2018年4月28日

要塞町の住人


 米フロリダ州のGated community」を訪ねたことがある。

 周囲を塀に囲まれ、無数の監視カメラが見張る富裕層向け住宅街だ。

「ゲート付き住宅地」というより、まるで「要塞町」。

 遮断機が下りた正門で用件を聞かれ、守衛が住人に確認してやっと入場が許される。海を望む高層階に住んでいた60代女性は、

「以前住んでいた町で、女ひとり外を出歩くのは自殺行為だった。ここでは安心して散歩ができる」

と言いながらも、それほど幸せそうな顔はしなかった。



 出張でハワイに行った時、吹き抜ける爽やかな風に魅せられた。

もしハワイで暮らせるお金があったら、ここは地上の楽園ではないか?

それを確認するため、休暇の1週間をハワイで過ごしてみた。

 そうしたらホノルルの路上も、ホームレスや薬物中毒者が多かった。

 身の危険を感じるほどではなかったが、ここで能天気に暮らすのは無理だと思った。



 バンコクのようなアジアの大都会も、貧富の差はすごい。足や腕のない物乞いが並ぶ歩道橋の下を、東京より多くのベンツやBMWが走っている。

でも個人的には、不思議とアメリカで感じるような居心地の悪さはない。

社会が成長途上で、多くの人がよりよい明日を期待できるからだと思う。



人の幸福に関する研究では、幸せの分岐点は日本で600万円、アメリカで6万ドル。収入が増えるにつれて人の幸福度も増すが、年間所得が600万円または6万ドルを越えると、それ以上幸福度は増えないという。

日米で金額が似ているのが面白い。



また、アメリカで高額所得者への増税案が毎回つぶされるのは、誰もが将来、自分も金持ちになれると思っているからだという。

アメリカンドリームは、どこかに健在だ。



格差社会といわれつつ、日本は海外に比べて、まだ平等が保たれている。

ただそれは、縮小均衡による平等。社会にそこはかとない閉塞感が漂う。

でも人は、他人との比較で生きている。増税や年金の減額でみんなが一緒に貧しくなれば、幸福度は保たれる。

あまりぜいたくは言えない、という気分になる。


Waikiki, Feb 2018

2018年4月21日

にわか仏教徒


アメリカ南部の、ある町でのこと。

巡回中の警官がコンビニ裏を通りがかると、女が自分の腕にヘロインを打っている。

女はハイウェー脇の草むらに暮らすホームレスで、臨月だった

現行犯逮捕を覚悟した女に、警官はとんでもない申し出をした。

「あなたはその子を育てられるのか? 私が養子にして育てよう」。

やがて生まれた赤ちゃんに「希望」と名付けて、我が子同様に育てているという。

CNNの取材に答えて、その警官ライアン・ホーレッツ氏は言っている。

「これまで何度も、助けたいのに助けられない状況に出会ってうんざりしていた」「今回ばかりは『やりなさい。君にはできる』と神に言われた気がした」

路上で暮らす薬物中毒者の子を養子にすることを、妻も賛成したという。

我が家の最寄り駅にも、30代に見えるホームレス女性がいる。氷点下の冬を乗り切り、今朝もミスタードーナツ前で布団にくるまっている。

もし彼女のおなかが大きかったら、やがて生まれる子を養子に迎える度量が、自分にはあるだろうか。

ホーレッツ巡査の行為は、常軌を逸しているように見える。キリスト教への信仰がそうさせるのか。アメリカ人はこの話を、心温まるエピソードとして普通に受け止めるのだろうか。

 

 この話、CNNニュースを集めた月刊の英語教材で出会った。

 私の英語のヒーローは、アフガニスタンで出会ったジャワット君。貧困と内戦の地で、雑音だらけのBBCラジオで英語を独習し、外国メディアの通訳になった。便利な教材を買える私は恵まれている。

 CDを聞き流すだけでは上達しないので、テキストを何度も音読する。トランプ大統領の英語は、単語が中学生レベルで話し方もゆっくり。聞き取れてうれしい。でも音読すると、なぜか気が滅入ってくる。

その点、ホーレッツ巡査の話は気分が乗った。

CNN花形記者の抑揚を真似しながら、精いっぱいの滑舌で繰り返し音読した。

すると洗濯ついでに通りがかった妻が、

「また念仏が始まった」

 と言い残し、去って行った。

 念仏・・・

 そうか私は仏教徒か。

 だからホーレッツ巡査になれなくてもいいんだ。



Honolulu, February 2018

2018年4月14日

ジャングルで何が


 政府の遺骨収集団と一緒に行ったパプアニューギニアで、元日本兵のIさんに会った。

 日本から5000キロ離れた地で3年余戦い、20人に1人しか生き残れなかった地獄の戦場、ニューギニア。今なお、日本兵10数万人の遺骨が眠る。

 熱帯のジャングルで何があったのか。1週間寝食をともにしても、Iさんは「私は司令部付の兵隊だったので恵まれていました」というだけ。

最後まで自らの体験を話すことはなかった。



「日本軍兵士」 吉田裕著 中公新書

 戦後生まれの研究者が書いた太平洋戦争の現実。「約230万人といわれる日本軍将兵の死は、実にさまざまな形での無残な死の集積だった」(本書より)

