2018年3月24日

THANK YOU FOR YOUR SERVICE


 免税店でベンツが買えるUAE・ドバイ国際空港。

 その豪奢なメーンターミナルとは似ても似つかない、まるで倉庫のような建物が第2ターミナルだ。イラク行き、アフガニスタン行きが発着する。

 アフガン出張では毎回、タクシーのパキスタン人運転手に「第2ターミナル?知らないよ」と言われた。

 夜明け前の第2ビル。バグダッドやバスラ、カンダハル行き搭乗ゲートには、分厚い胸板を迷彩服に包んだ男たちが行列を作っていた。薄暗い中、誰もが押し黙っている。

私が乗るカブール行きの列には、スカーフから金髪がのぞく小柄な女性の姿があった。国際機関やNGOで働いているのだろうか。少し心が和んだ。



「帰還兵はなぜ自殺するのか」 デイヴィッド・フィンケル著

 ピュリッツァー賞受賞記者が、戦地から戻った兵士のその後を追ったノンフィクションである。

 イラクやアフガニスタンの戦場に派遣された200万人のアメリカ人。そのうち50万人が、PTSDやTBI(外傷性脳損傷)などの精神障害を負った。

 360度あらゆる場所が戦場で、前線もなければ軍服姿の敵もいない。予想できるパターンもなければ、安心できる場所もない。突然、どこかで仕掛け爆弾が爆発し、仲間が装甲車ごと炎に包まれる。

 そんな経験をした兵士たちは帰国後、苛立ちや重度の不眠、怒り、絶望、ひどい無気力に苦しむようになる。睡眠薬と、起きている間眠らないようにする薬、鎮痛剤、抗うつ剤など1日43錠の薬を処方され、浴びるように酒を飲む。

 そして、「死にたい」と言うようになる。

 夫の帰還を待ちわびていた妻も、悪夢を見た夫から夜中に首を絞められたりする。そのうち、自らも悪夢に苦しむようになる。

そんな両親を見た子どもも、不安からおねしょをするようになる。

 兵士の多くは若い志願兵だ。彼らは大変な愛国者だったりする一方で、入隊前に失業していたり、2人の子持ちだったり、医療保険失効者だったりする。

 そして彼らの祖父や父親もまた、第2次大戦やベトナム戦争帰りのアルコール中毒者だったりする。

絶望的な世代間連鎖が起きている。

 陸軍省はこの問題に巨額の予算をつぎ込むが、有効な手が打てない。毎日18人の帰還兵が自殺し、やがて自殺者が戦死者を上回るようになる。

 イラク戦争は、イラクが大量破壊兵器を隠しているという理由で始められた。だが結局、その事実はなかった。

彼らの子が大きくなる頃、アメリカはまた別の戦争を始めているのだろうか。

 この本の原題は「THANK YOU FOR YOUR SERVICE」という。




2018年3月10日

ハレクラニ


 ハイシーズンのハワイは、生存競争が激しい。

出張で突然、着の身着のままハワイに送り込まれた時は、ホテルの確保に苦労した。空室を見つけても1~2泊で追い出される。

見かねた当時のロス支局長が、「ハレクラニ」という妙な名前のホテルを取ってくれた。ほんの数泊のつもりが、仕事が終わらず、本社から交代要員も来ない。

帰国後、私がその「ハレなんとか」に20泊したと聞いた妻の友人が腰を抜かした。「一度は泊まりたい」名門ホテルだったみたいだ。

「モアナ・サーフライダー」や「ロイヤル・ハワイアン」などハワイの一流ホテルは、建物は重厚でも客はサンダルに短パン。客でもないのにマックやスタバからテイクアウトして、勝手にプールサイドでくつろいでもいい。

 その中で、奥まった所にある「ハレなんとか」は別格の優雅さがあった。

 いずれにしても、リゾートホテルは愛する人と泊まってナンボ。男ひとりで泊まるものではない。

今回はキッチン付アパートで、住んだ気になって滞在してみた。自腹のハワイは、物価の高さが堪えた。

土砂降りの雨の中、30分待っても来ない市バスが2.75ドル(300円)。2週間前にベトナムの田舎で乗ったタクシーは、初乗り25円だった。

 比較の対象が間違っている気もするが。

レストランのランチに20ドル取られる。その割にサービスはいい加減。注文したアサイーボウルが来ない。店員に言うと、「Yeah, it should be」と返事だけで何もしない。

やっとありついてみると、激しく甘かった。ひと月分の砂糖を1回で摂取した。いくらスーパーフードでも、毎日食べたら病気になる。

レストランで会計すると、請求書に「チップは総額の22%を推奨します」。

ベトナムが恋しい。

結局、Whole Foods Down to Earth などのスーパーで量り売りの総菜を買ったり(450グラムが9ドル)、近所でアヒポケボウル(ハワイ式マグロ玄米丼)を買って部屋で食べた。健康的でおいしく、心が休まった。

