2018年8月18日

旅する巨人


 平成最後の夏。

 ・・・とは関係なく、昭和を生きた5人の評伝を読んだ。

 井上成実(元海軍大将)、渋沢敬三(元日銀総裁)、宮本常一(民俗学者)、佐治敬三(元サントリー社長)、開高健(作家)。

 開高健以外は、我ながらシブい人選だと思う。



 民俗学者・宮本常一のことは、佐野眞一著「旅する巨人」で初めて知った。

 空前絶後の旅行者、といわれる人だったらしい。

戦前・戦中・戦後にかけて4000日を旅に費やし、1日あたり40キロ、計16万キロ歩いて、日本中の古老から話を聞いた。

そして、膨大な聞き書きの記録を残している。

「数多くの事実の積み上げの中から、最小限いえることだけを引き出していこうとする」宮本の手法は、「自分の仮説にあう資料やデータばかりを集積し、自分なりの理論を組み立てようとする」他の学者とは対極にあったという。

 新聞社時代の自分を思い出して、赤面した。(だって締め切りが・・・)



 58歳で武蔵野美大の教授になるまで、宮本はずっと無職だった。

 その彼を経済的に支えたのが、渋沢敬三。

 若い頃に動物学者を目指した渋沢は、子爵家に生まれたばかりに、心ならずも銀行家になる。「銀行の仕事は一度も面白いと思ったことがない」彼は、33部屋ある自宅に宮本一家を住まわせ、ポケットマネーで彼の旅費を出す。

 そして宮本に言う。

「決して主流になろうとするな。傍流であればこそ状況がよく見える。主役になればかえって多くのものを見落とす。その見落とされたものの中に大切なものがあるのだ」

いや実にカッコイイ。

 宮本のような「旅する巨人」にもなりたいが、渋沢みたいなお金持ちになって、意欲ある若い人のパトロンになるのも悪くない。

 日本人は「お金」や「お金持ち」に対してネガティブだ。渋沢のようなお金の使い方をする人が身近にいれば、私たちも素直に「お金持ちになりたい」と思えるのだろう。



 偉業を成した人の伝記は、美しいだけでは終わらない。宮本の長女は言う。

「ほとんど家に帰れないほど旅をつづけたからあれだけの仕事ができたとは思いますが、家族が犠牲になったという気持は、正直いってあります」

「父でなければ尊敬できる人でした」


2018年8月11日

カミカゼと甲子園


 新聞社に入ったカメラマン最初の大イベントが、夏の甲子園だ。

 高校野球を県予選から取材し、耳の裏まで真っ黒に焦げてから甲子園へ。

 朝から晩まで1日4試合、1球1球すべてをカメラに収める。それも毎日。

ことによっては、実際にプレーする球児より過酷かもしれない。



その甲子園への召集令状、なぜか私にはこなかった。



20年の歳月が経ち、デスクになってから初めて甲子園に行った。

外資系ホテルに泊まりながら取材本部へ。炎暑の球場から続々と送られて来る写真を、寒いほど冷房が効いた室内で、テレビ中継を横目に編集する。

ランチタイムは、目と鼻の先にある「マクドナルド甲子園駅前店」へ。8月の獰猛な陽射しが頭から降り注ぐ。ものの10分歩くとクラクラするほど、関西の暑さは凄まじかった。

新人だったあの頃、もし甲子園に駆り出されていたら、2試合もたずに気絶していた。ホームランを撮りそこなって、取材本部を騒然とさせていた。

当時の上司は、つくづく人を見る目があったなと思う。



演出家の鴻上尚史が書いた「不死身の特攻兵」に、こんな記述を見つけた。

心の底から共感したので、少し長いが引用したい。



「僕は毎年、夏になると、いったいいつまで、甲子園の高校野球は続くんだろう、と思います」

「10代の後半の若者に、真夏の炎天下、組織として強制的に運動を命令しているのは、世界中で見ても、日本の高校野球だけだと思います」

「毎年、日本の夏が厳しさを増していることはみんな気づいています。亜熱帯と呼んでもいい気候になっていることをみんな知っています」

「けれど、いつものように、炎天下の試合は続きます」

 甲子園が「ただ続けることが目的」になってきているのに、「大人たちが誰も言い出さないまま、若者達に命令するのです」

「その構図は特攻隊の時とまったく同じです」



 毎年8月になると、私も「高校生の虐待が始まった」とわめいて、妻にうざがられる。テレビに向かって叫ぶより少しは生産的かと思い、ブログに書く。
 

 高校野球・夏の甲子園大会は、早くやめるべきだ!

