2018年11月17日

天使と過ごす30分


 今日も、Kちゃんとデートした。

 一時預かり施設からママが働く病院まで、30分の夕暮れドライブ。

 何度も同じ道をデートしているが、彼女はいつだって奔放だ。

 車検証やバッグの書類など、手が届く限りの紙を丸めて、そこら中に投げる(・・・しわを伸ばせばまた読めるし。節分みたいで楽しいね)。

 ボールペンやCDを、窓から車外に投げる(あああ。ま、拾いに行けばいいや)。

 走っている最中に、助手席から手を伸ばしてギアをニュートラルにしたり、ハンドブレーキを引いたり(クルマがどうやったら止まるか、小さいのによ~く理解してるね)。

渋滞がちな道中、どうしたらKちゃんがよりハッピーになり、私も前方不注意にならずに済むか。あまりしゃべらない彼女の胸中を、推し量ってみる。

絵は好きなのかな。子ども扱いを嫌う彼女に、ホワイトボードと4色ペンをそっと手渡した。

 無心に絵を描いている。珍しく、車内に静かな時間が訪れた。

 ところがある日、彼女がムキになって、ボードにタテ線を書き殴っている

Kちゃん・・・それ、なんの絵?」

「雨。」

Kちゃんの今の心境は、土砂降り?)

 そしてボードが青一色に塗りつぶされると、今度は私の腕に描き始めた。顔色ひとつ変えずに。

(うわあああ、買ったばっかりのシャツが・・・いや待てどうせユニ〇ロだ)

 毎回、度量を試される。落ち着け、自分。運転に集中しろ。

 今日はどんな展開が待っているか、楽しみに行けばKちゃん爆睡中。先生に抱っこされて車に運ばれ、院内保育所に着いても起きない。寝たまま抱っこで保育士さんに手渡す。天使のような寝顔が、みんなを笑顔にした。

 一度だけ、彼女にお返ししたことがある。

 その日も橋の手前で渋滞が始まり、Kちゃんが退屈し始めた。モゾモゾ、足元の赤いリュックを開けようとしている。

「!」

 小さな背中を見ていて、ピンときた。とっさに運転席側のスイッチで、全ての窓を閉めた。

 次の瞬間。Kちゃんが振り向きざま、食器袋を窓に向かって投げつけた。ガチャーーン!間一髪、閉まった窓ガラスに当たって跳ね返り、戻ってきた。

「やった!」大喜びするおじさんの隣で、憮然とするKちゃん。

 NPO活動で障がいのある高齢者と接していると、人生終盤の厳しい現実を見ることがある。Kちゃん自身がどう思っているか知らないが、彼女と過ごす30分が、間違いなく心の救いになっている。




2018年11月10日

サラリーマン冒険家たち


「会社やめて、毎日なにしとんのや」

「いや・・・その・・・個人投資家として・・・」

「なにい個人投資家だ? なんじゃそりゃあ! うさん臭いのう!!」

 大学山岳部の会合で、数年ぶりに会った先輩に笑い飛ばされた。

 後輩の一部から「うらやましい」という声も聞こえたが、とても本気で言っているとは思えない・・・



 今から25年前、まだ20代だった彼ら山岳部の仲間とヒマラヤの未踏峰に挑んだ。8000メートル近い高さの山に登るには、優に2か月はかかる。ふつうは会社を辞める覚悟が必要だ。

ところが、当時新聞社に入って5年目の私は「出張扱い」にしてもらった。夕刊特集面を作ることを条件に、「会社のお金で」好きな山登りができた。帰国後には、骨休め休暇までもらってしまった。

学校を出てからもヒマラヤ登山を続けるには、どうしたらいいか。ひと昔前は、学校の先生になるのが正解だった。毎年、夏にひと月も休めたから。

学校が次第にブラック職場化してくると、今度はマスコミに人気が移った。私や山岳部の後輩は、軒並み新聞社やテレビ局に就職している。

会社側にとっても、山岳部出身者は「真冬に夜中まで張り込みさせても文句を言わない」便利な人材だったと思う。双方の利害が見事に一致していた。

 マスコミに入った後輩たちは、それぞれ会社の経費で北極に行ったり、南極で越冬したり、エベレストに登頂したり。役得をフルに行使した。

 登頂25周年を祝う会で、久しぶりに会った彼ら。歳も50前後となり、現場は若手記者に譲って、もっぱら社内でデスクワークに勤しむ毎日だ。

 テレビに行った連中は元気がいい。いつの間にか、酒にも強くなっている。某局で部長職を務める後輩にごちそうになった時、会計で領収書を作りながら彼が豪語する。


「オレが使える交際費には上限がないんっすよ」

 史実を基にした映画「ペンタゴン・ペーパーズ」では、メリル・ストリープやトム・ハンクス扮する新聞人たちが輝いている。政権の圧力に抗して、歴代大統領のウソを暴いていく。それがベトナム戦争の終結につながった。


 いつだって、歴史を作るのは新聞だ。

 それなのに、なぜ新聞ばかりが没落する?

