「フィリピン・ミンダナオ島で元日本兵発見!」
2005年5月、とんでもない情報がバンコク支局に転がり込んできた。
世界を渡り歩いてきたベテラン、Hアジア総局長が、電話口で慌てている。これは大事件だ。
とっさに、ボロボロの軍服を着た老人が、銃を手にジャングルから出てくるシーンを思い浮かべた。その瞬間をカメラに納めれば、大スクープ間違いない。
それにしても、「小野田少尉」が同じフィリピン・ルバング島で発見されたのが30年前の話だ。終戦からちょうど60年。タイミングが良すぎはしないか。
何はともあれ、急いでマニラに飛ぶ。
夕暮れのマニラ空港は人でごった返し、アジアの混沌そのもの。大阪本社から駆けつけてきた取材班と合流し、喧噪の中、撮影機材などの大荷物を抱えて国内線ターミナルへ急ぐ。
ミンダナオ島ジェネラルサントス行きの定期便は、既に出てしまった。残された道は、怪しげな会社のプロペラ機をチャーターするのみ。提示された金額は決して安くない。足元を見られている気もするが、事態は一刻を争う。みなで有り金を持ちより、くたびれた飛行機に乗り込む。
頼むから墜ちないで、と緊張してシートベルトを締める。すると、超ミニスカートの制服を着た女性が乗り込んできた。にこやかに、近所の「フィリピンのマクドナルド」ジョリビーで買ってきたらしきハンバーガーを配り始める。一気に場が華やぐ。
これが機内食か。でも、この人と一緒なら墜ちてもいいかも。
と思っていたら、さっと非常口の開け方と救命胴衣の説明をして、離陸寸前の飛行機から降りて行ってしまった。
窓外から、笑顔で我々に手を振る彼女。
力無く手を振り返す、取材班。
なんとか無事に到着した夜のジェネラルサントス。東京からの応援組や、マニラ、シンガポール駐在特派員と合流する。翌日には我がアジア総局長も合流して、総勢8人の大取材班にふくれあがった。他の新聞社、雑誌、テレビ局も大挙して押し寄せ、ふだんは静かなフィリピン南部の田舎町は、日本のマスコミであふれ返った。
それからは連日、日本から派遣されてきた厚労省職員や、日本大使館員の動向を追う。取材する側もされる側も日本人。外国に来ている気がしない。
だが、この周辺はイスラム過激派の拠点だ。町はずれには検問所があり、自動小銃で武装した国軍兵士が警戒している。一歩市外に出れば、政府の支配が及ばない無法地帯だ。勝手にジャングルに踏み込むことはできない。
事態は一向に進展せず、関係者を張り込むばかりの日々に、次第に飽きてくる。
そして数日後、なんと「日本兵発見」情報はまるっきりウソだったことが判明した。金目当ての人物が流したガセネタを、我々マスコミが鵜呑みにしてしまったようだ。各社が枕を並べて、大誤報を打ってしまった。
戦時中、日本に占領されたここフィリピンでは、市民が日本軍の暴虐に苦しみ、米軍上陸後は、多くの人が戦闘の巻き添えになって死んだ。今回の我々の大騒ぎを、街の人たちはどんな気持ちで眺めていたことだろう。
後味の悪さばかりが残る、間抜けな出張だった。
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