2020年4月18日

不要不急の?病院通い


 モータージャーナリストのF氏は、“子どもの教育に失敗した”という。

「バカ息子に『いまの時代、クルマを持つ意味がわからない』と言われた」。

 私も、バカ息子の意見に100%賛同する。

でも今度の家は、信州の山間部にある。最寄りのコンビニまで徒歩2時間、スーパーまで徒歩3時間(往復すると6時間)かかる。背に腹は代えられない。

「いまの時代」に逆行して、20年数ぶりにクルマを買った。

 町に下り、食料や日用雑貨を買って帰るだけで、いつの間にか40キロ走っている。化石燃料の消費に、後ろめたさを感じる。でもマイカー移動は、「コロナさん」との遭遇だけは最小限に抑えられる。

病院に行くと、いつも満杯の駐車場が、なぜかガラガラ。混み合うはずの会計窓口も、人影まばらだ。医師や看護師たちも、ヒマそうにしている。

聞けば、院内で「コロナさん」と遭遇することを恐れる患者たちが、不要不急の通院を控えているせいだ、という。

 ということは、多くの病院経営は、今まで「不要不急の通院者たち」に支えられていた???

わが家への帰り道。夜の森を走っていると、シカの目がヘッドライトに反射して光る。万が一、シカと衝突すれば、クルマは派手に壊れる一方、シカは平気で逃げていくそうだ。

しかも、自損事故扱いになる。保険が効かない。だから、最徐行する。

家に着いてライトを消すと、あたりは真っ暗闇。やがて目が慣れると、森の輪郭が、月明かりに浮かび上がる。数日前に降った雪が、まだ道端に残っている。車載の温度計によると、外は-1℃。見上げれば、満天の星空。



「クルマは購入後に愛着が増すのに、なぜ夫婦関係は年々悪くなるのか」

行動経済学者のダン・アリエリーが、この難題に挑んだ。

 中古で買った愛車は、最初その色が気に入らなくても、そのうち慣れる。でももしパートナーが、絶えず下手な冗談を言う人だったとしたら、無視し続けるのは、とても難しい。

クルマは動かないから、そのうち背景に溶け込んでいく。でもパートナーは、向こうから働きかけてくるために、注目しないわけにはいかないのだ。

毎朝ジョークを繰り返されると、時間がたてばたつほど、どんどん鬱陶しくなっていく・・・
(この問題の対処法は、アリエリーの新刊「幸せをつかむ戦略」を読め、と書いてあった)



20数年ぶりの愛車は、ありふれた車種で、色も愚直なシルバー。

毎朝ジョークを言いそうにないタイプだ。

もう4月半ばだというのに。

2020年4月11日

4月でも雪国


 ウチの玄関、まだ日陰に雪が残っている。

朝の気温は氷点下。ひと月前は、マイナス10度まで冷えた。東京では、とっくにサクラが散ったのに。

ダウンジャケットを着て、自宅からつづら折れの山道を、クルマで30分。町に下りると、小中高生が半袖で歩いている。

何だかんだ言って、日本は広いと思う。水平方向にも、垂直方向にも。



ひときわ冷え込んだ、ある夜。部屋の石油ヒーターが、ひと晩中唸りを上げていた。朝になって、突然、静かになった。

屋外の200リットル入り灯油タンクを見に行くと、カラに近い。室温が、どんどん下がっていく。

8キロ先のガソリンスタンドまで、灯油を買いに走る。新鮮な油をたっぷりヒーターに食べさせて、スイッチON

・・・つかない。

 中古の家を「居抜き」で買ったので、ヒーターも20数年前の年代もの。いつ壊れても、おかしくなさそう。

 急きょ、電器店やホームセンターを回った。店の人はみな「暖房器具? さあ・・・あるとしたら“季節もの処分コーナー”かな」と、つれない。案の定、軒並み売り切れている。

ネット通販は、届くまで数日かかる。しかも、わが家は標高1600メートル。高地仕様の特別なヒーターしか使えない。

 今夜をどうやって過ごそう。家族はとっても寒がりだ。困った。

ふと思いつき、湖畔の宿のオーナー、タマさんに電話した。清掃係やフロント係のバイトで、毎夏お世話になっている。

「ストーブですか? 何台でも貸しますよ! いま新型コロナのせいで、空室だらけなんで」

 まさに、捨てる神あれば拾う神あり。すぐ町を出て、山上の湖を目指す。タマさんが、大小の暖房器具を並べて待っていてくれた。

 大きな達磨ストーブを借りて自宅に運び入れ、点火。頼もしい炎が上がり、部屋がガンガン暖まっていく。

 翌日、ゆとりを取り戻して、業者にヒーターの修理を依頼した。最初の人は、しばらくいじって「私の手に負えません」。メーカーにも、部品の在庫がないという。ヒーターを新品に交換すれば、工事費込みで20万円。イタイ。

