2020年12月19日

人生の諸問題②

 我ながら完璧な人生設計をしたつもりが、ここにきて、いささかの瑕疵が。

 松本の街って、けっこう寒い…

 朝の気温がマイナス5度だったり、一日中氷点下だったり。

 雪もよく降る。

 標高600メートルあるから、東京だったら高尾山のてっぺんで暮らしているようなものだろうか。

その上盆地気候で、冷え込みがキツイのかも知れない。

早朝ジョギングしていると、耳が千切れそうになる。

 

 ある時、出張で行ったシドニーの公園で、風を切って快調に走っていた(つもり)。

 すると、双子の赤ちゃんをタンデムのベビーカーに乗せた女性が後ろから近づいてきて、いとも簡単に抜き去っていった。

 それが深い心の傷になって以来、わざと散歩に毛が生えたぐらいのペースで走っていた。でもここでは本気で走らないと、寒さをしのげない。

 でも耳が痛い。

 路面が凍って、ツルツルになっていたりもする。

 すっかりこの地に定住する気でいたけれど…

来年の今ごろは、別の街で暮らしているかも。

 そのうち慣れるのかなぁ。

2020年12月12日

風景の力

 

 新聞社で一緒だった元同僚が、若くして会社を離れ、福島の田舎に住んでいる。

 長野から会いに行くと、新潟から福島へ抜ける峠が、雪に閉ざされていた。ぐるっと日本海側を回って、往復700キロのドライブになった。

阿賀野川に沿って谷間を進むと、突然視界が開けた。見渡す限り広がる田んぼの先に、雪の磐梯山がのんびりと横たわっている。古くからこの地に暮らす人々が、長い時間をかけて丁寧に形作った、まさに日本の原風景。

 

元同僚が移住したのは、ここ会津盆地の田んぼに点在する集落のひとつ。築100年の古民家を手に入れ、ほぼ自力で修復しながら暮らしている。

彼ら夫婦は、2人とも元写真記者。妻は修行を重ねてパン職人になり、歯ごたえのある重厚なパンを焼いて、縁側で売っている。最初は大変だったそうだが、いまや行列ができるパン屋さんだ。

夫はフリーの写真家として、震災で世界的ニュースになった「フクシマ」のその後を追い続け、国際的な写真賞を受賞した。

 夫妻にはヨーコさん()、カエデさん()という2人の子がいる。家ではほとんどテレビをつけず、パンを売るお母さんを手伝ったり、庭の大木の下で遊んだりして過ごしている。

 

たとえば、雪山で何日も嵐に閉じ込められ、飢えと寒さで死を覚悟した時。

垂直の岩に辛うじてしがみつき、このままでは力尽きて墜落するという時。

窮地に立った登山者の運命を左右するのは、生への執着がどれだけ強いかだ。そして、それまでにどれだけ人の愛情を受けたか、どれだけ美しい風景、絵画、音楽に触れたかが、生還への大きなカギを握っている。

ヨーコさんとカエデさんが将来、人生の大ピンチに直面した時。この雄大な風景の中で育てられた記憶は、間違いなく、彼女たちの命を救うことになると思った。

 

東京での安定したキャリアを捨てて、思い切ったことするなぁ。

ずっと不思議に思っていたが、まさに百聞は一見に如かず。

古い家が醸し出す独特の雰囲気を知り、冬の青空の下に広がる風景を眺めていたら、2人がここで暮らすと決めた訳が、あっさり腑に落ちた。

盆地気候で夏は暑かったり、冬が寒かったり。住んでいれば、いろいろ大変なこともありそうだ。

でも冬枯れの季節でこれだから、春から秋は、どれだけ綺麗なんだろう。

何度も訪れたくなる、とても魅力的な土地でした。

Copyright by Satoko Iwanami





2020年12月4日

熱帯のストア哲学

 

 ・・・楽しかったなぁ。

 この世にコロナが現れるまでは。

 Mystery shopperってわかる? 私、ファーウェイや石油企業と契約して、覆面調査員やってたんだ。よく遠くの町にも調査に行ったよ。医師の夫が週3日勤務だから、家族と一緒に泊まりがけで。

 ホテル代は会社持ちだし、評価レポート書いて送っちゃえば、あとは自由。7歳と5歳の子どもを連れて、ビーチで遊んだりしたよ。

 でもコロナで依頼が全滅して、今は専業主婦。名門フィリピン大学で生物学と環境資源管理、2つも学位を取ったこの私が。

 午前中は、こうしてオンライン英会話講師のアルバイト。自宅でできる安全な仕事だけど、給料は安いよ、とっても。

いまキッチンで、同居のお母さんがご飯作ってくれてる。このレッスンが終わったら、や~~っと朝ご飯だよ。あぁお腹空いた!