まず、戦没者の実に61%が餓死だったという推計が紹介される。

米潜水艦の攻撃で1000隻以上の輸送船が沈められ、補給もなくニューギニアやフィリピン、ビルマの山中に置き去りにされた兵士たち。マラリアの高熱で体力を奪われ、わずかな食事も薬も受け付けなくなって死んでいった。

ニューギニアからの生還者は、栄養失調独特の土色の肌が人並みに戻るまで5年かかったという。

輸送船ごと海に沈んだ、溺死を含む「海没死」も36万人。せっかく波間から救出された兵士も、やがて腹部が膨れ、腹痛を訴えながら死んだ。

味方駆潜艇の対潜爆雷攻撃で、肛門に水圧を受けて腸が破裂したのだ。

ニューギニアに向け出港する前日の輸送船内では、極度の不安による発狂者が続出したという。

戦場で傷つき、歩けなくなった兵士には自殺が強要された。

「武器を持っていない者には小銃を貸すか手榴弾を与え、ちゅうちょすれば強制し、応じなければ射殺した」

 傷病兵に薬物を注射して「処置」することもあった。

「おい衛生兵!きさまたちは熱が下がるなんぞいい加減なことをぬかして、こりゃ虐殺じゃないかッ」(元兵士の手記より)

 部隊内でのいじめもまた、すさまじかった。新兵たちは、古参兵からの「体が吹き飛ばされ、顔が変形するほどの激しい殴打」に苦しんだ。太い棒で打ちすえられ、「明らかに撲殺」だった若い兵の死も、戦病死として処理された。

 あの時、なぜIさんが多くを語らなかったのか。読んでいて、その気持ちが理解できた。

国家は国民の命をないがしろにする。東日本大震災で原発事故が起きた時の政府の対応から、この事実が改めて確認されたと私は思う。

そして現代の、いじめを苦にした児童生徒の自殺や、会社でのパワハラ・過労死・過労自殺。人に死を強要する日本軍という組織の闇は、いまも形を変えて残っていると思った。


2018年4月7日

ヨーコさんは、lovevietnam


 記者時代の海外取材では、あちこちで在住日本人のお世話になった。

 インド・コルカタでは一緒にスラムを歩き、南アフリカ・ケープタウンからはともに喜望峰を目指した。セネガル・ダカール郊外のバオバブの森で日の出を迎え、トルコ・イスタンブールのアパート屋上で張り込みをした。

 ほとんどが女の人だった。まさかと思うような場所にも、必ず日本女性が住んでいた。とても助けられた。

 バンコク駐在時代、ベトナム出張ではヨーコさんにお世話になった。だが彼女も私も帰国し、最近はメールのやりとりも途絶えていた。

 会社を辞めて東南アジアを旅していた時、偶然ヨーコさんが書いた記事を地元紙で見つけた。またベトナムに舞い戻っている!

 うろ覚えのメールアドレスを頼りにメッセージを送ると、すぐ返事があった。そしてこの冬、11年ぶりに再会できた。

 サイゴン・タンソンニャット空港の人混みに、「ミヤサカさま」と書かれた紙を掲げて立つ、元気なヨーコさんの姿があった。



「ところであの時、一緒にどんな仕事したんでしたっけ?」「・・・さあ?」
 2人とも記憶にない。11年の歳月。

でもヨーコさん自身が書く記事には、鋭いニュース感覚を感じる。それもそのはず、彼女はバリバリのテレビウーマンだったのだ。

 ニュースキャスターとして活躍する宮崎緑さんに憧れたヨーコさんは、新卒でテレビ局に入社した。だが休暇で訪れたベトナムに魅せられて、「この国の旬を伝えられるのは今だけ」と、せっかく入ったテレビ局を辞めて移り住む。

この突破力。

 途中、帰国して再びテレビ局で働いた時期を挟んで、サイゴン暮らしも今年で13年目。規格外のヨーコさんに、日本の会社員生活は窮屈すぎたみたいだ。

 それでもテレビの世界には、女性であることの働きづらさはなかったという。同じマスコミでも、男社会の新聞社とはずいぶん違う。いまはベトナム通のフリージャーナリストとして、取材協力や市場調査などに活躍している。