 2人目の業者さんは、「ちょっと待って」。ヒーターの裏に、おもむろに手を入れた。外部タンクにつながるパイプの、捻じれを直している。

そしてスイッチON

あっけなく再始動した。

思うに、このワイルドな地で暮らすには、自分にはDIYの知識がなさすぎる。

家の近くで

2020年4月4日

雑菌王


19の春に、インドを旅した。

 当時は、黄色い表紙のガイドブックが大人気。「11000円で世界を歩こう」と喧伝していた。

 それを真に受けて、安宿に泊まり、ゴミだらけの路地でカレーを食べた。見かけも味も泥みたいなカレーは、やたら辛かった。テーブルにあった水差しの水を、がぶ飲みした。着いたその日から、腹を壊した。

 長距離バスに乗り、休憩時間に停車すると、周囲は見渡す限りの大平原。公衆トイレはおろか、身を隠す場所さえない。旅行者仲間にもらった下痢止めを飲み、青い顔をして耐えた。

インドを去る日までのひと月、ずっと下痢が続いた。

帰国した成田空港の検疫所で、下痢を申告すると、インド帰りはすぐ検便を採られる。

翌日、白衣とマスクの男数人が、アパートに現れた。

「保健所の者です。赤痢菌が出ました。すぐ隔離します」

 連行される私を、家主のおばあちゃんが、呆気に取られて見ている。

 法定伝染病は、治療費がタダだ。3食昼寝付きの隔離病棟で2週間を過ごし、娑婆に出ることが出来た。

 21の春、今度はビルマ(当時の呼称)を旅した。ただでさえ暑いこの国が、ことさら暑くなるのが5月。行ってから気づいた。あまりにも暑くて、安食堂の水をがぶ飲みした。

 帰国後、どうも体がだるい。白眼が黄色くなってきた。そして尿が茶色に。

 病院で検査すると、肝機能の値が、正常な人の数十倍になっている。

「急性A型肝炎です」。即入院。そのまま、1か月以上を病院で過ごした。

赤痢でも肝炎でも、「西洋医学の殿堂」ともいうべき大学病院に入院したのに、治療らしい治療は何もなかった。

赤痢の時は毎朝、看護婦さん(当時の呼称)に言われるままにお尻を出して、赤痢菌をチェックされるだけ。肝炎の時も、「小柴胡湯」という漢方薬を処方されただけだった。結局、自らの免疫力だけが頼りなのだ。

社会人になり、仕事で途上国を渡り歩いた。インドにも、何度も行った。タイには3年住んだ。でも病気らしい病気はおろか、下痢もしない。

いつの間にか、雑菌にとても強くなっていた。

 個人的には、COVID-19にも100%勝つ自信がある。こうして防戦一方、家に籠ってほとぼりが冷めるのを待つ毎日が、何とも歯がゆい。

ちゃんと食べて、きちんと寝て体の抵抗力をつける。自分でも気づかないうちにCOVID-19に感染し、「ちょっと風邪ひいたかな」ぐらいの症状で治る。

そしていつの間にか、世界中の人に免疫ができていた・・・

 たとえ楽観的すぎると言われても、このシナリオ、本気で信じている。



2020年3月28日

山でテレワーク


4年前に手に入れた信州の家は、シカが遊ぶ森の中にある。

山道を下りて、信号のある最初の交差点まで11キロ。

最寄りのコンビニまで、クルマで20分かかる。

夏を過ごすために買ったこの家に、今年は春から通う。

ネットがあればどこでも暮らせる元祖テレワーカー、個人投資家の役得だ。



山の家暮らしに、クルマは必需品。今まで「レンタカー2か月借りっぱなし」でしのいできた。今回は、滞在が長くなりそう。

「いつもお借りするあのクルマ、売って下さい!」

ダメ元で、馴染みのレンタカー屋さんに言ってみた。

かなり面食らっていたが、気持ちよく譲ってくれた。

 晴れてマイカーになった車のトランクルームに、冬タイヤが4本積まれている。私の行き先を知る店長からの、プレゼントだった。



海に近い湘南のマンションから、山の家まで、クルマで3時間半。でも標高差が1600メートルあるので、気候がまったく違う。着いた翌朝、玄関の外はマイナス10度だった。

