2018年10月13日

職場のアメリカ人


 カブール市街を見下ろす丘に、インターコンチネンタル・ホテルがある。

 テロリストの乱入で多くの死傷者が出たが、当時はアフガニスタンでも安全なホテルとされていた。

 高級ホテルだったのは、昔の話。エレベーターは動かぬ箱と化し、客室清掃係(全員おじさん)はシーツも代えてくれない。ちょっとシワを伸ばしただけで、チップを要求された。

 汚れた窓を開けて、衛星電話を突き出す。インド洋上の人工衛星を経由して、写真を東京に送る。

ドアが開き、わがボスが入ってきた。

「おいミヤサカ! ついでにこれも送ってくれ」

 無造作に渡されたUSBメモリの中身は、本社宛の書類だった。ちょうど査定シーズンで、アジアに散らばる特派員への、ボスの評価が記されている。

そっと覗くと、私へは最大限の評価がされていた。

活躍した覚えはない。でも給料が上がるのはうれしい。年末のボーナスを楽しみに待った。でも本社の査定は、相も変わらず「中の中」。昇給もない。

他部から来ている人間には、余分な給料を払いたくないのだろう。でも、ありえないほどの評価をくれた当時のボスには、感謝している。



帰国後に中間管理職になり、今度は自分が部下を評価することになった。彼らの自己申告書を読むと、「私は全ての項目において平凡です」と書く人もいれば、全項目に「自分は上の上だ!」と書く人もいた。

「上の上だ!」の彼とは、わりと親しかった。「よくこんなこと書けるなあ」ある時、面と向かって言ってみた。彼によれば、自分で「中の中」と書くことは、それ以上の査定を得る可能性を失う自殺行為なのだそうだ。

 次から私も、その手でいこうか。でも自分で自分を「すべてにおいて上の上」だなんて、そんなアメリカ人みたいなこと・・・とてもできない。



 報道カメラマンは結果(写真)がすべて。査定に容赦はないが、わりと公平だ。でも現場を離れて中間管理職になると、得体の知れない別の要素が混じってくる。忙しいフリをする人が、得をしているように見える。とても疲れる。

「まぐれ」や「ブラック・スワン」を書いたN・タレブも、言っている。

「サラリーマンをやっていて、だから他人の判断に左右される立場だと、忙しいフリをしていたほうが、まぐれの飛び交う環境で出た結果を自分の手柄にしやすい」
「誰かが忙しそうに見えると、因果関係、つまり結果とその人が結果に果たす役割の結びつきが何かありそうな気がしてくるのである」

 二度と人に雇われずに生涯を終えられれば、それが最高だ。


2018年10月6日

不死身のカメラマン


「死ななくてもいいと思います。死ぬまで何度でも行って爆弾を命中させます」

 戦争末期、神風特攻隊パイロットだった佐々木友次氏は、「必ず死んで来い」と言われながら9回出撃し、そのたびに生還した。

 21歳の若者がなぜ、40代50代の上司の命令に背くことができたのか。劇作家の鴻上尚史が佐々木氏を病院に訪ね、「不死身の特攻兵」を書いた。

 特攻隊で死んでいったパイロットたちは「全員が志願だった」、と命令した側は言い張る。一方で命令された側の手記には「絶対に志願ではない、命令だった」と書かれている。

 鴻上はこれを、社長の命令によって社員が疲弊しているのに「全員が志願して働いている」というのと同じだという。命を消費するブラック企業の究極だと。

 この本は、ビジネスマンが「理不尽な命令はうちの会社とまったく同じだ」と言って読み始め、次に女性たちが「PTAと似ている」と話題にした。



 自分にとっての大ピンチは、10年ほど前に訪れた。

「パキスタンのブット元首相、亡命先から凱旋帰国へ」

 その一報が入ったとき、私は運悪く?バンコクに駐在していた。パキスタンは自分の縄張りで、何度も出張している。イスラム過激派による自爆テロが頻発し、何が起きてもおかしくない不穏な空気を感じていた。

 ましてや、暗殺予告が出ている悲劇のヒロインだ。あまり近づきたくない。

 現地の特派員に連絡したら、こう言われた。

「ミヤサカさんにはパキスタン人の助手をつけますから、勝手にカラチ空港に行って下さい。ぼくはホテルでテレビ中継を見ながら原稿を書きます」

 よくそんなこと言えるなあ。決定的シャッターチャンスは、命と引き換えか。

ほぼ同じタイミングで、今度はイランで日本人大学生が誘拐された。私はイラン大使館に日参し、死に物狂いでビザの発給交渉をした。日本人学生以外の取材はしないという条件で、入国ビザが下りた。私は全速力でイランに向かった。