 世の中、なにか間違っている。









2018年11月2日

蒸留された情報


 新聞記者だった先輩が、退職と同時にテレビを捨てた。

 会社にいる時はもちろん、休日も家のテレビをつけっ放しにしてニュースを追い、緊急速報のチャイムに身構える。そんなことを何年も続けていると、確実に心が摩耗する。

 仕事上の必要がなくなってしまえば、ニュースがなくても困らないことに、私も気づいた。

 そして、投資家にとっての経済ニュースも、ただ気ぜわしいだけだ。経済専門チャンネル(CNBC、ブルームバーグなど)をつけっ放しにしている人は、ちょっとカッコいいが、有益とは限らない。


「まぐれ」(Fooled by Randomness)の著者ナシーム・N・タレブは、オプション取引のトレーダーにして大学教授。彼もマスコミに対して辛辣だ。


「マスコミは私たちが出くわす最大の害悪」「世界はどんどん複雑になり、一方私たちはどんどん単純化されたものにばかり接するようになる」

「マスコミと歴史の違い=ノイズと情報の違い」

「マスコミでありながら有能な人間であるためには、物事を歴史家のような視点で見て、自分が提供する情報の価値を割り引いて考えなければならない」

「新しい考え方よりも蒸留された考えにこそ価値がある」

「疑わしい時はシステマチックに新しいアイデアを否定するのが一番いいやり方だ。明らかに、そして驚くべきことに、常にそうなのだ」

「情報の問題点は、気が散るところや一般的には役に立たないところではない。有毒なところだ」

「不確実性の下で意思決定を行う時には、マスコミには可能な限り接しない方針を持つのが正しいはず」

「マスコミにとって、黙るぐらいならそれこそ何でもいいからしゃべった方がましなのである」

「蒸留されていない情報の蒸留された情報に対する比率が上がり、市場は前者で溢れかえっている。昔の人の戒めなんか、緊急ニュースで届いたりしない」



 最近起きたマーケットの変動を、マスコミは米中貿易戦争」結びつけたが、本当だろうか。

 市場でつけられたものの値段が、その本質的な価値より高くなりすぎれば、いつか必ず元に戻る。その逆もまた真なり。今回も、それだけの話だと思う。



「やっぱり詩でも読んでいる方がいい。何か本当に重要な事件が起きたなら、どのみち私の耳までたどり着くだろう」

2018年10月27日

時間を飛び越える


 3年ほど前、障がい者の通院を支援するNPOに入れてもらった。

 暇を見ては、車いす用リフトが付いた車のハンドルを握る。

 その後もいっこうに忙しくならないので、毎日ハンドルを握っている。



 夏が終わるころ、久しぶりにNさんを乗せた。

「認知症が進んで大変だよ」 NPO仲間が敬遠する人だ。

 予約の時間に、アパートのチャイムを鳴らす。返事がない。

 もう1回鳴らす。

 ドアが開いた。不審そうな顔をしたNさんが、暗闇に立っている。

「○○会のミヤサカです。今日は病院に行く日ですよね?」

「・・・あっ! 待ってろ、すぐ行く」

 身支度に15分かかって、ようやく出発。病院は遅刻だ。

「春以来ですね。変わりないですか?」「これ以上変わりようがねーよ!」

 独り暮らしのNさんは、糖尿病の合併症で目が見えにくい。足も弱ってきた。毎週、輸血を受けるのは、別の重大な病気かも知れない。

 でも雨戸を閉め切ったアパートで、日がなタバコをくゆらせている。腹が減ると、買い溜めしたコンビニおにぎりに、お茶をかけて食べる。

 定期的にヘルパーの訪問も受けるが、本人曰く「おれが孤独死しないよう、ケアマネが勝手に仕組んだ」。

ケアマネさんに頼まれて、私が「ちゃんと薬飲みました?」と聞くと、「忘れた」。そもそも飲む気がない。病気を治さない自由を行使する。



「今日は病院の日ですよ」「・・・あっ!」

その後も、玄関先で同じやりとりが続いた。ひとつ、聞いてみた。

「ところでNさん。部屋に時計はありますか?」「・・・ない」「やっぱり」

 いつからか、時間や曜日の観念をも超越したようだ。



NPOに加わった3年間で、助手席に乗せた6人を見送った。送迎予約が入らなくなり、「○○さんは入院しました」と知らされる。しばらくして、訃報を聞く。

長生きする気がないNさんを乗せる日も、いつまで続くかわからない。彼の姿を心に刻み、いずれは自分も、Nさんの境地に至りたいと思う。



