲を持っているか、告げないことで患者の心に葛藤を与えていないかなど、さまざまな点を検討してから告知すべき。決して告げることだけを優先させてはいけない」(同書より)

 余命宣告されたその日に「これでお金の心配をしなくて済む」と、貯金でオープンカーを買ったのは、絵本作家の佐野洋子さん。腹の据わった人だ(「死ぬ気まんまん」佐野洋子著、光文社)。

 ちなみに妻の主治医は、「たとえ手術中に致命的なミスがあっても、この人だったら笑って死ねる」とさえ思える人だった。




2020年10月3日

走れる森の美女

 

 もしインターネットだけで仕事ができたら、どこで暮らしますか?

 コロナ禍で100%リモートワークに切り替わり、都心に通う必要がなくなった人もいる、らしい。

 でも自分の周囲に限っては、

「ウチの会社はリモートワーク率0%」

 と、自嘲気味にいう人ばかり。

ちなみに、友人の多くは新聞やテレビなど、時代の最先端をいく?はずの人たち。旧態依然とした業界の体質が、こういう時に露呈する。

 記者会見もオンラインでやるこのご時世、会社に行かなくてもよさそうなのに。

サッカー担当記者をしている私の友だちは、スポーツ専門チャンネルで試合を見て(あるいは見たことにして)、試合後の会見にはズームで参加。悠々と、家で記事を書いているという。

 やればできるじゃないですか。

 都内の不動産会社で働く別の友だちは、上司と交渉して、週に数回のリモートワークを勝ち取った。でも不思議と、彼女に追随する同僚はいないらしい。

 よっぽど家の居心地が悪いのか。

そして上司からは、在宅勤務を認める条件として、パソコンのカメラを常にオンにしておくよう求められたという。

 部下を監視する暇があるなら、経営判断に時間を割いた方がいいのではないでしょうか。

 

 投資家という自分の本業は、もともと住む場所を選ばない。たまにネットがつながればOKだ。今年は、街でやっていた有償無償の副業をすべて辞めて、春から信州の山奥に移り住んだ。

ところが4月下旬、気温がまさかの氷点下に下がり、雪まで積もった。そしてそういう時に限って、石油ストーブが故障した。

コロナより、寒さ。夏の間は涼しくて快適だったが、冬はどうしよう。

 近くの森に、美しい女性が暮らしている。彼女の職業は「翻訳家+大学講師」。春までは週に何度か、特急あずさで東京の大学に通っていた。コロナで授業がオンラインになり、今は通勤しなくてもよくなった。

 彼女は東京から移り住んで3年目、厳しい冬も慣れたもので、雪の山道を四駆で走り回っている。でもやはり1~2月は寒く、部屋を暖めるために、ひと月400リットルの灯油を消費すると言っていた。

 話を聞いたら、ますます逃げ腰になった。自分には、定住は無理かも。

 冬が来る前に森を出て、どこか新しい町で暮らそう、かな。




2020年9月25日

活字中毒

 

 入院の際に妻が持参した本は、穂村弘の「世界音痴」だった。

 穂村弘は歌人だが、エッセイの名手でもある。めっぽう面白い。

 でもそのうち、

「人生最後の読書が穂村サンじゃねぇ・・・」

 と、言い始めた。

・・・わかる気がする。

そして差し入れたのが、村上春樹「世界の終わりとハードボイルド・ワンダーランド」。彼女は大のハルキ・ファンなので、たぶん再々読か、再々々読だったと思う。

病身には文庫本さえ重かったらしく、バラバラに裁断し、軽くして読んでいた。スマホにはあまり触らず、備え付けのテレビには目もくれなかった。

彼女のような本好きが喜ぶ記事を見つけた。米国の神経科学者、メアリアン・ウルフのインタビュー。「紙の本は深く読む脳を育む」という。

(以下、712日付読売新聞より要約です)

・トランプ米大統領は読書が嫌い。歴代大統領の中でも、異例の存在だ

・トランプ氏は読むことに習熟していないので、他者に共感できない。だから自分自身が知っていることを過信し、妄信してしまう。トランプ氏が唱える「米国第一主義」は、幼稚な自己中心主義だ

・ただ読書嫌いは、直ちに無分別を意味しない。哲人ソクラテスは「人生の意義は言葉を吟味し、問いを発し、自ら思考すること。読むことは書き手に頼ることにあり、怠惰に堕する」といって、読書を批判した

