タイ人の時間に対する感覚は、日本人とは違う。よく言えばおおらか。「約束の5分前には準備万端整えて待っている」タイプの人から見れば、カルチャーショックかも知れない。
タイで発行されている日本語フリーペーパーに、こんな話が出ていた。
ある職場での会話。
日本人「タイ人って、時間にルーズなところがあるよね」
タイ人「日本人だって時間にルーズだよ」
日本人「えっ、日本人は時間に正確でしょ」
タイ人「いいや。日本人は始業時間は守るけど、終業時間はぜんぜん守らない」
日本人「・・・・」
この指摘は、まったく正しい。他のまともな会社は知らないが、私がいた職場は、その意味でとても時間にルーズだった。
新聞社は、24時間眠らないことを自慢にしている。それでも東京本社では、数十人のカメラマンがシフトを組み、早出、日勤、遅出、宿直などに分かれて働いたので、始業時間と終業時間はいちおう決まっていた。
ひとたび大事件が起こると、すぐ総動員体制となり、休みの人間も駆り出される。どの程度の事件を「大事件」というかはあいまいで、自発的に出勤することが暗黙の了解になっていた。
昔はポケットベル、今はケータイやスマホで管理されている。休みの日でも、常に会社からの呼び出しを覚悟しなければならない。
もっとすごいのは、終業時間が過ぎても、デスクの許可がないと帰れなかったことだ。存在感の薄い同僚はデスクに忘れられ、夜中になって「あれ、まだいたの?」と言われていた。タイ人もびっくりだ。
私の世代は「マスコミは忙しいのが当たり前」という洗脳が効いていたが、若い人たちはどうだろう。これでは優秀な人材を他業種に取られないだろうか。
我ながらよく奴隷扱いに耐えたと思うが、それにはワケがある。ひとたび地方や海外に出てしまえば、こんなにいい会社はないのだ。
現地の上司には「私の監督権限は東京にある」と思わせ、いっぽうで東京には「現地の指示で動きます」と言っていれば、ほぼ行動の自由が確保された。「3人の主人を持つ奴隷は自由人である」という古代ローマの格言があるが、自由人になるには主人2人で十分だった。4回の転勤で、自由を満喫した。
タイ人の名誉のために言うと、私のバンコク時代、タイ人スタッフは全員、私が出社する頃にはとっくに机に向かっていた。
2人の主人を持つ奴隷だった私が何時に出勤していたか?
それは言えない。
バンコク市内で |
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