2019年5月4日

仕事場は戦艦ミズーリ


 写真記者時代に、ハワイ・真珠湾上空をヘリコプターで飛んだ。

 竹トンボのような2人乗りのヘリに乗り込むと、両側にドアがなく吹きっさらし。離陸するとすぐ足元に海面が見え、すごい高度感だった。

 真珠湾は昔も今も、アメリカ太平洋艦隊の母港だ。新鋭ミサイルフリゲート艦が停泊する海の底には、日本の真珠湾攻撃で沈んだ戦艦アリゾナ。1000人以上の戦死者が、艦内に眠る。上空から、水中の艦影がうっすら見えた。

沈没海域を船で巡るツアーに参加した。アメリカ人の参加者数十人に対して、日本人は私ひとり。「リメンバー・パールハーバー!」とは言われなかったが、居心地が悪かった。

ワイキキ・ビーチをそぞろ歩く日本人観光客も、真珠湾には来ないのだ。

その戦艦アリゾナ近くに、戦艦ミズーリが係留されている。19459月、その艦上で日本の無条件降伏の調印式が行われた。湾岸戦争を最後に現役を退き、現在はNPOの運営で見学者を受け入れている。

2月に、戦艦ミズーリで働くHさんと知り合った。そして今回、Hさんにミズーリ艦内を案内して頂いた。自ら愛車BMWを運転してホテルまで迎えに来てくれる、とても親切な人。

間近に仰ぎ見る巨体は、全長270メートル。Hさんは毎朝この戦艦に出勤して艦内で仕事をするが、台風でも揺れを感じることはないという。

その後部甲板が、無条件降伏の歴史的な舞台だ。当時の写真を見ると、アメリカや連合国側代表、大柄な水兵たちに囲まれて、重光外相ら数人の日本側が、とても貧相に見える。精一杯の燕尾服や山高帽が、余計に哀れを誘う。

戦争に負けるとはどういうことかを、端的に物語る光景。

同じ年の春、沖縄戦に参加したミズーリは神風特攻隊の攻撃を受けた。猛烈な砲火をかいくぐった勇敢な1機が、舷側に体当たりした。甲板から身を乗り出すと、今でもわずかな凹みを見ることができる。

甲板上に残された、特攻機の残骸とパイロットの遺体。水兵が廃棄物として海に捨てようとしたのを、当時の艦長が押しとどめ、遺体を棺に入れて日章旗に包み、丁重に水葬した。

祖国日本のために、命を賭したその人は誰だったのか。現在に至るまで調査が続いていて、10歳代の2人の特攻隊員に絞り込まれているという。

最近は、中国や韓国からの見学者も多い。韓国人にとっての戦艦ミズーリは、朝鮮戦争で窮地を救ってくれた英雄なのだ。

私が参加した日本語ガイドツアーの同行者は、2人だけ。日本からの見学者は修学旅行生が多いが、全ての学校が来るわけではないのがHさんの不満だ。

「ハワイに来て戦艦ミズーリを見ないで、いったい彼らは何を見て帰るんでしょうね」

本当にその通り!


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