2019年6月1日

90歳・現役助産師のことば


 この春まで、近所のゆた君(3歳)を、電車で保育園に送った。

 園をのぞくと、ゆた君はいつも女の子に囲まれている。保育士さんも全員、優しそうな女性たち。ここはオスマン・トルコの「ハーレム」か。

 ゆた君の現状認識はというと、ほぼ100%、電車にしか興味がない。保育園はもう飽きたナ、という顔をしている。

 これから1世紀近い彼の人生の、今が絶頂かも知れないのに。

「ゆた君、1日でいいから代わってくれよ~」

 半分本気で頼んでいたら、そばにいた保育士さんが笑っていた。

 彼が年長になり、ぞうさんバスで通うようになると、ファミリーサポートから次のオファーが来た。

「3か月の赤ちゃんなんですけど・・・」

 お母さんが育児ノイローゼ気味で、短時間でいいから預かってほしいと。

今まで赤ちゃんに接した経験は、ほぼない。たしか研修で、おむつの替え方を習ったような・・・でもあれは人形相手だ。

 完全に腰が引けて、断ってしまった。

 その数日後。育児ノイローゼで我が子を死なせた女性の、初公判の記事が目に入った。「気がついたら、子どもを床に投げていた」と供述している。

 そして、ファミサポの支援を受けようとしたが、完全なワンオペ育児で、打ち合わせの場所にさえたどり着けなかった、と。

  やっぱりあの話、引き受けよう。乳児は歩かないから、かえって楽かも。急いでファミサポに連絡すると、その後は先方から電話がない、すでに他の支援を受けているのかも、という話だった。そうであることを祈った。

  日経ビジネス電子版に、90歳の現役助産師、坂本フジヱさんのインタビューが載っている。これまでに4000人の赤ちゃんを取り上げ、1人目の赤ちゃんは現在70歳! 長い長い経験に裏打ちされた、確かな言葉が並んでいた。

「ものを言わんから赤ちゃんが何も知らんと思ったら、大間違いや」
「何でもわかる」「抱いたら肩が凝るとか、そんなんも全部」

「そやから本当に、大事にかわいいかわいいと、それだけちゃんとするしかないんや」
「感覚が敏感な0歳児の間に、とにかく徹底して愛情を与えて与えきる。それで育児の50%は終わりです」

「男女雇用機会均等法ができて以降、家庭でも会社でも、女性と男性が同じような役割を果たすべきという考えが当たり前になりました。でも私はこれには断固反対です」
「子供がいたら子供に邪魔されて、自分の人生が面白くないという今の考え、これが一番の大きな問題なんですよ」

「子供を産む適齢期は絶対にあるんや」
「この期間に女性が他のことを気にせず、出産や育児に集中できる環境を作らなければいけません」

 そして最後に、
「若い人に言うことがあるとしたら、夫婦仲良く。それが全ての基本ですよ」


Hula Dance, Waikiki 2019

2019年5月24日

フツーでない人たち


 八ヶ岳山ろくのイタリア料理屋で、クライマーの友人夫婦に会う。

ついこの間、8か月のアメリカ大陸縦断から戻った2人に、フツーじゃない旅の、フツーじゃない土産話を聞いた。

まず、夫妻が成田を発った時の荷物が140キロ。ロッククライミング用の金属ギアやロープのほか、岩登りシューズ各種を「ひとり9足ずつ」持参した。

岩壁の形状別に使い分け、少しでもすり減ると交換する。かなり厳しいルートに挑んだらしい。

荷物制限が緩いエアラインを探して、北京経由でカナダへ。現地で中古のアメ車を購入し、車内で寝泊まりしながら、岩から岩へと数千キロを渡り歩いた。夜道をドライブ中、時速100キロで牛と正面衝突しそうになった。

時には、垂直の大岩壁のただ中、畳1枚ほどのテラスで夜を明かした。

そして北米が寒くなったら、今度は南半球へ。パタゴニアでは毎日、立っていられないほどの風が吹いた。ひと月テントで粘って、登れたのは3回だけ。

長旅の途中でダウンしたのは、いかつい風貌のダンナのほう。アメリカで体調を崩し、田舎の病院に駆け込むと、備え付けのipadskypeで日本語通訳につないでくれた。入院、手術し、数日で快癒した。