そしてブット元首相は帰国後の遊説中、爆弾テロに倒れた。近くにいた20人が、巻き添えで犠牲になった。



 階級社会の軍隊にいながら、佐々木氏が命令に背けたのは、空の上では全ての責任を自分でコントロールするパイロットだったから、と鴻上は見ている。

 カメラマンだった私の場合、当時は写真セクションと国際報道セクションそれぞれに上司がいて、命令系統に空白があった。そこに個人の裁量で動ける余地が生まれて、あやうく命拾いした。

「不死身の特攻兵」は、主に日本社会の枠組みに苦しんでいる人、うっとうしいなと思っている人に読まれているという。「一方でこうした共同体に没入することで安心を得ようとする人もいます。実に厄介です」(鴻上)。

Tateshina Japan, Autumn 2018

2018年9月29日

家賃交渉

 借家暮らしも、かれこれ数十年。
いま住んでいる湘南の賃貸マンションは、「新幹線駅から徒歩15分」が売りだ。でも15分で歩けた試しがない。
以前住んでいた物件も「駅から徒歩15分」だったが、ちゃんと15分で歩けた。この手のタイム設定は、「やばい会社に遅刻する」という動機付けがあって初めて達成できるようだ。
いまのマンションは市街地にありながら、海まで徒歩10分。ハイキングができる山にも近い。バルコニーの正面が畑で、静かな環境にある。
夕方部屋にいると、弾き語りをする男の声が頭上から聞こえてくる。ウクレレでつまびくのは「My Way」ばかりで、いつも陶酔しながら歌っている。
かなり怪しい。
でも会社にも行かずに昼からブラブラし、突然2~3か月留守にして郵便受けを溢れさせる自分は、きっともっと怪しい

マンションの誰かが退去すると、入口に「入居者募集中」ののぼりが立つ。この夏は立て続けに2部屋、空きが出た。
ネットでこのマンションの物件情報を調べてみると、たった数年で家賃が1万円下がっている。しかも最初の1か月の家賃はタダ。我々はしっかり取られた礼金も、いつの間にかタダになっている。
 これは・・・
ちょうど契約更新の時期だったので、勇気を奮って不動産業者に電話してみた。逡巡があったが、黙って人より高い家賃を払うのもお人よしすぎる。
 電話に出た女性に、入居時の家賃と直近の家賃の差を伝える。値下げを打診すると爽やかな声で、「さっそく担当者に伝えます」。数日後に交渉した担当者もまた、感じのいい男性だった。
 そしてものの数分で、密かに目指していた額には届かなかったものの、家賃を値下げしてもらえた。
 雑談交じりに聞くと、最近はなかなか入居者が決まらないことがあり、この夏は思い切った値にしたとのことだった。
 自分が学生の頃までは、土地や家は値上がりするものと相場が決まっていた。あっけなく家賃が下がって、時代の変化に立ち会った気がした。
 人口減少により、日本中で空き家が増えている。東京都心は別にしても、今後は「不動産は値下がりするもの」が常識になるのだろうか。

※賃貸物件の場合、入居者が決まると情報がネット上から削除される。今回は家賃のページを保存しておいたのが、値下げ交渉の切り札になった

Tateshina Japan, Autumn 2018

2018年9月22日

リーマンと一サラリーマン



「100年に1度の金融危機」リーマン・ショックから10年。

 20089月のあの日、まともな人ならマイホームや子どもの教育に充てるであろう有り金全てを、私は世界中の株に注ぎこんでいた。

株式市場の大暴落で、1000万円単位のお金が一瞬で吹き飛んだはずだ。

 でも憶えていない。努めて証券口座の残高を見ないようにしていたおかげで、何も知らずに済んだ。


危機の黒い影はしかし、数年かけてじわりじわり、わが身辺に及んできた。

リーマン半年前まで、私はバンコク特派員だった。当時はイランやアフガンから南太平洋の島々まで、自分の縄張りの中は自由に動くことができた。ところがリーマン後、後任O君は、東京の許可がないと出張に出られなくなった。

