バンコク都心の高層ビル群を窓いっぱいに見渡せる30階の部屋を出発し、2日がかりでラオスの山奥にやってきた。
まずバンコクからビエンチャンに飛ぶ。のどかなビエンチャンの街は、とても一国の首都と思えない。夜になると表通りの車の往来がぱたりと絶え、道を隔てた酒場から歌声、話し声がホテルの部屋まで聞こえてくる。
翌日は国内線で古都ルアンプラバンに向かい、さらに車で北上する。空港からいきなり砂利道になり、昼過ぎに、メコン川の支流を見下ろすコテージに着いた。
隣室から、英語交じりのにぎやかな話し声が聞こえてくる。シンガポール人とも香港人とも様子が違う。宿のマネージャーに聞くと、若いマレーシア人のグループだという。
しばらくして彼らがチェックアウトすると、とたんに静かになった。日が暮れ、聞こえてくるのはかすかな川のせせらぎと、名も知れぬ鳥や小動物、虫たちの鳴き声のみ。対岸の闇に目を凝らしてみても、人工的な明かりはどこにも見えない。車やバイクの音も届いてこない。
夜が明けると一帯は濃い霧に包まれ、何もかもが真っ白。2月も下旬になり、バンコクでは最低気温が25度を超えてきたが、ここの朝は吐く息が白くなる。バルコニーから外を眺めていると、やがて霧が晴れ、少しずつ川面が姿を現してきた。どちらが上流かもわからない、ゆったりとした流れは大陸の川ならではだ。
出発の日にバンコクの空港で、ウォールストリートジャーナルとニューヨークタイムス、バンコクポストを仕入れてきた。移動続きで、読まずに持ってきてしまった。ここでは世界の動きなどはるか遠くの出来事に思えて、全く読む気にならない。ジェットエンジンの響きと搭乗アナウンスを効果音に、足早に行きかうビジネスパーソンを背景にして空港で読むべきだった。
この人里離れた環境で、もし「いつまでいてもいい」ことになったら、どのくらいいられるだろうか。以前の私だったら、紛争地や被災地の取材、またはヒマラヤ登山の直後、気力と体力の限界まで使い果たした状態でこういう所に来る。そして疲れが取れ、自然に出発したい気持ちになるまで過ごす。なぜか、最初からエネルギーに満ち溢れていてはいけない気がする。
今までは短い休暇の中で数泊するのが関の山だったろう。晴れてそういう制約がなくなったが、会社を辞めてみると、今度は日本で確定申告をする必要が出てきた。3月の締め切り日が迫っている。
今回も、数泊して都会に戻ることになった。
実際に来てみて、ここで食べられるのがラオス料理ばかりだという現実的な問題にも出会った。おいしいけれど、飽きる。
結局、いつまでたっても腰が落ち着かないことになりそうだ。