2008年2月のパキスタン議会選取材。文字通り実弾が飛び交った選挙戦も終わり、いよいよ明日が投票という時の話。
アジア総局長以下、応援記者でにぎわうイスラマバード支局に突然、地元テレビから出演依頼が舞い込んだ。選挙特番で、各党代表や大学教授を招いて討論会をする。外国記者を代表して、意見を述べて欲しいということだった。
総局長はじめ、パキスタン通を自認するS記者まで逃げ腰となる。取材でその場にいなかったH記者に、大役が押しつけられた。
「なんでおれなんだよー」心底、困った顔をするHさん。
自称「横文字に弱い外国特派員」のHさんは元モスクワ特派員で、ロシア語には堪能だ。その他の言語は、大学時代にファッション誌モデルとして鳴らしたルックスと、演劇部で鍛えた演技力で不足をカバーする。海外でレストランに入ると、いつもウェイトレスにジョークを飛ばす気さくな人だ。
翌朝、住所を頼りに向かった「テレビ局」は、民家の屋根にパラボラアンテナが載っただけの建物だった。控室に通され、さすがに緊張の色を隠せないHさん。スタジオでは、すでに収録が始まっている。CMの間に、いよいよ討論の席に案内される。
隣には英BBCの名物記者、バーバラ女史。昨夜もゴールデンタイムのニュースで、大統領府を背景に生中継していた。
CMが終わり、番組が再開される。
司会「それではミスターH、今の教授の発言をどう捉えましたか?」
「Well・・・」
出し抜けに、英語で滔々と解説を始めるHさん。聞き取りに努めたものの、私は途中で論旨を見失ってしまった。
司会の女性や大学教授に一瞬、「?」という表情がよぎったように見えたのは、単なる私の思い過ごしだろう。特に反論もなく、討論が続いた。
バーバラ女史はすでに退席し、周囲はみなパキスタン人になっていた。Hさんを仲間はずれにして、延々と続くウルドゥ語での議論。
一言も理解できないはずなのに、Hさんはいちいち、深くうなずいている。
スタジオの隅で、笑いをかみ殺す私。
突然、誰かの発言を受け、会場が笑い声に包まれた。
すると、コンマ5秒遅れて、Hさん負けじと大爆笑!
何もそこまでやらなくても・・・
本当にサービス精神旺盛な人なのだ。
時は流れ、私は関東平野の端で失業者となり、同期入社の彼は東北で支局長をしている。