 __その昔、甲子園をあおる報道に加わった自責の念を込めて

 

  私の代案は、会場を京セラドーム大阪に移すこと。あそこなら空調完備だ。
高校生には快適な環境で、最高のパフォーマンスを発揮して欲しい。

ただ人工芝なので、負けたチームが土を拾えなくて困るかもしれない。



Hawaii, 2018



2018年8月4日

サマーキャンプの子どもたち


 1800メートルの山中で、都会っ子が3泊4日のサマーキャンプ。

山登りと秘密基地作り、木登りにオリエンテーリングもやる。夜は寝袋でテントに泊まる。どんな様子なのか、見ているだけで楽しそう。

スタッフが足りないと聞いて、手伝いに行った。



先回りして森で待つ。やがて、新宿発の大型バスが上がってきた。都会の熱気と一緒に、40人の小学生が降り立つ。私の班の半分は、小さな1年生。

男の子はさっそく、虫取り網を振り回してトンボを捕っている。カミキリムシやバッタも素手で捕まえて、見せに来る。都会っ子もなかなかやるね。

 隣では女子が、「この辺ぜったいマダニがいる!」と大騒ぎ。防虫スプレーを全身にかけている。ついでに私の腕にも満遍なくかける。

 ハチが飛んできた。「これはオスだから刺さないよ」と誰かが言い、みんな平然としている。ホントかな? もっと怖がったほうがいいよ。

 お昼ごはんは、流しそうめん。背の順に並んだ後ろ姿がかわいい。いちばん下流は1年生。モモちゃん上手にお箸を使えず、そうめんをつかめない。歓声を上げる上級生の陰で、涙をボロボロこぼしている。

見守る成人スタッフは、医学部5回生、就職浪人中の女子、山岳写真家、大学教授など多士済々。山と子どもが好きな人ばかりで、初対面でも連帯感があった。

 プログラムの圧巻は木登りだ。ただの木登りではない。ヘルメットをかぶり、安全ベルトとロープで確保されながら、カラマツの大木を登る。小さな背中がどんどん小さくなり、枝葉の向こうに消えていく。

 こわいこわいと悲鳴を上げながら、てっぺんまで10数メートルを登り切ったキョウカちゃん。「がんばったね、大変だったね」と声をかけると、

「うん。でもいちばん大変なのはスタッフさんたち」

 まさか小学生に、こんな言葉をかけてもらうとは。

 みんな興奮するのか、あちこちで鼻血を出す。大人はポケットティッシュが手放せない。

そして夕食はバーベキュー。薪を拾い、火起こしも自分たちで。

「マッチ点けたことある人、手を上げて!」「はい!はい!」「ユーキ君、もうタバコ吸うんだ~」「違うよ!理科の実験で習ったんだもん」

 うまくマッチに火が着くと、珍しそうに炎を眺めている。軍手が燃え始めてもも、まだ眺めている。ホットプレート世代の小さな人たち。

 夜は、クルマで10分の森の自宅に帰る。翌朝迎えに行くと、1年生が走って抱きついてきた。

「ぼくのパパとママ、2人で旅行に行ってるんだ」「カイ君のご両親、ラブラブだね!」

 子どもを大自然に遊ばせつつ、親にはまた別の思惑もある・・・みたい。


2018年7月28日

いいね!を伝える



 新聞に何度も名前が出るのに、有名になれない人もいる。

 さて誰でしょう?

 答えは、新聞記者。

 私も100回以上は名前が載ったはずだが・・・ほぼ既読スルー(涙)



Y新聞に掲載される主な写真には、撮影者名がつく。我ながらヘタクソな写真にも、会社の決まりで名前が出てしまう。

翌朝自宅に届いた新聞を見て、あちゃー、と頭を抱えたこと数知れず。



 たまにうまくいったかな、という時がある。

 署名記事(写真)が掲載される。

 でも、読者の反応はない。気持ちいいほどない。

 世界最大の発行部数を誇り、1000万人に読まれているはずなのに。



 ある時は、新聞1ページを丸ごと使わせてもらった。あちこち出張して、渾身の(でもないか)記事と写真を世に問うた。

掲載されてから、1日、2日、3日・・・

何の反響もなかった。

新聞を読んで「へえ」とか「ほう」と思っても、それで電話をかけたり、メールやはがきを出す人はまずいない。一読者になった今ならわかる。

でも自分の仕事への反応が全くなく、それが何度も続くと、かなり凹む。



「いいね!」と思ったら、それを相手に伝えよう。

フリーになった時に思った。そして、やってみた。

 道の駅で売られていた、地元女性のクッキーがおいしかった時。

 市民合唱団のコンサートに行って、その歌声に心が洗われた時。

 読みたかった本の日本語訳が出て、それが流れるような訳文だった時。 

よかったです、とメールやはがきで送ったら、7割ぐらい返事がきた。
「涙が出ました」と書かれていたものもあれば、「人生の指針となる言葉を頂きました」とまで書かれていたことも。