宿の近くに「丸亀製麺」がある。観光客や地元の人など、昼夜を問わず100人近い行列ができていた。UDON一杯5ドルが人気の秘密だ。デフレニッポンの圧倒的な価格競争力。

ちなみに日本では取り放題の揚げ玉や刻みネギが、こちらでは厨房の奥にしまわれている。セルフサービスにすると、あり得ないほどごっそり盛っていかれるらしい。

唯一安く感じたのは、レンタカーを借りた時のガソリン代だけ。おおむね運転マナーはいいが、南国らしからぬせっかちな車も見かけた。

長年抱いていた「楽園」のイメージが、日に日に修正されていく。

組織に守られてハレクラニに泊まっていては、決して現実は見えない。



2018年3月3日

LCC版・憧れのハワイ航路


人生で最も縁遠いはずだったハワイ。

思いがけず出張で訪れて、意外にいいところだった。

 そして初めて、自腹でハワイへ。

「ハワイに行ってきます」とは素直に言えず、「ちょっとアメリカの端に行ってきます」と言って出かけた。



 今回最大のミッションは、ノマド生活に備えて銀行口座を作ること。

 Bank of Hawaii First Hawaiian Bank などハワイの銀行はSSN(社会保障番号)がいらない。パスポートだけで口座が持てるのだ。



 飛行機は Scoot の大阪~ホノルル線を利用した。

 セールで買って、ひとり往復2万5千円。

 東京~大阪を新幹線で往復する気軽さで、ハワイに行ける時代になった。

 買ってから、この飛行機に乗るには東京~大阪を往復しなければならないことに気づく。

 それでも安い。

 乗ってみると、就航間もないのに往復ともほぼ満席。でも憧れの?ハワイ行きなのに、機内は静かだ。若い人が多いのだから、もっと明るくはしゃいで欲しかった。

 ジェット気流に逆らう帰路は9時間以上かかる。追加料金を払って、最前列の特等席を取った。体は楽だがそこはLCC、映画も見られなければ食事も出てこない。現代版・憧れのハワイ航路はヒマだ。

 カップ麺を買ってすする。

ハワイといえどもアメリカなので、入国が大変。まず出発前に電子ビザを取らないと門前払いを食う。空港では、機械を相手に指紋と顔写真を取られ、さらに入国管理官にも指紋と顔写真を取られた。それぞれ長蛇の列。

現地ではいつものように、キッチン付のサービスアパートを借りた。海が見えること以外は平凡な1ベッドルームが1泊200ドル。しかも税金20ドルと意味不明な「アメニティ・フィー」30ドルが毎日加算された。駐車場代も1泊30ドルで、最近車上荒らしが出たらしい。

 典型的なツアーで行くハワイは3泊5日か4泊6日。これでは時差ボケも取れないが、なるほどお金持ちでないと長居はできない。

 イケメンで投げやりな若い銀行員を相手に口座を作ったら、やることがなくなった。ワイキキをそぞろ歩く観光客を眺め、アパートに戻っては太平洋に沈む夕陽を眺めて過ごした。




2018年2月24日

ハワイは楽園・・・?


 ある冬の日、出社するなり「ハワイへ行け」。現金100万円を渡された。

厚手のセーターとジャンパーという格好のまま、常夏の島へ。

着いてから数日は、ドアがない吹きさらしの2人乗りヘリコプターで荒波の太平洋を飛び回り、その後はアメリカ太平洋艦隊の軍事法廷に日参した。

結局1か月をハワイで過ごした。

漁業実習船「えひめ丸」が米潜水艦に衝突されて沈み、9人の命が失われたあの日から、17年ぶり2度目のハワイ。

出発前、ホノルル在住のayanoさんにえひめ丸慰霊碑の様子を聞く。

「慰霊碑のある公園は、ホームレス集団による器物損壊で閉鎖されました。先月再オープンしたようですが、大きい道を通って、身の回りに気をつけていらして下さい」

 ホノルルに着き、海沿いに5キロ先の慰霊碑を目指す。宿のすぐそば、ワイキキ中心部の路上にホームレスが座っている。海水浴客でにぎわうビーチ沿いの芝生にも、ホームレスが寝ている。

 アラモアナ公園では、大きなガジュマルの木陰にホームレス。

 そして慰霊碑のある海浜公園には、ホームレスのテント村ができていた。ほかに人気はなく、何か大声で叫んでいる半裸の男の前を駆け足で通過した。

 すぐ山側は再開発が進み、お洒落なカフェやレストラン、高級コンドミニアムが立ち並んでいる。通りを一本隔てただけで、雰囲気ががらりと変わる。

 近くのカフェでayanoさんに話を聞いた。少し前、当局が米本土のホームレスに片道切符を渡してハワイに送り込んだという。温暖な気候は確かに野外生活向きだが、果たしてこれは人道的措置なのか、単なる厄介払いか。