・ソクラテスの批判は、現代のデジタル文書に通じる。スマホなど現代のデジタル媒体は、「言葉を吟味し、問いを発し、自ら思考する」ために適した媒体ではない

・真の理解は、時に立ち止まり、後戻りして、作者が姿を現すのを待つことで得られる。デジタル媒体は、結末に向けて読みを急かしてしまう

・電子書籍にも同様の落とし穴がある。つい読み流し、吟味が疎かになり「深い読み」ができない

・加えて、デジタル媒体は文章が短くなる。読み飛ばす読み手は、書き飛ばす書き手になるもの。ツイッターは象徴的

・トランプ氏は、自身の思いつきを単純な短文でつぶやくことしきり。それでは事態の複雑さを見落とし、多角的な見方もできない

・速読向きのデジタル媒体に染まると、ヒトは考えに時間を割かなくなり、短絡的になり得る。米国には、デジタル世代は他者への共感が薄くなっているという知見もある

・子どもの時になるべく多く紙の本に親しみ、デジタル媒体に接する時は、意識的に注意深く読む習慣をつけることが大切

                      天国はwifi完備だったりして・・・




2020年9月19日

PCUの人たち

 

 ひと月あまりを過ごした緩和ケア病棟(PCU)は、病院の最上階にあった。

 すべて個室で、窓から雄大な八ヶ岳連峰が見える。

 全12床に対して、看護師さんが15人。ナースステーションから、女性たちのおしゃべりと、笑い声が聞こえてくる。急性期病棟にはない、穏やかな空気に満ちていた。

私たちは、ここでしっかり痛みをコントロールしてもらい、再出発するつもりだった。でも一般には、緩和ケア病棟といえば「末期患者が最後の日々を過ごす場所」というイメージがある。

確かに、死の影はそこかしこにあった。

廊下でパジャマ姿の女性とすれ違った時。そのやせ方、頭髪の抜けた姿に、(本当に申し訳ないが)一瞬、アウシュビッツの収容者を連想した。

亡くなった人が搬出されていくのも、見かけた。

病棟の一角には、キッチン付のラウンジがある。大きな窓から陽光が入り、いつも明るい。外は屋上庭園で、色鮮やかなハーブが植えられている。

夕方になると、決まって坊主頭の中年男性が現れて、炊事を始めた。昨日はすき焼き、今日はジンギスカン。ジュージュー、肉が焼ける香りが充満する。

病気の奥さんがいるのかと思ったら、自分で食べ始めた。「このラム肉、スーパーで売ってるよ。病みつきになる味だね」。腰から、モルヒネの点滴バッグがぶら下がっている。

ある昼下がり、看護師のアスカさんが、初老の男性と一緒に入ってきた。よく日焼けして、土のにおいが漂ってきそう。その人の声が、聞こえてきた。

「今日から家内をよろしくお願いします」

「家内は、去年までパートに出ていたほど元気だったんです。血便が出るっていうんで診てもらったら、大腸がん。それも、腸を塞ぐほど大きくなっていて、転移もしてると言われて・・・」

「主治医のK先生によると、余命2か月。もしかしたら、もっと短いらしい。妻にはがんだってことは言ってあるけど、余命のことは話してません」

「あいにく次男夫婦が台湾に住んでいて、帰国すれば(コロナ禍で)往復4週間の自己隔離。だから葬式には来なくていい、と言っときました」

「この病棟は特別に、コロナでも面会できるんですね? 最後まで穏やかに過ごさせてあげたい。アイスなら喉を通るから、毎日差し入れに来ます」

 数日後、その男性が、K先生と話している。

「・・・その鎮静剤を使うと、痛みは治まるけれども、意識が戻らない可能性が高いんですか・・・もう、女房と話せないのか・・・息子たちは、オヤジに任せるって言うし・・・参ったな・・・どうしたもんかなあ」

 こちらに背を向けて座るその背中が、小さく、丸まっていた。





2020年9月12日

天使は実在する

 