クレジットカード付帯の保険は、出国後3か月で失効する。あわてて日数を数えてみたら、ギリギリセーフ!聞いていた私の方が青くなった。

我々も、夫婦で長い旅をする。数年前はタイ、カンボジア、ラオスに86日間。ギリギリだ。でも考えてみたら、私たちはアパートを借りて、山には登らず、昼寝ばかりしている。病気やケガの心配は、ほぼない。

そして、超大国アメリカは病んでいた、とクライマー夫婦はいう。

もはや「人」としての形が崩れている、と感じるほど肥満した人たち。何をするでもなく、交差点をうろつくホームレスや不法移民。カリフォルニア州の雰囲気が、ことさら悪かったという。

そして、医療保険制度の不備。アメリカに住む知人が、民間の医療保険を買って病気に備えていたが、掛け金が10万円。一家4人でひと月40万円。

ひょっとして、二ホンていい国なの?

無事に帰国して、ダンナはこの夏を富士山頂で過ごす。測候所だった建物が、気象や宇宙、高所医学などの研究拠点になっていて、その管理人をして稼ぐ。真夏でも気温が氷点下になる、日本最高所の仕事だ。

妻は、畑仕事に精を出している。でもその正体は、山旅専門の売れっ子ツアーコンダクター。これまでタヒチやイースター島、ジョージア(グルジア)など辺境の山々を案内し、今夏はヨーロッパ、ピレネー山脈に行く。


「秋になったらヨセミテ登りに行きたいなあ」食後のコーヒーを悠然と味わいながら、ダンナが言った。

 え~っと・・・帰ってきたばっかり・・・だよね・・・

 話のスケール、デカすぎ。


Diamond Head 232m, Hawaii  今年唯一の山登り

2019年5月17日

SKYFARING A Journey with a Pilot


 ホノルルを離陸したユナイテッド903便が、ジェットストリームを向かい風に飛ぶ。成田まで9時間の機内で読んだ本が、

「グッド・フライト、グッド・ナイト」 マーク・ヴァンホーナッカー著

 著者は英国航空ジャンボ機のキャプテン。アフリカ史を学ぶため大学院まで進んだが、「遅ればせながら、飛ぶことを生涯の仕事にしたいと気づいた」。

 いざフライトスクールに入ってみると、医学生だったり技術者だった人たちが、もう一度、子ども時代の夢を追いかけようと集まっていた。

「授業料は高額なので、新米のパイロットの大半は家を新築するぐらいの借金を抱えている」そうだ。

 念願かなってパイロットになったのが、29歳。しばらくは副操縦士として、ヨーロッパ中を飛び回った。

「朝4時に目覚まし時計のアラームでまぶたを開けると、そこはまだ薄暗いヘルシンキだったり、ワルシャワやブカレストやイスタンブールだったりした。ぼうっとしたまま、ここはどこだろうと考える」

 そういえば・・・立て続けに出張が続いたある朝、私も目覚めた自分がどこにいるかわからなかった。ぼうっとしたまま宿を出ようとすると、チップを渡したベルボーイが、小躍りしながら最敬礼してくれた。

 ふと見た財布の中身は「インドネシア・ルピア」でなく、「フィリピン・ペソ」。そうだ、昨日の夜中にジャカルタからマニラに飛んだんだった。

10000ルピアのつもりで、10000ペソ渡してしまったらしい。日本円に換算するのが怖い・・・

 読み進もう。「宇宙飛行士に言わせると、宇宙からベルギーを見つけるのは簡単」。ヨーロッパで最も人口密度が高く、世界一明るい道路網があるから。

成層圏を飛ぶ旅客機のコクピットからも、ベルギーは「黄色がかったオレンジ色の光の糸が縦横に走っている」ので、すぐわかるという。

ベルギーに住む両親を訪ねた旅で、私も同じ光景を見た。飛行機の性能上、まだヨーロッパへの直行便がなかった時代。安い「南回り便」を選んだ。

途中でマニラ、バンコク、カラチ、バーレーン、アテネを経由し、機内食も5回食べた。窓にへばりついて異国の景色を眺めていると、隣席は日本人バックパッカーから、いつの間にか出稼ぎフィリピン人に代わっていた。