現場にいなければ写真が撮れない報道カメラマンに、現場に行くなという。

その後、なんと海外駐在のポストそのものが消滅し、O君は任期途中で戻された。

その頃、私は転勤で九州へ。新しい職場に顔を出すと、いきなり「キミの引っ越し代は高すぎる」と怒られた。

夫婦2人なのに3LDKでないと荷物が収まらない。人よりモノが多いのは認める。でも何度も社命で転勤して、こんなこと言われるのは初めて。

転勤先で45歳の誕生日を迎えた。すると「セカンドライフ研修」なるもののために、わざわざ飛行機で東京本社に集められた。

配られた冊子には、退職金の算出方法がこと細かに書かれている。講師に言われるまま、計算式に則って「老後のマネープラン」を作成する。割増退職金さえあれば、いま辞めてもそれなりに暮らせるという結果が出た。

本当に信じていいものか。SONYの「追い出し部屋」ほど露骨ではないにせよ、「3年で辞められても困るが、20年以上しがみつかれるのはもっと困る」という会社の本音が、透けて見えた。

 現場に出られなくなった時が潮時、とは思っていた。経費節減に血道を上げる上司の存在が、強く背中を押した。なんだかんだでリーマン・ショックは、私個人のライフシフトに大きな影響を与えた。

フリーになってから、福祉や教育関連のNPOに巡り合った。福祉と教育は、どんな金融危機にも影響を受けない大切な分野だ。「理念だけではメシは食えない」のも確かだが、とてもやりがいがある。

 買った株を危機後ほったらかしておいたのも正解だった。ダウ平均はその後3年で危機前の株価を回復し、現在は2008年当時の4倍。日経平均もこの10年で3倍になって、生計を支えてくれる。

 先日とあるNPOの、ウナギ屋での慰労会に招かれた。会費は無料。重箱のふたを開けると、ウナギが折り重なるほど盛られていて、ご飯が見えない。

 NPOは人を大切にしてくれるなあ。しみじみと味わった。


Tateshina Japan, Autumn 2018



2018年9月15日

停電30時間


テレビがないと、日々世の中に疎くなる。「最強台風」が西日本を縦断した日も、信州の山中でのほほんと暮らしていた。

 ミズナラが風で大きく傾き、地にひれ伏す。今日は空が広いなあ、と感心していたら、部屋の明かりが消えた。停電だ。

 とりあえず、ガスと水は出る。夏でもつけている灯油ストーブの炎が、照明代わりに夕暮れの室内を照らす。ガスが止まっても、ストーブで炊事ができそう。

ローソクのほのかな光で夕食。雨音を聞きながら寝る。クルマの音はふだんからしないが、今宵は冷蔵庫の音もしない。原始の闇と静けさが支配する夜。

そして、台風一過の朝。相変わらず電気は来ない。

ケータイもつながらない。基地局の非常バッテリーも尽きたか。

幸い妻のケータイ(au)がつながった。関西空港が水没したらしい。電力会社によると、停電は広範囲に及び、復旧の見込みは「いまだ調査中」という。

友人と会うため、車で下界に降りた。幸い道を塞ぐような倒木はない。折れたカラマツの枝葉が敷き詰められて、国道が緑の絨毯になっている。走りながら、車のバッテリーでケータイを充電する。

標高1600メートルの山暮らしにクルマは欠かせないが、災害時はまさに生命線になる。

午後、蛇口の水が徐々に細ってきた。水がなければトイレが流せない。料理も作れない。停電より、水がなくなることの方が困ると知る。

近くの宿に避難しようとも思ったが、もうひと晩がんばることにする。更新された電力会社HPによると、この森に電気が来るのは明日の夕方だという。

水を節約しながら夕食を済ませ、懐中電灯で本を読む。

そろそろ寝ようと思った矢先、ブ~ンと音がして、冷蔵庫が作動をはじめた。

約30時間ぶりの電気。いつもの電灯の光が、やけにまぶしい。

でもまだ蛇口の水は出ない。ポンプで水を溜めるのに時間がかかるのか。ようやくシャワーにありついたのは翌朝。冷蔵庫の食材は、奇跡的に無事だった。

ネコと一緒に数十年、この森で暮らすサイトウさんは、「台風や雷で数時間停電したことはあったけど、こんなに長いのは初めて。庭の老木が倒れて電線切っちゃって、ウチはまだ停電中です」と言っていた。

以前、1日14時間も停電する街(カトマンズ)で暮らしたことがある。停電には慣れている気でいたが、いきなり止まって、いつ復旧するかわからない今回は、少し勝手が違った。

喉元過ぎて熱さを忘れないうちに、さっそくLED懐中電灯と小型ラジオ、電池、ミネラルウォーターを買った。ストーブの灯油と車のガソリンは満タンを心がけて、今度停電になったら、すかさず風呂に水を溜めよう。