 妻の体にその病気が見つかったのが、4年前の春。

「すぐウチで手術しないなら、他に行って欲しい」

 粗野で尊大な地元医師のことばに、不信感を募らせた妻が目指したのは、180キロ離れた信州S病院だった。

そしてマチコ先生が、妻の主治医になった。

 自分の体は自分で治す。妻は、先生が提案する外科的治療の多くを断った。病院経営的には、招かざる客だったと思う。

 それでも妻が行くたび、マチコ先生は30分、時には1時間も時間を割き、じっくりと話し合って治療方針を決めていた。

「私が思うに」「私の考えでは」が口癖のマチコ先生は常に、対等な立場で妻と向き合おうとした。東洋医学や中医学にも精通していて、さまざまな漢方薬を処方してくれた。

 息苦しさを訴える妻をクルマに乗せて駆け込んだときは、外科部長であるマチコ先生自ら、車いすを押して、玄関まで迎えに出てくれた。

 やがて入院した妻の病室を、マチコ先生は平日休日問わず、朝夕訪れた。体中を治療パッドに巻かれて暑がる妻を見ていた先生は、ニトリで冷感シーツを買ってきてくれた。

 そして、看護師さんも献身的だった。

 リンパ浮腫の専門知識を持つヒタチさんは、夜勤専門の看護師なのに、昼間に私服でやって来ては、妻の腫れあがった腕にサポーターを巻いてくれた。

 ある夜、ヒタチさんにこう言われたという。

「いい?私に向かって宣誓して。ナースコールするとき、絶対に遠慮しないって。『寂しい』だけでもコールしてね」

 妻の腕がさらに腫れて、パジャマの袖を通らなくなった時。何軒も店を回って、男物LLサイズのパジャマを見つけてくれたのは、「国境なき医師団」志望の看護師ミナミちゃん。

 68歳にして夜勤もこなす「スーパー看護師」スーさんは、畑で採れたキュウリやトマトを手土産に、1時間半もかけて妻の手足をマッサージしていった。

 マッサージがてら身の上話をしていく若い看護師さんも多く、それまで家で孤独な闘病をしてきた妻は「私、人気者なんだよ」と、うれしそうだった。

 病院を去る時、死が日常的にあるはずの緩和ケア病棟で、何人もの看護師が涙を流してくれた。そして向かった地下通用口の暗がりには、マチコ先生の姿が。外来診察を抜け出して、妻が乗った寝台車を見送ってくれた。


 ありがとう、マチコ先生と看護師の皆さん。

 「白衣の天使」は、本当にいた。



2020年9月5日

「アフターコロナ」は元通り


 家族の病気治療に専念するため、首都圏を離れて5か月余。

 ここ八ヶ岳山麓には、コロナの気配がほとんどない。個人的にも、コロナどころじゃなかったりする。

唯一の影響といえば、家族の入院先が、日に日に面会制限を厳しくしていくこと。「県外在住者は面会禁止」から、「市外から来た人は禁止」へ。そして一時、家族さえ面会禁止になった。主治医に泣きついて「裏口面会」する。

メディアは「ウィズ・コロナ」「アフター・コロナ」を特集しているが、面会以外にはコロナ禍の影響がないので、どうもピンとこない。

ただ、デジタルアートの旗手・猪子寿之氏の見方が、かなり的を射ている気がした。猪子氏は40代前半、起業家でもあるようだ。

(以下、例によって日経ビジネス電子版より要約です)

・過去にも疫病は多くあったが、都市化が止まったことはない。人は長い年月をかけ密へと向かっている。大きな流れは変わらず、「アフターコロナ」のようなものはない。収束後の世界は元に戻る

・みんなが「変わる」と言っているのは、そう言えば人々の関心が湧き、もうかるから。ビジネス的に、変わることにしている

・オフィスを持たずに仕事するといったことは、高付加価値の領域では起こり得ない。これまでに起こっていないことは、いずれ元に戻る

・以前の世界は、固定的で受動的だった。映画も遊園地も受動的で、行動原理は時間を消費し、楽しませてもらうこと。今後は、すべてが変化し続けるようになる。ゴールはあらかじめ設定されておらず、自分で表現し、アップロードする

・重要なのは、自らの意思で歩くこと。単なる時間の消費ではなく、意味を求めていく。働くことにも、お金でなく意味を強く求めるようになる。このシフトは、生存への心配が少ない地域で一気に進む

・歴史を見れば、人口爆発以外で栄えてきたのはグローバル化した場所。情報が重要となる中、様々な考え方を受け入れる素養が問われる。だから分断されているより、連動できる地域が発展しやすい

・世界では超大国のナショナリズム化が進んでいる。ナショナリズムも分断をあおるから、仮に日本がナショナリズムの低い大国として存在すれば、競争優位性が極めて高くなる

・前の産業の時にできた受け身の教育には何の意思もない。自らの意思のある身体で社会が変わるという体験を重ねていくべき

・ウィキペディアは世界中の言語に訳されて、どれだけの人が見たかを示す指標がある。日本人でその数値が最も高いのが、松尾芭蕉。現存する人物では映画監督の宮崎駿。日本が世界に最も影響を与えているのは、科学でも産業でもなく、文化かもしれない



HIKIKOMORI

  不登校や引きこもりの子に、心理専門職としてどう関わっていくか。 増え続ける不登校と、中高年への広がりが指摘されるひきこもり。 心理系大学院入試でも 、事例問題としてよく出題される。 対応の基本は、その子単独の問題として捉えるのではなく、家族システムの中に生じている悪循...