30時間の空の旅が終わり、飛行機が着陸態勢に入る。冬のヨーロッパを覆う分厚い雲を突き抜けると、輝く「オレンジ色の光の糸」が眼下に広がった。

空からの眺めが世界一と、著者を含めた多くのパイロットが推すのがグリーンランド。イギリスから北アメリカへ向かう飛行機に乗ると、離陸後3時間ほどでドラマチックな眺望が始まるという。

少年の心を持つ機長が操縦する飛行機に乗って、次の旅に出たくなった。



2019年5月11日

怖いハワイ


 この春、妻のいとこもハワイに行った。

 なんと、今年で22回目だという。

 寒い日本を脱出して、常夏の島へ。青い海と空を眺め、ビーチやショッピングに繰り出し、グルメを楽しむ。

多くの人にとって、やっぱりハワイは楽園だ。

たとえビーチと買い物とグルメに興味がなくても、カラカウア通りをそぞろ歩く人たちの楽しげな様子を見ているだけで、幸せな気分が伝染して来た。

でも今回は、楽園でないハワイも見た。

身軽なひとり旅だったので、空港からワイキキ中心部まで、タクシーを使わずに19番バスで往復した。途中、ダウンタウンの裏通りを通った。 

急に雰囲気が変わり、街角がゴミと落書きだらけに。そこかしこに、路上生活者らしき人が寝ている。ここで途中下車したら、かなりやばい。

一方でバスの乗客は、空港勤務らしい若い女性たち。楽しそうにおしゃべりしながら、朗らかに笑っている。ガラス1枚隔てて、対照的な光景だった。

 滞在中、カピオラニ公園やアラワイ運河沿いをジョギングした。日の出を拝み、早朝の爽やかな風に吹かれて走る足元では、ベンチごとにホームレスがうずくまって寝ていた。

 現地に住む知人から、とても怖い話を聞いた。観光でハワイを訪れた日本人家族が、町はずれの公園へストリートアートを見に行った。公衆トイレに寄った父親が、薬物中毒のホームレスに遭遇し、問答無用の暴行を受けた。

顔面を数か所骨折し、病院に運ばれた。手術を繰り返し、ひと月の入院でかかった費用は800万円。今回に限って、海外旅行保険に入っていなかった。完治しないまま、医師同乗で飛行機に乗せられ、帰国していったという。

私が「えひめ丸慰霊碑」に行こうとした時も、「公園の入口でホームレスがテント村を作っているから、走って通り抜けて」と忠告された。確かに、半裸の男たちが奇声を発する異様な雰囲気だった。

日本人がホームレスに抱くイメージとは、まったく違う。薬物中毒者が混じっていて、本当に何をされるかわからない。「アメリカ本土のホームレスが、片道航空券を手渡されて送り込まれている」という話も、現地で再三聞いた。

物価が上がり続けるハワイでは、いまや平均的な住宅価格が約90万ドル。普通に家を持つだけで1億円かかる。そして住処を失えば、簡単に路上生活に転落しうる。日本人のホームレスもいるという。

「ハワイは・・・観光で来るのが一番です」ホノルルに住んで6年目の知人が、しみじみと言っていた。







2019年5月4日

仕事場は戦艦ミズーリ


 写真記者時代に、ハワイ・真珠湾上空をヘリコプターで飛んだ。

 竹トンボのような2人乗りのヘリに乗り込むと、両側にドアがなく吹きっさらし。離陸するとすぐ足元に海面が見え、すごい高度感だった。

 真珠湾は昔も今も、アメリカ太平洋艦隊の母港だ。新鋭ミサイルフリゲート艦が停泊する海の底には、日本の真珠湾攻撃で沈んだ戦艦アリゾナ。1000人以上の戦死者が、艦内に眠る。上空から、水中の艦影がうっすら見えた。

