2015年4月23日

報道写真のレジェンド


報道写真家ジェームズ・ナクトウェイ。

チェチェンにルワンダ、ボスニアやコソボ、アフガンそしてイラク。この数十年に世界で起こった紛争の、ほとんどの現場を踏んだ戦場カメラマンだ。

バンコクで偶然、この人に出会ったことがある。

タイ反政府デモたけなわの2007年。同僚記者から「お坊さん3万人が王宮前に集まって、混乱の平和的解決を祈念するらしいですよ」との情報を得て、現場に向かった。

見覚えのある白人カメラマンがいる。白髪交じりの引き締まった長身にストイックな雰囲気。キャノンのカメラ1台に50ミリレンズをつけ、あとはウエストバッグだけという身軽な格好。すぐにあのナクトウェイだとわかった。

僧侶の正面にしゃがみ込み、至近距離からレンズを向けている。日が暮れていく中、ストロボを使わず自然光だけでの撮影。暗闇にシャッター音が連続する。

大御所と同じ現場に立てて、私の気分はすっかり一ファン。仕事そっちのけで、背後霊のようについて歩いてしまった。

そしてその4年後。

当時働いていた福岡のオフィスに顔を出すと、ちょうどテレビに「東北で震度7」のテロップが流れた。ほどなく、真っ黒い海水が、家や車を次々に飲み込んでいく映像が目に飛び込んできた。
呆然とテレビを見ている私に、「すぐ準備をして、現場に飛んでくれ」。上司と目が合った。

 それまでに私は、スマトラ沖地震と一連の余震、パキスタン北部地震、中国・四川省大地震など、数万人が犠牲になった現場を取材していた。ブット・パキスタン元首相の暗殺や、アフガニスタンの自爆テロにも急行した。

がれき。遺体。ヘリコプターの爆音。死臭。

そんな光景が脳裏をよぎる。ましてや今度の被災者は、かつて住んでいた東北の人々だ。

とっさに「ぼくが行くより、もっと若いカメラマンを出すべきです」と答えていた。

日本で働く報道カメラマンにとって、間違いなく一生に一度の大きな現場なのに、そこから逃げた。

もうこの仕事は続けられない、と悟ったのはこの時だと思う。

ナクトウェイは67歳になる今年も、ベトナム戦争終結40年をテーマに、タイム誌に写真を発表している。そして矢尽き刀折れた私は、すでにカメラも処分してしまった。

同じ報道写真を生業にしても、レジェンドと一ファンとの差は、かくも大きい。

夜のバンコクに着陸

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