この大学院の先生たちは、いわゆる専門バカ、研究バカでいない。
今でも、週の半分は現役のカウンセラーとして活躍している。
だからその話には、臨場感がある。
K先生は長くジソウ(児童相談所)で働き、子どもの虐待やネグレクトに目を光らせてきた。
「来所するお母さんには必ず母子手帳を持ってきてもらってね、こっそり表紙のにおいを嗅ぐのよ。問題のある親子の母子手帳は、脂ぎってたり、タバコ臭かったりする」
「子どもの体のにおいにも敏感になるわね。大切に育てられている子はいい香りがするし、虐待を受けている子は、すえたにおいがすることがある。ママとパパ、どっちのにおいがするか嗅ぎ分けたりもする」
「そっと触ったりもするよ。耳の後ろに垢が溜まってないかどうか。耳垢が詰まってないかを見る」
「家庭訪問に行ったらまず、トイレを借りるね。トイレがいちばん、その家庭のありようを表してるから。ちゃんと子どもにトイレットトレーニングしてるかどうかもわかるし」
「同行の職員には、『K先生は頻尿だね~』ってあきれられてるよ」
イギリス帰りのM先生は、カウンセラーとしての長いキャリアで一度だけ、泣いたことがあるという。
ある日、ガクソウ(学生相談所)に、初老の男性がやってきた。長らく学びに飢えていた高卒の彼は、定年退職を期に、晴れて大学に入学してきたのだ。
同じころ、彼が退職金を得たことを知った知人の女性に、資産運用を持ちかけられた。「私に預けてくれれば、1週間で倍にして返す」という。
試しに1万円を預けた。1週間後、2万円を渡された。
次の週、2万円を預けた。翌週、4万円になって戻ってきた。
気がつけば、退職金全額を渡していた。
そして…そのお金は戻ってこなかった。
詐欺だった。
「彼にはね、『ここに来るより、まず法テラスに行きなさい』って言ったわ。そうしたら、女が書いた借用書が、新聞の折り込み広告の裏に走り書きしたような代物で、法的に効力がないことがわかって…」
一文無しになった彼は、宅配便の荷分けの仕事を始めた。
長年の夢だった大学を去ることになった彼との、最後のカウンセリング。向き合って座るM先生と彼との間に、長い沈黙が訪れる。
「ごめん、あなたにはかける言葉が見つからない…」
百戦錬磨のM先生の目尻から、涙がひと筋、こぼれ出たという。

0 件のコメント:
コメントを投稿