2016年2月17日

チェンマイの家


 この冬も、タイ北部・チェンマイから車で30分ほどの郊外に滞在した。

ここには、6年前からお気に入りの家がある。会社時代は3泊するのが精いっぱいだったが、一昨年は8泊、昨年は9泊。今年は10泊してしまった。

木造2階建で、屋根は茅葺き。窓にガラスがなく、網戸だけなので風通し抜群。周囲を林と田んぼに囲まれ、夕方や夜明けは鳥たちの声がうるさいぐらいだ。

 この家は、エイズ孤児らを育てる日本のNGOの付属施設。それぞれ趣が異なる貸家が5棟あり、私が払う宿泊料はNGOの運営費として生かされる。
 他の滞在者と一緒に、施設を案内してもらった。大きなガジュマルの木を中心にした広い敷地に、子供たちの寮、図書室、縫製所、事務室などが点在する。現在、3歳から18歳までの30人が共同生活を送っている。

 建物の中から、幼児の泣き声が聞こえてきた。保母さんに薬を飲ませてもらっている。抗HIV薬はすごく苦いらしい。

開園後3年の間に、10人の子供たちが次々と命を落とした。治療法の進歩で、最近亡くなる子はいない。それでも、HIVに母子感染した子供たちは一生、薬を飲み続けなければならない。

部屋の掃除をしたり、食事を作ってくれるのは、施設を卒業した孤児や、先住タイヤイ族(シャン族)の若者たちだ。彼らはシャイで働きもの。その笑顔と、初々しくも一所懸命な様子を見ていると、いつも来てよかったと思う。

数人の日本人スタッフもいる。忙しそうな彼女たちが、実はボランティアだと聞いて驚いた。ビザの関係もあり、NGOが有給で日本人を雇うことは難しいようだ。それでも、希望者は多いという。

去年までここで働いていたSさんに、行きつけのクイッティオ(タイ式ラーメン)屋に案内して頂いた。彼女は、日本ではカメラマンとして働いていて、何となく私と経歴が似ている。

前の会社で大変な経験をして退職し、縁あってタイに渡った。カメラマン→タイでボランティア。2年がすぎた。これからどうするの? Sさんは、私のようなモラトリアム人間ではなかった。

現地の大学で1年間、タイ語を学ぶ。そして、チェンマイを拠点にバンコクにも出ながら、こちらで写真の仕事をするつもりだという。

「実はいま、近くに家を建てているんです。施設から独立した子たちの下宿にもなると思って」

すでに車を買ったとは聞いていたが、この思い切りの良さ。ボランティアの任期が終わっても帰国せず、生活の拠点をタイに移した人は、ほかに10人ほどもいるという。

報酬を気にせず働いているうちに、思わぬ出会いがあり、やがて自ら選択する機会が訪れる。Sさんの話を聞いて、自分はもう少し動き続けようと思った。

今年もチェンマイに来てよかった。



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