2015年8月15日

大日本帝国を訪ねて③


2005年6月。インドネシアの首都ジャカルタ。

人口1000万を超える混沌とした大都会の片隅に、9人の「元日本兵」が、ひっそりと暮らしていた。

彼らは、兵士として赴いたインドネシアで終戦を迎えた後も、個人的な事情で帰国しなかった。やがて始まったオランダとの独立戦争に、今度はインドネシア軍兵士として身を投じる。4年に渡る戦闘で多くの戦友を失いながらも勇敢に戦い、ついには独立を勝ち取った。

戦後、彼らは現地の女性と結婚し、子をもうけた。やがて祖国日本は復興し、高度成長期に入る。進出してきた商社などの日本企業に職を得て、いままでインドネシア人として生きてきた。

ジャカルタでは、元日本兵が集まって作った互助会「福祉友の会(ヤヤサン)」の事務所を訪ねた。世話役の女性に、1人の元日本兵の自宅に案内して頂くことになる。雨期の豪雨で冠水したジャカルタ市内は大渋滞。3時間かかって、車は長屋のような家が連なる下町の一角に止まった。

83歳になる元日本兵、藤山秀雄さん。玄関前の安楽イスに腰掛けて、道行く人を眺めていた。耳が遠く会話には難儀したが、少し覚束ない日本語で

「いまは衛星放送で大相撲中継を見るのが楽しみ」

と、穏やかに笑った。

撮影のため、インドネシア国軍時代の軍服を着て頂いた。メイドのおばさんの手を借りながら、四苦八苦の末ようやく身につける。

カメラを向けると、つと背筋を伸ばした。裸足のまま、直立不動で敬礼した。それまでとは打って変わって、眼光鋭かった。


もう1人の元日本兵、宮原永治さんは、単身取材に来た私のことを、しきりに心配してくれた。

「この前、作家の上坂冬子さんが取材に来た。彼女はタクシー乗車中に暗闇に連れて行かれそうになり、工事現場で徐行した隙に飛び降りて逃げたそうだ。ジャカルタは1人で歩かない方がいい」

宮原さんには、ジャカルタ市内のカリバタ国立英雄墓地を案内して頂いた。整然と並ぶ墓標の一角に、宮原さんの戦友だった元日本兵たちの墓が並んでいた。独立戦争には約1000人の元日本兵が参加し、半数以上が戦死したという。

毎年8月17日の独立記念日には、藤山さんや宮原さんに、インドネシア政府から式典への招待状が届く。墓標を手すり代わりに墓地を歩く宮原さんを見ながら、彼らはあと何回、参列できるだろうかと思った。


取材の2年後、藤山さんは85歳で亡くなった。2013年には宮原さんも93歳で逝去。ふたりは今、カリバタ英雄墓地に眠っている。

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