沈没海域を船で巡るツアーに参加した。アメリカ人の参加者数十人に対して、日本人は私ひとり。「リメンバー・パールハーバー!」とは言われなかったが、居心地が悪かった。

ワイキキ・ビーチをそぞろ歩く日本人観光客も、真珠湾には来ないのだ。

その戦艦アリゾナ近くに、戦艦ミズーリが係留されている。19459月、その艦上で日本の無条件降伏の調印式が行われた。湾岸戦争を最後に現役を退き、現在はNPOの運営で見学者を受け入れている。

2月に、戦艦ミズーリで働くHさんと知り合った。そして今回、Hさんにミズーリ艦内を案内して頂いた。自ら愛車BMWを運転してホテルまで迎えに来てくれる、とても親切な人。

間近に仰ぎ見る巨体は、全長270メートル。Hさんは毎朝この戦艦に出勤して艦内で仕事をするが、台風でも揺れを感じることはないという。

その後部甲板が、無条件降伏の歴史的な舞台だ。当時の写真を見ると、アメリカや連合国側代表、大柄な水兵たちに囲まれて、重光外相ら数人の日本側が、とても貧相に見える。精一杯の燕尾服や山高帽が、余計に哀れを誘う。

戦争に負けるとはどういうことかを、端的に物語る光景。

同じ年の春、沖縄戦に参加したミズーリは神風特攻隊の攻撃を受けた。猛烈な砲火をかいくぐった勇敢な1機が、舷側に体当たりした。甲板から身を乗り出すと、今でもわずかな凹みを見ることができる。

甲板上に残された、特攻機の残骸とパイロットの遺体。水兵が廃棄物として海に捨てようとしたのを、当時の艦長が押しとどめ、遺体を棺に入れて日章旗に包み、丁重に水葬した。

祖国日本のために、命を賭したその人は誰だったのか。現在に至るまで調査が続いていて、10歳代の2人の特攻隊員に絞り込まれているという。

最近は、中国や韓国からの見学者も多い。韓国人にとっての戦艦ミズーリは、朝鮮戦争で窮地を救ってくれた英雄なのだ。

私が参加した日本語ガイドツアーの同行者は、2人だけ。日本からの見学者は修学旅行生が多いが、全ての学校が来るわけではないのがHさんの不満だ。

「ハワイに来て戦艦ミズーリを見ないで、いったい彼らは何を見て帰るんでしょうね」

本当にその通り!


2019年4月27日

雲の上も格差社会


 ハワイへは、アメリカの航空会社で往復した。

 全長64メートルの、巨大なボーイング777型機。その最前部から乗り込み、豪華なファーストクラス、座席が平らなベッドになるビジネスクラスを横目に、足元が広い上級エコノミーも通り過ぎて、最後部のエコノミークラスへ。

 後ろの席には中国のおばちゃん。スマホをスピーカーモードにして、誰かとものすごい大声で通話している。欧米人客も多く、日本人の姿はまばら。JALやANAでは味わえない、コスモポリタンかつ猥雑な雰囲気だ。

キャリン、キャリン、キャリン、キャリン、キャリン♪

 ベテランの客室乗務員(CA)が歌うように口ずさみながら、後ろ向きに機内食のカートを引っ張って来た。通路に突き出た乗客の肘や肩を、大きなお尻で押しのけながら進む。

 向こうの通路では、CA 2人がカートを挟んでにぎやかにおしゃべり。ときどき大笑いしながら、片手間に乗客から注文を取っている。

 日本の航空会社のサービスは、規律正しくきめ細かい。でもこうして、CAたちが楽しんで仕事をする姿を見ているのも、ぜんぜん悪くない。

 ハワイで帰国便をチェックしたら、ほぼ満席。上級エコノミーには空席があり、追加料金で買える。その金額は、搭乗前日までの間に180ドルから100ドルまで下がった。需給を見ながら価格を変える、ダイナミック・プライシング。

誘惑に負けて、100ドルを払った。いざ乗ってみると、上級エコノミーは空席だらけ。飛行機が尻もちをつくのではと心配になるほど、最後尾のエコノミークラスだけ混んでいる。100ドルを惜しむ人の方が多いようだった。

エコノミーに乗っていると、「早く着かないかなあ」と思う。ビジネスクラスに乗ると、「え、もう着いちゃったの?」。それぐらい、乗り心地が違う。

では、ファーストクラスは? 仕事で3日に1回飛行機に乗っていた頃、航空会社がファーストクラスをプレゼントしてくれた。行き先は、どこでもOK!