 そして彼らに感じた異様な雰囲気。多くが薬物中毒、アルコール中毒者らしい。

 ホームレスにはハワイ先住民も多い。行く先々で先住民を迫害しながら建国した、アメリカ史の負の側面。

 核実験のために南太平洋の島から避難させた人たちもまた、ハワイでホームレス化しているという。



 海が見えるホテルに泊まり、ショッピングに繰り出す各国の観光客。高層マンションでリタイア生活を送るアメリカの富裕層。ハネムーナーを乗せて走る白いストレッチリムジン。資本主義の果実とホームレスが同居する島。

3泊5日のパックツアーだったら、見たくないものは「見なかった」ことにできるかも知れない。海と空の青さ、吹き抜ける風の心地よさは、まさしくこの世の楽園だ。

海外で感じる貧富の格差は、たいてい日本以上に大きい。でも楽園的な要素が大きい分、この絶望的な所得格差と社会の歪みを「見なかったことにする」のはとても難しかった。


2018年2月18日

ビットコインを買ってみた。


 昨年1年間で20倍になったビットコインが、その3分の1まで急落した。

 そもそも仮想通貨って何? 私の理解では、

・仮想通貨そのものに本質的価値はない。欲しがる人が増えれば値上がりするし、誰も欲しがらなければその価値はゼロになる。今は単なる投機の対象になっている

・でもその基盤となるブロックチェーンは、金融の民主化につながる革命的な技術。世界中の個人と個人が最低限の手数料で価値を交換できる、夢の通貨になる可能性を秘めている

・仮想通貨の市場規模は現在50兆円程度。今後参加者が増えれば、瞬く間にドルやユーロ、円に代わる決済の主役になる(かも知れない)

ビットコイン、リップル、ネム、イーサリアムetc。どの仮想通貨が生き残るか、現時点ではわからない。数ある取引所のどこが信用できるかもわからない。

世の銀行家や投資家は、「仮想通貨は詐欺だ」「マルチ商法だ」と言う。

 それでも、世界を一変させる可能性を秘めていそう。悪いニュースもひと通り出尽くした気がする。未来の貨幣を、練習がてら買ってみた。

 取引所のひとつに運転免許証のコピーをpdfで送り、銀行口座その他の情報を登録すると、2日ほどで口座を作ることができた。すべてネット上で完結する。最悪パーになってもいい金額を送金して、準備完了。

 ビットコインを買う行為そのものは、数回のクリックで出来た。ネット証券で株を買ったり、FXで通貨を取引したりしたことがある人なら簡単だ。

あっという間に、0.12982BTCが買えた。あとは使ってみるだけ。

行きつけのスタバでビットコインを使えたとして、カフェラテ一杯は今のレートで0.000612BTC。最近は老眼気味なので、気をつけないと小数点の位置を間違えて、10倍多く払ってしまいそうだ。

また価格変動も激しい。私が買ったとたんに2割も値下がりした(涙)。ビットコインでBMWを買いに行き、店に入った時点では1台500万円でも、急に催してトイレに立った隙に700万円、カーナビをつけ忘れて契約書を書き換える間に900万円、ということが起こり得る。

でも私は、仮想通貨の将来に期待する。

たとえば今、ベトナム人留学生グエンさんのお母さんが入院したとする。彼はバイト代の1万円札を握りしめて銀行へ。日本の銀行、中継銀行、ベトナムの銀行に手数料を取られ、円→ドル→ドンと両替するたびに目減りして、故国のお母さんに届くのは・・・

3500円だ(大手M銀行の場合)。現行の金融機関は、ぼったくりすぎではないか?

やがて仮想通貨が国境を飛び越えて、グエンさんの1万円がそのままお母さんに届く未来を創る、と信じたい。


2018年2月10日

「だから、居場所が欲しかった」


「だから、居場所が欲しかった~バンコク、コールセンターで働く日本人」水谷竹秀著、集英社

 バンコクを舞台にしたノンフィクションを、スクムビットSoi16のアパートで読んだ。

 コールセンターで働く女性が「買春して現地男性の子を身ごもった」と告白する冒頭シーン。その舞台となった「ターミナル21」の灯りが、漆黒の窓外に見える。

 日本企業が経費節減のため、2004年からバンコクに設け始めたコールセンター。そこで働くオペレーターたちは30代半ば~40歳代。彼らの月給は約3万バーツ(10万円)だという。

 バンコクの安いアパートには、キッチンがついていない。タイ大戸屋の鮭塩焼き定食は310バーツ(1000円強)もする。屋台のタイ風炒飯やラーメンが、彼らの常食になる。

