2026年5月1日

においを嗅ぐ心理師と、ひと筋の涙

 

この大学院の先生に、いわゆる研究バカはいない。

週の半分は、各方面で現役カウンセラーとして活躍中の人たちだ。

だから、その話にはとても臨場感がある。

K先生は長くジソウ(児童相談所)で働き、子どもの虐待やネグレクトに目を光らせてきた。

「来所するお母さんには必ず母子手帳を持ってきてもらってね、こっそり表紙のにおいを嗅ぐの。問題のある親子の手帳は、脂ぎってたり、タバコ臭かったりする」

「子どもの体のにおいにも敏感になるわね。大切に育てられている子はいい香りがするし、虐待を受けている子は、すえたにおいがすることがある。ママとパパ、どっちのにおいがするか嗅ぎ分けたりもする」

「そっと触ったりもするよ。耳の後ろに垢が溜まってないか、耳の穴が詰まってないかを見る」

「家庭訪問に行ったらまず、トイレを借りるね。トイレがいちばん、その家庭のありようを表してるから。ちゃんと子どもにトイレットトレーニングしてるかもわかるし」

「同行の職員には、『K先生は頻尿だね~』ってあきれられてるよ」

 

イギリス帰りのM先生は、カウンセラーとしての長いキャリアで一度だけ、泣いたことがあるという。

ある日、ガクソウ(大学の学生相談所)に、年配の男性がやってきた。長らく学びに飢えていた高卒の彼は、定年退職を期に、晴れて入学してきたのだ。

彼いわく、退職金を得たことを知った知人の女性に、資産運用を持ちかけられた。「私に預けてくれれば、1週間で倍にして返す」という。

試しに、1万円を預けた。1週間後、2万円を渡された。

次の週、2万円を預けた。翌週、4万円になって戻ってきた。

気がつけば、退職金全額を渡していた。

そして…そのお金は戻ってこなかった。

「彼にはね、『ここに来るより、まず法テラスに行きなさい』って言ったわ。そうしたら、女が書いた借用書が、新聞の折り込み広告の裏に走り書きしたような代物で、法的に効力がないことがわかって…」

一文無しになった彼は、宅配便の荷分けの仕事を始めた。

長年の夢だった大学に退学届けを出した日の、最後のカウンセリング。

向き合って座る彼との間に、沈黙が訪れる。

「ごめん、あなたにはかける言葉が見つからない…」

百戦錬磨のM先生の目尻から、涙がひと筋、滲み出たという。





0 件のコメント:

コメントを投稿

心理学者のイギリス

  第一志望校に3連敗して入ったこの大学院に 、奇跡が起きた。 私が入学した4月に 、PCA(クライエント中心療法)の ビッグネームが、他大学から移ってきたのだ。 実はワタクシ 、目指すは PCAのカウンセラー。 予備知識もなく入学した第二志望の大学で、こんな幸運に巡り合うとは…...