2017年1月21日

プルメリアが香る街


 空港近くで朝のジョギング。池に氷が張っている。

 パスポートにスタンプを受けて離陸し、機内食を2回食べて7時間後に着陸。イミグレの外国人レーンに並び、4週間の滞在許可を受ける。

 到着階のタクシー乗り場が無人化されている。いつもこの国の言葉を、最初に聞く場だった。

 市内までは30キロ、小1時間。車窓から眺める帰宅ラッシュの人波は、妙に黒服姿が目立つ。

国王の逝去から100日。市民の多くが、いまだ喪に服している。浅黒い肌の女性に、黒いワンピースがよく似合う。

 夜、シャワーを浴びていたら突然、停電した。暗闇の中、湯が水になって頭から降り注ぐ。

でも大丈夫、今宵は熱帯夜だ。

 一夜明け、近くの公園をジョギング。プルメリアが香る。体長1メートルほどのオオトカゲが、チョロチョロ舌を出しながら歩道を進む。

 宿に戻って新聞を買う。今日は最高気温34度の予報。1面の片隅に、奇妙な見出しを見つける。

「当局、連続エイズ拡散犯を捜査中」

 HIV陽性の50歳チェコ人男が国内に潜伏し、女性との無防備な性交渉を繰り返しているという。

感染のショックで自暴自棄になったか。もし男が感染を知らなかったら、罪に問われないのか。知っていても事の前に告白すれば、無罪なのだろうか。

ところ変わればニュースも変わる。

思い立って高架鉄道に乗り、白昼の住宅街で降りる。小さなギャラリーで、「アフガンの少女」で有名な写真家の個展を見る。

アパートの2階に上がっていくと、会場は無人。受付にも人影がない。貸し切りで1時間、静かに作品と対峙できた。

この写真家はイラン・イラク戦争、湾岸戦争、アフガン内戦、9・11同時テロなどを取材。ユーゴスラビアでは乗っていた飛行機が墜落し、これまで2度も死亡記事が流れた。

会場に、アフガニスタン・バーミヤンで2007年に撮られた写真があった。ちょうど同じころ、私もそこにいた。そういえば、タリバンが爆破した仏像の近くで、ずんぐりした白人カメラマンを見かけた。

私はその時、撮影と安全に気を取られ、声を掛ける心のゆとりがなかった。

展示は、その経歴から想像されるような劇的な写真より、静かな人物ポートレートが多い。雨期のボンベイで車窓からスナップした、幼な子を抱いて物乞いする母親の写真が印象に残った。

(写真は「喪章をつけた女の子」 ©e.miyasaka)


2017年1月18日

タップでなくスワイプ


 新しく買ったスマホの、呼び出し音が鳴り続ける。

3回、4回、5回。

画面を懸命に押したり叩いたり、でもどうしても出られない。

7回、8回、9回・・・

ついにスマホは沈黙した。



スマホには、前からトラウマがある。

サラリーマン時代、会社が金をケチって、型落ちスマホを社員に配った。アッ〇ル製品の洗練にはほど遠い、直感では使いこなせない代物だった。なにしろ取材先に電話するだけで、いくつもの手順が必要なのだ。

そして大事な業務連絡は、すべてこの性悪スマホでやってくる。とてもスタッフを大切にする組織とは言えない。

ちなみに先日、属している福祉系NPOの新年会があった。これまでの飲み会では、申し訳程度に会費を集めていた。今回、ついにタダになった。ゼロ円。

とてもスタッフを大切にする組織である。

例の会社を辞めたとき、すかさずガラケーに戻して、平穏に暮らしていた。ところが、夏の住まいを長野の山中に移したら、ケータイが圏外で通じない。

 会社を辞めて2年、「2年縛り」が解けるこの機会に、キャリアを変えることにした。「格安スマホ」なら、毎月の通信費も大手ガラケーと大差ないという。

甘言に乗せられて、韓国製スマホと格安SIMを購入。電話番号が引き継がれて、愛用のガラケーは瞬時に成仏した。

 新しいスマホから、妻にかけてみる。ところが発信しようとすると、IDとパスワードの入力画面が出てくる。

設定した覚えがない。両方わからないから、つながらない。いきなり困った。

家の電話から「お客様相談窓口」にかけると、録音音声が「電話が混みあっております。待ち時間は30分以上」と告げる。もうすぐ夜。営業時間が終われば、私は明日まで音信不通だ。

仕方ない。30分待つ。相手の指示に従って、不要なアプリを削除する。とりあえず、IDとパスワードを求められることはなくなった。

そうこうしているうち、記念すべき最初の着信があった。

・・・押しても叩いても、どうしても出られない。

トリセツを読むと、電話に出るときは「タップ」ではなく「スワイプ」せよと書いてある。なに、指を滑らせよ? 試しに妻のケータイからかけてもらうが、私の「スワイプ」は、機械に反応してもらえない。