(ミンダナオ島在住・36歳・女性)

 

フライト・アテンダントやってたぼくの友だちが、コロナで飛べなくなってすぐ、家でケーキを焼いてFacebookで売り始めたんだ。観光産業で働いてた友人は軒並み解雇されたけど、みな新しい商売を始めてるよ。

ぼくはフルタイムのオンライン英会話講師で、つくづくラッキーだったよ。1日16コマのレッスンを20コマに増やしたけど、すぐ予約で埋まるんだ。日本人もコロナで外出を控えて、前より時間があるんだろうね。

ステイホームでできる新しい趣味をと考えて、最近始めたのがガーデニング。裏庭でハーブを植えたり、キュウリを育てたりしてるよ。

でも外出できないストレスで、自分がToxic person 家族にとって迷惑な存在になってる気がして、いまストア哲学の本“Daily Stoic”を読んでるところ。コロナ禍の世界は変えられなくても、自分は変えられるんじゃないかと思ってね。

え? 常夏の国に居ながらストイックになれるのかって?

ハハ、難しいかもね!

(ボホール島在住・36歳・男性)

 

フィリピン各地で暮らすオンライン英会話の先生は、コロナでも全くへこたれない。少し話すだけで、自分の硬いアタマがどんどん柔らかくなる。

ひとり暮らしでも、数千キロ離れた人と毎日話せる、すばらしいこの世界。

「初月1円キャンペーン」に釣られて再入会したら、最低6か月の継続が付帯条件だった。

 がんばらないと。

Odawara Japan, October 2020




2020年11月28日

初雪

 

 小田原市から松本市へ、人生28度めの引っ越し。

 200キロほどの移動だが、引っ越し業者の都合で、荷物搬出から搬入まで中1日空く。23日の旅になった。

Go To トラベル」を利用し、1泊目に熱海の温泉宿、2泊目は松本のホテルに泊まる。今まで住んでいた部屋のカギを手放してから、新しい部屋のカギを受け取るまでの「家なき子」状態は、何度経験しても気持ちいい。

 松本市役所に転入の届出をしに行くと、「博物館パスポート」を手渡された。国宝・松本城や旧開智学校など、市内21の美術館・博物館が、1年間入場無料だという。松本に来たことを歓迎してもらったような、いい気分。

 ちなみに松本市の姉妹都市は、ネパール・カトマンズ。何やら縁を感じる。

ある日、一通のハガキを受け取った。日本年金機構からで、このハガキを持って事務所に来てくれと書いてある。年金をもらうには、10年早いはず。

自転車で年金事務所を訪ねると、端末を叩いた職員が、「この夏に奥様を亡くされましたね。あなたには60歳から5年間、遺族年金が支給されます」。

 “働き手の夫を亡くした寡婦”が受け取るもの、と思っていた遺族年金が、少額ながら自分にも支給される。申請していないのに、わざわざ呼び出してお金をくれるこの国は素晴らしい。妻からの、思わぬプレゼント。

 段ボール箱との格闘に疲れて、森の家に逃げ込んだ翌朝。

雪が舞った。



2020年11月21日

外食の風景

東海道の城下町から、信州の城下町へ。

部屋探しと引っ越し本番で、それぞれ23日の旅をした。

 最初に泊まったホテルでは、朝食が「30品目ビュッフェ」から、お仕着せセットメニューに変わっている。新型コロナ感染拡大防止のため、という。

 次のホテルはビュッフェ形式だったが、入り口で体温を測られ、「料理を取るときに使って下さい」と、各自ビニール手袋を手渡された。

 料理や飲み物を取りに行くたび、マスクをして手袋をはめる。

昼時、不動産屋に勧められたラーメン屋へ行くと、歩道に2メートルずつ等間隔に、人が並んで立っている。誰に言われるともなく、若い男女が「ソーシャルディスタンス行列」を作っていた。

 夜、駅ビルのレストラン街は、軒並み店じまいして閑散としている。まだ午後7時半。コロナで営業時間が短縮されていた。

 下戸の私が飲み屋街に繰り出し、イタリア風居酒屋でペスカトーレを注文。見渡すと、コロナ時代の新マナー「食事の時は会話を控えめに」など、皆どこ吹く風。顔を寄せ合い、大きな声で話に花が咲いている。

これが居酒屋の、本来あるべき姿だ。でも「夜の街」「感染拡大」など、最近新聞の見出しで見かける言葉が、ふと頭をよぎった。「Go To イート」の影響か、どの店もよく繁盛していた。

 そして新居も定まり、暮らしは非日常から日常へ。「野菜のみそ汁と雑穀米、豆か魚料理一品」という超ワンパターン100年前の日本人的自炊生活に戻って、ほっと一息・・・




2020年11月13日

引っ越しはインド風に

 友人が、800キロ離れた地方都市に引っ越していったとき。

 会社から転勤の内示が出たのが、赴任2週間前だった。

 理由は「社員の不正を防ぐため」。彼が勤める金融業では普通らしい。

 欧米の大企業や国際機関では、転勤は希望者のみだ。人気のない任地、危険な任地に社員を送るときは、それに見合ったインセンティブが提示される。

紙切れ一枚でいきなり社員を動かすのは、日本の会社だけだ。

 