先週は、夜半に雪が降った。目覚めたら、辺り一面、雪景色。

相当な僻地ではあるが、一応は管理別荘地だ。電気・ガス・水道は通っている。携帯電話も、ドコモなら5本立つ。郵便物や新聞も届くし、宅配便のトラックも、スタッドレスタイヤで上がって来てくれる。

夏でも石油ストーブを焚くほど涼しいので、人の気配がするのは、避暑客が来るお盆の時だけ。でも今年は、凍てつく夜、いくつかの家に明かりが灯る。「新型コロナ」で、首都圏から避難してきたのかも。

清冽な空気が、今年はひと際、ありがたい。ちょっと寒いけど。



家の蛇口から出るのは、山の水。インスタントコーヒーが、魔法のように?ドリップコーヒーの味わいになる。



この辺り、高度成長からバブル期にかけて、「別荘」に憧れた昭和世代が、競って家を建てた。彼らも寄る年波には勝てず。最近、売り物件が目立つ。

20年のこの家は、軽自動車3台分のお金で買えた。でももっと安い物件が、周囲に何軒もある。

そんなに人気ないのかなあ。

気候変動による都会の猛暑。北朝鮮のミサイル。そしてコロナ・ウイルス・・・

日々、「この家があってよかった~」と思うのだが。

家の周りを1時間散歩して、出会うのはシカだけ。「外出制限」などないし、出かけるのにマスクもいらない。

どなたか、お隣さんになりませんか? 仕事をテレワークに切り替えて。



2020年3月21日

読んでよし 包んでよし 拭いてよし


 家人にお使いを頼まれて向かった、郊外のマツモトキヨシ。

平日の昼下がりなのに、なぜか駐車場がクルマで溢れている。店内に入ると、レジの前には、見たこともない長蛇の列ができていた。

 特売日? ポイント10倍デー? それとも年金支給日?

 タイミング悪かったなあ、と思いながら、行列の最後に並んだ。

 何日かして、「新型肺炎でトイレットペーパーの売り切れ続出!」というニュースに触れ、初めて行列の訳がわかった。でも、意味がわからない。いつの間にか、近所のドラッグストア数軒からトイレットペーパーが消えている。



学生時代、1980年代の中国をヒッチハイクで旅した。途中で公衆トイレに入ると、壁もドアもなく、土に掘った穴が並んでいるだけ。人民服を着た人たちと、仲良くしゃがんで用を足した。

そして皆、トイレットペーパー代わりに新聞紙を使っていた。

そんな原体験があるので、

「トイレットペーパーがなくなったら、古新聞を使えばいいや」

 個人的には、あまり危機感がない。

 わが家はシンプルな水洗トイレだが、よそ様は「乾燥機能付きシャワートイレ」が標準のはず。現代ニッポンで、もはやトイレットペーパーは必需品ではないと思うのだが・・・



新聞の投書欄に70代男性が寄せた、こんな話を読んだ。

中学生になる彼の孫が、トイレットペーパーを買いに走った。数軒回ってやっと1パック手に入れた。その帰り道、ベビーカーを押したお母さんに「そのトイレットペーパー、どこで手に入れたの?」と聞かれた。

 これが最後の1パックだったと説明すると、とてもがっかりした様子。孫は、パックの包装を破り、トイレットペーパーを3つ、その場でお母さんに手渡した。

 わが孫ながら、あっぱれ! 投書は、そう締めくくられていた。私も一瞬、いい話だなあと思った。

 でも大王製紙など製紙工場は、平常通りに稼働しているという。皆がパニック買いに走らず、冷静に行動していれば、こんな騒動にならなかったはず。

前に勤めていた新聞社の先輩記者は、定年退職と同時にテレビを粗大ごみに出した。わが家もテレビはほとんど見ない。ネットのSNSは、チラッと見る。ヒマつぶしになるので、新聞は読む。