 自分の仕事を評価されるのは、やはりとっても嬉しいことなのだ。

 ほめられれば嬉しいし、ほめた側もハッピーになる。



 心理学の実証実験では、人が幸せを感じた時、ハッピーな気持ちはその人の知り合いの知り合いの、そのまた知り合いまで伝染するという。

知らない誰かに「いいね!」を伝える。

とても簡単で、その波紋は想像以上かも知れない。

Saigon, Vietnam



2018年7月21日

林住期


 古代インド人は、人生を4つに分けて考えたという。



 学生期・・・学び、備える時期

 家住期・・・家庭を築き、仕事に励む時期

 林住期・・・森に庵を構えて、瞑想する時期

 遊行期・・・家を出て、思うままに遊行する時期



 それぞれに25年を充て、最後の遊行期で死を待ったらしい。

 もし、この「学生期」「家住期」「林住期」「遊行期」を、1年で回したらどうなるだろう。

 充実した日々を送れそう。

そう思って、実は3年前から実験を始めた。

 春と秋は関東で学生期&家住期。冬は東南アジアで遊行期。




 そして、夏は林住期。

 関東のはずれに借りたマンションから、森のボロ山荘に引っ越す。

 期間限定の、にわか信州人だ。



 猛暑の関東から100数十キロ。深山の朝は冷える。

だるまストーブに火を入れる。

 野生のシカが庭を横切る。後には盛大なシカのフン。

 樹間に陽が差しこむ頃に、クルマで出勤。

通勤路は、1800メートルの峠を越える雲上のドライブだ。

片道16キロの間に、信号はひとつだけ。目の前をキツネが横切る。

着いた先は、避暑客でにぎわう湖畔の宿。

客室係として、淡い青空を見上げながら布団を干す。

去年の夏、宿のオーナー夫妻に女の子が誕生した。

その子Yuraちゃんが、洗濯物の上に乗せられて廊下を行進する。

午後に帰宅し、バルコニーでボーッとする。

やがて日が暮れ、褐色の物体が、畳の上をザザザッと走って風呂場に消えた。

ヤマネ? ただのネズミ? 正体はわからない。

 3度の食事は、地元の農家から買う高原野菜が中心。

夜、外でホタルが青白い光を明滅させている。

この3年で初めて、蚊に刺された。

この高度まで蚊が上がってきたのは、地球温暖化のせい?



テレビはなく、インターネットもつながりにくい。

ここにいると、正気に戻れる気がする。やっぱり現代は、余計な情報が多すぎる。

でもまだ、古代インド人みたいに瞑想はできていない。


2018年7月14日

2歳児の時間 80歳児の時間



 自転車で駅に急ぐお母さんから、ゆづ君(2歳)を受け取る。

得意のランダムウォークは、今日も絶好調。路上のアリや石ころを探して、あさっての方向に歩いていく。その小さな背中を追いかける。

 お母さんを乗せた上り新幹線が、スピードを上げて高架橋を走り去る。

通勤電車も何本か通り過ぎた。

ゆづ君の周りだけ、ゆったりした時間が流れている。



ふと振り向いて、純粋無垢な瞳をまっすぐ私に向けた。いやな予感。

「・・・抱っこ」

うそー! ここからキミの保育園までですか? 朝から夏日なのに?