登山用ガスコンロも持っているし、近くで沢水を汲むこともできる。山暮らしでの停電は、都会より対処のしようがあると感じた。


2018年9月8日

もしもコトミが帰ったら


 都会っ子が山野で遊び、テントに泊まる3泊4日のサマーキャンプ。

 携帯ゲームに首ったけな今どきの小学生は、意外にも、自然の中で遊ぶのが大好きだ。

 虫取り網を振り回して、トンボやバッタを追う男の子。木の枝やロープで作る秘密基地には、女の子も熱中する。

「ねえ明日は何するの?」

「あと何日いられるの? もう1日終わっちゃった」

 興奮のあまり、鼻血を出す子が続出する。すかさずポケットティッシュを差し出すと、それを見ていた小学生に「女子力高いね」、と褒められた。

 女子力が高いのは、キミたちがところ構わず鼻血を出すからだ。



 昼間は威勢がよかった子どもたちの様子が変わるのは、とっぷり日が暮れて、夕食のバーベキューも食べ終わったころ。

 食べ残した皿を手に、女の子が泣きだした。

「あのね、どうしてかわからないけど、勝手に涙が出てくるの」

 といいながら、しゃくり上げている。

 別の子はスタッフに抱っこをせがみ、セミみたいにくっついて離れない。



 子どもたちに洗ってもらった食器には、まだご飯粒が残っている。ナベや飯ごうなど、全てを我々が洗いなおす。

 夜、延々と皿洗いをしている足元に、パジャマ姿の小さい人たちが寄ってくる。目に涙をいっぱい溜めて。

「ねえ、ママに会いたくなっちゃった」

「あといくつ寝たらママに会えるの?」

 意外に男子がだらしない。

(ママは今ごろ、夏休みの子どもの世話から解放されて大喜びだよ)

 ・・・とは言わないでおこう。



 スタッフのヨッシーさんが、汚れた皿を持ってきた。

「男の子が泣いてるけど、関わり合いになると面倒だから放っといた」

 おいおいおいヨッシーさん。元小学校教諭でしょ。

 でも確かに。誰もママの代わりにはなれない。



 子どもたちには「キャンプレター」を書いてもらい、家族宛てに郵送する。

 いつも年上の男子を叱りつける、勝気なコトミのハガキを見てしまった。

 「ママ、コトミがうちにかえったら、いっぱいだっこしてね」


2018年9月1日

イカの恩返し


「男子がひとり足りないよ。ほら、しましまシャツの子」

 サマーキャンプ2日目。オリエンテーリングの途中で、振り向いたコトミが思いもかけないことを言った。

 急いで班のみんなを集める。その子の名を、誰も知らない。名簿で調べたら、いないのはユウトだ。

 子どもたちは、お互いが初対面。前回は、班長の小6女子の卓越したリーダーシップに助けられた。だから油断していた。

現場は、3000メートル近い峰が連なる山脈の中腹。登山道を外れて森に入ってしまえば、見つけることは至難の業だ。あいにく雨も降りだした。

「サマーキャンプの小学生が行方不明」「主催者のずさんな運営に問題」

明日の新聞の見出しが頭をよぎる。

 するとイカが、声を限りに呼びかけ始めた。

「ユウト~」「ユウト~」

彼にはちゃんと名前があるのに、なぜか自分を「イカ」と呼べ、という。

 以下、イカ。

 思ったことは、すべて口に出してしまうイカ。甲高い声で四六時中しゃべっている。「イカうるさい!」と、いつもコトミに怒られる。コトミが小2でイカは小5。立場が逆転している。

 取るものもとりあえず、ユウトを探す。すると道の脇に、オリエンテーリングの得点となる旗が見つかった。「やった、46点ゲット!」男子たちは旗探しの方に気を取られて、われ先に駆け出していく。

「ユウトがいないこと、皆すっかり忘れちゃったね」

 コトミがボソッとつぶやいた。

「みや~」「みや~」

後方で、イカが私を呼んでいる。どうせキノコでも見つけたんだろう。

「みや~」「みや~」

彼は常に騒いでいるから、肝心な時にだれも振り向いてくれない。

オオカミ少年そのものだ。

「みや~」「みや~」

 ・・・あんまりうるさいから振り向いた。

怒った顔をしたイカの傍らに、しましまシャツの少年が立っている。

ユウト!

 皆とはぐれてから、ユウトはきのう班で作った秘密基地にいたという。髪の毛が雨に濡れ、顔に張りついている。よく動かずに待っていてくれた。

 でかしたぞ、イカ。推理を働かせて、ユウトを見つけてくれたんだね。

 そうとは知らず邪険にして、ホントに悪かったよ。



私はカモシカ

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