怪しげな情報が、日々量産されるこの時代。わが身を守るためには、「テレビを捨てる」ぐらいの英断が、必要なのかも。

でも新聞は・・・いろいろ使い道があるから、捨てない


2020年3月14日

スカイプの向こう側


 うつろな眼差し。

ろれつの回らない話し方。

 オンライン英会話125人目。H先生の挙動が、かなりおかしい。

 Skypeで対面するフィリピン人の先生は、プロフィール写真より太っていることが多い。でも彼女は病的にやせていて、とても老けて見えた。まだ20代のはずなのに。

 たぶん・・・薬物中毒者だ。

 ラリッている先生を正気に戻そうと、懸命に話しかけ、下手なジョークで笑わせようとした。レッスンが終わるころ、顔に生気が戻った。笑顔も出た。

 いったい自分は何をやってんだか。授業料まで払って。



 そのレッスンを受けたのは、八ヶ岳山麓のWi-Fiスポット。隣で地元のおばちゃんが、のんびりテレビでサスペンスものを見ていた。

そこに突然現れた、見慣れぬ中年男。やにわにタブレット端末を取り出して、画面に話しかけ始めた。妙な外国の言葉で・・・

ギョッとした顔で、私を見つめたおばちゃん。テレビを消して、そそくさと出て行ってしまった。

昼下がりの平穏をかき乱して、ごめんなさい。



「ひと頃、この町は麻薬中毒者だらけで、子どもの誘拐や、女性へのレイプが頻発していた。それが今じゃ、フィリピンでも一番安全な町に。ドゥテルテ大統領は偉大だよ」

大統領の地元、ミンダナオ島ダバオのジェサ先生が言う。

「麻薬犯罪者は殺せ」

ドゥテルテ大統領の過激な号令のもと、警官に射殺された麻薬密売人は、5000人以上とも言われる。

「日本は犯罪者を死刑にできるからいいよね。フィリピンはカトリック教国だからできないんだ。人権も大事だけど、凶悪犯罪を防ぐためには、死刑も必要だと思う」(ジェサ先生)

 同じミンダナオ島でも、別の町に住む先生は、「女性の一人歩きは危険だから、日が暮れたらもっぱら自宅でネットサーフィンしている」と言っていた。



「すぐ近くの火山が毎年噴火するし、地震も多い。子どもと一緒に家にいても、安心できないよ」と話す、ルソン島南部の先生がいた。

大型台風による休講や、停電による突然のレッスン中断も経験した。

 彼らフィリピン人の暮らしは、それなりに大変みたいだ。



2020年3月6日

「社会に出る前に遊んでおけよ」


 このイラスト・・・似てますか?


 いろいろな特技を持つ人が、その得意技を売ることができるオンライン市場、「ココナラ」。

数年前、ココナラ経由でマンガ家志望の女性に写真を送り、似顔絵を描いてもらった。

南章行・ココナラ社長は、高校生と中学生の父親でもある。自分の子どもにも、ひたすら「得意を生かせ!」「得意を生かせ!」と叫んでいるらしい。

 日経ビジネス電子版の記事から、彼のことばを3つ紹介します。



 「社会に出る前にたくさん遊んでおけよ」と助言する大人の言うことは聞かなくていい

社会に出て働くことをネガティブにとらえるということは、つまらない生き方をしている証拠。親は「幸せに生きるとはどういうことか」と突き詰めて考え、それを自ら実践して、自分自身がハッピーに生きていないといけない。

自分を幸せにできない人が、わが子を幸せにできるとは思えない。

「強み」の反対語は「弱み」ではなく「消耗」

強みとは「できること」ではなくて、「やっていて、わくわくできて、自然とエネルギーが湧いてくること」。才能やスキルを指すのではなく、これをやるといつの間にか時間がたっていて、自分らしくなれて、成果も出ること。

だから、結果としてスキルが上がる。

それが「強み」だとしたら、その反対は「やるだけで疲れて、自分らしくいられなくて、成果も出ないこと」、つまり、消耗。

楽しく幸せに生きるために、強みを伸ばしてあげるのが、本来の教育の役割のはず。残念ながら日本の教育は、「不得意なことを指摘して標準化する」というのが基本姿勢になっている。

子育てって、要は「親が生きている通りに、子どもも生きる」というもの

「母親がごきげんに暮らすことが何よりもの教育になる」。南氏の妻は、43歳にしてトライアスロンを始めた。まったく泳げないのに。

こういう親を持つと、子はどうなるか。彼の長女は中学受験の面接で「将来は何になりたいですか」と聞かれて、答えた。

「将来何をするかは今は分からないです。分からないけれど、10年後、20年後、その時々の世の中に困り事はあるはずだから、それを解決できる仕事をしたいです」

・・・とても小学生の発言とは思えない。

そして高1の長男は、「1人で海外に行くのも平気で、この間もドバイ経由でマルタまで1カ月間の語学留学に行っていました」

・・・・・


HIKIKOMORI

  不登校や引きこもりの子に、心理専門職としてどう関わっていくか。 増え続ける不登校と、中高年への広がりが指摘されるひきこもり。 心理系大学院入試でも 、事例問題としてよく出題される。 対応の基本は、その子単独の問題として捉えるのではなく、家族システムの中に生じている悪循...