最近、大学学長を務めるあの宮崎緑さんが、サイゴンを訪問。たまたまヨーコさんが、現地コーディネーターを務めた。

長年の熱い思いを、宮崎さん本人に伝えることができたという。

 そしてその翌年、宮崎さんの大学のベトナム研修旅行をヨーコさんが引率している。

 念じれば通ずる。とてもいい話を聞けた。

 別れ際、ヨーコさんはバイクタクシーに横座りし、さっそうと夕暮れのサイゴンに消えて行った。

 話の端々に感じた、ベトナムへの強い愛。

彼女のメールアドレスには、『lovevietnam』の文字が躍っている。


Saigon, january 2018

2018年3月31日

ようこそリスクの世界へ


 お年寄りを病院に送る車内での、とてもよくある会話。

「あなた方ボランティアのおかげで本当に助かるよ。でもまだ若いのに・・・仕事はしなくていいの?」

「仕事は家でやるから大丈夫ですよ」

「そう。お店でもやってるの?」

「いえ株式投資です」

 女性はここで、たいてい絶句する。そして、

「あそこの小学校、サクラが満開ね」

 まるで何事もなかったかのように話題を変える。

 同乗者が男性の場合は、いろいろ聞かれる。でも話はかみ合わない。彼らの頭の中では、パソコンで売買を繰り返すデイトレーダーがイメージされている。

 株式投資は大好きで、大事な収入源だが、あまり売買はしない。近年の研究でも、ひんぱんに売買を繰り返す投資家ほど損を膨らませることがわかっている。

 マーケットでは初心者もプロも関係ない。百戦錬磨の機関投資家らの中に入っていけば、カモにされるだけだ。

 並みいるプロを相手に100回トレードを繰り返して、なんとか51勝49敗で勝ち越したとする。でも100回の取引すべてに売買手数料がかかり、51回の儲けからは税金を取られる。短期売買は割に合わないのだ。

 もうひとつの方法は、株式投資信託で世界中の企業をまとめ買いし、ひたすら持ち続けること。伸びる会社もあればつぶれる会社もあるが、均せば長期的にはGDP成長率+αのリターンが得られる。歴史が証明している。

 さらに、持ち続ければ売買手数料を払わなくて済むうえ、売るまでは税金もかからない。さらに非課税口座を使えば、毎年の配当金もそっくりもらえる。時間の経過とともに、複利のマジックがじわじわ効いてくる。

ただこの方法では、ひと晩でお金持ちになることはできない。そして退屈だ。投資が大好きなのに、手出しできないのがジレンマだ。

そんな私の生業を、うまく人に伝えるのは難しい。時々、火星人を見るような目で見られる。自分もカブをやってみようという人は、ひとりもいなかった。

だが最近、「私に投資を教えてください」という人が現れた。福祉施設で働きながら資格取得の勉強もする、努力家の20代だ。

「一時的な損に耐えられる?」「大丈夫です」

私の「ほったらかし投資法」を伝えたら、すぐに証券口座を開いた。この人は本気だ! やっと、孤独な旅の道連れができそう。

10年前、市場の暴落に巻き込まれた時は、投資額の半分が一瞬で吹き飛んだ。投資に絶対確実はない。でもそれは仕事や結婚生活など、人生のあらゆる側面に等しく言えることだ。

「この世で確かなものは死と税金だけ」━ベンジャミン・フランクリン

 ようこそリスクの世界へ。


2018年3月24日

THANK YOU FOR YOUR SERVICE


 免税店でベンツが買えるUAE・ドバイ国際空港。

 その豪奢なメーンターミナルとは似ても似つかない、まるで倉庫のような建物が第2ターミナルだ。イラク行き、アフガニスタン行きが発着する。

 アフガン出張では毎回、タクシーのパキスタン人運転手に「第2ターミナル?知らないよ」と言われた。

 夜明け前の第2ビル。バグダッドやバスラ、カンダハル行き搭乗ゲートには、分厚い胸板を迷彩服に包んだ男たちが行列を作っていた。薄暗い中、誰もが押し黙っている。

私が乗るカブール行きの列には、スカーフから金髪がのぞく小柄な女性の姿があった。国際機関やNGOで働いているのだろうか。少し心が和んだ。



「帰還兵はなぜ自殺するのか」 デイヴィッド・フィンケル著

 ピュリッツァー賞受賞記者が、戦地から戻った兵士のその後を追ったノンフィクションである。

 イラクやアフガニスタンの戦場に派遣された200万人のアメリカ人。そのうち50万人が、PTSDやTBI(外傷性脳損傷)などの精神障害を負った。

 360度あらゆる場所が戦場で、前線もなければ軍服姿の敵もいない。予想できるパターンもなければ、安心できる場所もない。突然、どこかで仕掛け爆弾が爆発し、仲間が装甲車ごと炎に包まれる。