千本ノックの末、やっと最近、電話に出られるようになった。

外国でも山奥でもない、きっちり5本立つ場所で、音信不通になる。

これもひとつの才能だ。


2017年1月8日

㊙ファンド運用報告書~後編

前編からつづく

   銘柄の入れ替え

・日本国債インバースETF・・・日本が財政破たんし、国債が暴落すると大儲けできるETF。保険代わりに所有していました。ところが、日本が国家破産しないので、ずるずると値下がりしてしまいました。売却を検討していたところ、発行元のドイツ銀行が償還を決め、勝手に現金化されました。

・原油ETF・・・将来的に化石燃料が枯渇するのは必然と考え、値上がりを予想して保有していました。しかし、シェール革命でその時期が後ずれ。そもそも原油価格自体が、必ずしも実需を反映しないようです。売却しました。

・米国優先出資証券&劣後債ETF・・・組み入れ上位はシティグループやHSBCなど。数年間の観察の結果、安定して年6%前後のインカムゲインが得られ、値動きもハイイールド債より安定しているので、少額を購入しました。

・中国株ETF・・・中国株の価格形成は、当局の介入で歪められています。しかし、「もっと金持ちになりたい」と熱望する14億の市場に参加しないのも、別の意味で大きなリスクといえそうです。

日本人の中国嫌いを反映して、東証の中国株ETFは人気がなく、インデックスとかい離しています。今後は香港市場のETFに乗り換えます。

   今後の投資方針

昨年のMSCIインデックスを眺めていると、目立って好調だった国はブラジル(+61%)とロシア(+49%)でした。

大統領が失職し、マイナス成長に沈むブラジル。原油安と経済制裁にあえぐロシア。両国の株が急上昇すると、いったい誰が予見できたでしょうか。

これからも、地球全体に網をかけておくしかなさそうです。

ETFとネット証券の組み合わせで、機関投資家や大富豪しかできなかった国際分散投資が、いまや誰でもどこからでも、数千円という少額から始められます。アメリカ発の商品とサービスが、それを可能にしました。

今月20日のトランプ大統領就任に当たり、メディアは疑心暗鬼に満ちています。しかし当ファンドは、誰が大統領であろうと、アメリカが生み出すイノベーションが人の暮らしを豊かにし、貧富の格差を是正していくと期待しています。

当ファンドは、引き続きアメリカと新興国(特に中国、インド、ASEAN諸国)に楽観的で、日本には悲観的。ヨーロッパに対しては中立です。資金の配分も、この見方に準じます。

世界はなぜか、日本円を安全資産と見なしています。その結果、事あるごとに、世界同時株安と円の独歩高がセットでやってきます。そのたびに、当ファンドは激しく揺さぶられます。

でもこれ以上、株や外貨建て資産の比率は減らしません。夢に向かってシートベルトを締め直し、今年もジェットコースターに我が身を委ねようと思います。

今後とも一層のご愛顧を賜りますよう、お願い申し上げます。



  1年ごとの決算は、いささか近視眼的になりすぎるようです。今後は5年ごと、将来的には25年ごとの決算とさせていただきます。


2017年1月6日

㊙ファンド運用報告書~前編


 受益者の皆さまへ



謹んで初春のお慶びを申し上げます。

Mファンドはこのほど、2016年の決算を行いましたので、ここに運用状況をご報告申し上げます。



   投資環境と運用の結果

年明け早々、中国株バブルが崩壊し、世界的に株安となりました。その後、BREXITショックでも株安と円高が進行し、当ファンドは一時、30%を超える損失を被りました。

当ファンドの投資方針は、極力売買せず、市場に居座り続けること。それが税金と手数料を抑えて、複利効果を最大限に生かすことになります。したがって、ファンドマネジャー(=私)はポートフォリオを放置しました。

アメリカ大統領選(トランプ・ショック)でも市場は乱高下しましたが、その後は年末にかけて、一本調子の円安・株高となりました。

この結果、当ファンドの騰落率はドルベースで+4%、円ベースで+2%となりました。

これだけのリスクを取って、たったの2%か、という気がしないでもありません。日銀がマイナス金利を導入したいま、円建てで収益を確保するのは容易でない、と痛感しました。