期待に胸を膨らませて、バンコク発シドニー行深夜便に乗り込む。すると他のファースト客は、やおらスーツを脱いで、備え付けのパジャマに着替え始めた。シートを倒し、水を枕元に置くと、あれよという間に寝てしまった。

パジャマ姿になれば、大臣もCEOも、ただのおじさん。しかも、揃って紫色のパジャマだ。これで縦じま模様でも入ろうものなら、かなり怖い。

せっかくなので、フランス料理のフルコースを頂く。暗がりの中で、ひとりナイフとフォークを動かす。自分がとてもさもしい人間になった気がした。

ファーストクラスの旅には、人としての器と、マイパジャマが必要だ。



2019年4月20日

ビーチに行かないハワイ


 ハワイの銀行は、ウクレレの音色のように大らかだ。

 アメリカ本土の銀行と違い、日本人旅行者も優しく受け入れてくれる。

 去年、ドル口座を開くためにハワイに向かった。

 ワイキキビーチにほど近い銀行を訪ねると、のんびりしたハワイ時間が流れている。手続きに1時間以上かかって、無事に口座を持つことができた。

 美しい絵柄のデビット機能付キャッシュカードは、日本のコンビニでも使える。おにぎり一つ買ってカードを差し出すたびに、ハワイの青い空と海を思い出す。

 そしてなんと、専属の担当者が付いた。私の担当はペギー嬢だ。

「ハイ、ペギー。最近私のカードが使えないんだけど・・・」

 先日メールを送ると、長期休暇中かな?とあきらめた頃に返事が来た。

「最後にカードを使ったスターバックスジャパンが、カードをブロックしたようです。ごめんなさい、再び使えるようにしました。ペギー」

 カフェラテ1杯の代金を引き落とせなかっただけで、人のカードを勝手にブロックするスタバっていったい・・・神に誓って、残高不足ではない。

 でも銀行に専属の担当者がいて、問題を解決してくれる。まるで大富豪になった気分。たった147ドルしか預金してないのに。

 ところが。

ハワイから戻ってネット検索していたら、ペギーさんの銀行よりさらに使い勝手がいい銀行を見つけてしまった。

 たとえば日本のコンビニATMで預金を引き出す際、「ペギー銀行」では15ドル+3%の手数料がかかるが、その銀行では一定の預金残高さえ維持すれば、手数料が免除されるのだ。この差は大きい。

 ペギーさんごめんなさい。浮気します。

 ビーチにもショッピングにもグルメにも興味のない人間が、再びハワイに飛んだ。

 早朝にホノルル空港に着き、その足でお目当ての銀行へ。

 ところが応対に出た行員は、私がゴミ預金者に見えたのか(事実だが)、最初から上から目線。口座開設の手続きを終えると、名も名乗らずに「あとは自分でバンキングセンターに電話してください」。取り付く島もない。

 でも一歩外に出れば、ここはハワイ。ヤシ並木を心地よい風が吹き渡る。



 将来もし、日本国債がデフォルトするような事になれば、ドルを持つ人は宝くじに当たったようなもの。ハワイ観光のついでに、銀行口座のひとつ持って損はない。

 わざわざ銀行のために2度行く人も、めったにいないと思うが・・・


快適すぎるインド旅行

  大学院入学を控えたこの春、卒業旅行と称して南インドを旅した。 旧フランス領のポンディシェリ、旧ポルトガル領コーチン、同ゴアなど「インドの中の西洋」を巡り、1日3 食、朝からカレーを食べ続ける旅。 この辺りのカレーは「ケララカレー」といって、ココナツベースで甘みがある。...