最近、眠れぬ夜にふるさとを思い出すという。Nさんは日本海の離れ小島で育った。少年時代、暗くなる頃あいを見て、よその庭に忍び込んだ。

「こたつの上のミカンはうまくない。盗んで食うからうまいんだ」
「・・・」


Tateshina Japan, Autumn 2018

2018年10月20日

ビリギャルが来た


「学年ビリのギャルが1年で偏差値を40上げて慶應大学に現役合格した話」

 塾講師(坪田信貴)が本に書き、有村架純の主演で映画化もされた。

 先日、その「ビリギャル」本人が、なんと家から自転車で10分の市民ホールに現れた。先生目線でない、当事者自身の話を聞くことができた。

 主人公「ビリギャル」こと小林さやかさん、30歳。会社勤めの後、フリーのウェディングプランナーに。社会人3年目に「ビリギャル」が出てから、講演依頼が殺到。いまは年100回の講演で、全国を飛びまわる日々だという。

「元ギャル」らしさの演出か、講演はタメ口混じり。隣のお姉さん風でいて、話術は巧み。実質70分の講演が、あっという間だった。

開口一番、「ビリギャル」の本当の主人公は、実は彼女が「あーちゃん」と呼ぶ彼女の母親だ、と言った。

・母は、ビリギャルの私、高校中退でヤンキーの弟、不登校の妹、きょうだい3人をいつでも肯定した。相づち・うなずき・繰り返し。家事を全て中断して、私の話を聞いてくれた

・中学時代、タバコで学校に呼び出されても叱られなかった。母はむしろ、「子どもを信じていることを見せる絶好のチャンス」と考えていたようだ

・母の望みは、「ワクワクすることを自分の力で見つけられる子になって欲しい」ということ

・私は自分のためだけにはがんばれない。1日15時間勉強できたのは、「あなたが笑顔でいてくれるだけで私は幸せ」と言って何も求めない母のため

・人間は感情の生きもの。心が揺さぶられないと、大きな努力はできない➡「好き」「ワクワク」がいちばんの原動力。ワクワクする目標を自分で設定するには、親子でどうでもいい会話をたくさんすること

・不登校だった妹は、私の姿を見て「もっとラクして東京の大学に行きたい」。自らニュージーランドの高校に進学し、帰国子女枠で上智大に合格した

・最近ニューヨークに行った。受験勉強で英語の偏差値を28から72にしたのに、英語が話せなかった。これが日本の教育の現実



 彼女が合格したのは慶大、それもSFC総合政策学部。主な受験科目は小論文で、暗記力より思考力が試される。当意即妙な彼女の講演からは、かなり小さい頃から、自分なりの考えを持って生きてきたことが伺えた。

 卒業後、彼女は北海道の高校に「押しかけインターン」に行った。先生でも生徒でも親でも子でもない立場から、学校を見た。生徒への影響力がとても大きい教師たちが、実は社会とつながっていないと感じた。

だから最近、彼女自ら「面白い大人と学生をつなぐ場」を作った。

 この積極性。慶大合格は、ビリギャルのその後の人生を、間違いなく大きく変えたといえる。

 会場を見渡すと、聴衆は40歳前後の子育て世代の女性が目立った。




2018年10月13日

職場のアメリカ人


 カブール市街を見下ろす丘に、インターコンチネンタル・ホテルがある。

 テロリストの乱入で多くの死傷者が出たが、当時はアフガニスタンでも安全なホテルとされていた。

 高級ホテルだったのは、昔の話。エレベーターは動かぬ箱と化し、客室清掃係(全員おじさん)はシーツも代えてくれない。ちょっとシワを伸ばしただけで、チップを要求された。

 汚れた窓を開けて、衛星電話を突き出す。インド洋上の人工衛星を経由して、写真を東京に送る。

ドアが開き、わがボスが入ってきた。

「おいミヤサカ! ついでにこれも送ってくれ」

 無造作に渡されたUSBメモリの中身は、本社宛の書類だった。ちょうど査定シーズンで、アジアに散らばる特派員への、ボスの評価が記されている。

そっと覗くと、私へは最大限の評価がされていた。

活躍した覚えはない。でも給料が上がるのはうれしい。年末のボーナスを楽しみに待った。でも本社の査定は、相も変わらず「中の中」。昇給もない。

他部から来ている人間には、余分な給料を払いたくないのだろう。でも、ありえないほどの評価をくれた当時のボスには、感謝している。



帰国後に中間管理職になり、今度は自分が部下を評価することになった。彼らの自己申告書を読むと、「私は全ての項目において平凡です」と書く人もいれば、全項目に「自分は上の上だ!」と書く人もいた。