高温を発する10キロの負荷を課されて、涙目で園にたどり着く。いつもの若い保母さんが、満面の笑顔で迎えてくれた。

女性の優しさもひとつの作戦と心得ているが、子どもに向けるその笑顔には一点の曇りもない。尊い母性のおこぼれに預かる。


NPOの福祉車に乗り換えて、ゆづ君とは年の差80歳のノダさん宅へ。アパートのドアをノックすると、ステテコ姿のノダさんが顔を出した。

「だれ?・・・今日は病院の日か・・・でもまだ朝早いだろ・・・おーもうそんな時間・・・支度するから待ってて」

 ノダさんは一日中、雨戸を開けない。タバコを友に、暗闇で暮らしている。

 いつも水曜日の9時20分に訪ねているのに、行くたびにポカンとした顔をされる。



 何度も送迎するうち、山陰の小さな島で生まれたノダさんの半生は、だいたい暗記してしまった。車内ではお互い、話したい時だけ話す。

「ケアマネさんが聞けっていうから聞きますけど、今朝ちゃんと薬飲みましたか?」

「いや飲んでない。起きるとボーっとして、つい忘れちゃう。ケアマネが毎日、頼みもしないのにヘルパーを寄こすの、ありゃオレが孤独死してないか見張ってるな」

病院で受ける血小板輸血も、どうでもいいと思っている節がある。

彼が薬を飲まないのは、たぶん確信犯だ。

でも人生はそれぞれ。

薬を飲んだかどうか、他人が気にする必要はないように思う。



 2歳児も80歳児も、ほんとうに自由だ。

 自分の時間を生きている。

 その時間に対する柔軟さ、ぜひ見習いたい。

Saigon, Vietnam 2018

2018年7月7日

ビリギャル



「学年ビリのギャルが1年で偏差値を40上げて慶應大学に現役合格した話」

塾講師の坪田信貴が書き下ろした実話。有村架純主演で映画化もされている。遅ればせながら、図書館で借りて読んだ。

正直いって、本や映画になるほどのテーマかなと思う。大学世界ランキングでは東大でさえ、いまやシンガポール大や北京大より格下だ。日本を一歩出れば、誰も知らないKEIO大学。

 さらに日経電子版によると、関西の高校3年生の40%が慶応を知らないそうだ。私学の雄といわれる慶応も、しょせんは東京ローカル。

それとも、関西の高校生がモノを知らなすぎるのか?

 いろいろと突っ込みながら読んだが、実はとても心動かされる本だった。



 高2当時のさやかちゃんは、金髪ヘソ出しのギャル。聖徳太子を「せいとくたこ」と読んで、「この女の子、超かわいそうじゃね?」と勘違い。日本地図を書かせれば、ひとつの大きな円を描く。東西南北さえわからない。

 そして「カリスマ塾講師」坪田先生と出会う。「君みたいな子が慶應とか行ったら、チョー面白くない?」と言われ、すっかりその気になって猛勉強を始める。

素直であることは、とても大切な人生の資質だ。

 坪田先生に会ったさやかちゃんは、初めて「勉強してものを知るとこういう大人になれるのか。こういうおもしろい話ができるようになれるのか。じゃあ勉強をがんばろう」と思えたのだという。

 さやか母もすごい。学校に呼び出されて「お宅の娘さんは授業をまったく聞かず、熟睡しています」と言われ、こう答えた。

「塾で何時間も勉強し、家でも朝までずっと寝ずに勉強しています。あの子はいつ寝ればいいんですか?」「あの子には、学校しか寝る場所がないんです」

3時間粘って、娘が授業中に寝ることを認めさせてしまう。

マイ枕持参で登校するさやかちゃん。ある日ふと目覚めると、授業が簡単に感じられるようになっていた。1年半の間に、偏差値は30(大学受験生の下位2%)から70(上位2%)へ。全国の受験生67万人をごぼう抜きにしていた。

そして、「このまま大学にも上がれなくて、適当にバイトでもして、結婚して、早めに子育てするんだろうなー」と考えていたビリギャルは、慶応に合格した。

難関大に合格して得た自信。大学生活で出会った人との交流。そして「慶大卒」という肩書。なんだかんだ言っても「慶応」は、さやかちゃんの人生の選択肢を劇的に増やしたに違いない。努力して何かを掴んだ経験は、一生の財産だ。

そして・・・自分の日本史の学力も、聖徳太子を「せいとくたこ」と読んだ頃のさやかちゃんといい勝負。この夏は、坪田先生が彼女に勧めた「小学館・学習まんが少年少女日本の歴史」全23巻で勉強しようと思う。

Dalat, Vietnam




HIKIKOMORI

  不登校や引きこもりの子に、心理専門職としてどう関わっていくか。 増え続ける不登校と、中高年への広がりが指摘されるひきこもり。 心理系大学院入試でも 、事例問題としてよく出題される。 対応の基本は、その子単独の問題として捉えるのではなく、家族システムの中に生じている悪循...