著者は「バンコクのコールセンターで働く人々は『海外ワーキングプア』だ」と指摘する。

 それでも、いま日本の地方都市で非正規労働者として働いても、月収15万円に満たない。さらに、日本で働く単身女性の3分の1が月収10万円以下という現実がある。

 物価水準の差を考えれば、「バンコクのコールセンターで働いた方が経済的にも精神的にも満たされる可能性が高い」。

 同感。

 さらに著者は「ビルやショッピングモールが次々と建設され、経済成長を続けるタイの首都バンコクと日本の地方都市の経済格差が狭まりつつある」と書く。私の感覚では、とっくに逆転している。

 日本の生きづらさは金銭面だけではない。取材中、著者はオペレーターに性的マイノリティーが多いことに気づく。

 日本で、同性愛者であることを家族に告白したある男性は、すぐ歯ブラシやコップを別の場所に移された。自分は女性として生きていきたい、とカミングアウトした別のオペレーターは、「もう田舎に帰ってこなくていいぞ」と父親に言われたという。

日本の男性同性愛者の自殺未遂は、異性愛者の5倍強。女性同性愛者は同2倍。彼らは言う。

「タイは昼間でも男同士が普通に手をつないで歩いている。誰も何も言わない」「タイが居心地いいのは、カトゥーイ(タイ語でニューハーフのこと)と言われてもある程度肯定されるから」「海外に出てきてからは心身ともに健康です」

 著者はエピローグにこう記している。

「心の優しい人間は、日本社会で生き続けるといつかは壊れてしまう。逆に壊れない方がおかしい。それほどまでに日本社会は病んでいるように私にも見える」

 取材した大半のオペレーターが、「もう日本に帰る気はない」と口にするという。

 この本を読んで、自分のタイ通いも彼ら同様、日本社会からの逃避なのだと改めて悟った。




2018年2月3日

大工さんが落ちてきた


 タイで会う予定のマツイさんに、羽田空港からメールを送る。

「明後日のランチ、タイ料理とビーガン料理とクレープ、何がいいですか?」

 すぐに返事がきた。

「もちろんミヤサカさんとお食事したいとは思っていますが・・・今回の件は本当に私ですか?」

タイに送ったつもりで、間違えて社会福祉協議会のマツイさんにメールを送っていた。しかも職場のアドレスに。

 社協のマツイさん、忙しいのにごめんなさい。穴があったら入りたい。



 その2日後、「バンコクの青山通り」ランスアン。白人客の多い一軒家レストランで、無事にタイ在住のマツイさんと会うことができた。

 彼女は勤めていた会社を辞めて、チェンマイのエイズ孤児施設でボランティアをしていた。その後、なんと施設近くに自分の家を建てて、暮らし始めた。

 最近、その家の屋根が外れて、盛大に雨が漏るようになった。地元の大工さんを呼ぶと、さっそく屋根に上がって修理を始めた。

 突然、何かが天井を突き破って落ちてきた。そして、部屋に置いてあった空のカメラバッグに着地した。大工さんだった。

「大丈夫そうでしたよ。鼻血が出てましたけど」

 マツイさんの本職はフォトグラファーである。カメラバッグに機材が入っていたら、大工さんも大事な商売道具も、タダでは済まなかった。そして何より、頭上に降ってこなくてよかった。

 お洒落なレストランはできても、やっぱりタイはタイ。予定調和が通じない国だ。この話を聞くだけでも、はるばる来た甲斐があった。

その後、屋根を分厚く改築したそうだ。

ボランティアを任期まで勤めた後、マツイさんはタイで写真の仕事を再開した。日本で13年働いて築いた人脈と、こちらで培った信用とで、仕事も軌道に乗りつつある。

最近、平日はバンコクに借りたアパートを拠点に働いて、週末はチェンマイの自宅で過ごす。毎週、バンコク~チェンマイ往復1400キロを飛行機で移動している。豪快なライフスタイルだ。

「こんなに働いて、何でお金が貯まらないんだろう・・・飛行機代のせいかな」と言って笑っていた。

チェンマイでは、日本語補習校で子どもたちを教えたり、畑で野菜を育てたりしているそうだ。

 海外で、フリーランスで生きる人に憧れる。マツイさんのこの突破力は、どこから来るんだろう? 北海道出身と聞いて、個人的には少し納得。いつも優柔不断で、何も決められない自分の対極にある人だと思った。


HIKIKOMORI

  不登校や引きこもりの子に、心理専門職としてどう関わっていくか。 増え続ける不登校と、中高年への広がりが指摘されるひきこもり。 心理系大学院入試でも 、事例問題としてよく出題される。 対応の基本は、その子単独の問題として捉えるのではなく、家族システムの中に生じている悪循...