 そんな経験をした兵士たちは帰国後、苛立ちや重度の不眠、怒り、絶望、ひどい無気力に苦しむようになる。睡眠薬と、起きている間眠らないようにする薬、鎮痛剤、抗うつ剤など1日43錠の薬を処方され、浴びるように酒を飲む。

 そして、「死にたい」と言うようになる。

 夫の帰還を待ちわびていた妻も、悪夢を見た夫から夜中に首を絞められたりする。そのうち、自らも悪夢に苦しむようになる。

そんな両親を見た子どもも、不安からおねしょをするようになる。

 兵士の多くは若い志願兵だ。彼らは大変な愛国者だったりする一方で、入隊前に失業していたり、2人の子持ちだったり、医療保険失効者だったりする。

 そして彼らの祖父や父親もまた、第2次大戦やベトナム戦争帰りのアルコール中毒者だったりする。

絶望的な世代間連鎖が起きている。

 陸軍省はこの問題に巨額の予算をつぎ込むが、有効な手が打てない。毎日18人の帰還兵が自殺し、やがて自殺者が戦死者を上回るようになる。

 イラク戦争は、イラクが大量破壊兵器を隠しているという理由で始められた。だが結局、その事実はなかった。

彼らの子が大きくなる頃、アメリカはまた別の戦争を始めているのだろうか。

 この本の原題は「THANK YOU FOR YOUR SERVICE」という。




2018年3月10日

ハレクラニ


 ハイシーズンのハワイは、生存競争が激しい。

出張で突然、着の身着のままハワイに送り込まれた時は、ホテルの確保に苦労した。空室を見つけても1~2泊で追い出される。

見かねた当時のロス支局長が、「ハレクラニ」という妙な名前のホテルを取ってくれた。ほんの数泊のつもりが、仕事が終わらず、本社から交代要員も来ない。

帰国後、私がその「ハレなんとか」に20泊したと聞いた妻の友人が腰を抜かした。「一度は泊まりたい」名門ホテルだったみたいだ。

「モアナ・サーフライダー」や「ロイヤル・ハワイアン」などハワイの一流ホテルは、建物は重厚でも客はサンダルに短パン。客でもないのにマックやスタバからテイクアウトして、勝手にプールサイドでくつろいでもいい。

 その中で、奥まった所にある「ハレなんとか」は別格の優雅さがあった。

 いずれにしても、リゾートホテルは愛する人と泊まってナンボ。男ひとりで泊まるものではない。

今回はキッチン付アパートで、住んだ気になって滞在してみた。自腹のハワイは、物価の高さが堪えた。

土砂降りの雨の中、30分待っても来ない市バスが2.75ドル(300円)。2週間前にベトナムの田舎で乗ったタクシーは、初乗り25円だった。

 比較の対象が間違っている気もするが。

レストランのランチに20ドル取られる。その割にサービスはいい加減。注文したアサイーボウルが来ない。店員に言うと、「Yeah, it should be」と返事だけで何もしない。

やっとありついてみると、激しく甘かった。ひと月分の砂糖を1回で摂取した。いくらスーパーフードでも、毎日食べたら病気になる。

レストランで会計すると、請求書に「チップは総額の22%を推奨します」。

ベトナムが恋しい。

結局、Whole Foods Down to Earth などのスーパーで量り売りの総菜を買ったり(450グラムが9ドル)、近所でアヒポケボウル(ハワイ式マグロ玄米丼)を買って部屋で食べた。健康的でおいしく、心が休まった。

宿の近くに「丸亀製麺」がある。観光客や地元の人など、昼夜を問わず100人近い行列ができていた。UDON一杯5ドルが人気の秘密だ。デフレニッポンの圧倒的な価格競争力。

ちなみに日本では取り放題の揚げ玉や刻みネギが、こちらでは厨房の奥にしまわれている。セルフサービスにすると、あり得ないほどごっそり盛っていかれるらしい。

唯一安く感じたのは、レンタカーを借りた時のガソリン代だけ。おおむね運転マナーはいいが、南国らしからぬせっかちな車も見かけた。

長年抱いていた「楽園」のイメージが、日に日に修正されていく。

組織に守られてハレクラニに泊まっていては、決して現実は見えない。



HIKIKOMORI

  不登校や引きこもりの子に、心理専門職としてどう関わっていくか。 増え続ける不登校と、中高年への広がりが指摘されるひきこもり。 心理系大学院入試でも 、事例問題としてよく出題される。 対応の基本は、その子単独の問題として捉えるのではなく、家族システムの中に生じている悪循...