銀行に預けるだけで5%の金利がついたあの頃が、懐かしい。

ちなみに同期間のMSCI世界株指数は、ドルベースで+5%でした。アメリカ株が好調で+9%、欧州株は振るわず-3%、新興国株は+8%、日本株は横ばいでした。

期間中、ドル円は2.5%の円高、ユーロ円は5%の円高でした。

   ポートフォリオの現況

2年前までは99%株式でした。毎月の資金流入がなくなってから、先進国・新興国・日本株式に加えて、先進国・新興国・日本債券、および先進国・新興国・日本REITを新たに組み入れました。

昨年末時点の資産配分は、世界の株式が59%、世界の債券が27%、世界のREITが13%、その他1%となっています。

株式の中身は、先進国株が70%(日本株を含む)、新興国株が30%です。

円建て資産と外貨建て資産の比率は、24対76です。

(後編へつづく)




2016年12月31日

フリーランサー2年目の備忘録


 2016年も、あと数時間で終わり。だらだらした南国タイでの年越しと違い、きちんと1年を振り返る気になるから不思議だ。

以下、フリーランサー2年目の備忘録。

 今年最大のトピックは、夏を中心に102日間、信州の山荘で過ごしたこと。涼しさを通り越して、肌寒いほどのひと夏になった。

リオ五輪は、はるか別世界のできごと。静かな森を歩き、セネカ、プラトーン、ソロー、新渡戸稲造、司馬遼太郎を読んだ。

元ジャンボ機機長、マダガスカル駐在大使夫人、ネパール盲学生支援者ら、森の住民たちとの出会いもあった。

 国外滞在は、1~3月に計76日間。去年(86日間)より少し短くなった。タイを拠点にラオスとミャンマーを訪ねた後、大学山岳部の学生たちとヒマラヤ山麓を歩いた。

「再会の年」でもあった。

33年ぶりに、高校山岳部の仲間たちと会う。8月には、パリ日本人学校時代の同級生と、37年ぶりに会うことができた。

消息不明だった私を、探し当てた友に感謝。SNSの威力を思い知る。

春と秋は、関東の城下町でボランティア。障がい者や高齢者をクルマで病院送迎、貧困家庭の子の塾講師、在住外国人の日本語教師、の3本立て。

車いすの人を病院まで送ると、診察を受けても薬をもらっても、会計を素通りする。障がい者の多くが高齢者、かつ生活保護の受給者で、代金を支払う必要がないことを、初めて知る。

学びの面では、近所の大学で「多文化共生ワークショップ」(日本語教師養成講座)を受講。「病院ボランティア養成講座」にも通った。

収入と支出について。昨年は失業給付があり、前の会社からボーナスも出たので、150万円の収入があった。今年は、社会福祉法人からの給料が5万円。もうひとつの有償ボランティアと合わせて、合計年収23万円。ラオスの一人当たりGDPと同じで、国内中心の暮らしには少し足らず、日本国債を売って充てる。

 退職後しばらく、税金と社会保険料は現役時代と同じ額を「惜しみなく奪われて」いた。この夏ようやく、実際の所得に見合った額になった。

  さて明日から新年。フリーランサー3年目の抱負は? 愛読する社会学者・河合薫のブログに、ミドルが大切にしたいこととして、こんな言葉があった。

「他者のまなざしに頼らず、他者から笑われてしまうようなことであれ何であれ、自己の内面的世界を頼りにする」

「社会的欲求とか、他者からの評価とか、他者との競争とか一切関係ない、自らの価値。そこまで自己を切り離して、きれいな欲求を持つ」

 2017年、きれいな欲求を持って日々を過ごしたい。




2016年12月22日

流動客調査員


 革ジャンの腕に腕章を巻き、師走の街角に立つ。

カチカチと、手にしたカウンターで人を数える。

その名も「流動客調査員」。

商工会議所が、昭和40年代から行っているこの調査。マンウォッチングができて日当も出るので、応募してみた。

学生のころ冬山でビバークし、報道カメラマン時代は立ちっぱなしで張り込みをした。私にうってつけのバイトだ。

割り当てられた場所は、駅から徒歩数分の銀行前。折り畳みイスが支給されたが、MBTを履いて6時間、ずっと立っていた。

なにぶん小さな街なので、すぐ知った顔に会う。この仕事、地元の人はやりにくいかも知れない。引っ越して2年の私でも、いろいろ出くわした。

そこを行く色黒の男は、ハニー。日本語教室に来るインド人だ。24歳、厳格な菜食主義者。虫も殺さぬ優しい顔立ちながら、今日はかわいい日本のガールフレンドを連れている。

 彼は私に気づかない。デートの邪魔をしては、とこちらも声を掛けずにいたら、目の前を3度も、行ったり来たり。こちらが透明人間になったよう。

 次に会ったのは、中学生のKくん。彼は、私がボランティアをしている学習塾の生徒だ。「鱈」「鱚」「鰈」、魚偏がつく漢字は次々書けるのに、英語はぜんぜんダメ。受験には向かないタイプ。

