まだ会社にいた頃の話。
転勤先から戻ってみると、常に怒号で部下を服従させる、強面のボスが待っていた。
部長席から睨みを効かせ、「職場で笑うな」と言って、我々から会話と笑いを奪った。社員が犯した小さなミスも見逃さない。閲覧用の新聞が足りないだけでも大声を出した。
私には、まるでパワハラが服を着て歩いているように見えた。
私には、まるでパワハラが服を着て歩いているように見えた。
社員は上司を選べないが、2~3年も我慢すれば、たいていは異動でいなくなる。その間できるだけ外の取材に出て、会社から離れてしまえば難を逃れられる。
ところが最悪なことに、戻った私に用意されていたのは中間管理職のポストだった。それは、いつもピリピリしている彼の、半径2メートル以内に座らなければならないことを意味した。
これを地獄と言わずして何と言おうか。
緊張で胸の動悸が収まらないようになり、生まれて初めて心療内科を訪ねた。
担当医は、まともに人の目を見て話せない内向的な人だった。自らの悩みが精神科医への道を歩ませたのだろうが、これではどちらが患者かわからない。おまけに診察前の問診票で「快食・快眠・快便」に全部マルをつけ、運動欄に毎朝走っていることを書いたのが裏目に出た。ろくに悩みを聞いてもらえなかった。
それでも私の望み通り、精神安定剤をたっぷり処方してくれた。会社に着くとまずヤクをやる。定量では動悸が収まらず、いつも2倍量を飲んだ。
やっと心臓は収まるのだが、今度は副作用の眠気が襲ってくる。意識もうろうとしてくる。仕事で次々とやってくる案件を、大事なものもそうでないものも、全部ひっくるめて右から左に流した。
彼の私に対する評価は、地に堕ちた。
やがて、耐性ができてしまったのか、クスリが効かなくなる。すると今度は、片耳が聞こえなくなった。満身創痍で耳鼻咽喉科の門を叩く。
ひとしきり耳の奥をいじっていた初老の医師が、おもむろに
「これはジコーセンソクです」
と宣告。いやな予感がした。
「・・・それは、どういう字を書くのでしょうか」
「耳、垢、栓、塞、ですな」
もっともらしい病名がついているのは、患者の羞恥心を和らげるためか。要するに、怒鳴り声が聞こえる方の耳が、耳垢を大量に繁殖させて私を守ってくれたのだ。人体の不思議だ。耳に溶液を投入し、翌朝には完治した。
そして数か月後、ボスが異動で去り、かろうじて窮地を脱することができた。
カンボジア・プノンペンで |
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