「上の上だ!」の彼とは、わりと親しかった。「よくこんなこと書けるなあ」ある時、面と向かって言ってみた。彼によれば、自分で「中の中」と書くことは、それ以上の査定を得る可能性を失う自殺行為なのだそうだ。

 次から私も、その手でいこうか。でも自分で自分を「すべてにおいて上の上」だなんて、そんなアメリカ人みたいなこと・・・とてもできない。



 報道カメラマンは結果(写真)がすべて。査定に容赦はないが、わりと公平だ。でも現場を離れて中間管理職になると、得体の知れない別の要素が混じってくる。忙しいフリをする人が、得をしているように見える。とても疲れる。

「まぐれ」や「ブラック・スワン」を書いたN・タレブも、言っている。

「サラリーマンをやっていて、だから他人の判断に左右される立場だと、忙しいフリをしていたほうが、まぐれの飛び交う環境で出た結果を自分の手柄にしやすい」
「誰かが忙しそうに見えると、因果関係、つまり結果とその人が結果に果たす役割の結びつきが何かありそうな気がしてくるのである」

 二度と人に雇われずに生涯を終えられれば、それが最高だ。


2018年10月6日

不死身のカメラマン


「死ななくてもいいと思います。死ぬまで何度でも行って爆弾を命中させます」

 戦争末期、神風特攻隊パイロットだった佐々木友次氏は、「必ず死んで来い」と言われながら9回出撃し、そのたびに生還した。

 21歳の若者がなぜ、40代50代の上司の命令に背くことができたのか。劇作家の鴻上尚史が佐々木氏を病院に訪ね、「不死身の特攻兵」を書いた。

 特攻隊で死んでいったパイロットたちは「全員が志願だった」、と命令した側は言い張る。一方で命令された側の手記には「絶対に志願ではない、命令だった」と書かれている。

 鴻上はこれを、社長の命令によって社員が疲弊しているのに「全員が志願して働いている」というのと同じだという。命を消費するブラック企業の究極だと。

 この本は、ビジネスマンが「理不尽な命令はうちの会社とまったく同じだ」と言って読み始め、次に女性たちが「PTAと似ている」と話題にした。



 自分にとっての大ピンチは、10年ほど前に訪れた。

「パキスタンのブット元首相、亡命先から凱旋帰国へ」

 その一報が入ったとき、私は運悪く?バンコクに駐在していた。パキスタンは自分の縄張りで、何度も出張している。イスラム過激派による自爆テロが頻発し、何が起きてもおかしくない不穏な空気を感じていた。

 ましてや、暗殺予告が出ている悲劇のヒロインだ。あまり近づきたくない。

 現地の特派員に連絡したら、こう言われた。

「ミヤサカさんにはパキスタン人の助手をつけますから、勝手にカラチ空港に行って下さい。ぼくはホテルでテレビ中継を見ながら原稿を書きます」

 よくそんなこと言えるなあ。決定的シャッターチャンスは、命と引き換えか。

ほぼ同じタイミングで、今度はイランで日本人大学生が誘拐された。私はイラン大使館に日参し、死に物狂いでビザの発給交渉をした。日本人学生以外の取材はしないという条件で、入国ビザが下りた。私は全速力でイランに向かった。

そしてブット元首相は帰国後の遊説中、爆弾テロに倒れた。近くにいた20人が、巻き添えで犠牲になった。



 階級社会の軍隊にいながら、佐々木氏が命令に背けたのは、空の上では全ての責任を自分でコントロールするパイロットだったから、と鴻上は見ている。

 カメラマンだった私の場合、当時は写真セクションと国際報道セクションそれぞれに上司がいて、命令系統に空白があった。そこに個人の裁量で動ける余地が生まれて、あやうく命拾いした。

「不死身の特攻兵」は、主に日本社会の枠組みに苦しんでいる人、うっとうしいなと思っている人に読まれているという。「一方でこうした共同体に没入することで安心を得ようとする人もいます。実に厄介です」(鴻上)。

Tateshina Japan, Autumn 2018

HIKIKOMORI

  不登校や引きこもりの子に、心理専門職としてどう関わっていくか。 増え続ける不登校と、中高年への広がりが指摘されるひきこもり。 心理系大学院入試でも 、事例問題としてよく出題される。 対応の基本は、その子単独の問題として捉えるのではなく、家族システムの中に生じている悪循...