黒い制服姿で、おしゃれな美容室の前をウロウロしている。かなり挙動不審だ。私がじっと観察していても、まったくお構いなし。

そのうち、カットを終えた女性が出てきた。優しい笑顔は、お母さんらしい。

肩を並べて帰って行く、その後ろ姿を見送った。彼の家は、母子家庭だ。

午後3時、知らない男の子に「おはようございます!」と、あいさつされる。

すれ違いざま、別の子に「変なおじさん!」と言われる。

夕方、ボランティア仲間のおばさまが歩いてきた。今度は私に気がついた。伏し目がちに近づき、唐突に「忘年会出る?」と言って、そそくさと去って行った。

そんなにひと目をはばからなくても・・・

カウンターの数字を見ると、通行人は1時間平均で800人ほど。6時間で5000人が、それぞれの用事を抱えて、通り過ぎて行った。

道の奥にドンキがあるので、黄色いレジ袋を手に下げた人が多い。ここにシャンゼリゼや表参道の絢爛さはないが、道行く人の人生が垣間見れて、楽しかった。

調査の過去データでは、駅前の人出は年々、減少している。この夏、5階建ての商業ビルが閉鎖された。東京から転入してきた知人(3児の母)は、「駅前なのにパンツ1枚買えない」と嘆いている。


今日の調査を、活気ある街づくりに生かしてほしい。

やがて冬の陽が陰ると、人通りが途絶えた。最後の1時間は、寒さがこたえた。

風のない日でよかった。




2016年12月11日

○▲×■!


 東京で働く友人が、超満員の通勤電車(女性専用車両)で、一触即発の場面に遭遇した。10数分間に2度、別々の方向から罵声を聞いた。

「いてーよ、オバサン」

「ふざけんなババア、いてーんだよ」

 圧死しそうなほどの混み方で、かなり不快を感じていたのだろう。でも、これが女子の口から出た言葉かと思うと、怖い。

 ついでに思い出した。新聞社の編集局にいた頃、同期から聞いた話だ。

 深夜、いよいよ最終版の締め切りが迫る時間帯。となりの部署から、言い争う声が聞こえてきた。女性デスクが電話越しに、取材現場の部下と口論している。

 だんだん、口調が乱暴になる。ただならぬ雰囲気。

そして・・・ひときわ大きな声で、

「ク●して寝ちまえ!」 ガチャン!!

 時に殺伐とするこの職場で働いて20年、百戦錬磨の彼も、思わずたじろいだという。

 女性デスクとはその後、一緒に仕事をする機会があった。内心、かなりビビった。いざ会ってみれば、若輩の私にも気遣いを忘れない、いい人だった。

 殺人的に混んだ電車内や、紙面の全責任を負う締め切り間際。そういった状況が、かくも女性を豹変させるのだろうか。

 アイエンガーによると、通勤がもたらすストレスの蓄積は、解雇や離婚より健康を害する度合いが大きいという。カーネマンの研究でも、通勤は1日で最も不快な時間で、通勤時間が20分長くなると、失職の5分の1のダメージに匹敵するという。

 これらはアメリカの話だ。マイカー通勤で、渋滞に巻き込まれるストレスを指しているのだろう。毎朝、乗車率200%の通勤電車に押し込まれる、日本人のストレス量は計り知れない。

 私は比較的、恵まれていた。サラリーマン生活25年のうち、成田、仙台、バンコクではマイカー通勤。とりわけバンコクでは、ありえない専属運転手付き。福岡時代は、城址公園の中を徒歩で会社に通った。

東京本社に仕えた時も、遊軍やグラフ担当の時は自由裁量で働けた。シフト勤務で夜勤も多く、そういう日は朝の「痛勤」を免れることができた。

いま会社を辞めて、地方で福祉に携わっていると、現場で接する女子の雰囲気が明らかに違う。ひと言でいえば、女性らしくある。これまで「女性の優しさもひとつの戦略」と、肝に銘じて生きてきたが、危うくそれを忘れそうになる。

満員電車に乗る必要がなく、時間の流れも穏やか。ゆとりある環境では、彼女たちの口から「○▲×■!」などという言葉が発せられることもないだろう。

この安らかなる日々よ、永遠なれ。


HIKIKOMORI

  不登校や引きこもりの子に、心理専門職としてどう関わっていくか。 増え続ける不登校と、中高年への広がりが指摘されるひきこもり。 心理系大学院入試でも 、事例問題としてよく出題される。 対応の基本は、その子単独の問題として捉えるのではなく、家族システムの中に生じている悪循...