「紙切れ一枚」で、4転勤した。

引っ越しで持ち物を「断捨離」するチャンスが、8回あったことになる。

たしかに海外赴任の時は、「航空便100キロ、船便10立方メートル、国内倉庫に20立方メートルまで」という会社規定があったから、かなり断捨離した。

でも国内異動には制限がない。引っ越すたび、逆に荷物が増えていった。

段ボール箱が100個を数えたのは、いつの頃だったか。最後の転勤では、トラック2台に荷物を満載して、1000キロ離れた任地に向かった。

晴れて着任したその朝、会社の経理担当に呼び出された。

「キミ、引っ越しにいくら使うつもりなの? なんぼなんでも高すぎるよ!」

 

 フリーランスになった今、自分で自分に辞令が出せる。その代わり、引っ越し代も自腹。以前は「妻が風邪で」と言って、ちゃっかり梱包まで会社経費でやってもらったりしたが・・・

 今回はきちんと断捨離した上で、引っ越し業者に見積もりを頼んだ。

 やってくる営業担当者は、ほとんど男性。電話で「ほんの30分」といっておきながら、契約を勝ち取るまで帰らないゾ、という気概に満ちている。1時間以上も粘る。

 どの社も最初は、「20万円以上かかります」という。「A社は8万円だったよ(←半分ハッタリ)」「B社は粗大ごみの処分もやってくれるよ」といって各社を競わせると、見る間に言い値が下がり、半額以下になっていく。

 このあたり、けっこうインド的。定価などあってないようなものだから、振れ幅が大きい。きちんと準備して臨まないと、ボラれそう。

 この春に東京から長野に引っ越した家族の情報を、前もって仕入れてある。あらかじめ相場がわかれば、有利に交渉できる。

でもギリギリまでは値切らず、最後は人となりで決めた。

 

その担当者は、電卓を叩きながら、途中で何度も本部に電話していた。

 ・・・そこを何とか・・・もっと値引きを・・・お願いします・・・

 上司とのやりとりを聞かせて、「私はお客様の味方です」とアピールする。

 彼の工夫と熱意に負けました。 



2020年11月7日

ウルサイ日本と私

 

「クリエイティビティは移動距離に比例する」

 こう言ったのは、実業家の本田直之だったか。

彼はハワイに自宅を構えて、日本と往復する生活をしている。

ちなみに、毎日2便飛んでいたANAの東京~ハワイ線は、コロナ禍のいまは「毎月2便」に激減している。

 

 クリエイティビティは、移動距離に比例する。

 新聞社の海外特派員だった3年間、飛行機でアジア諸国を飛び回った。年間100フライト以上、距離にして約10万マイル。

でも、偉大なクリエイターにはなれなかった。

それどころか、どんどん疲弊していくばかり。

行き先が大地震の被災地だったり、自爆テロ現場だったり、クーデターが起きた国だったせいだろうか。

やっぱり、行き先はハワイに限る。

 

コロナを奇貨として、ローカル線で小さな旅に出た。

富士と甲府を結ぶ身延線と、松本~糸魚川の大糸線。

車窓を移ろう錦繡の山を眺めながら、どんどん自分がクリエイティブになっていく。

・・・と言いたいところだが、思わぬ伏兵が。

車内アナウンスだ。

やれ整理券を取れだの、ドアは自動で開かないからボタンを押せだの、この駅は一番前のドアしか開かないから気をつけろだの、切符は運転士に渡せだの、精算機は1000円札しか両替できないから小銭を用意せよだの・・・

駅を出発した後と、次の駅に到着する前の2回、ほぼ同じ文言が、大音量の人工音声で繰り返される。

耳栓代わりのイヤホンが、何の用もなさないほどうるさかった。

身延線88キロ、39駅。

大糸線105キロ、41駅。

はぁ・・・

旅情に浸るどころか、終点に着くころには廃人寸前。

間違っても俳人にはなれない。

急ぐ旅でもないのに、帰りは新幹線や特急に乗って、別ルートで帰った。

もし外国人がもっと増えて、英語や中国語、韓国語のアナウンスが追加されたら、ローカル線の車内から静寂が消えてしまう。

私が特別、音に対して繊細すぎるのだろうか。



私はカモシカ

  ・もし、自分を動物に例えるとしたら? A 子「リス」  B 子「カモシカ」  C 子「飛べない鳥」  D 子「ウサギ」  E 子「フクロウ」 ・あなたが人生の最後に食べたいのは? A 子「オムライス」  B 子「あん肝」  C 子「寿司」  D 子「オムライス」 ...