1日13時間の停電。地震前から計画停電。
これがネパールの現実だ。
電気が使えるのは残り11時間。たいてい寝ている間に通電されるので、文明的な生活が送れるのは1日4時間ほどになる。
4年前に来た時は、うかつにも気がつかなかった。仕事で泊まるレベルのホテルには自家発電があり、停電と同時に電源を切り替えていたからだ。
ある晩、外で食事を済ませた後、レストランを出るとやけに夜道が暗い。通りがかる車のヘッドライトを頼りに、必死になってホテルに帰った。
いま思えば、あれが停電だった。
中級ホテルやB&Bに泊まる今回は、市民生活を身近に感じている。
昨日、暗くなっても来るはずの電気が来ない。部屋は、蓄電池でぼんやり点く電灯ひとつだけ。給湯器が使えず、熱いシャワーも浴びられない。バッテリーを気にしながら、タブレットでメールを書く。そのうちwi-fi も息絶え、天涯孤独を味わう。
翌朝、停電時間が細かく地区割になっていることが判明。その日、1キロほど離れた別のホテルに引っ越したのが原因だった。
ネパール人に電気が来る時間を尋ねると、スマホで教えてくれる。すぐ時間が変更になるので、そのつど情報を更新するアプリが出回っている。
今日は電気が来るのが午後2時から5時まで。何を置いてもホテルに戻り、その間に温水シャワーを浴び、タブレットやデジカメ、シェーバーの充電に勤しむ。
こちらでは多くの人が、年中水シャワーを浴びる。同じ水シャワーで、気温が20度を切っただけで風邪をひくバンコク市民に比べ、氷点下の日もあるカトマンズ市民はたくましい。
夜、地元の安食堂に入ると、暗がりで人がうごめいている。出てきた食べ物さえよく見えないが、とりあえず味はおいしい。
慢性的な電力不足のネパールでも、この時期は特に停電が長い。暖かくなり、ヒマラヤの雪解けが水力発電に使えると、少しましになるようだ。
昨年、大地震に追い打ちをかけるように、インドとの国境が政情不安で封鎖された。ガソリンとガスをインドに頼るネパールは、たちまち干上がった。首都カトマンズでは車が減り、空の便やバスに運休が続出。市民は炊事に薪を使ってしのいだ。
今月ようやく国境が開かれ、市民生活は平常に戻りつつある。ガソリン高騰で、空港から市内まで1500ルピー出さないと捕まらなかったタクシーも、数日前は交渉で550ルピーまで下がった(1ルピーは約1円)。
暖房が効かないホテルでは毎晩、部屋が遠慮がちにノックされ、笑顔と湯たんぽが差し入れられる。天災と人災(政府の無策)が絡んだ絶望的なエネルギー不足を、人の温もりが補っている。